2013年12月31日火曜日

いらち

あっという間に今年もおしまいである。
12月は「師走」というのであるが、先生だけではなく、世間様もみんな走っている。特に道路は仕事納めの間際になると、殺気立った運転をよく見かける。

さて、大晦日と言えばそばである。そば屋は朝から大忙しである。
同居人は「そばはそば屋で食う方がうまい」と思っているクチなので、たいてい大晦日は昼間にそば屋に出かけることになる。営業していても、店内営業はなし、お持ち帰りのみ、というケースもあるので、数日前に営業を電話で確認したりして、念の入ったことである。
今日出かけたそば屋は、席数がそこそこある店内、11時を過ぎると、座りきれないお客がどんどんと外に行列を作り始めた。店内メニューは「年越しそば」の臨時メニュー、普段のメニューからだいぶ品数を減らして対処している。
そうは言っても、それなりに注文が入るので、厨房もお給仕さんもてんてこ舞いのご様子。注文を聞くお姉さんは「天ぷらは時間がかかります」と念を入れているのだが、隣近所の卓の注文は「天ぷらそば」がダントツに多い。
同居人はいつものパターンで、板わさをつまみながらせいろを待つ。どのお客も、それほどすぐには注文はやってこない。さすがに大晦日である。
しばらくすると、2つ隣の卓のおばさまが、お給仕に声を荒げた。「いつになったら来るの! もう1時間は待ってるわよ!」

いやいやおばさま、まだ30分くらいです。
師走はどなたも殺気立つものなのかもしれない。

2013年12月23日月曜日

つながり

学生さんの制作課題を見ていると、ひんぱんに小道具として携帯電話あるいはスマートフォンが出現する。下手をすると、のべつ耳元の端末にしゃべりっぱなしだったりする。

初心者が制作する場合は、ストレートに「自分の現実の生活」が反映されることが多い。彼らもきっとそうなのだろうと思う。
ただ、映像でドラマやドキュメントをつくろうと思っているにもかかわらず、事件の発端は「携帯電話がかかってきた」ことで始まり、それに対して「携帯電話で誰かを呼び出し」たり、「携帯電話で誰かに相談」したり、「スマホでメールを送信」したり、「スマホをいじって解決方法をググってみた」りして、事件が終わると「携帯電話で誰かに報告」したり、「お礼メールを打った」りするのである。


携帯電話の宣伝のようである。


彼らにとって携帯電話やスマホは、他人とつながるためのツールではあるのだろう。「直接顔を見て会話する」のであれば、会話のやり取り、双方のリアクションを映像で見せることが出来るが、電話では片方だけしか見せることが出来ない。芝居としては、片方だけで二人分の状況を見せる訳だから、難しい。言語的な情報を伝えることは出来るかもしれないが、見えない相手の感情を見せることはさらに難しい。
コミュニケーションとは相手あってのものだからだ。

2013年12月19日木曜日

公衆電話

今や学生生活はもとより、一般的な市民の生活でも、携帯電話あるいはスマートフォンはたいがいの人が持っている。
日々の連絡に使うようになって街中に減ったのは公衆電話と駅の伝言板だ。

小学校の頃、ランドセルには、お守りと一緒に、10円玉が入った小さな小銭入れがぶる下がっていた。何かのときにはうちへ電話しなさい、である。
その後は、テレフォンカード、というのが出来て、小銭をじゃらじゃら入れずに会話できるようになった。
携帯電話の普及で、公衆電話が次々と撤去されたが、先だっての大地震の時は携帯電話がつながらず、公衆電話に長蛇の列が出来た。日頃携帯電話にどっぷりな生活の家人は、小銭の持ち合わせも、テレフォンカードも持っておらず、なかなか電話が出来なかったらしい。

通信手段の変化は、時として、不自由なこともあるものである。文明の便利さに慣れていると、非常時には困ることを、震災時に学んだと思っていたのだが、数年で「のどもと」を過ぎてしまった感じがする。

2013年12月17日火曜日

テレックスを借りに行った新聞社は、ちょっとモダンな建物である。外から見ると雨樋のパイプがきれいにならんでいる。屋上のパイプの突端に、鳩の彫刻が乗っている。ほぼ原寸大なのだろう、地上からではちょっと見にくいので、小さな双眼鏡などあるとベストである。

新聞社に送る記事や写真を鳩に持たせて、記者が取材先で鳩を放ち、本社に帰らせるのである。新聞社の屋上には鳩小屋があり、鳩専門の職員がいた。
早く確実に帰ってくるのが良い伝書鳩である。ドバトではなく、きちんと管理されていて、良い雛はそれなりのお値段で売買される。
巷でも「鳩レース」というのをよくやっていて、鳩小屋のある家が街中にときどきあった。

今はもう、新聞記事は運ばなくなっているだろう。ただ、数年前の震災時に思ったのは、こういうプリミティブな手段も維持しておかないといけないのかも、ということだった。電気もなく、電話も、もちろん交通手段も不通なら、連絡手段は限られるからだ。

2013年12月16日月曜日

距離感

携帯電話もインターネットも、世界中どこにいても即時に連絡がつく便利なツールである。
電話をかけ、しばらく会話をした後で、今パリなんだよねー、と言われたりする。
メールを投げた返信の送信した場所が、ロンドンだったりする。
地球上の距離感が、ずいぶんと「近く」なったなあと思う。

40年近く前の話になるが、妹がヨーロッパに行くことになった。
彼女は当時スポーツ選手で、ヨーロッパで試合を転戦するのである。
試合の状況、つまり勝てばそのまま逗留、負ければさっさと次の試合の開催地へ行く、というやつだ。日本国内の旅行代理店では「そんなプランは組めない」と匙を投げられた。とりあえず、ヨーロッパオープンの飛行機の往復を買い、あとは現地調達である。ただ、大きな試合の開催地の宿だけは、確保しておかなくてはならない。観客も多いので、開催中の最低限の宿泊先は抑えなくてはならない。
「地球の歩き方」などというガイドブックもなく、もちろんインターネットもありはしない。旅行代理店でざっくりとホテルの連絡先を聞くが、海外電話はまだ回線がよろしくなく、雑音が多くて、通話が間延びする。よくわからないうちに、迷惑電話だと間違えられることが何回か続いた。確実なのはテレックスだと、あるホテルの交換手が教えてくれた。しかし、一般的な市民の家庭にテレックスなどある訳がない。よく取材に来てくれる新聞社の記者に頼んで、新聞社のテレックスでホテルの予約を打たせてもらった。

その後しばらくするとファックスが普及しはじめた。実家では飛びついて機械を購入した。海外宿泊先連絡用にもっとも確実な連絡手段だったのである。

2013年12月15日日曜日

便利

最近の学生さんは、すべてではないが、概ねスマホユーザーである。パソコン宛の添付ファイル付きのメールも見られるし、いろいろなアプリも入っているし、インターネットに接続していろいろな情報も見ることが出来る。便利である。

便利すぎて、テスト会場でつい使ってしまった学生がいたりする。
入試で使ったのは、話題になった。大震災の頃だ。
同居人の授業では、テストのお答えにスマホで覗き見したwikipedia丸写し、というのがいて、頭を抱えていた。
対策は色々あるようで、某大学では「マナーモードなしで電源on、机の上に必ず出す」とか、他大学では大学の教授がwikipediaを試験期間中改ざんするとか。ほんとかしらん。

でもそういう便利なツールがあるのに、レポートや報告は誤字だらけなのはなぜなのだろう。スマホなら、辞書アプリくらい入れて使うのは、容易いことだと思うのだが。

2013年12月12日木曜日

連絡手段

最近の学生さんは、すべてではないが、概ねスマホユーザーである。
グループワークで連絡先を交換するのに、最低三つの手段を控えるように、と言うのだが、「携帯電話番号」「LINE」「skype名」をまず交換している。

スマホが手の中にあることが前提である。「他の手段」にはなりにくい。
少し機転のきく学生がいると「メアド」。もう少し回転の速い学生だと「携帯メールとPCメール」または「自宅の固定電話」である。

グループワークであまり作業が進んでいないのは、たいていが「連絡が上手くとれない」「約束が守れない」である。
連絡先、と言った携帯に出ない、LINEで応答しない、skypeをオンラインにしない、のである。しかも「授業に出ない」「指定したミーティングに現れない」「そのくせ、決まったことに文句を言う」のがいたりすると、チームのモチベーションはどんどん悪くなり、作業が沈滞する。
授業中はひたすら机の下でLINEでおしゃべりしているのに、授業の作業と言うと無視するのである。彼らにとって、LINEは単なる井戸端会議の場所だったり、暇つぶしだったりするだけで、「連絡をとる」ためのツールではもはやないのかもしれない。

2013年12月9日月曜日

連携作業

最近の学生さんは、すべてではないが、概ねスマホユーザーである。パソコン宛の添付ファイル付きのメールも見られるし、いろいろなアプリも入っていて便利である。

先日終了した授業は、学生のグループ作業である。4人ほどのグループで、フィールドワークをもとに企画を立ち上げ、最終的なアウトプットを出す、というものだ。授業期間が7週間と短いので、チームワークが必須である。仕事が進むと、作業は分担することが多くなる。そのため、情報の共有と相互連絡、意思疎通が大切だ。
まあ、完成作品の善し悪しよりも、グループワークのプロセス学習がメインである。

携帯電話でお互いに気軽に連絡が取れるようになって、作業に応じて、分散して進行出来るようになった。ひとりは図書館、ひとりはフィールド、ひとりは学内で機材準備、などのような感じである。
インターネットを使ったデータの共有も敷居が低くなったので、フィールドで撮影した写真をクラウドドライブにアップロード、学校でそれをダウンロードして画像加工、それを自室で作業中の学生が受け取ってウェブサイトに埋め込む、などという作業をする。

日頃からスマホをいじっていたりするので、一昔ほどツールやガジェットの使い方を細かく言わなくても済むようになった。ありがたいのか、ありがたくないのか、よくわからないこともあるのだが。

2013年12月8日日曜日

白紙

最近の学生さんは、すべてではないが、概ねスマホユーザーである。
パソコン宛の添付ファイル付きのメールも見られるし、いろいろなアプリも入っていて便利である。

私はスマホ持ちではないし、学内では携帯電話も持ち歩かないようにしている。どちらかと言えばアナログな状況をわざわざ作っているわけだ。のべつメールがやってきたり、電話がかかってきたりしようものなら、気が散ってしょうがない。結局は、授業に集中できなくなってしまう、不器用な性格だからだ。

ところが学生さんの方は授業中に気が散っても一向に頓着しないらしい。鞄やポケットの中で着信音を鳴らしたり、机の上でブルブルと震えるように動いているスマホに応対したりしている。机の下で、メールをやり取りしていたり、というのは数年前の話で、ここ2−3年は「LINE」である。
メールの場合は送信後しばらくしてからお返事が来たりするのだが、LINEの場合は時間差があまりない。従って、学生は終始スマホの画面に注視することになる。いつノートをとっているんだろう、と思ってある日ノートを回収した。案の定ノートは白紙である。

これが「依存症」の走りなんだろうなあ、と思う。だが、「授業中はLINEは禁止です」などというのも、大学ではなんだかなあ、と思う。

2013年12月5日木曜日

依存

学生が携帯電話を持つようになってから何年になるだろうか。
その昔、「ポケベル」というのが連絡必須ツールだった。たぶんそれが、個人用の連絡ガジェットとして実用的、かつ普及し始めのものだったと思う。
それが通話できるPHSになり、携帯電話になり、スマホになるのに、それほど時間がかからなかったような気がする。

グループワークでは、メンバー相互のコミュニケーションが不可欠である。携帯電話のなかった頃は、待ち合わせた場所に指定の時間にいないとコミュニケーションは成立しなかった。必然的に授業に来ることになるわけである。
携帯電話を使い始めると、それが少しずつ「ずれ」てくるようになった。遅れる、場所を変える、というのが臨機応変にできるようになったので、授業に来ないで放課後に集まろう、という作戦に出たりするようになった。
一方で、携帯電話でしか連絡を付けられない、というケースが出てきた。携帯電話を落としたり、バッテリーが切れたりしたら「音信不通」になるのでお手上げ、という状態になる。

便利になった一方で、それだけに依存したコネクションというのは、少し危うい気がする。

2013年12月4日水曜日

待機

学生さんがPHSや携帯電話を持つようになって、就職活動も変わった。ところかまわず電話で通話することが出来る、ということは、自分の部屋の通信機器で待ち構えなくても良い、ということである。それまでは「火曜日に会社から結果をお電話します」などと言われたら、火曜日は24時間電話の前で待機状態だった。

インターネットが普及して、会社が連絡用に使うようになった。パソコン通信やインターネット通信、というのは、学生にはちょっと敷居が高くて手が出なかったりした。
携帯電話では、メールのやり取りが出来るので便利である。
ところが携帯メールでは、テキストや簡単な画像だけが読めるので、添付ファイルやデータの読み込みが出来ない。会社から、「明日ここに来なさい」というメールは読めるが、添付された地図は見えなかったりする。
実家から通う学生は、家族共有でパソコンを買い、インターネット回線を用意するケースも出たりした。その頃たくさん出現したのが「インターネット喫茶」だったりする。ゲーマーだけが入り浸るのではなく、就職活動のために通う学生もいた。

就職活動は、学生の情報活動をどんどん変えるもの、である。

2013年12月3日火曜日

オプション

ファックスがあった方が、就職活動に便利だよねー、などと言っているうちに、世の中に「移動できる電話」というのが出現しつつあった。
「マルサの女」に出てくるような、ショルダーバッグに受話器のついたような「携帯電話」は、まだまだ高嶺の花だった。

バブルの時期に世の中に出てきた「ラグジュアリーなマイカー」では、「自動車電話」というのが「ラグジュアリーなオプション」である。
運転席と助手席の間に受話器が鎮座ましましているのだが、自動車のオプションである。自動車のバッテリーから電源を供給する。だから、キーをさして電源を入れなくてはならない。

授業に来ていただいている先生のうちの一人が、「ラグジュアリー」なお車に、自動車電話をつけた。ご自慢である。何かというと、自動車から電話がかかってくる。

「あー、ちょっと今日の授業は遅刻しそうだ。いま、途中まで来ているんだけど。実は出がけに郵便屋が来てねえ」
…自宅を出るのが遅くなるのだったら、自宅からお電話いただいても良かったんですけど。

「明日の授業の確認なんだけどねえ、おっと赤信号だ」
……打ち合わせはとうに終わっているんだけど。

まだまだ普及率が低いので、「運転中は通話禁止」などという認識もなかった時代である。

2013年12月2日月曜日

必需品

大学に進学した学生さんが、一人暮らしをする。
生活必需品というのがいくつかあって、我々の世代だとまあ冷蔵庫、くらいだろうか。女子学生はmy洗濯機が欲しいものだが、男子学生はコインランドリーなんかをよく利用した。固定電話は、ちょいと高嶺の花だ。開設するのに、電話の権利を買ったり、回線を手配したりと、けっこうな金額と手間が必要だったからだ。

私が助手をやっていた頃の、就職活動の必需品に「電話」がリストアップされた。面接の予定の打ち合わせやら、合否の連絡を、会社から学生個人宛に電話するようになったからだ。それまでは、実家に電話連絡だったり、下宿に郵送だったりしたのだが、時代はスピードアップしていくものである。当人に連絡がつかなければ、補欠の1番に連絡がいくようになるわけだ。合格を逃すわけにはいかない。就職と電話と、どっちか大切かと言えば、就職である。コインランドリー通いをけちっても、電話を用意するのである。

ところが、就職活動をしている学生は、日がな1日電話の前で待ち構えているわけにはいかない。次に流行ったのは留守番電話、その次は外出先から留守電を聞けるリモコン機能付きの留守番電話、その次はファックス付きの留守番電話である。

就職活動は、学生の生活必需品を変えるものだったのである。

2013年12月1日日曜日

親指

ポケベルの次がPHSや携帯電話であった。

最初の頃は大きくて、重たく、通話範囲も大きくなく、通信料金も高かった。伊丹十三の「マルサの女」という映画に、当時の携帯電話が使われている。携帯、といっても、ショルダーバッグくらいのものである。ポケットにはとても入らない。
それが、ポケットに入るほど、小さくなり、軽くなり、通話料金も下がった「PHS」というのが、個人持ちの情報携帯端末になり、ポケベルは流行らなくなった。入れ替わりにサービスの終了がアナウンスされた、という感じだった。

最初の頃は単に通話だけだったのが、携帯メール、というのが使えるようになって、ポケベルに取って代わった、というのが印象だった。女子高校生が打つのは、公衆電話のプッシュボタンではなく、自分の携帯電話のボタンになっただけである。右手の親指が恐ろしく早く正確に文字を打つ。「親指姫」などという言葉も出てきた。
PHSは都市圏の、あまり広くない範囲でのサービスだったが、それなりに利用料金が安く、瞬く間に若年層が使うようになった。
競争のように、携帯電話がだんだんサービスの範囲を広げ、通話料金を下げるようになり、決定打だったのは「iモード」だったかもしれない。携帯電話でネットワークで通信できる、というのが売り物だ。
パソコン通信がインターネットになり、そろそろ普及し始めようかという頃、の話である。

学生さんも、携帯電話で連絡を取るようになった。下宿に固定電話を引かなくなったのは、この頃だった。

2013年11月30日土曜日

スキル

ご家庭で子どもが長電話、の次の時代は「ポケベル」だった。
小さな端末で数字が液晶画面に表示されるだけである。海外の医療ドラマなどでは、院内の緊急呼び出しに使われたりするのをよく見ることがある。「呼び出しだ」と、ポケットから出す、あの端末である。

たいていは、ここへ電話しろ、という電話番号が表示されるもので、外回りの営業マンなどが本社に折り返し連絡をするために使われた。表示は、プッシュホンで押した数字が表示される。端末の表示が高度化し、文字表示も出来るようになり、これが女子高校生に流行ったのだった。
最初は、数字の語呂合わせで、暗号文のようなものをやり取りしていた。文字表示ではテンキーを素早く打って文字に変換する。公衆電話でものすごい早さでボタンを押しまくっている女子高校生を見て、よくわからないがすごいなあ、と思ったことがある。なにがすごいって、その習得と伝達にあてる時間が、である。
今はもう、役に立たない「スキル」だろうなあ。

2013年11月28日木曜日

待ちぼうけ

間違い電話、というのは、全く思いもよらないところからかかってくるものである。

ある日かかってきた電話は、中華料理屋への出前の注文だった。中華料理店の場合は、どうやら配布したお品書きに間違った電話番号であるところの我が家の電話番号が載ってしまったらしい。これもひとつの数字が違うだけだ。
案の定、何回かは中華料理屋への問い合わせがかかってきた。
留守番電話のない時代だったので、お昼時にお留守のようであれば、電話番号をもう一度確認するだろうし、落ち着いて話をする人なら、しばらく応対するうちに、「間違い」だとお互いに気づいたり、番号違いの原因を探ったりする。その日の相手は違った。

電話が鳴って、受話器を取ると同時に、先方がまくしたてたのである。
「あー、中華飯店さんねー、2丁目のササキですけどねー、チャーハン三つ、餃子二つ、ラーメン三つねー、それを早めにー」
こちらが、あー違うんです、という間もなく、電話は切られてしまった。
こちらは間違われた中華料理屋の番号を知らない。注文は宙に浮いたままになってしまった。

ササキさんは、出前を待ち続けていたのだろうか。

2013年11月27日水曜日

末尾

今のように、電話番号が相手に表示される時代ではなかったので、話し始めて「あれ?」というのがよくあった。

自宅の電話によく「OO銀行の副支店長のXXさんをお願いします」という電話がよくかかってきた時期があった。
おかしいのは、父はそのOO銀行の違う支店の貸し付け課に勤務していたことだ。何かしら狐につままれたような気がした。
たいていは、「違います、番号違いです」と言えばおしまいだが、あまりにも何回も違う人から同じような電話がかかってくるので、「なぜこの番号におかけでしょうか」と聞いたことがある。どうやらOO銀行が配布している行員向けの支店一覧表の番号が誤植で、我が家の電話番号になっていたようである。末尾数字ひとつ違いが、当の支店の番号であった。

よその会社だったらもっと噴飯ものだったよねえ、というのが後日の我が家の「ご感想」である。

2013年11月25日月曜日

応答

卒業後しばらく大学の研究室で助手をやった。
研究室のスタッフはほかに「教務補助」がいる。助手は月給取りだが、教務補助はアルバイトで、週3日の勤務、研究室の維持管理(つまり簡単なお掃除とか、備品の管理とか)、学生との応対、事務作業(学校も役所と同じで、日々細かい伝票が行き来する)、電話の取り次ぎなんかである。

ある年の教務補助さんは、抜群に電話の取り次ぎが上手だった。教えるよりも前に、教わってしまったくらいである。
おうちでご商売をしていたのでその関係かと思ったら、さにあらず。学生時代のアルバイトは場外馬券の電話オペレータであったそうだ。
普段しゃべっている声は、なんと言うことはないのだが、電話口での会話の声質がとても良い。いわゆる、マイクのりがいい、という感じだ。受け答えは間延びせず、ハキハキとしていて、要点を繰り返す。
おおすごいねえ、と言ったら実際の受け答えを実演してくれた。


コールセンターの応答のコツは、間違えない、聞き違えない、のが大前提であるが、先方によけいな会話をさせないことが肝要なのだそうだ。携帯電話のない時代、公衆電話、会社や家庭の電話でセンターに電話するのだが、先方の会話で周囲の人に「馬券買ってる」と思わせないようにするのがコツらしい。微妙な心遣いである。

2013年11月24日日曜日

新人

個人持ちの携帯電話で連絡をするようになって、「取り次ぐ」という習慣が、家庭からなくなりつつある。

4月になると、新人が職場に出るようになる。きちんとした企業や事務所であれば、新人に電話の取り次ぎ業務を教えることになる。
同居人の職場は小学校だった。学校に電話すると、職員室にいる誰かが受ける。

「もしもし」
…と私。
「はい」
…あれ、と思いながら
「OO小学校でしょうか」
「はい」
…ここらへんで、あー、これは新人さんだなあと思う。
「家のものですけど、XXをお願いします」
「あー、えーと、XX先生はいま席を外していらっしゃいますがー」

フレッシュなのが、とってもよくわかる。
学校の新人教員というのは、あまりこういった社会研修みたいなもんがないのかもしれない。彼らにとって「先輩」であるところの高齢教師は敬語を使う相手なのだろうが、使うためのTPOは習わないのかもしれない。

2013年11月22日金曜日

勇気

家庭の固定電話は、家族全員が共有する。電話をかけると誰が出てくるか分からない。

男子学生が彼女のおうちに電話をかけるのは、勇気がいることだった。
ベルが鳴って、電話に出るのが本人なら「ラッキー」、彼女から自分のことを聞かされていて好感を持っているお母さんが出たら「ついてる」、ほんとは兄ちゃんが欲しかった妹が出てくれば「ナイス」、娘をとられたくないお父さんが出てしまったら「最悪」である。本人に電話を取り次いでもらう前に一悶着あったりする。

そうならないために、電話をかける時間をあらかじめ打ち合わせたり、ベル2回でいったん切って、3分後に再度かける、などというコールサインを使ったりした。

個人持ちの携帯電話で連絡をするようになって、「取り次ぐ」という習慣が、家庭からなくなりつつあるようだ。

2013年11月21日木曜日

判別

同級生なら笑い話で済むこともあるかもしれない。大人であると、ちょっと困ることがある。

「もしもーし」
…と私。
「はいはい」
…ご家族が出てしまった。
「スズキ先生のお宅でしょうか」
「はいはい」
…声はしわがれているのでお父さんだろうか、と想像している私。
「スズキ先生はご在宅でしょうか」
「はいはい」
…しばらく沈黙が続く。
「もしもし」
…と私。
「はいはい」
「スズキ先生をお願いしたいのですが」
「わしがスズキ先生なんじゃが」

あとで聞いたら、一家全員先生業なご家庭であった。
いい年の中年男性であるスズキ先生の自宅には
「ジロー先生、ご在宅でしょうか」
と聞かなくてはいけないのだった。

2013年11月19日火曜日

似たもの

ご兄弟だと声が似ている、というのはよくある話である。
ときどき、親子でもよく声が似ているケースがある。

「もしもーし」
…と、私。
「はいはい」
「田中君ですか」
「はいはい」
「今日の授業のことなんだけど」

しばらーく、話をしていて、こちらの用件が一段落する。
「はいはい、ではタロウに変わりますねー」
「……」
「はいタロウでーす。今の親父でーす」

田中君には違いないのだが、結局同じことを二度言う羽目になる。
お父さんは授業には来ていないので、その時点で学生であるところの田中君に変わってほしいのである。
後で聞くと、タロウ父はよく田中ムスコと間違われるそうなので、お互い悪のりしているらしい。タロウ本人は親父宛の電話でよく話を合わせていたりするようである。親子である。

2013年11月15日金曜日

間違い

まわりに電話持ちの家庭が多くなると、子どもがやることは「お友達への長電話」である。

電話をしにくる人が多かった我が家では、時代を経ても、相変わらず「玄関にお電話」が鎮座している。
冬場の長電話は寒いのである。だから、早々に友達の話を切ることもあった。
毎日学校で顔を突き合わせているので、何を今更、と親は思っていたに違いない。まあそれでも話すことがつきないし、箸が転がってもおかしい年頃なのである。

ご家庭の電話へかけるので、最初に出るのが、話したい本人であるとは限らない。お母さんだったり、お兄さんだったり、お手伝いさんが出たりする。
「もしもーし」
…と私。
「はいはい」
「昨日の宿題のことだけどねえ」
しばらーく話していると、どうも話が食い違うような気がする。
「もしもーし」
「はいはい」
「ケイコチャンよねえ」
「ちがいまーす。ヨーコでーす」

ケイコチャンとお姉さんはとても声がよく似ていたりする。よく間違われるそうであった。

2013年11月13日水曜日

貯金箱

学校の授業中にスマホをいじっている学生を見ることが珍しくなくなった。
通信用の機器や技術の開発と発達と普及はめざましいものがある。
10年ひとむかし、どころではなく、1−2年が「ひと時代」にも思えるほどである。

子どもの頃は、すべての家庭に固定電話が入っているとは限らない時代だったので、小学校の連絡網では「その子の家に直接行って伝える」というのが、列の後ろの方に入っていた。

電話のあった我が家では、電話がかかってくると、向かいの家宛であったりする。電話番号を聞いて、一度切る。向かいの家の人を呼びに行き、電話番号を渡す。向かいの家の人は小銭入れを持って、我が家を訪れる。玄関の脇にある電話で、電話局の交換手を呼び出す。通話が終わると、先ほどの電話の通話料金を交換手が教えてくれる。電話の横には貯金箱があり、その通話料金を入れる、という感じだった。
よそのうちなので、込み入った話は出来ないし、無駄話や世間話もなしだ。電報というのもまだよく来ていたので、電話は「緊急の用件を伝える」ものだった。

母の住んでいた家は、玄関脇に「電話室」があったそうである。通っていた私立小学校の入学は「家庭に電話がある」のが条件だったそうである。戦前の話である。

2013年11月12日火曜日

前提

「良いおはなし」に感動するのは、人間の良心の琴線に、どこか触れるものがあるからだろう。
それが、実話かフィクションか、というのは、あまり違いはないかもしれない。
問題があるとすれば、「実話だから感動した」人が、それが「実話ではなかった」と知ったときのことである。感動の「前提」がなくなってしまうからだ。

さて翻って、インターネット上のあれこれ「感動的」なデマである。
実話だかフィクションだか分からない状態で流布をする。問題なのはここで、実話なのかフィクションなのか、ということが事前にきちんと知らされない。たいていの人は「実話」だと思い込みやすいようになっている。フィクションだと「感動」くらいで済むことが、実話だと「感動以上」になってしまうことがある。「一杯のかけそば」は、小説以上のヒットになった。歴史をひもとけば、プロパガンダというのはたいていがこういう手法を使う。「感動以上」は、時として「信仰」になったり「盲信」になったりする。

だから、「感動したからかまわない」というのでは済まないこともある。感動した、ことが重要ではなく、その元ネタのソースをきちんと把握することも、同様に大事である。

それは我々が、ナチスによるプロパガンダで学んだことではなかったのだろうか。

2013年11月10日日曜日

側面

そのテの話で思い出すのは「一杯のかけそば」である。
詳細は他に譲るとして、これも感動的な話で、あっという間に世間に広がった。確か映画にもなっていたはずである。

もとのお話は確かに「感動的」なプロットである。元は短編小説ということだが、その元ネタが実話かフィクションかで論議をかもし、ワイドショーや新聞ではよく取り上げられていた。短編小説の原作者の逮捕やらスキャンダルやらがあって、突然「かけそば」ブームは収束した。

ここで面白かったのは、表面的に「感動的」に見えたとしても、別の側面から見る人がそれなりにいるんだなあ、ということだ。「感動的だ」という世間の感想が大きければ、たとえうさんくさいと思っても、言い出すきっかけがつかめなくなる、ということもあった。ブームが終わった後で、やっぱりうさんくさかったよねー、という話もよく聞いたからだ。

感動した、と言っても、元がフィクションと明白なら問題にはならない。「一杯のかけそば」では、フィクションらしいと分かったとたんに、感動したと言った人が「あーやっぱりねー」という反応になってしまったのだった。

2013年11月4日月曜日

感動

同居人が、学生から感動的なお話を聞いたらしい。授業から帰ってきたら、うるうるしている。
どんな話か、というと、飛行機の中で黒人と隣り合わせた白人女性がクレームをつけた。CAは他人に聞こえる声で、空きのあったビジネスクラスにご案内する旨を伝えて、黒人を連れて行った。機内はスタンディングオベーションの嵐になった、というものだ。

どこかで聞いたネタである。ちょっとシチュエーションやディテールが違ったりするが、似たような話を聞いたことがある。インターネットとは便利なもので、こういうときにネタ元を探すことが出来る。検索サイトでキーワードを打ち込むと、あれこれ出てくる。
関連するものもいろいろと出てくるのだが、フィクションらしいこと、SNSを通して「拡散」したことなどが出てくる。我々の世代だと「幸福の手紙」とか「チェーンメール」なんかに近いかもしれない。

お話を教えてくれた学生は、インターネットで見て感動しました、と教えてくれたようである。
感動的だから、いい話だからOKというだけではなく、これには別の側面もあって、一言では言い難いものがある。


ブラックプロパガンダ、グレープロパガンダ、などという言葉が脳裏をよぎる。

2013年10月30日水曜日

地下

大学の近くにはJR武蔵野線というのが通っている。
そもそも貨物線だった路線である。高架を走っているので、強風に弱い。ちょいと風が強いなーと思うとすぐに遅延した。そうかと思えば、大学の近辺は地下路線なので、ほとんど地下鉄状態である。
大学の最寄り駅、といっても徒歩30分以上はかかるのだが、そこは地下駅である。道路から見ると平屋根の入り口が見えるだけ、駅は階段を下りた地下にある。こんなところに電車が走っていようとは夢にも思えない風景である。

ここも、だいぶ前になるが、台風で水没し、数ヶ月水が引かなかったことがあった。台風で地下鉄が水没した、というニュースを聞いたことがなかったので、びっくりした。
大雨が降ると「地下」は、あぶないのである。

2013年10月29日火曜日

対策

大雨の都度、校舎がお風呂やプールと化してはならない、と学校側が判断したのかどうか分からない。新しい校舎の前の芝生に、ある日こつ然と穴が掘られた。

新しい、水の逃げ場か、と思ったら、どうも地下にポンプを設置したらしい。流れてくる水を強制的にどこかに送る、という作戦を考えたようだ。相前後して、周辺地域の下水道が整備され始めた。その後、水没することはなくなった。


お天気には誰も勝てないが、いろいろと策を練るのが人間ではある。

2013年10月23日水曜日

風呂

毎度台風が来るたびに、バス停が水没するのである。ところが、ある年から水没しなくなった。

校門に近いところに、新しい校舎が新設された。校舎は、半地下+地上4階のゴージャスな建物である。
案の定、大雨が降ると、半地下がプールと化した。

校門の前のバス停よりも、半地下の方が「低い」のは一目瞭然である。水の行き場が変わっただけだった。

壁も床も、白いタイルばりの新しい校舎は、さながら「お風呂」のようであった。

2013年10月22日火曜日

決心

日本であるので、毎年台風はやってくる。
時期や大きさや被害の程度がそこそこ違うというだけである。

学生の頃、大学の周辺には下水道が整備されていなかった。急な夕立や台風の大雨が降ると、校門の前は池と化した。
そんなことに2度も遭遇した。2度目は絶対に学校内に行きたかったので、意を決して運転手にドアを開けてもらった。ステップまで水が上がっている。靴下を脱いで、ジーンズをたくし上げ、膝上まで水につかって構内へ入った。

家から学校へは遠い。このまままたも目の前を通過するのは、通学時間の無駄である。
学校とは、何が何でも行くところ、だったのかもしれない。

2013年10月21日月曜日

通過

日本であるので、毎年台風はやってくる。
時期や大きさや被害の程度がそこそこ違うというだけである。

学生の頃、大学の周辺には下水道が整備されていなかった。急な夕立や台風の大雨が降ると、校門の前は池と化した。そのあたりではちょっとへこんだ場所だったのだろう。
校門の前にバス停がある。その日は午前中が大雨だった。バスで学校の前に着く頃にはやんでいたのだが、バス停のあたりは水没していた。バスのドアを開けても、水面である。バスの運転手は、ドアも開けずに通過した。学校に行くはずだったのに、通過して帰るはめになった。

学校とは近くて遠いところであった。

2013年10月19日土曜日

台風

さて先日は、季節外れの台風がやってきた。

小学校の頃は関西に住んでいたので、台風というのは夏休みの終わりの出来事で、学校がお休みとはあまり縁がなかった。中学高校では、気象警報よりも「最寄りの鉄道が止まったらお休み」という決まりだった。台風よりもストライキで休校になったことの方が多い。

大学になったら、そう言う決まりはなかったようだ。実はあったのかもしれないが、学生の私は知らなかった。
嵐の中、止まっている鉄道路線を避け、やたら遠回りして学校にはるばる出向いたことがあった。槍が降ろうと、何が落ちても、大学はやっていると信じて電車を乗り継いだ。たどり着いたら、先生の方は鉄道が不通で来られない、ということで、開店休業状態となった。もちろん律儀にやってくる学生もいるし、徒歩圏内に下宿している学生もいるので、まあ課題の続きなど作業をし始めるのだが、そのうち誰かがアルコールを持ち込み、ポテトチップスが差し入れられ、自習ではなく飲み会に変貌するのが関の山ではあった。

携帯電話もメールもない時代、もちろん大学にはクラスの連絡網もない。下宿の学生には電話という連絡手段すらなかった。近所の友達からの「伝令」だったり、大家からの「呼び出し」である。

牧歌的な時代だったのかもしれない。

2013年10月18日金曜日

念力

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
以前はフィルムだったり、テープだったりはしたのだが、相変わらず機械がなければ成立しない作業でもある。
機械の扱いが「上手」な人と、あまりそうではない人がいる。

ビデオカメラにはバッテリーを装着して使うのだが、メーカーごとに装着方法が少しずつ違う。現在学生に使ってもらっているカメラのバッテリーは、外部に装着するタイプである。このタイプは、たいていが「ひっかける」タイプになっていて、溝にはめ込んでスライドさせるものだ。外部装着式だと、バッテリーの大きさが選べたりするのだが、接点が汚れたり、ゴミがかんだりする。ちょっとした加減で、うまくはまらないことがあり、接触不良になりやすい。
よく学生が、録画中にバッテリーが落ちる、とクレームを言いにくる。どれどれ、と見せてもらい、接点をブロアーで吹き、バッテリーをはめ直すと、症状は再現しない。
学生は怪訝な顔をして作業を続行する。

接点不良、などという現象は、今の学生さんが日頃使っているガジェットでは、あまりあり得ない症状なのかもしれない。ハイテクそうな機器に見えても、アナログな部分というのがあるものだ。
バッテリーを装着し直して問題なし、なケースの学生さんは、ときどき「なんでですか」と言うのだが、そういうときは「君の念力が足りない」ということにしている。

2013年10月16日水曜日

主語

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
実習、なのであれこれと機材や消耗品を使うのである。
今時の学生で気になるのは「ぞんざい」な感じである。機材を扱っているのに、扱いがすごく「雑」なのである。

いくら高価な機械でも、少し使い込まれた機材というのは扱いがぞんざいになるのかなあという感じもする。
カメラは落としたら壊れるよ、とさんざん、口を酸っぱくして注意しているにもかかわらず、ここ1ヶ月で2台のカメラが落とされた。そこそこのお値段のカメラなのだが、使用して3年目、学生さんが入れ替わり立ち替わり使って使用頻度が高い。使っているうちに、あちこちの塗装がはげ、ねじが落ちたら代用品をはめるので見栄えが悪くなってくる。まあそれは「性能」とは少し関係ない気はするが。

メカニカルな機材を使っていた頃は、セコハンは当たり前、あちこちへこんだり、傷のあるカメラを使っていた。
きれいなうちは丁寧に扱い、ちょいと年季がいったらぞんざいになるのは、世の中の奥方の扱われ方と一緒か、新しいものを尊ぶ日本人の性癖か、と思ったりもする。

昨日の学生は授業終了後「僕が落としました」と言いにきた。なぜ落としたのか、といったころもある程度自覚はしているようだ。案の定、三脚にきちんと固定されていない、という定番の理由で、何度も注意したことである。言っても無駄だったのかとむなしくなったりもする。

まあこういったのはまだましなほうだ。

先月の学生は「カメラが落ちました」と言いにきた。主語がカメラである。あり得ない。カメラが自発的に落ちる訳はない。落ちるには訳があるが、それに心当たりがない場合、あるいは心当たりにしたくない場合、主語はカメラになるのである。

2013年10月14日月曜日

役割

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
さて、そろそろ今年度の担当授業も終わりに近くなってきた。
集中授業で、3週間が1ターム、1年間に5ターム、教えることは同じなのだが、教える相手は毎度変わるので、それに応じて作戦を細かに変える。退屈はしないが、それなりに大変である。

授業は実習、なのであれこれと機材や消耗品を使う。
今時の学生で気になるのは「ぞんざい」な感じである。機材を扱っているのに、扱いがすごく「雑」なのである。

三脚などは、あちこちがねじやノブがあって、それぞれが何らかの「留め具」になっていたり、「押さえ」になっていたりする。ちょいと見れば、何がどこを「留め」ているのか分かりそうなものなのだが、一気呵成にえいやっと足を伸ばしたり広げたりする。
ビデオ用の三脚というのは、アルミ製のものが多いので、無理矢理力を加えると、たわむ、曲がる、折れる、ベアリングのねじが外れる、といったトラブルが起きる。ここ数年は「力任せ」な壊し方をする学生が増えたような気がする。構造を見るよりも先に自分のやりたい方向を優先させる、という感じなのかもしれない、と折れたパイプを見ながら考える。


パイプやねじの気持ちや役割を考えない、ということは、もっと大きな問題が事前にあるような気がしてならない。

2013年10月11日金曜日

先生によって病気もまちまちだし、入院時の様子もまちまちである。
ある先生は、仕事中毒という訳でもないのに、入院中でも平時とあまり変わらない生活をしていた。

見舞いに行くと、病室にいない。看護婦に聞くと、いつも応接室にいる、とのお答え。
古い病院で、見舞客の相手が出来るちょっとした応接室があった。応接セットがいくつかと、観葉植物の大きな鉢植えのある、南向きの部屋である。ひとつの応接セットに先生がいて、他の見舞客と懇談中、のはずである。近くに寄ると、どうやら世間話ではなく、お仕事の話である。次回の講演会や出版のスケジュール調整の様子である。
先生がこちらに気づくと、やあやあと手を上げる。ちょうどいいところにきたよ、これ、ファックスしといて、と便せんを渡される。ファックスって病院の中にあるんですか、と聞くと、ナースステーションにあるよ、とお返事。便せんを抱えてナースステーションに行く。看護婦さんは「またファックスですね」と先を読んだようなお返事。「ほんとは駄目なんですよお」と言いながら、機械の場所を教えてくれた。
さては、常習犯である。

入院中であるので、好きな時間に好きなようにお仕事ができる訳で、午前中から見舞いと称して、仕事の段取り中。でも予定通り退院できないとその段取りも無効ですよお、と薬を持ってきた看護婦さんに釘をさされていた。

2013年10月9日水曜日

ハッカパイプ

ところで。

大学の先生の中には、体の調子を悪くする人も、ときどきいらっしゃる。
まあ、それなりに授業に穴をあけないように準備万端で「休養」する人もいるし、突然のように「休業」する人もいる。私の周囲ではあまり「事故」というケースはないのは幸いではある。入院で休養すると、親しい先生だと何回か顔を見に行ったりする。

その先生はとてつもないヘビースモーカーで、お酒が大好きな人だった。検査後、ちょいと精密検査、と入院、その後本格入院と、あいなった。
病院は当然のように禁煙である。どうも口寂しいらしく、「見舞いに行くが差し入れは何が良いでしょう」とうかがうと、即座に「ハッカパイプ。お祭りの縁日で売ってるアレ」。
amazonだの楽天などない頃である。駄菓子屋さんを回って、探して買って行った。
どうやらお気に召したらしく、数日後に「また買ってきて」。

子ども向けのハッカパイプなので、砂糖が仕込んである。お気に召して始終くわえていれば、ツケは即座に検査結果に現れる。入院中とて、検査結果は即座に「お食事」に反映される。

その後、様子を見に行くと、ハッカパイプは当然禁止になっていた。塩気抜き、油抜き、もちろん砂糖もスパイスもなし、という江戸時代のお殿様のような「あじけなーい」お食事になってしまったと嘆いていた。

2013年10月7日月曜日

ひったくり

ずいぶんと前の話である。

妹が外国に仕事に行った。お仲間とご一緒だったので、夕食を繁華街でとり、連れ立って宿に帰ろうとした。後ろから誰かがぶつかり、よろけた隙に肩にかけていたハンドバッグをひったくられた。
ひったくったのは若い男で、全速力でかけて逃げて行った。

彼にとって不幸だったのは、妹はスポーツ選手で、お仲間も全員、スポーツ選手だったことである。転んだ妹に先駆けて、一人が駆け出し、後を追った。立ち直った妹もすぐに体制を立て直して後を追った。
ご一行はプロのアスリートである。数時間炎天下でプレーするなど当たり前なので、瞬発力も持久力もある。これが車で逃げられたら駄目だったのかもしれないが、犯人は走って逃げたのが運のつき、結局はお仲間が数人がかりで、追いつき追い越し、つかまえて、警官に渡してしまったらしい。

目尻をつり上げた東洋人の女たちに追いかけられて、犯人もさぞ驚愕したに違いない。

教訓:ひったくるなら相手を選べ。もとい:海外旅行ではいつでも走れるスニーカー。

2013年10月6日日曜日

ロンドン

カナダのトロントに知り合いがいるので、何度かお世話になった。
日本から言えば裏側、直行便はえらく高いので、貧乏世界旅行の途中で寄るとか、安い飛行機を乗り継いでいくとか、そういう作戦が多かった。
そのカナダ人の知人は、親日家ということもあって、日本人の世話をすることが多い。政府関係で来る人は必ずアメリカ乗り換えなのはなぜか、と言われた。単に、コストパフォーマンスの問題だと思うのだが。直行便に比べると、時間もかかるし、到着がまた半端な時間なので、ビジネスマンは利用しない方法だ。北米経由で乗り継ぎなら半額近くになることがある。

ずいぶん以前に、貧乏旅行のついでにそういった飛行機の乗り継ぎやりくりをしていたことがあった。
成田から、アメリカの航空会社でデトロイト乗り換え、トロント行き、という切符を買った。PAN AMがもう既になくなった後で、ユナイテッドかデルタを使ったと思う。到着が夕方遅くになるので、とりあえずトロント空港そばのホテルを予約しておいた。
成田を離陸すると、様子がおかしい。やたら旋回する。エンジントラブルで成田に引き返した。機体交換で、5−6時間遅れで離陸。もちろん乗り継ぎ便は当該飛行機会社が世話をするはずだ。デトロイトに到着したら、transitの札を上げた係員がいる。Toronto、と言うと、こっちこっち、と手を引っ張られる。預けた荷物は、と聞くと「何とかなるからとにかくこっち」と言われる。入国監査を割り込んで終えると、ターミナルを駆け抜けて、インターナショナルではなく、ドメスティックに行かなきゃ行けないからねー、とバスに押し込まれる。この時点で、デトロイトは巨大な空港だと思った。ターミナル間はバスで連絡しているのだが、2−3分ではないくらい遠い。成田からの出口で渡されたメモの搭乗口につくと、小さな飛行機である。太平洋路線はジャンボなので、小さく見える。
こんなに遠く離れているのに、スーツケースが一緒に来ているとは思えない。乗り込んだらすぐにドアが閉まって離陸。
着いたところは、LONDON。もちろんイギリスではない。ターミナルも2階建ての小さな建物で、畑のど真ん中といった雰囲気。夕方も6時を過ぎたので、売店も店じまい。さびしいものである。ドメスティックなのに着いたところは外国である。
当然、ここが終着点ではない。transit ! と叫ぶと、係員がやってきて、ボーディングパスとチケットを確認、あわててこっちこっちと手を引っ張られる。小さな事務室に案内されると、貫禄なおばさんがパスポートをチェック。珍しいねーと言われ、これがカナダのイミグレである。はんこをポンと押して、あそこの飛行機に走って乗れ、と指された先は、タラップのあるセスナ機である。どう考えても、スーツケースが一緒に来ているとは考えられないが、ここでもめて人間を置いていかれるのはいやなので、階段を上って乗り込む。乗客は数名。席に着くと同時に、扉は閉まり離陸した。
小1時間で到着したのがToronto空港。しかしドメスティックなエリアなので、やっぱりタラップで、ターミナルビルははるか彼方である。やはり荷物など本人と同行してはいない。荷物はどこかと言うと、最初の飛行機会社の国際線ターミナルの窓口へ行け、と言われる。
国際線のターミナルまで走り、係員に聞くと、とりあえずカローセルに行ってみろ、という。スーツケースを探すと、当然のようにカローセルに取り残されていた。なぜ荷物がここにあり、人間はたらい回しにされたのか。理不尽な思いもするが、既に真夜中も過ぎ、係員も皆無。タクシー乗り場ででホテルに行って、とお願いすると、近すぎるので乗車拒否された。
成田を出て、半日以上、荷物を引きずりながら、くたびれて未明にホテルにチェックインした。時差ぼけも何のその、バタンキューである。
直行便をケチったばかりに、カナダ国民も滅多に行かない飛行場まで行ってしまった。時々、自慢する。

教訓:飛行機代をケチる時は考えた方が良い。

2013年10月4日金曜日

パンナム

「2001年宇宙の旅」という映画がある。

1968年の製作当時は、2001年など遠い未来だったのかもしれない。
現在見ても、まだそこまで未来は進んでいるようにも見えない。
映画にはたくさんの宇宙船が出てくるが、「PAN AM」のロゴが入っている。1980年代終わりまでに、会社がなくなるなど思いもしなかったのだろう。その当時の大航空会社だった。

私が初めて北米へ行くために乗った飛行機もPAN AMだった。太平洋路線はやたらでかい飛行機、ぎゅうぎゅう詰めのエコノミーシート、香水のにおいを振りまくCAが配る機内食は、かたいお肉ととてつもなく甘いデザートがついた。
その後、南米に行く時もPAN AMだった。成田からアラスカ、デトロイト、マイアミ経由で、南米に入ったので、あちこちの空港で機体を乗り継ぐ。降りるときに「transit!」と叫んで、案内を乞いながら、荷物を担いで大きな空港内を走る。デトロイトまでは大きな飛行機だったが、その後は乗り換えるごとに飛行機の機体が小さくなり、空席も多くなった。太平洋路線は若い姉ちゃんがCAだったが、国内路線は貫禄あるオバチャンやオジチャンがCAだった。空席にうつって、肘掛けを跳ね上げて、足を上げて寝るといいよ、と教えてくれた。

他にもいろいろな飛行機会社を使ったが、オバチャンオジチャンがCAとして働いていたのはPAN AMだけだった。あのアメリカのアットホームな感じが良かったんだけどなあ、と映画に出てくるロゴを見るたびに思い出す。

2013年9月30日月曜日

お呼び出し

電子レンジが作業を終了すると「ちーん」、というのを知っているのは、電子レンジの黎明期を知っている世代だろう。しばらくすると「ピッピッ」とか「ピー」とかいう電子音になった。

その頃から家庭電気製品はやけに音を鳴らすようになったような気がする。洗濯機の作業終了、炊飯器が炊飯終了、食器洗浄機が洗浄終了、冷蔵庫はドア開けっ放し注意、アイロン適温のお知らせ、ファンヒーターは2時間ごとに空気入れ替え、掃除機はダストパック満杯、エアコンはフィルター掃除、お風呂のお湯はり完了と、いろいろと教えてくれるのである。便利なような気がするが、どれも似たり寄ったりな音で知らせてくれる。居間にいると、どの機械が呼び出したのかさっぱり分からなかったりする。あわてて洗濯機のところまで行くと、呼び出しているのは洗濯機ではなくて風呂の水量満杯通知だったりする。

なぜこんなに呼び出されているのか、不安に感じながらも、今日もどこかでどれかの機械が、私を呼んでいる。 

2013年9月29日日曜日

センサー

昨今の自動車というのは、いろいろな装置やらセンサーやらがついているものである。
警告灯、と言えば、以前はガス欠かオイル不足か水温警告か、くらいのものだったが、今はいろいろなアイコンがメーターパネルに並ぶ。シートベルトの警告、ウィンカーやストップランプの球切れ、各種安全装置の状況まで教えてくれる。
数台前の車は、よく「エアバッグ作動しない」警告が出ていた。あわててディーラーに行くと、コンピューターをエンジンルームにつないでチェックする。たいがいはセンサー異常で、エアバッグは作動可能である。

今使っている車は、外気温センサーがついていて、パネルに温度を表示する。0度になると「路上氷結注意」まで警告してくれる。親切なのだが、だからといって教えてもらってから朝の忙しい時間に冬用タイヤに履き替えるわけではない。
先日はその温度センサーが故障した。


外は30度を越える暑さなのに、温度計はマイナス8度。路上氷結注意の表示が出る。もう路上はガチガチに氷結中である、とお車は考えておる。エアコンのスイッチを入れると、突然の熱風である。オートエアコン装備車なのである。
外気温に対しての「温度指定」なのである。エコな冷房基準温度「28度」を指定すると、マイナス8度+28度だとお車は計算し、36度分の温風を出してしまうのである。外は極寒だ、急いで室内を暖かくしよう! と気を使ってくれている。ありがたい心遣いなのだが、たまらん。かといって、マイナス温度設定はない。しかも、単に冷風を出してくれ、というスイッチがない。いくら温度を下げてもやっと「送風」モードである。

次に買う車はマニュアルエアコンにしたいものである。

2013年9月27日金曜日

工作

学生の頃、秋葉原と言えば「電子パーツ買い出し」である。

父親くらいの年配だと、鉱石ラジオをつくったことがあったり、真空管アンプの自作が「趣味」な人がいる。私の場合は、電子映像つまりビデオの上映やインスタレーションをやっていた都合で、電線と端子を買ってきて、ハンダ付けして、ケーブルを自作する、という作業が主である。メーカーから買ったり、代理店でつくってもらうと、いいお値段である。ハンダゴテでよくやけどして、小さな水ぶくれをいくつもつくった。小さな露天みたいな店が集まったビルや路地があり、電線専門店やパーツの専門店があったりした。電気屋さんとおぼしきオジサン達の間を縫って、電線の束を買って
抱えて帰った。
今は昔、である。

その頃に店があったところは、再開発になったり、ビルの立て替えで、ずいぶんと風景が変わった。
今は少し離れたところに、センサー系の電子パーツ店が集まっており、それなりににぎわっているらしい。今の電子工作はハンダ付けしなくてもいいらしく、手軽に作業できるのだそうである。おかげでそちらの方は、女子学生の出入りも多いらしい。

電気工作は「少年(元を含む)の趣味」ではなくなりつつあるようだ。

2013年9月25日水曜日

ストレート

ここ1週間ほどになるだろうか、メールを開けると「ご迷惑」なやつの嵐となっている。

…みんな英語である。
件名を見ていると、夜の妄想系、媚薬系、肉体によく効くお薬系、すべて男性向けなのである。以前に書いた日本語のものと違うのは、表現がストレートであけっぴろげである。そのまま転載するのは少し気が引けるのだが。
どこからアドレスが流れているのか分からないが、毎日100通近い「get bigger」とか「men's night life」「enlargement」なタイトルを眺めていると、日本語メールの

from:一人で夜を過ごすのが寂しい30代人妻
sub:心の隙間を埋めてくださる方がいるでしょうか

などはなかなか工夫した文面なのかもしれないと感心したりする。
でもまあ、どちらにしても迷惑なのだが。

2013年9月24日火曜日

昼休み効果

勤務していた研究室は、某公共放送のスタッフOBが何名かいた。
放送局というのは、局によってずいぶんと生活習慣が違ったりするのだが、当該の放送局の一番の習慣は「朝から晩まで当該局のオンエアを見ている」ことである。研究室にいくつかある、アンテナと直結しているチューナー付きのテレビやモニターは、常に当該局にチャンネルを合わせて、オンエアが流れていた。
まあおかげで、いろいろなニュースをリアルタイムに知ったりすることが出来たのである。


もちろん昼休みも当該局を見ながらお昼を食べたりお茶を飲んだりしていた。連続ドラマの再放送が終わると、午後の授業の始まりである。当時は「君の名は」のリバイバルを放送していた。ご存知の方も多いと思うが、戦後の男女の運命を描いたものだ。

お食後のお茶を飲みながら、ドラマを見ていると、どうもしかし、みんなで「くらーい」気持ちになってしまう。午後の授業のモチベーションがいまいち上がらない。昼でさえこうなのだから、本放送の朝はもっとどんよりとした気持ちになってしまうに違いない。
放送が終わり、次の連続ドラマは「くらーい」話ではなかった。昼休みの雰囲気ががらっと変わったのだった。

その昔ヒットしたドラマではあるのだろうが、連続ドラマというのは、ドラマとして「良い」だけではいけない、こともある。

2013年9月23日月曜日

ドラマ効果

9月になって新学期も始まり、授業は順調に進行中。

例年だと、夏休みで「撃沈」つまり新学期に来なくなる学生がちらほらいたり、朝寝坊癖がしみついてとれなくなったり、というのがいるのだが、今年は始業時の9時に遅刻もあまりせず集まっている。
例年にないことなので、えらいなーと思ったりするのだが、考えてみればこれが当然である。だからもちろん、当然のように授業は進行する。


ところが今年に限って、9時前に教室にいる学生が多い。なぜなのだろうと思って、学生に聞いてみた。どうも、学校の近所の学生のアパートに集まって、みんなで「あまちゃん」を見ているらしい。終わってから出てくると、8時半を回った頃に学校に到着、朝ご飯のあんぱんを食べておしゃべりしながら始業を待つ、という作戦のようである。

「あまちゃん効果」で遅刻のないことは良いのだが、9月の終わりに番組が終了したらどうなるんだろう。

2013年9月17日火曜日

ハッピーマンデー

何年か前に、国民の祝日に関する決まりが変わった。
日本人働き過ぎ、というのが定評になったから、 なのかもしれない。
1年のうち何回かの祝日は、日付でなく、該当月の何回目かの月曜日、ということになったのである。いわゆるハッピーマンデー制度である。
世間のビジネス的には、土曜日と日曜日はお休み、だから土曜日に祝日が当たると「ハズレ」みたいな感じである。月曜日に回すと、3連休になるので、旅行やら遊びにやら出かけるので、経済的にお金が回る、というのが目的のひとつと報道された記憶がある。
どんな決まりであれ、ルールであれ、どんな人、どんな場合にも有効、というのはないとは思うのだが、なんだか「最大公約数」が「正しい」とエラい人は思っているようで理不尽な感じがする。

小学校が「土曜日休み」になったときも、大学は土曜日にしっかりフルに授業をやる。土曜日がお休みの会社にお勤めの非常勤の先生が多いからだ。もちろん学生のニーズに合わせてたくさんの講義を用意し、選択肢を増やすためである。
ハッピーマンデー制度以降も、祝日はカレンダー通りで学事予定が組まれていた。月曜日が授業の講義は、他の平日の講義よりも、授業日数が異常なほどアンバランスに少なくなった。他の授業は半期13回だが、月曜日は9回しかない年が出現した。4回分少ないのだが、月曜日だけ4週間授業を増設するわけにはいかない。
苦肉の策は「補講」なのだが、先生が毎日1コマずつ、連日4回出てこられないから、1週間に1回という出講になっていたりするのである。補講作戦は、増発しても1回分、せいぜい2回分くらいが関の山である。
苦肉の策第2弾は「カレンダーは無視」である。月曜日は世間的には祝日でも、学校的には平日である、という作戦である。先生も学生も祝日は返上、鉄道やバスは祝日ダイヤなので遅刻者増、という風景になる。勤務校の今年度は、この休日はお休みで、この休日は授業あり、という変則的な組み方をした。ますます面倒くさい。どうせなら、祝日は一切無視してもらった方が、スケジュール組みに悩まずに済むというものだ。

国民の祝日はお休みのためにあったような気がするが、昨今では気苦労の種と化している。さて、来週の祝日は授業があるんだっけかな。

2013年9月16日月曜日

赤シャツ

一方で、ビデオの撮影時には、アシスタントは必ず新しい白いTシャツを、アンダーシャツとして着用する、というのが「隠し技」だった。

ビデオでは、撮影前に色の調整、設定を行う。このときに、撮影現場、撮影光の下の「白いもの」で、カメラを調整する。
以前はカメラとビデオデッキが別々だった。ビデオデッキにかぶせたケースのふたをめくると、白い合成皮革が貼ってあったりしたのだが、今は機材も小さくなってそんなものを仕込む隙間はない。
学生さんくらいだと、ノートやらスケッチブックやらを調達してわらわらと設定したりする。プロの現場では「ホワイトバランスをとりまーす」と言うと、アシスタントがさっと来ているシャツやトレーナーを脱ぐ。そこには新品の白シャツがあって、それでカメラの設定ができる、という段取りである。忘れそうなものは着ていく、という知恵なのだろう。

ところがある日、ホワイトバランスを撮るために、カメラマンがアシスタントに「シャツ脱いで」と指示した。アシスタントは「え?」と聞き返したらしい。聞き返されることなど想定しなかったカメラマンは、「いいから脱いで」と指示した。アシスタントが首を傾げながら、シャツを脱ぐと、下は真っ赤なシャツだった。カメラの設定には、使えない。

2013年9月14日土曜日

黒シャツ

派手な服装のカメラマンが来ていたので、つい学生に注意することを思い出してしまった。

初心者に写真やビデオの撮影を教えていると、得てして自分が見ているものしかファインダーで確認していないことがある。
プレビューしたときに、思わぬものが画面にあったりする。片付けていないカメラケースや、放り出しっぱなしの三脚ケース、誰かの弁当箱、食べかけのあんぱん、なんていうのもそうである。
一番多いのは「映り込み」で、向かい合っているガラスや磨かれた壁面や床面に、カメラマンが反射していたりする。ファインダーでは確かに確認しづらいので、撮影前に「大丈夫かなー」と考えるのがコツである。もうひとつのコツは、出来るだけ地味な服を着ることである。ガラスへの映り込みは、白いものの方が目立つので、黒い服、無地、
の方が、目立ったりしない。長袖長ズボン黒無地、が基本である。
学生には、カメラマンは地味な服装でやってね、と言っている。

だから、たいていのカメラマンは、黒っぽい地味な服装だ。好きなのではなく、職業癖なのである。

2013年9月12日木曜日

アロハ

美術館の教育普及活動の写真記録撮影をやらせてもらっている。

活動の方は造形講座のようなものである。
当該の美術館の活動は定評があって、時々「取材」というのがやってくる。
取材元によっては、こういった活動の取材があまり慣れていないのかしらと感じることがある。
数年前にビックリしたのは、ある雑誌の取材だった。


そのときは講師とチームリーダーの大学生または若い卒業生が3名ほど、あとは子どもが20名くらい、という規模だった。
活動を取材したいというので、子どもが作業に熱中しているところにやってきた。
ライター2人、カメラマン男性1人、カメラマンのアシスタント女性2人という大所帯である。
作業をしている子どもにライターが話しかけ、質問したりする。
カメラマン3人がそれぞれにかなり大口径のレンズのついた一眼レフで子どもにあれこれ注文を出して撮影する。まるで撮影会のようだ。
しかもカメラ担当の3人の服装がかなりハデである。明るい色調でカラフル、花柄アロハ、スパンコール、フリンジやらひらひらしたスカーフ、ぴかぴかしたアクセサリーもたくさん、ジーパンにはじゃらじゃらと音のするチェーンと鍵束がぶるさがっているのである。

何かちょっと勘違いしているような気がするのだが、どうなんだろうと思いながら遠巻きに見てしまった。

2013年9月10日火曜日

9月

休み明けの新学期は、大学の場合唐突に始まってしまう。

小学校のように、始業式というものはない。初日の朝一番でいきなり授業開始で夏休みモードを切り替えなくてはならない。

今年はご丁寧に研究室の助手さんから「来週が授業初日でーす」というメールが来た。1週間前にご連絡が来て親切なことだと思っていたのだが、もしかしたら研究室は私が授業の日程を忘れたりすっぽかしたりしないかと心配していたのかもしれない。学生宛には「学生一斉通知メール」などがあるわけだが、我々非常勤のパートタイマー講師にはそういった連絡網はない。わざわざ手間をかけているのである。信頼されていない証なのかもしれないとひがんでみたりする。

研究室の方は1週前から授業の準備などする訳である。何度かメールや電話で打ち合わせをして初日を迎える。また後期もよろしくねー、などと挨拶をする。天気はまだ夏、暦と学事予定表だけが秋である。

2013年9月8日日曜日

クオーター

同居人はメタボな体格である。あまり背は高くない。

だから、服を買う時は「丈」ではなく、「幅」が基準になる。ウェストの入るハーフパンツを買ったら、クオーターパンツくらいの感じである。当然のように、クオーターパンツなら、アンクルパンツである。
普通のおズボンなら補正をするのでなんとかなるが、パジャマとかトレパンまでは丈上げを頼んだりしない。帰って着てみると、案の定「殿中でござる」みたいな雰囲気である。

趣味は車とかバイクだったりする。
バイクの場合は、足がちゃんとつくかどうかが購買の基準である。どうしても欲しい場合は、「アンコ抜き」が出来るかどうかを調べている。シートをいったん分解して、入っているウレタンを薄くするのである。まあシート高が低くなっても数センチ、というところだろうが。
マニュアル車の場合も、クラッチペダルを踏み切れるかどうかが購買の基準である。どうしても欲しい場合は「かさ上げ」、つまりペダルに板をかませたりなんか出来るかどうかを検討している。
ペダルを踏む前に、試乗車に乗ったりする。あるメーカーのスポーツカーはバケットシートになっていた。お尻が入らない。営業マンが思わず苦笑した。「一生あのメーカーの車は買わない」ことになった。

特殊な体型の人はいろいろと大変である。

2013年9月7日土曜日

安全

同居人はメタボな体格である。ついでに金槌である。
趣味はヨットである、と聞いたときに、あの体格で泳ぎが達者なんて…と思ったが、金槌だった。泳げないから船の上にいるのだそうだ。

金槌だけに、安全装備の準備はおさおさ怠りない。船の安全装備に、ライフジャケット、救命胴衣というのがある。検定品というお決まりの装備品があるのだが、ワンサイズなので、胴衣の前がしまらない。もがいているうちに、脱げること必須なので、自分サイズの救命胴衣を探す。
日本ではあまり需要がなくマーケットが小さい。今時はインターネットで海外のお店で買うことが出来るのが便利である。体格や体重で色々サイズがある。よりどりみどりである。
ついでにその頃「自動膨張式」というタイプが、流行っていた。通常の救命胴衣はぶあついウレタンを着込むというスタイルなので、暑苦しい上に動きにくい。自動膨張式は、細い帯のようなものを着るのだが、小さなガスボンベが仕込まれていて、落水すると自動的に膨張して浮きになる、というものだ。暑い日や、動かなくてはならない時は便利そうだ、と早速新兵器を買い込んだ。
その年の夏、用具の入れ替えなどして、しばらく自宅のガレージに自動膨張式救命胴衣が置かれていた。ふと気づくと、ジャケットがぱんぱんに膨らんでいた。ガレージ内で落水はしないよねえ、と言ってメーカーとやり取りしていた。温度差や湿度差もセンサーの誤作動の要因になるということだった。遭難する前に船の上でぽんと膨らんでしまったら困るのである。2-3日経つとジャケットはしおしおにしぼんでいた。膨らますのに使ったガスが抜けてしまったのだろう。落水したら24時間以内に引き上げてもらわないと沈没、ということである。

新兵器は便利そうだが、プリミティブなものの方が安心できそうである。

2013年9月6日金曜日

海苔

同居人はメタボな体格である。知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはないのである。

筋金入りの体格だが、幼い頃は病弱だったそうだ。
食も細く、心配したお義母さんが、とにかく食べているものを出来るだけ食わせる、という作戦に出たのだそうだ。当時の様子を知っている伯母サンは「お米しか食べなかったわねえ」とおっしゃった。壁を向いて、御飯に海苔だけで、黙々と食べていたのだそうで、結果がその体格だった、らしい。
もちろん炭水化物で大きくなったので、食も足りて元気になると同時に、メタボ体格、大学の体育の授業は特別授業の受講生になった。授業は研究目的で、いわゆる実験授業、内容は「肥満対策実験」だったらしい。
その後、紆余曲折があって、小学校の教員になった。小学校の先生というのは、家庭科も音楽も図工も体育も、教えなくてはならない。体育の授業では、逆上がりと水泳の教え方が上手いんだ、と自画自賛している。ほほー、じゃあお上手なんですねえ、と実家の母が相槌を打つと、「いや、僕は逆上がりは出来ないし、金槌なんです」とのたまう。できないので、理論武装しながら教える。理屈を教えると、たいていの子どもは出来るのだそうである。まあ確かに、私の小学生の頃の先生は、理屈じゃなくて「とにかく練習」「何はなくても練習」すれば出来る、という訳の分からない教え方だった。

知り合った頃からメタボ体格で、成人病どんとこい状態である。

2013年9月3日火曜日

新鮮な発見

同居人はメタボな体格である。知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはないのである。
実家にメタボ体格な人がいなかったので、そういった体格の人には新鮮な驚きと発見があった。

水分の摂取量と放出量が半端でない。喉が渇いたといって、大きなやかんの麦茶を一気飲みしたという学生時代の話があった。それは6人分の食事時に用意したお茶だったらしい。夏は汗も半端でない。加湿器と一緒にいるようなものである。水も滴るいい男、という言い方があるが、いい男かどうかはともかく、滴っているのは確かである。
ズボンは裾ではなく股から駄目になる。いわゆる「股擦れ」という現象である。こういう体格の人が「ズボンに穴があく」場合は、膝ではない。
シャツも袖ではなく襟からすり切れてくる。オックスフォードシャツなどではてきめんである。立った襟の上にお肉が乗るような状態である。
靴のかかとの減りが早い。これは体重のせいだろう。靴の消耗が早い。
風呂上がりの後のお湯の量がとっても少ない。続けて入る場合は必ずお湯を足さなくてはならない。小学校の体積と質量の実験を思い出す。
洗濯物が私と同じ「点数」でもやけに重たくなる。干す時も生地の大きさが違う。もちろん洗濯の回数も増える。
飛行機料金は同じである。体重が1.5倍以上もあるのに、なぜ同じ料金なのか。エコノミーで隣に座ると、こっちにはみ出してくるので狭苦しい。なぜ体格で料金と座席を分けないのか。飛行機会社は理不尽である。
自転車のタイヤのエアの減りが早い。もちろん、バイクも自動車もエアの減りは、みんな早いので、うちではコンプレッサーが常備品である。

ともかく、いろいろ新鮮である。

2013年9月2日月曜日

同居人はメタボな体格である。
知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはない。
知り合いの奥さんの前でTシャツを着替えたら「あらまあ、…いいお肉!」と絶賛されていた。

本人は皮下脂肪のせいだと言っているのだが、健康診断の採血にはいつも大騒ぎである。
太っているのが原因ではないらしいが、採血しにくいらしい。血管が見えない、細い、逃げる、のだそうである。
お勤めしていた時は、毎年の人間ドックがノルマである。お勤め先が変わると、出かける病院が変わる。採血の上手なナースさんにあたると、翌年も、ちょっと遠くても、そこへいそいそと出かけていた。その看護婦さんがいつまでも同じお仕事をしているとは限らないので、翌年は新人ナースにあたり、両腕に穴をたくさんあけられて帰ってきた。
本人の父親も、血管が見つけにくい人だった。救急で病院に担ぎ込んだときに、当直が点滴用の針を刺そうとするのだがなかなかうまくいかず、何カ所も穴をあけていた。義父は「痛い、痛い」と叫んでいたのだが、担ぎ込んだ原因の病気ではなく、針を腕に刺されまくっていた方が痛かったらしい。しまいには、「こんなヘタクソよりも、医者呼んでこい!」と叫んでいた。針を刺しまくっていたのは、当直の若い女医さんで「すいません、私が医者なんです」とべそをかきながら、お答えになっていた。

今年の人間ドックでは、両腕に5つほど絆創膏を貼って帰ってきた。

2013年9月1日日曜日

進歩

大学に行ったら、もちろん「ご家庭宛の連絡網」などあろうはずがない。
学校や研究室の連絡はすべからく「掲示板に掲示」される。見落としたら「負け」である。休講、教室変更、レポート提出、試験内容、ぜんぶ「掲示」なので、大学に行ったらまず「掲示板」に直行である。見落として試験会場を間違えたり、レポート提出の期限を間違えたりした日には、単位はもらえないからである。大学から個人宛にわざわざ電話で「試験会場はこちらですよー」と連絡が来るはずがない、というのが前提である。

時代変わって現在は大学から学生にそれぞれメールアドレスが配布される。学校側からの連絡は、そのメールに配信されますよ、というシステムである。明日は台風が来るので休講、なんていうメールが来るわけである。台風の中、止まっている交通機関を調べて、動いている電車やバスを乗り継ぎ、ずぶぬれになってきてみれば、「本日は全講義休講」という大きな掲示があった。がっくりである。

まあ、そういったシステムなので、研究室がアドレスをソートして、特定の講座の受講生だけに「明日の教室はこちらに変更です」などという連絡も出せるようになった。我々の世代から考えれば、「ちょーべんり」である。
ところが、教室変更の連絡メールを出してもらったはずなのに、受講生が全部揃っていない。数十分後「教室変更を知らなくて」とばたばたと駆け込む学生がいる。メールを見ていないのかと、後で聞いてみると「迷惑メールにしていた」というのがいた。受講していない授業の連絡が多い、課外講座の開催通知が多くくるがそのほとんどには興味がない、などという理由で、自分でフィルタリングしていたり、送信元を見てスルーしたりする。意味がない。

我々の頃だと、「掲示板を見忘れていた」「掲示に気づかなかった」というレベルである。技術が進歩しても、人間は進歩しないものであった。

2013年8月30日金曜日

連絡網

子どもの年齢に合わせたダイレクトメールがやってくるんだよねー、などというのは、ちょいと前の世代の話である。そのダイレクトメールに書かれた住所は、どこからか流れて出ているわけである。

ところが、現在の小学校や中学校では、クラス内の住所録はおろか、連絡網すらつくらないところがあったりする。
個人情報保護法というのが出来てから、少しうるさくなったらしい。しかし、実際のところは家庭の環境というのが変わってきたこともあるらしい。
我々の頃だと、クラス連絡網、というのが存在した。先生が主要な数人のおうちに連絡すると、そのおうちが3から4件のおうちに連絡する。それを伝言ゲームのように伝えていく、という方式である。私が小学校の頃は、電話がおうちにない、というお宅もあったので、「伝令」つまり歩いて伝えにいく、というのが、連絡網の最後の方に並べられていた。

翻って現在は、核家族共稼ぎでおうちにいない、携帯電話の方がつながる、あるいは携帯電話2台3台持ちのご家庭、両親は携帯電話持ちで家庭の固定電話なし、など、電話連絡の状況が激変した。10年ほど前から同居人の勤務している小学校では、ご両親祖父母など登録された家族の携帯電話に緊急時一斉同報メールなどの運用試験を繰り返していた。メールは一方的に送っても開封したのか、了解したのかわからないので、確認返信の方法などずいぶん試行錯誤していた。便利なんだか、不便になったのか、よく分からない。
もちろん、保護者同士で連絡をやり取りする必要もないので、お互いの連絡先は知らなくても大丈夫。着信確認と問い合わせで忙しいのは、メールを発送している学校側だけである。

連絡網の前後のおうちとは、連絡することもあって顔見知りならぬ「声見知り」になったり、参観日に初めて顔を突き合わせたり、というようなこともあったのだが、今はそういった横のつながりも希薄になっているのかもしれない。

2013年8月29日木曜日

賞味期限

インターネットで連絡をやり取りするようになって、おおお、と思ったのは「迷惑メール」である。
それ以前の生活だと、いわゆる「ダイレクトメール」とか、「投げ込みチラシ」というのが、それにあたるのだろうか。

私の少し下の世代だと、高校を卒業した頃に、化粧品会社からサンプルがいきなり送付される、景品付きのメークアップ講習会の参加案内が送られてくる、成人式用の振り袖の案内が送られてくる、くらいだった。その下の世代だと、学習塾、お受験塾案内などが来るようになった。

同居人には元奥さんと早世した娘がいたのだが、その娘宛に学習塾、予備校、大学や専門学校案内、振り袖、就職活動案内、ブライダル産業と、数えて25歳くらいまではダイレクトメールがずいぶん来ていた。どこから住所録を入手したのかわからないが、「この世にいない」という選択肢が、現在の社会ではあまりないのだなあと思ったし、存在しない子ども目当てのダイレクトメールは見るに辛いものがあったりする。
元奥さん宛には、保険、カード、宝石呉服衣類ブランド関係など、あれこれ来ていた。うーん、消費活動が旺盛だったようである。

あまりに多いので、居住者のフルネームを郵便箱に貼った。その日に、居住していない元家族向けのDMが入ってきた。
郵便物というのは、苗字しか見ないで配達されるものなのだあと思った。
元家族あてのダイレクトメールも、いなくなって、10年ほどで配達されなくなっただろうか。そこいらあたりが業者が入手した住所録の賞味期限なのかもしれない。

そろそろ人生も佳境が過ぎようという現在では、投げ込まれる「管理栄養食宅配弁当」のチラシに、なぜ年齢がばれているのかとつい疑心暗鬼になってしまう今日この頃である。

2013年8月28日水曜日

ご迷惑

インターネットでメールを利用するようになって、おおお、と思ったのは、「迷惑メール」であった。
ある日、メールボックスを開けてみると、得体の知れない「件名」で、見ず知らずの人からメールがやってくる。


from:けい子
sub:一人では寂しいので……。


from:逆援助志望有閑マダム
sub:求む交際。いくらなら大丈夫ですか。

……だから何だ。

独身寂しい男性とか、妄想もりもりなオジサンなら、「おおお」と思って、メールを開封するのだろうが。オバサンはあまり関係がないのである。
親しくしている友人のところも、この手の「迷惑メール」がかなり来ていたので、一時「迷惑自慢」で盛り上がっていたことがあった。

色気のないところでは、「当選いたしました!」とか、「おめでとうございます!」とかいうのもあった。でも圧倒的に多いのは男性向けの「色気」作戦である。世の中の男性というのは、かくも安易な色気作戦に弱いということが窺えるというものである。そういった前科があるから現在の文化や文明があるとも言えるのかもしれないが。

2013年8月22日木曜日

ウルトラマン

今年の夏はことに暑いような気がする。学生時代もこんなに暑かったかしらん。
そう言えば、と学生時代の先輩のアルバイトを思い出した。

学生時代のアルバイトと言えば、単純労働が多いのだが、肉体系重労働だとかなりペイが良いのが相場である。女子学生はガテン系な仕事にありつける率が低いが、男子学生が短期で一気に稼ぐには日雇い土方が一番である。
その先輩のある夏休みの肉体労働が「ウルトラマン」だった。

夏休みになるとデパートの屋上や遊園地のステージでコスチュームショーというのを子ども相手に開く。テレビでおなじみの正義の味方が変身後の姿でやってくるのである。
かきいれどきは、都内数カ所で同時に同じ正義の味方が出現する。
変身後の正義の味方は、全身を覆い隠すコスチュームに仮面が定番である。夏休みのショーは肉体的に過酷で、「日雇い土方」ほどの労働条件となったそうである。ペイはいいのだが、暑いので、ワンステージでぐったり。だから長時間労働や連日連夜の荒稼ぎは無理。相対的にみれば、長時間単純労働と稼ぎはあまり変わらないかもしれない。

先輩がコスチュームショーの中身、というバイトにありついて、集合場所の事務所に行くと、ずらりと「正義の味方の抜け殻」が並んでいて、サイズの合うのを探して中身になる、というものだったそうだ。だから、小柄な男子学生は「ピンク色のスカートつき正義の味方」になったりするのである。全身衣装なので、中身の性別は問わないらしい。抜け殻に合わせたアクションや見栄の切り方など教わって、お仕事である。
先輩は「ウルトラマン」の担当となり、初仕事とあいなった。デパートの屋上でしゅわっちと見栄を切り、子ども達にやんやの喝采を受ける。ステージの後は、子ども達がぞろぞろと壇上にあがり、そのまま「握手会」である。お天気のよい、夏休みの昼間、ウルトラマンの中身は張り切ってお仕事をしたので、汗だくである。ウルトラマンの衣装は、全身合成皮革である。かいた汗はウルトラマンの内部に滞留する。重力に従って、汗は下方、さきっちょにたまるのである。子どもと握手をするときは、汗のたまった手袋越しである。
「にちゃー」
という微妙な感触で、とても地球人のものとは思えないらしい。たいていの子どもは、握手をしたとたん妙な笑顔になったそうである。
ウルトラマンは、子ども達に手を振って、汗のたまったブーツからちゃぷちゃぷと音をさせながら去るのであった。

2013年8月21日水曜日

シベリア

同世代、あるいはその前後の卒業生と出会ってよく盛り上がるのは「シベリア」である。

実技科目の点数が足りないと、冬休みなどに補講をしてくれるのだが、そのアトリエのことをそう称していた。
古いプレハブ校舎、すきま風、コンクリ土間、もちろん土足のアトリエである。石油ストーブは、とりあえず設置してあるが、この季節はあまり効率よくきかない。本当の極東地方であるシベリアを知っている人から見れば屁でもないだろうが、落第寸前、崖っぷち、広いアトリエで数名がしこしことデッサンをしておるので、わびしさ悲しさ寒さひとしお、である。

夏の通信教育課程では、アフリカとか赤道を通り越して「フライパン」な環境のアトリエが出現していたが、通学生にとっての合い言葉は冬の補講期間に落ちこぼれの間に出現する「シベリア」である。

シベリア校舎は既に取り壊されて、新しい大きな校舎がつくられた。もちろん全館冷暖房完備である。
フライパンなアトリエは、大掛かりな改修工事をしていたので、当然のように冷暖房エアコン付きになっている。
今は昔、だなあと、校舎の脇にある大きなエアコンの室外機を眺めながら思うのである。

2013年8月19日月曜日

フライパン

同居人は、美術学校の通信教育課程に数年通っていた。
通信教育というのは、レポートや課題作品を郵便で送って、添削やら先生のコメントやらが返ってくる、というやりとりで学習を進める。夏休みと冬休みには「スクーリング」というのがある。そちらでは「面接授業」と称するのだが、まあ普通に教室やアトリエで作業したり講義を聞いたり、という方法である。会社などでお休みが取りやすい時期だというのと、通学課程の校舎を流用するので、通学の学生の長期休暇中に授業が行われる。
つまり、気候的には非常に厳しい時期、ということである。

15年とか20年前くらいまではキャンパス内にはほとんど冷房設備のある教室やアトリエはなかった。「夏は暑いもの」だったのである。
さて、油絵学科のアトリエは、三角屋根のすてきな校舎である。北側に大きな窓があって、天井が高く、隣の教室は「斜め」に配置されていて、隣の教室との干渉度が低く、独立性が高い。アトリエは2階にあって、1階は大きな吹き抜けになった、空間的には贅沢なつくりだったりする。設計家にとっては代表作の一つになっているようなデザインである。
同居人は油絵の専攻だったので、夏はこの校舎のアトリエで作業をしていたのだった。通信課程の学生の間ではこの校舎は「フライパン」と呼ばれていた。天井は高いが天井裏はない。鉄板の天井は太陽熱を直に伝えるうえに、開口部が少ないので風が通りにくい。汗だくな作業だったそうである。

美術学校の校舎の中には「おしゃれー」で「モダーン」な外観だったりするのがあるが、デザインと住み具合というのは別物だったりするのである。

2013年8月16日金曜日

花咲か爺

拙宅の近所では、夏になるとなぜか「ひまわり祭り」というのがある。郊外の都市型農業地域で、ひまわり畑を見せる、というものである。隣の市の「ひまわり祭り」では、巨大ひまわり畑迷路というのが定番らしい。背丈よりも大きなひまわり畑で、ずいぶん前に行ったことがある。畑の名に恥じず、結構蚊に食われてしまったので、それ以来遠巻きに眺めるようになった。
このあたりは小麦の生産が盛んなところで、裏作にひまわりをつくっているのだと言う。まあ観光資源になるなら一石二鳥とか三鳥めかということなのだろう。

ひまわりと言うと、友人に聞いた「ある先生」の話をよく思い出す。
先生は、大学の授業が終わって、学生とビールを飲みながら議論、酔っぱらった帰り道にポケットから何かを出して、あちこちでぱらぱらとふりまいていたそうである。何だろうと考えたが、その後すっかり忘れていた。学校が夏休みになったが、図書館に行く用事があった。先生が酔っぱらって歩いた道沿いに、ひまわりがたくさん咲いていた。先生はひまわりの種をまいていたのだった。

2013年8月14日水曜日

パスワード

大学のイントラネットというのは、素人で構築できるような大きさではない。たいていはアウトソーシングで、専門の業者が担当するかたちになっていることが多い。入ってくる企業によって、使うシステムや得意分野が違うらしく、私の大学では今いくつめかの業者さんが作業をしている。どういう仕組みで受注業者を決めるのかは、一講師には知りようがないが、美術大学というのはただでさえいろいろなOSだのシステムだのが使われているので、めんどくさい現場だろうなあとは思う。
それに比べれば、一般的な大学はあまりそのあたりの多様性は考えなくてもいいのかもしれない。だからちょっとびっくりなシステムに出くわすことがある。

相方の行っている学校の一つは、いわゆる総合大学である。さまざまな学部もあり、学生数も多い。だからシステムもかなり気を使っているのだろうと思われる。こちらも非常勤講師の成績送信用にアドレスとパスワードを就任時に書類配布、60日以内に初期パスワードを再設定するとシステムにログインできるようになっている。たいがいの大学はパスワードは英数字で何文字以上、というのが多いが、そこはなぜか「記号」なのである。ひとつめが「牛」、二つ目が「犬」、三つ目が「カエル」の組み合わせになっていて、それが初期パスワードになっている。変えるのも、10種類の動物から選んでね、というもので、他に「羊」「虎」「ヤギ」「ゾウ」「蛇」「馬」「猫」「ネズミ」なんかが、可愛らしいアイコンで並んでいる。
うーむしかし、むしろ、かえって覚えにくい。

だからといって「犬」「犬」「犬」にしたら、簡単に「パスワード」を突破されそうである。

2013年8月2日金曜日

提出

昨今、大学の事務作業のコンピュータ化というのは著しいものがある。
20年前は手書きの成績表で、書留で学校に送っていた。その後は、ワープロの書類に書き込んだものをフロッピーで提出したりしていたのに、今やデータで送信である。
もちろん「超」個人情報であるので、提出には気を使う。
基本的には、校内のネットワークで送信することが前提である。同居人のように週1回の出講、遠くの学校だと物理的に難しいのでインターネットで送信することになる。

そういった学内事務組織へのデータ送信というのは、学校によってずいぶん違いがある。たいていは、年度始めにメールアドレスとパスワードなんかのメモが送られてきて、一緒に「成績データ送信について」などというマニュアルが入っている。
一度やり慣れれば、簡単なものだろうが、成績の入点など半年に1回である。たいていはログインでトラブる。
「パスワード発行後、60日以内に任意のパスワードに変更しない場合、初期発行のパスワードは無効になります」
などという小さな字の注意書きが、よおーく探すと見つかったりする。
成績を入れるのは授業が始まって3-4ヶ月先なのだから、それまでは「成績データ送信システム」など見もしない。

同居人の習性で、締め切りぎりぎりにばたばたと作業をする。急いでいるのにパスワードの再設定などめんどくさいと、イライラするのである。

2013年7月31日水曜日

ショット

時間を伴う実写動画では、記録を始めてから止めるまでの連続した時間を「shot」と言う。同じような意味で「cut」や「clip」も使われている。こちらの方はどちらかと言えば、フィルムの編集現場から出てきた「ことば」だと思うのだが、ショットの方は撮影現場で使ったのだろう。撮影することを「shooting」と言う。
映画史をやっているとさまざまな機械が開発され、淘汰されていったことがわかる。そのうちのひとつにE.J.Mareyの「Photographic Gun」がある。shotとかshootingの語源と思うにふさわしい「機械」である。
映像は様々な専門用語を使うが、バックボーンが違えば使う言葉も違う。それぞれに「いわく」や由来があったりする。技術が進歩して直接関係はなくなっても、それとは切り離されて使用され続けている。
http://destrier.hubpages.com/hub/cinematography
Photographic Gun, designed in 1882 by the cinematograph pioneer E. J. Marey. This took pictures at a rate of 12 per second.

翻って、現在は携帯電話やスマートフォンで手軽に撮影ができる時代である。街中では、どこにいてもレンズがこちらを向いて「shooting」しているような気がする。映像を教わっていたときに、「カメラは武器である」とよく言われた。写真銃のイメージは現在のカメラではないかもしれない。しかし、確かにレンズに狙われている気配は、「狩られている」印象に近いものがある。だからこそ、カメラを持つものは謙虚にならなくてはならない、と言われた。撮らせていただいている、ということを忘れ、単にshootingしているのは暴力である。それを忘れてはいけない。
そう言っていたのは、浦山桐郎である。亡くなって25年をとうに過ぎ、映像を巡る状況はずいぶんと変わった。しかし、映像を考えるとき、立ち返る基本である。

2013年7月30日火曜日

バリエーション

動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。

最終的に編集されることを考えて撮影しなければならない。前後のことを考えながら作業する必要があるので、三脚を立てやすいとか、ファインダーがのぞきやすい位置、という要因でカメラを設置することはあまりない。下手をすると地面に這いつくばり、壁の間に挟まったりしてカメラの位置を決めたりもする。決してカメラマンの都合で、構図は決まらない。
フィクションの場合は、たいていディレクターがカット割りを決めるので、編集を想定して構図を決める。ノンフィクションや記録映像の場合は、決まったシナリオがないので、もっとざっくばらんな注文になる。編集時に困らないように撮影をするのがカメラマンの仕事になってくるので、もう少し気を回さなくてはならない。ノンフィクションの場合は「捨てカット」「ロング」も一応押さえておかなくてはならない。ある程度余裕があれば、何通りかの構図のバリエーションを押さえておくことになる。シンポジウムなどの会場風景であれば、前後左右斜め4方で三脚の立てる位置は8カ所、ポジションを2-3通りずつ、アングルを2-3通りずつ、サイズを4通りずつ、で128通りくらいの構図のバリエーションはできる。全部押さえておけば、編集時にどれかが使えるはずだ。まあここまで多くなくともいいかもしれないが、少なくとも2-3通りでは編集で困ることがある。


スチルではうろうろと移動して撮影するし、ビデオだと2-3台のカメラで分担してフォローする。イベント撮影のようなものの方が、実は大変なのである。

2013年7月29日月曜日

正対

動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。

動画ではいくつかのショットをつなぐことになるので、「基準」になるショットをまず考えることが多い。例えば人物なら、1ショットで撮影するならいくつもの選択肢がある。同じ方向から見ても、サイズ、アングル、ポジションの組み合わせで、構図はそれぞれ変わってくる。選択肢が数多くあるので、まずは数多くの情報が伝えられる1ショットというのを考える。それが「基準」になるわけだ。それはたいていの場合「正対」の構図である。人物であれば顔を正面から、建物であれば正面ファサードが、「正対」である。必ずしも「かっこ良い」構図ではないかもしれないが、そこからカメラをどちらに振るのか、アングルはどうするのか、というバリエーションで構図を考える。

初心者は得てして「正面」からものを撮らないことが多い。目線が合うような作業は苦手なのだろう。どう撮影しても、斜(はす)から構えた構図になる。人物が斜めで、目線を外されたショットを重ねていくと、歯がゆい感じがすることがある。本人としては「クール」に作業しているつもりなのだろうが、どうしても「腰が引けている」ように見えてしまう。正対は、構図としてはあまりかっこ良くないかもしれないが、インパクトがある。被写体の訴求力がそのまま伝わることが多い。だから、何かを撮影するときには、その「正面」はどこか、ということをまず考えることだ。

2013年7月24日水曜日

ものぐさ

動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。

たいていは編集を考えながら撮影をする。初心者の学生さんは、あまり考えないで撮影を始めてしまうので、まずカット割のルールとか、カットをつなぐ方法などをレクチャーする。それでも、なぜかやみくもに場当たり的に撮影を始めてしまう。
教室で撮影するなら、まず三脚を立ててカメラを設置する。なんでそこに三脚立てるの、と聞きたくなるような場所である。

結局、編集できない素材しか撮影できないので、次は絵コンテをつくるということをノルマにした。
カットのつながり、シーンの分け方などが、実際の構図で検討できる、というのがミソなのだが、たいていはマンガになってしまう。四角い枠があれば、という条件反射なのかもしれない。
コンテの段階で、シーンの分け方を考えないと、とか、エスタブリッシングショットがないよ、とか指摘をしておく。しかし、実際に撮影をすると、絵コンテ通りには撮らないのである。


結局、場当たり的な撮影になってしまう。コンテとは違う構図になっているよねえ、なんでそこに三脚立てるの、と聞くと、「立てやすかったから」という返事が返ってきたりするのである。

2013年7月22日月曜日

てんこ盛り

動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。 

動画では前後の関係で選ぶ構図が決まってしまうことがある。撮影者の「好み」とか「感性」とか「センス」だけでは、数多いショットが積み重ねられていかないからだ。

まずカメラを渡して撮影してもらうと、初心者は編集を考えないで撮影することが多い。1カットの中に、すべての要素を詰め込もうとする。たとえば、シーンの状況やキャラクターの設定、これまでの展開など、てんこ盛りである。だから、フレーミングは二の次で、とにかく全部が一望できるような構図を選びがちである。ニーサイズや、ルーズなミディアムサイズで、役者がフレームインして、アクションする。アクションが終わるまで同じサイズで、カットを割らない。しかも役者のアクション以上の「意味」を盛り込む。例えば人物の性格や背景、心持ちや感情の「向かう先」であったりする。「俯き加減で歩く」のは「性格が暗い」けど、「ちょっと上目に前方を見る」のは「未来に希望を望んでいる」といったことだ。うーむ、気持ちは分かるのだが、1カットだけでそこまではちょっと無理。


動きを見せるために撮影したり、ある一連のアクションを見せる場合、それを1カットで納めようとするのは、人の本質的なものかもしれない。ジョルジュ・メリエスのフィルムとの相似点を見ているような気がする。

2013年7月19日金曜日

前後

動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。

構図を決めることを「フレーミング」と言う。主たる被写体を、構図の中にどのように納めるか、ということを考える。たいていの初心者は、ココロの赴くままにフレーミングをする傾向がある。彼らはそれを「感性」とか「センス」と称していたりする。
1枚の静止画であれば、それで済むこともあろうが、動画の場合は最終的に編集をすることになる。前後のカットとの関係が生じてくる。感性だけでは、その関係は解決できないことがある。


動画で撮影するということは、同時にいくつかの条件を考えながら撮影することでもある。

2013年7月14日日曜日

反射

動画であれ静止画であれ、撮影するときにはまずどうやって撮ろうかということを考える。しょせん、レンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じようには撮影できない。

今の学生さん達は、生まれた時から親族がレンズを向けていて、運動会でも学芸会でも撮影の対象であった世代である。物心ついたときに手にした携帯電話やスマートフォンにはカメラ機能がもれなくついており、撮影してはSNSに投稿している。さっとスマホを出すのはすでに脊髄反射に近いものがあるのかもしれない。昼ご飯やおやつ、通学路で見たもの、学内の風景などぽちぽちと、タイムリーに情報として発信している。

先日彼らと話していて気になったのは、「記憶」と「記録」の違いだった。

共有機材や工房の使用は「現状復帰」が前提である。最初に、作業にかかる前の様子を良く覚えておくように、と注意すると、誰彼ともなくスマホで写真を撮る。
授業中の注意事項を板書すると、すすーっと寄ってくる学生がいて、スマホで撮影である。
時代が変わったんだなあ、こうすれば絶対現状復帰できるし、注意事項を何度も言ったり書き写しを間違えて失敗したりはしないよねえと感心する。
しかし、違うのである。写真をとっても現状復帰はできないし、板書を撮影した学生に同じ注意を何度もするはめになっている。写真を撮っても、有効活用できないのである。
写真を撮る、つまり、「記録」したことが、ストレートに頭に入っている訳ではない。記録を活用すべきときに、その記録を再利用できない。「記録」したことすらも、覚えていないのかもしれない。


彼らは「記録」はするのだが、「記憶」することはしないのかもしれない。

2013年7月13日土曜日

理由

三脚を使っているにもかかわらず撮影してきた絵が「斜め」になったり、手持ちで撮影している場合は、学生に「なぜこのように撮影してきたのか」と聞くことにしている。

理由がない、というのが存外多い。
フレームをあまり考えていない、ということでもある。
スマホ世代な彼らは、とにかくレンズを向ける、という習慣が身に付いているようだ。フィルム世代だと、ランニングコストも高く、プレイバックをすぐにはできないので、シャッターボタンを押す前にいろいろとあれこれ手順を踏むのである。「シャッターを押す価値」が低くなったなあ、とは思うが、逆にそれなりの「イージーな記録」が役に立つこともあるのだろう。
ただし、こういった撮影方法でつくられた作品は、よく言えば「荒削り」、悪く言えば「素人くさい」印象になることは否めない。

次に多いのは、「不安感を表現してみました」「心理的な恐怖を表してみました」的なお答えである。
確かに、床が斜めなら不安である。テーブルの上には滑り止め、食器は割れないようにプラスチック製を揃えて、室内には手すり、ベッドには転げ落ちるのを防止するための柵が必要になる。なんだ、クルージングボートの内部ではないか。とすると、クルージングボートは彼らにとっては不安だらけ、いや恐怖の乗り物、なのかもしれない。
さらに、手持ちでブレブレ、というのも「不安感を表現した」というのが多い。不安なのはカメラを持っている学生本人なのではないか、と思われるほどの震えようである。見ているこちらはむしろ、こんなに震えたり慌てなくてもいいのに、と同情しちゃったりするのである。


ここで考えなくてはならないことは、床が斜めであったり、ぶれた画像であったりすることに起因する不安と、物語に触発される不安というのは違うものである、ということだ。

2013年7月9日火曜日

ラース・フォン・トリアーという映画監督がいる。全編手持ち、といった撮影の映画をする人である。
テレビドラマでステディカムを効果的に利用したのが「ER」というアメリカのドラマである。
ステディカムの方が機動性がよく、登場人物を人混みを縫うように追いかけることができたり、狭い場所に入り込めたりするような感覚を見せることができる。実際には、撮影現場はそれほど狭いわけではないだろうし、照明さんも音声さんもついていかなくてはならないはずだから、見ているほど自由度は高くないと思うが。
個人的にはまあそういった手法を利用したいという向きもあろうとは思うが、乗り物酔いになりそうで大きな画面で長時間鑑賞したくはない。

学生の作品では、ハンディカメラを使わせているせいもあるだろうが、多かれ少なかれ、かなりの頻度で手持ち撮影をする。目的もなく手持ちで撮影しているのは、単に三脚を使うのが面倒くさいからだ。三脚のセッティングをする暇に撮影できるということなのだろう。まあ、隕石が落ちてきた、とか、竜巻が目の前に、とかいう状況ならともかく、授業中にそのような火急な撮影があるとは考えにくい。こういうケースは単なる「面倒くさがり」なので、撮影された画像もそれなり、である。

人の目だけではなく、動物は動きの大きなものを追いかける性癖がある。犬や猫を飼っている人ならよく分かるだろう。「猫じゃらし」などはその利用例である。

手持ち撮影では、フレームの「枠」が最も大きな動きになってしまうことがある。動きの小さなもの、静止しているものを見せるのであればことさらである。オーディエンスは、動きの大きな「枠」に気を取られてしまいがちになり、フレームの「中」に意識が集中しなくなる。だから、手持ち撮影は、それなりにトレーニングされたカメラマンと計算された被写体の動きが必要になる。

2013年7月3日水曜日

移動

ホームムービーのお父さんが、がっつりとビデオ用の三脚で構えている、なんていうのはあまりお目にかからない。ホームビデオでは機動性がものを言うこともあるし、基本的に短いカットも多いし、我々としては「どうせ素人さんだし」と大目に見ることになっている。動画サイトの素人投稿動画は、中身が勝負なので、撮影の技術はあまり問われないし、問おうにも配信される画像のクオリティがあまり高くないので、そこまで突っ込む気にはならない。

プロの世界で言えば、ステディカムというそれなりなお値段の機材を使って移動撮影するのだが、この技術進歩はかなり凄い。はじめの頃は大リーグ養成ギブスみたい、というような装備だったが、最近はだいぶ軽量になった。ただし、プロとして作業するならそれなりの研修と練習は必要だ。

映像では撮影されたフレームの外は伝わらない。移動撮影でも、トラックレール敷いてるのか、ドリーで工夫しているのか、カメラマンはステディカムの達人なのか、分からなかったりする。だから、初心者の学生さんにとって「移動撮影」はすべからく「手持ち」な撮影になるのである。

2013年6月30日日曜日

不要

さて、授業で使っているビデオカメラというのは、「ハンディカメラ」というやつである。放送局スタジオ用、ではなく、ENG(屋外取材)にも使える機材である。数キロ程度の軽いものなので、女子でも簡単に片手で構えられる。

構えられる、というのがミソである。
昔使っていた16ミリカメラは、ホールドしにくいデザインで、モーターで振動する。三脚は必須である。
その後使ったビデオカメラは、重たくて片手では持てない。三脚必須である。
その後のビデオカメラは、肩に担ぐスタイルである。もちろんビデオデッキは別物である。右肩にカメラ、左肩にテープデッキのショルダーベルトが食い込む。もちろん、両方とも、重たい。歩くとふらつくので、両足広げて踏ん張るしかない。
その後もビデオデッキがなくなったが、カメラ一体型になった。おかげで右肩はもっと重たくなった。今度はバランスがとりにくいので、小柄な私ではそうそう動けない。
必然的にカメラはフィックス、あるいはフィックスに限りなく近い体勢で撮影するはめになる。

翻って、今の授業で使うカメラは、小さくて軽いので、三脚を「邪魔者」扱いする学生が多くなる。撮影に出かけても、三脚は不要とばかり置きっぱなしである。

案の定、ブレブレな素材を撮影してくるのである。

2013年6月28日金曜日

予想

さて、使っているのはもちろん、ビデオカメラであるので、録画をすれば同時に録音する。
録音中は外部のモニタースピーカーには出力しない。ハウリング防止である。
録画後は現場でプレイバックすることを教えているのだが、たいていの場合は画像を確認するだけである。
録画した画像は編集のために編集室で再生確認する。もちろん、外部スピーカーが接続されていて、録音した音も確認できる。

あるグループでは、同じグループの女子学生を「役者」にして撮影していた。風に髪なびかせる乙女、といった風情を撮影したかったんだろうなあ、と思う。絵は、きれいなものである。台詞があるので、録画した音そのままを最終的には利用したいらしい。学生は得意満面で音量目一杯にあげて、再生確認しはじめた。

「…あ、そこに立って、うーん、もう少し横向いて…」
「…そうそう、そこ、いいねえ…」

最初は控えめに女子学生に指示を出す声が入っていた。
「…本番、行きまーす…用意、スタート!」
女子学生はおずおずと歩いて、木陰に立つ。
「…あー、いいねいいねー、ため息ついてねー台詞ねー」
これはカメラマンかディレクターの指示音声が入っているようである。
女子学生ため息をつく。
「…ほーっ……(遠くで聞こえない)…」
「…あーあーあー、セクスイーに、いいねいいねー、ふむううううう(鼻息)」

グラビアの写真撮影会みたいである。カメラを構えている学生は、どうもそういった趣味があったようである。
まあたいてい男子がカメラを担当するとこうなるが、女子がカメラを担当するともっと違う会話が入ってくる。

「よーし、いいよー、ところでさー、あんた」
とそばにいる他の学生に小声で話しかけたりする。
「A君てば、あんたのこと気になってるみたいだけどさー、あんたどう思っているのよ……、はいカットー、良かったよー」

いや良くないよ、カメラに集中しなさいよ。

毎年何例かはこのように、「予想外の録音」がある。

教訓1 ビデオカメラで撮影する時は音声も録音される。
教訓2 遠くの役者の声よりも、近くのカメラマンの声の方が明瞭かつ大きく録音される。
教訓3 録画中はモニターヘッドフォンが必須である。
教訓4 録音された音声は分離できない。つまり、ため息だけ音量を上げる、カメラマンの独り言は消去する、なんてことはできない。

2013年6月26日水曜日

斜め

被写体に熱中してしまうので、カメラが斜めになっていても気づかない、というのは初心者にありがちなことである。
現場で再生しても、編集室で確認しても、「斜め」なことに気づかない猛者もいる。
「斜め」であることを指摘しても、役者の彼女がかわいく撮れているからいいもんねー、という態度な学生も多い。こういう学生はきっと世界がどうなっても自分の見たいことしか見ていないに違いない。

さて、デッサンをしたり、風景を写生したりするときに、まず気をつけるのは画面に対して水平なものは水平に描く、ことだったりする。画面に対して机の天面が斜めなら、机は傾いているので、花瓶やリンゴは転げ落ちてしまうからである。画面に対して、水平垂直でないなら、画面内での水平垂直のルールが見えるようにしなくてはならない、というのがお約束である。
デッサンをしてきた学生であっても、そんなことは忘却の彼方である。

人間はかくも、自分の目的以外のことには注意を払わないものである。

2013年6月25日火曜日

外側

1年生の実写ビデオの実習授業である。

撮影には、カメラ、三脚、マニュアル、カチンコ代わりのホワイトボードをセットで持たせる。
最初の取り扱い説明では、カメラを三脚に取り付けて、水平と垂直を合わせることから始まる。

ところが、撮影してきたものを見せてもらうと、たいていの場合は、絵が「斜め」だったりする。構内の建物はすべからくピサの斜塔状態である。三脚を使っているので、なおのこと、すべての絵が「斜め」なのである。

なぜそうなっているか、というといくつかの理由がある。
初心者の場合は、自分の撮影したい被写体しか見ない。ほかのものは、フレームに入っていても「out of 眼中」である。
手前に「撮影したいもの」がある場合、その向こう側は彼らの意識の外である。

カメラケースや自分たちの荷物がフレームに入っている。
ガラスに自分たちが映り込んでいる。
被写体の向こう側でヒッピホップダンスを踊っているのがいる。
遠くでサンバ研究会が派手な衣装合わせをやっている。
お掃除のおじさんが箒を巧みに使いながら背後を横切る。
業者のトラックが走り去りながら荷物を落としている。

シリアスな場面を撮影しているにもかかわらず、ギャグになる寸前である。たいていの場合、指摘しないと「映り込んでしまったもの」に気づかない。


人間の目や意識というのは不思議なものだと感心すると同時に、機械がいかに情報を「フラット」にしてしまうかということも感心してしまう。

2013年6月23日日曜日

合わせる

人間の目というのは賢いもので、基本的にはパンフォーカス、つまり全部にピントが合っている状態で網膜に倒立像を結ぶ。しかし、網膜上の「像」がそのまま脳みそに認識されるわけではない。倒立像を正立になおし、なおかつ自分の見たいものに「ピントが合う」状態で認識される。見たいものではないものは、脳みそが「ピンボケ」の状態として認識する。
だから、レンズでとらえた映像上でピントが合う、合わない、というのは、脳みそに認識させたい情報をあらかじめコントロールできる、ということでもある。
肉眼でピントが合わないのは、近視や遠視などの問題があるからで、だからピントを合わせるために眼鏡を使うのである。目玉でピントが合わないものは、脳みそでもピントを合わせることができない。最初にピントを合わせるという作業は大切なのである。

レンズでとらえたフレーミング内で、見せたい情報にピントを合わせる、というのが基本である。それをうまく利用したカメラワークに「ピン送り」というのがある。手前から奥、あるいはその逆にピントの合う範囲を変えていくことで、オーディエンスの認識をコントロールする、という方法である。
オーディエンスはフレーミング内で、ピントの合っている「もの」に意識を集中する。だから、オーディエンスの見たい「もの」にピントを合わせる、というのが基本的な作業である。

2013年6月19日水曜日

ピント

カメラを使った作業では、何はなくともピントを合わせることが、前提である。ピンボケ、手ぶれ、というのはケアレスミスなのである。

「ちょっとピンボケ」というロバート・キャパの本があるが、キャパはピンボケの写真しか撮影できないわけではない。ブレボケアレ、という写真のスタイルがあったりするが、それとてブレボケアレだけしか撮影できないわけではない。たいていは、きっちり写真ができる人が、自分のメッセージを伝えるために、そういった手段に出るのである。ブレもボケもアレも、コントロールできてなんぼ、なのである。

ここ数年だが、学生さんにビデオを撮らせていても、ピントをがっちり合わせてこないケースが増えた。なんでピントが合っていないのかと問うと、「こんなもんじゃないですかねえ」。よくよく話をしてみると、ピントというのはカメラが合わせるものだと思っているフシがある。
試しに、使っているカメラでピントを合わせてやったり、隣近所の学生のピントの合っている学生のファインダーをのぞかせたりすると、「ほほー」、である。

彼らの周りにあるカメラという名前のついているものは、基本的にオートフォーカスに自動露出である。スマホや携帯電話のカメラ機能に、マニュアル操作など装備されていはいない。だからピントが合うか合わないか、といのは彼らにとっては「運」でしかないのである。

2013年6月16日日曜日

課題違反

美術学校の実習授業では、たいてい何かを「制作」する。
私の授業では機材を扱ったり、教室外で撮影の作業をしたり、ということがあるので、さまざまな「条件」がつくことになる。
例えば、「機械を壊さない」「授業中に学外へ出ない」などというのは常識に近いとして、制作する作品の長さや技術的な条件などが色々あったりするのである。

私の時代で言えば、受験に「平面構成」というのがあった。お題が短い文章で示されて、それに対してポスターカラーなど使った色面で平面構成するというものである。例題も参考作品も、受験だから当然、ない。指示された文書から逸脱したものはすべからく「課題違反」であるので、採点の対象にならない、つまり不合格である。「三色で」構成しろ、という文章なのに、五色使えば問題外の外である。
競争率がそれなりに高かったので、課題違反で不合格などあってはならない。だから、問題文の読み込みと正確な理解は必須である。

翻って授業中の学生さんの作業を見ていると、課題文の読み込みが甘いなあと思うことがよくある。自分の都合の良いように解釈してみたり、拡大解釈してみたり、条件の一部を読み落としたり、という具合である。

入学倍率も下がったことだし、我々の世代とはそもそも鍛え方が違うのであるとあきらめがてら、今日も今日とて課題の条件を毎朝呪文のように唱えてから課題の作業にかからせるのである。

2013年6月9日日曜日

お答え

テレビを見ていると、「インタビュー」という方法で、「ひとにものをきく」場面をよく見る。学生がノンフィクションをつくろうとすると、必ず「インタビューする」のである。
ニュースで政治家に政策を聞く、街頭で社会についての考えを聞く、イベント参加者に感想を聞く。
どうですか、と聞くと、誰もが即座に的確な回答をしている。だから、誰が、どこで、何を、どのように聞いても、同じように即座に的確な回答がかえってくる、と勘違いしがちである。

街頭インタビューというのはかなり「仕込み」が必要である。誰もが即座に笑顔で答えてくれるわけではないので、まず「答えてくれそうな人」を見つけなくてはならない。そういった「人」が見つかったら、もちろん取材の許可をもらい、取材の意図を話し、どんな話を聞きたいのか、ディレクターがじっくり話をする。その人に答えてもらいたいことを、彼らから引き出さなくてならない。あまり「お答え」が長くなるとオンエアでは使えないので、「お答え」を要約し、そのように「お答え」してもらうように念を押す。それからカメラを回して、インタビュアーがマイクを向けるのである。

「朝早くから行列に並んでいらっしゃいますねー、何時から並んでいらっしゃるのですか?」
「うるさいなー、さっきから何度も午前5時だって言ってるだろう! しつこいなあ」
とおこったおじさんがオンエアされた「放送事故」があったりもしたそうだが、何度も念を押されればうんざりするに違いない。

もちろん「お答え」が全部オンエアで使われるわけではない。編集という作業が介在する。話の途中で切られていたりするので、「お答え」したうちのほんの一部分しか使われない、というのはよくあることである。あれだけ時間をかけてつきあってあげたのに、たった一言だけしか使われなかったりする。もちろん「お答え」が本人の話の意図とは正反対になるように編集されたりもする。与党の政策について「いやあ、こまったもんだねえ」と言ったのに、野党の国会のヤジには「いやあ、こまったもんだねえ」に化けたりする。


街頭インタビューは「世間の声」ではない、かもしれない。

2013年6月4日火曜日

確認作業


ジャーナリズムの授業ではないので、取材方法などは学生さんが従前に見たことのある番組や作品がベースになる。そうやって授業を進めていると、かなりの学生が似たような作業をしてくることがある。

フィールドワークに出かけて「東京を見る」というテーマで作業を進めている。
いちばん多く出てくるのは、既存の「印象」の確認作業である。

「東京にはビルが多い」とか「人が多い」というのが、彼らにとっては「一般的な印象」のようである。そうすると見てくるのは「ビル」と「ラッシュアワーの駅」である。たいていは新宿駅か渋谷駅である。
「東京にはラーメン屋が多い」というのが、少し前の地方から出てきた学生の「一般的な印象」だったりする。こちらも新宿や渋谷にあるラーメン屋さんを見てくるのが多い。
それで、「東京は高層ビルの街である」「東京ラーメン巡り」、そんなことをテーマにしたりモチーフにしたりして、作業を進めようとする。

果たしてそうなのだろうか、というのが「見る」ことの基本である。
大学も東京都下なのだが、ここいらへんで一番高いビルは大学の校舎で8階建て、一番近所のラーメン屋は通学路にある中華屋である。
そんな時に、しぶしぶ答えたりするのは、大学の近くの「田舎具合」である。
地方の自宅の方が街中にあったりする彼らにとって、大学の隣がキャベツ畑だったりするのは、「東京」ではない。だから、メディアで刷り込まれた既存の印象を確認したがるのかもしれない。

2013年5月31日金曜日

伝える


担当しているいくつかの授業では、人物や場所を取材してまとめることがベースになっている課題がある。
美術のみならず、いくつかの学問分野では「見る」ことは基本である。

テレビを見ていると、実に多くの人、ことやもの、場所が「取材」されている。
1時間近いドキュメンタリー番組もあるし、ニュースやバラエティ番組の「コーナー」としてまとめられたものもある。
ドキュメンタリー映画は、映画館で見ることは少なくなったが、質の良いものはたくさんある。

取材をしてまとめる、といった方法は、社会学の調査といったカテゴライズであれば、系統立てて教わるのだろう。しかし、こちらの授業は社会学的調査が目的ではないので、フィールドワークの概論をざっくりと教えて、あとは実地で作業することになる。
最終的には映像としてまとめていくことになるので、作業は最終的な完成作品を常に頭に描けることが前提だ。自分で「見た」ことを、映像という表現手段で伝えることになる。

「見たことのないもの」「見てはいないもの」を伝えるのは、実は難しい。しかし学生さんにとっては、「見たこと」「見たもの」を伝える方が難しいことがある。

2013年5月28日火曜日

ウケ


学校で担当している授業の一つは、映像制作基礎、といったものである。
映像という表現の特徴、メリット、デメリットを認識した上で、「伝える」ことを目標にするものだ。
数週間の授業内で、課題の一つに自由制作みたいなことをやらせている。
毎年いくつかのプロジェクトに「ウケ」を狙ったものがある。早い話、「笑いを取る」ことを目的にするものだ。

実は純粋に映像として笑いを取るのは異常に難しいものがある。
ここ数年多いのは、コスチュームプレイであったり、タレントの物まねであったり、クラス内でしか通じないナンセンスなギャグであったりする。
彼らの人生で「ウケる」とは、テレビのバラエティーのコントのようなものが多く、一緒に講評をやっている教授(たぶん私より一世代ほど上くらい)には、やはり「???」というものがある。
「ゲバゲバ90分」とか「モンティ・パイソン」とか見たことあるかなあ、というのが教授との話題だったりする。

見返してみると、80年代までのいわゆるスラップスティックな民放の「お笑い」番組は、モンティ・パイソンをベースにしている部分がよくある。しゃべくりだけではなく、アクションや映像の言語的な部分をよく利用している。
現在学生が持ち込むプランは、「スタンダップコメディ」や、テレビで見る漫才やコントに近いものがある。映像としてではなく、結局「しゃべり」や「インパクト」で持っていこう、という作戦である。
「しゃべり」で笑いを取る場合に難しいのは、世代間や民族、文化の間の溝を埋めることだ。学生は大笑いしているが、教授と私、留学生には笑っている理由が分からない。解説してもらうと、インターネットで話題の「ネタ」だったり、テレビ番組の茶かしだったり、流行のゲームやアニメのパクリだったりする、大笑いをとった学生は自信満々である。

まあ、コアなターゲットにでも「ウケる」ことはいいことである。ただ、誰にでも理解できる、言語が通じなくても笑える、ということが、映像による表現の特質だったりする。次のステップは、コアではなく、満遍なく誰にでも「ウケる」ことにしていただきたい。

2013年5月25日土曜日

具現化


映像を志す学生さんの多くは、自分が関わったことのない表現分野である。いわば初挑戦、というタイプが多い。こういった学生さんは、たいていそれまで自分が獲得してきた表現手段ではできなかったことをしたいと思っているようである。

こういった場合、学生の頭の中には言葉で描かれたイメージがある。
「真っ白い空間に、清楚な少女がぽつんと立っていた」。

写真だろうがビデオだろうが、映像にするためには、具体的な被写体が必要である。撮影をやったことのある人なら、頭の半分で考える。
何メートル四方で、高さが何メートルの空間が必要で、しかもRのついたホリゾントつきのスタジオでないと、ロングサイズの絵は撮れない。白くするためには照明が必要だから、どのくらいの電球が必要で、それがいくつ、だから何キロワットが必要になるのか。清楚な少女、というからには、15-6歳から下だろうか、細身か、ぽっちゃりか、何を着せるか。立っていた、だから、時間的な経過をどう見せようか。とすると、今は立っていないということなのか。ううう。
という具合である。

学生さんは「思った」ら、そのイメージがカメラの前に出現すると思っていたりするようである。そうでなければ、撮られた絵は、教室内で、薄汚れた「元は」白い壁を背に、同級生が普段着で立っていたりするのである。イメージと事実の乖離に、こちらは愕然とし、学生はなんだかな、という顔をするのである。

2013年5月17日金曜日

おまかせ


授業開始後、30分くらい学生さんだけにして、その間にグループを組んでおいてね、という作戦をとっていた。仲良しするためのグループではないので、作業することを念頭に置いてグループ決めてね、と最初に釘を刺しておく。

10年ほど前は、何となく誰かが議長になってグループの組み方を決めていた。話し合いである。
いろいろな方法があるが、先にリーダーを決めてメンバーを取り合ったりトレードしたり、仲良しをあらかじめ分けておいたり、それまでの授業の成果を見ながら得意分野がかぶらないようにしたりする。

じゃんけんとかくじ引きで決めるようになったのは、7-8年ほど前だ。20人ほどで「話し合い」が成立しなくなってきたからだ。最初に誰かが手を挙げて、「あみだくじしまーす。反対の人はいますかー。いませんねー。ではあみだくじを黒板に書きまーす」で終わりである。5分もあれば終了である。
ここ数年は話し合いもなく、先生が決めてください、という「他人任せ」クラスもあった。

話し合いができない、という状況はいかがなものか、とふと不安になることがある。

2013年5月16日木曜日

仲良し


グループ作業の進行がまずくなったときに、先生に苦情を言う、あるいは先生に解決してもらう、という方法は、社会に出たら「なし」である。
ここはこの際、予行演習もかねて、自分たちで責任を持ってチームを組む、という作戦をやってみた。
グループの人数、あるいはクラスを何グループに分けるか、だけを指示して、あとは自分たちで30分ほどで決めてもらう、という作戦である。

こういった場合、最初の頃は何となく「仲良しグループ」で固まることが多い。普段からよく話す友達だと作業がしやすいと思うのだろう。
ところがこれはかなり大きな「落とし穴」である。
「作業のチームワーク」と「友情」は違うものだ。仲良く作業をしていても、作業のクオリティが上がる、とは限らないのである。結局「なあなあ」になるか、予定調和で「まあこんなもんか」になるのである。4人集めて、3人前くらいの仕事にしかならない。
4人で5人前、6人前の仕事になるのは、あまり知らない学生同士が組む時の方が多い。仲良しでないだけに、けんか覚悟で口論したり、仕事を情け容赦なく割り振ったりできるからである。

こういうことがしばらく続いたので、グループを組むときには「仲良しグループ」は要注意だよー、と一言忠告してから組んでもらうようになった。

2013年5月13日月曜日

苦情


2年生の授業は20人程度なので、4人のグループを任意につくらせている。

最初の授業で「グループを組みます」と宣言。30分でグループを組みなさい、といって学生にお任せして、私は退室、30分後に戻ってきたらグループになっている、はずである。
任意に作らせているのは、自分たちで作ったグループなので、最後まで仕事をする、という自覚を持ってもらうためだ。

私の方で名簿順にグルーピングをしている1年生の授業では、ときどきトラブルがある。誰かが遅刻の常習犯だったり、物忘れが激しい、義務を果たさない、といったものだ。
こういったグループ分けだと、チームとしての運営は途中で放り投げられがちである。「作業が進まない」→「こいつが遅刻するから悪い」→「こいつがいなければうまくいく」→「こいつと組みたくはなかった」→「組んだのはなぜか」→「組まされた」→「先生が決めた」→「先生が悪い」という論法になり、「先生、あの人に注意してください」と苦情を言い、注意をさせたがる、または「先生、グループを変えてください」と言いにくる。
言いにくる前に、解決の努力はしたのか、と聞けば、「何度言ってもきかないんです」というのが多い。

こういうことの繰り返しで、グループ作業が嫌になるパターンが多いようである。

2013年5月11日土曜日

比率


初対面の学生しかいない1年生の4月初日の授業などでは、まあ有無を言わさず名簿順、ということがある。教えるこちらも相手は分からないからである。

10年近く前から、名簿順だと「まずい」かも、と思うようになった。
男女比である。
4人チームで名簿順に組んでいくと、男子ばっかり、女子ばっかり、というチームになることがあった。勤務校では女子の比率が圧倒的に多い。今や男子は3割以下である。少ない方は少ないなりに「かたまる」傾向がある。男子2女子2のチームになると途中で男女に割れてしまう、男子3のチームになると女子は「女王様」状態になる、男子4になるとたがが外れる、というケースが出てきた。美術学校だけに草食系男子が多く、リーダーシップをとるのは女子だったりする。いやいや女子の中でもタメはってもらわなきゃ、というので、男女比を考えてグループを編成するようになった。

ちょっと過保護だよねえと思いながらグループを組むのが、授業前の準備である。

2013年5月6日月曜日

グループ


通学課程の授業では、実習作業を教えている。実習は基本的にグループ作業である。

現在の高校までの授業では、ほとんど「グループ制作」というものがない。あってもかなりレアなケースである。知識詰め込み系の授業や、受験に関係のある教科は、基本的に「個人プレー」である。他人よりもよい評価を得るため、だからだ。
しかし、考えてみれば、社会に出て仕事をするときに、個人プレーで最初から最後まで遂行することはほとんどない。どこかで、いつかは、必ず、他人とかかわり合うことになる。

まずは、グループを組ませるまでが、大変である。
無難なのは名簿順、とか、出席番号で割り振る、とかいう方法である。ランダムに組ませる場合、学生に有無を言わせない条件であれば、こういった方法になることが多い。
問題になるのは、作業するプロジェクトの進行方法である。

最終的には「作品を作る」ことが目的である。しかし、グループだと初日から波瀾万丈になってしまうのである。

2013年5月4日土曜日

禁止


まあそう言えば、である。

勤務校も学内飲酒禁止、という規則が出来たというのを聞いたことがある。
急性アルコール中毒、酔っぱらいの怪我など、いくつか重なった年があり、学校側が通達を出した。新歓も酒が必要なら特殊な会場、日時設定でなければ成立しなくなった、ということである。

しばらく前に学生の飲み会に参加したときに感じたのは、「酒の飲み方を知らないのではないか」ということだった。飲む機会が少ない、飲む相手が少ない、飲み方を教わる機会が少ない、ということなのだろう。アルコールの順番、飲み合わせ、食べるものの組み合わせなどが、フリーオーダーだと「場当たり的」だ。自分だけ盛り上がっていて、場を盛り上げる努力はしない。最初に酔っぱらったやつがいきなり「無礼講」に突入、あとはなし崩しだったりした。酔っぱらいの介抱が出来ずに、なぜか私などのような「年長者」が酔っぱらった学生を介抱することもあった。

まあ、学校で教えることでもないだろうが、いろいろ失敗をして覚えることもたくさんある。致命的な失敗を恐れて、機会を奪うことが果たしていいのだろうか、と考えることもある。
今の学生さんは、かくも安全策に囲まれて培養されているのである。

2013年5月2日木曜日

お誘い


同居人は4月のカレンダー通り授業開始。講座を担当している研究室から「新人歓迎コンパがあるのでいらっしゃい」とお誘いがかかった。いそいそと出かけていった。

彼にとって「新人歓迎コンパ」は、レアなイベントである。たいてい非常勤では関係ないし、女子大学ではどちらかと言えば「お茶会」である。今回は文科系共学校なので、どんなもんかと期待いっぱいだった。

私の知っている「新人歓迎コンパ」は、美術学校のそれ、しかも一昔前なので男子学生も多く、よく言えば「ワイルド」、悪く言えば「無謀」、はっきり言えば「無茶」である。先生がいないのが普通だが、先生がいても無礼講、大騒ぎである。だから同居人には、「学生の邪魔にならないように、飲み過ぎないように」と注意した。

帰ってきた同居人に様子を聞いたら「拍子抜け」だったそうである。
女子学生手作りのカレーライスに、チャイという「カレーパーティー」だったそうで、ちょっと想像していたコンパとは違ったらしい。今時の学生さんは、そんなもんかねえと言いながら、帰ってきた。

2013年4月30日火曜日

時期


コンパ、というのは、まあ社会の人間関係の予行演習のようなものだ。

新歓コンパは楽しそうに見えるが、実は結構それなりに手間がかかる。
場所の確保、日時の設定、会費集め、広報宣伝、酒と食材の調達、会場の整備、準備、式次第の作成と進行、現場の管理、後片付け、会費精算、といった作業が必要である。景気が悪くなると会費の収集が滞る。伝統的に2年生が出費、1年生がロハ、なのだが、今年は1年生も会費払ってね、などと言えば、3年4年にひんしゅくを買う。自分たちはロハだったのに、というわけである。金が集まらないと、スポンサーを捜す。先生たちにカンパをねだったりするのだが、先生も強者なのでいつも「はいよ」と財布を開いてくれるわけではない。「オトシマエ」として、授業を手伝った学生もいた。
金を集めるのは「幹事」、渋るのは同級生、オトシマエをつけるのは「幹事」、飲みにくるのは同級生、自分は飲めない「幹事」、後片付けも「幹事」が中心。だから、「幹事」のなり手はどんどん減る。「幹事」の引き受け手がなければコンパは開催できない。開催できないのはその学年の「コケン」に関わるので、なんとかみんなで「幹事」の探し合い、なすり付け合いが行われる。

長い春休みがあけた4月の初めに「コンパ」が企画されたとしても、幹事が決まるのが遅くなると、開催は遅くなる。
「新歓コンパ」のビラは、我々の頃は4月だったのに、次第に時期が遅くなり、今や5月6月は当たり前、の世界になった。7月近くになって「新歓」では、「薹(とう)が立ちすぎている」ような気がする。

2013年4月29日月曜日

きっかけ


新学期も始まって数週間、私の方はGWあけからの授業開始なので、現在準備中だが、同居人の方はカレンダー通り、ぼちぼち授業が始まった。
新学期になると、学内のあちこちにビラが貼られる。「新人歓迎コンパ」である。

「新人歓迎コンパ」と言えば、私の世代では「新歓」。2年生以上が1年生を招くコンパだった。放課後の教室で、酒屋からビールとジュースとポテトチップスを調達。紙コップと紙皿は近所のホームセンターに買い出し。2年生がお金を集めて、1年生はロハ。
学科専攻によっては「伝統の余興」というのがあった。代表的なのはダンパ、つまりダンスパーティー仕立てである。学食ホールを借り切り、バンド(もちろんご学友である)が入る。
学年によってパフォーマンスが違ったりする。ある学年では落語研究会の寄席つきだったりした。
酒がなくなれば、近所の居酒屋へ退去してなだれ込む。シラフな女子が後片付けをすることになり、割を食う。だから、先に酔っぱらったもの勝ち、なので、よく飲む女子もいた。
学科専攻の「新歓」だが、名簿がある訳ではないので、違う学科専攻のコンパに潜り込む猛者もいた。「あれー、あんな人、いたっけ?」、である。

普段一緒の授業を受けている訳ではないので、これが数少ない「先輩」との出会いだったりした。これがきっかけにサークルに勧誘されたり、制作の手伝いに出かけたりと、上下関係ができるわけである。

2013年4月23日火曜日

名前

学校に残って勤務するようになったら、まずやることは名簿の整理だったりした。

研究室で管理している授業は、専門の実習や講義である。小中学校と違うのは、必修だったり選択だったり仮進級だったりする学生がいて、授業ごとに違う名簿を作成しなくてはならない。アナログ時代はそれなりに面倒くさく、大変な作業ではあった。コンピュータで作業するようになって一番「楽」になったのは、こういった事務作業である。

教える方は、授業ごとに作ってもらった名簿で、初日の授業に出ることになる。
実技で受講人数も多くはないので、名簿で名前を読んで出席を取る。勤務校でくれる名簿は、学籍番号と漢字氏名、ふりがな付きの名簿である。下の名前が当て字が多くなって解読が難しくなった頃から、ふりがなは入れてくれるようになった。
「一検」はかずみちゃん、「青加」ははるかちゃん、「樹」はたつきくん、である。きっと幼い頃からいつも「なんて読むの?」と聞かれ続けてきたに違いない。本人は説明するのにうんざりしてはいないのだろうか。
難しいのは「くん」なのか「ちゃん」なのか、である。下の名前だけでは性別が全く分からないことがある。「望/のぞむ」くんだったり、「望/のぞみ」ちゃんだったりするのである。

そのうちに性別も入れてくれるようになると、密かに期待している。

2013年4月20日土曜日

宿題


私が子供の頃は、「お父さん会社員、お母さん専業主婦、子供2人」が一般家庭のロールモデルだった。

確かに、子供時代の友達は、地域的な特性もあっただろうがそんな家庭が多かった。
転校した小学校では、商店街が近かったので、自営業のお子さんが多かった。お母さんが働いている、と言っても、たいていは自営業が多かった。文房具屋さん、そば屋さん、美容院、銭湯なんかがクラスメートだ。
私の自宅では、仕事ではないが帰宅時に母がいないことが多かった。そういう家の子はたいてい「鍵っ子」と呼ばれていた。帰ったら自分で鍵を開けるために、首から鍵をぶる下げていたりした。

その後、だいぶたってからだろうが、ロールモデルっぽい一般家庭が少なくなった。専業主婦が家で子供の帰りを待っていたりしない。「鍵っ子」ではかわいそうだったりしたのだろうか、公立の小学校では「学童クラブ」というのが出来始めた。夕方まで小学校の空き教室で宿題をしたり、友達と遊んだりできて、相手になる大人が数名いた。
私立の小学校ではそういった制度がない。どうするか、といえば「お稽古ごと」である。月曜日は英会話、火曜日はピアノ、水曜日はスイミング、木曜日は学習塾、金曜日はお習字、と大人顔負けの忙しさである。母親がべったりつきあうこともあれば、何人かの母親がローテーションを組んで、数名の子供の送り迎えを担当したりする。

「子供用デイサービス」という看板から、何をやっているんだろうと想像したりもする。宿題を一緒にやっていたりするのだろうか。

2013年4月19日金曜日

デイサービス


巷に高齢者が多くなったためなのか、介護保険という制度のためなのかよくわからないが、老人用の保険施設、というのがとっても多くなった。

自宅のある場所が40年以上前に開発分譲された典型的な郊外型住宅地である。隣近所はご老人の世帯が多い。隣接する商店街は主が高齢化し、跡取りがなければ廃業、そのままテナントが入らず、シャッターが下ろしっぱなしで、普段は商店会の倉庫として再利用、という状態である。
そんな空き店舗にも「デイサービス」という「テナント」が入った。朝夕、老人を介護付きの自動車で送り迎えしている。

そういった施設が、目につくようになったなあと思った矢先、通り道のマンションの1階に新しい「デイサービス」のテナントが入っていた。パステルカラーの看板やかわいらしい動物のイラストが窓に描いてある。

よーく見ると、「学童デイサービス」なのであった。

2013年4月18日木曜日

土曜日


小学校が「ゆとり教育」を打ち出した頃、土曜日の登校風景がなくなった。

私は、中学高校と「土曜授業なし」の私学へ通っていた。週末は何に使うか、というと、その週の復習と翌週の予習で手一杯である。もう少したつと、週末はひたすら受験予備校通いになる。土曜日に授業がない、ということはてんで「ゆとり」ではなく、「リベンジ」だったりしたわけだ。

同居人が当時小学校の教諭をしていた。一番困ったのは、学校行事をいつやるか、といったことだったそうだ。会社員なら土曜日はお休みなので、土曜日に運動会や学芸会がセッティングできたりする。ところが、「お休み」である土曜日や日曜日に行事を行うと、代休やら授業の振替やら平常時のやりくりが、ものすごーく大変なのだそうである。
先生たちにとっては、土曜日の午後はその週のまとめやら、翌週の準備やらに使えたのが、土曜日に登校しない、となると、平日の残業になる。どこもそうだとは言わないが、同居人の平日は、朝7時前に登校、夜8時過ぎに退校、という感じだった。

そしてまた、土曜日授業が復活しそうな雰囲気、現場はまた大変なんだろうなと思う。

2013年4月16日火曜日

やりくり


今年度の新学期は、カリキュラムの変更があった。
実技の授業なので、授業の組み方、内容の変更などがあったりする。その都度、研究室の方は教室や工房、機材や講師のやりくりに追われたりする。

私の担当している授業は、実技の集中形式である。月曜日から土曜日までの午前中、3週間ほど、というのが1クールになっている。1年生は4クラスの編成になっているので、4クール同じ授業をする、というわけである。学生の方は1クールを終えたら、違う授業を1クール受けて、というサイクルで、4つの授業を回って受ける。
今年度は授業初めの4週間に、「持ち回り」ではなく、違った授業が組み込まれた。「持ち回り組」は4週間後にずれ込んで授業を開始することになった。去年通り、ではないので、スケジュールをやりくりする。

大学の授業は基本的にカレンダー通りである。だから、祝日はお休み、なのである。「持ち回り組」としては、同じ授業を繰り返したいわけである。そうでないとクラスごとに「不公平」になりかねない。「ハッピーマンデー」制度が出来て、月曜の授業が激減した。祝日の間はお休みする制度が出来て、ゴールデンウィークを含めたスケジュールのクラスは、穴だらけで、集中力が持続しない。スケジューリングしにくいことおびただしい。
数年前から、月曜授業の振替制度が出来たり、海の日もテストがありますという学校が出来たりした。勤務校では、この祝日は「お休み」、この祝日は「平常授業あり」と、さらにややこしい。

こんなことなら、祝日を年末年始やお盆に集中してほしいくらいである。だから日本に「バカンス」というものが定着しないのかもしれない。

2013年4月10日水曜日

石橋


映像に限らないと思うが、現場作業というのは、時間的に取り返しがつかなくなることがある。

例えばイベントの取材であれば、同じことを何度もやって見せてくれるわけではないので、最終的な仕上がりを想定してそれなりの準備をすることになる。
途中で機材の使い方が分からない、などということがあれば、取材はストップするので、あらかじめマニュアルを読み、予行演習をしておいたりする。
その上でも、まだまだ不測の事態というのは出現する。機械がトラブる、なんていうことは、機械で作業していれば想定内の出来事である。ただし、機械がトラブったので、取材が中止になることはない。イベントの方は機械の都合に関わらず進行するからだ。

映像エンジニアという現場の裏方さんは、だから二重三重に予防策を用意する。カメラが必要なら予備のカメラだけでなく、予備のレンズや予備のバッテリーなんかももちろん、用意する。
「石橋を叩いて渡る」典型である。予備だけで本番用の機械よりも多いくらいである。

ときどき「石橋を叩きすぎてしまって、渡る前に壊してしまう」ことがないのか、端から見て心配することがある。

2013年4月9日火曜日

逆効果


機械は人間のように融通が利かない。「やってはいけないこと」があったりするし、「こうすれば壊れます」といった定石がある。壊れてもまあいいか、で済まないことがあるので、事前にマニュアルを読むという作業が発生する。

PL法が出来てから後、マニュアルにはまず「やっちゃいけないこと」がとにかく列挙されることになった。電池はプラスとマイナスを間違えないで入れろ、なんてことは、わざわざ言われるまでもなく、やっていたことだったのである。しかし、わざわざマニュアルの冒頭にそういったことが列挙されるようになって、マニュアルをかえって読まなくなったような気もする。

逆効果な例である。

2013年4月8日月曜日

落とし穴


人間、マニュアルを「読まない派」と「読む派」に大別できる。

新入生のクラスでは、あらかじめテキストを読むように初日に言い渡す。しかし全員が読んでくるとは限らない。読まないでぶっつけ本番、当たって砕けるタイプの学生がいくばくか存在する。
そういう学生のために、いくつか落とし穴を用意する。大失敗、ではなく、小失敗になるように仕込んでおくことがミソである。
こちらの思惑通り、落とし穴にがっつり落ちてしまった学生さんには、申し訳ないが反省していただくことになる。「テキストにあらかじめ記述してあり、前日までに読んでおけば、落ちなかったはず」であることを、周囲の学生も含めて指差し確認する。

落とし穴にはまってしまったことでマイナスに評価するわけではない。しかしその後、「マニュアル読む派」にならなければ、マイナス評価になる。

危険な工具を扱う工房では、ちょっとした不注意や知識不足が、怪我のモトである。高額な機材を扱うジャンルでは、思わぬ失敗が、金や手間では取り返しのつかないことになることがある。

人生、石橋を叩いて渡る、のが私の作業ジャンルでの鉄則である。

2013年4月7日日曜日

目分量


同居人は「マニュアル読まない派」の典型である。

料理も目分量、目検討、自分の舌で料理すると豪語する。毎度作り方と分量が違うので、再現性がない。
陶芸窯で焼き物をつくるときも、データをこまめにとってはいるものの、完成後そのメモを散逸させてしまうので、データとして蓄積できない。
コンピュータやアプリケーションは言わずもがなである。同じミスを何度となく繰り返していたり、同じ操作法を何度となく聞かれる。

刹那派である。

2013年4月6日土曜日

マニュアル


同居人は「マニュアル読まない派」である。

人間、「読まない派」と「読む派」に大別できると思っているのだが、同居人は前者の典型である。理系ではないし、機械いじりが得意ではないようである。
どんな機械でも「先にいじくりまわしてこわす」ことが多く、後からマニュアルを読んでおけば良かったと思わせることしばしである。

以前の機器というのは、機能が少なく、使える機能も表層にスイッチがついていたりした。小学校の図画工作科でずっと使用していた工作機械は、単純明快でマニュアルすらないものも多い。糸鋸ミシンや、卓上ボール盤、「見りゃわかる」ものばかりだ。マニュアルは「あってもなくても同じもの」であったりしたかもしれない。

同居人が唯一、一生懸命入手して読むのは、自動車の整備マニュアルである。さすがにこれは「いじくりまわしてこわす」わけにはいかないのかもしれない。

2013年4月4日木曜日

会話


同居人が同世代の友人と話をしている。還暦もすぎて、悠々自適、な世代、人生はいろいろである。

同居人は先生稼業が長いので、友人というのも同業者が多い。同世代の人が集まると、昔話に花が咲く。
「あー、30年前の、あれねー」
「そうそう、それそれ」
「あのときの、あの先生は、そういえばどうしているだろうねえ」
「えーっと、あの先生だよねえ、えーとえーと」
「あー、小柄な人ですよねー、えーとえーと」
「いや、ちょっと小太りだったよ、えー名前はー、えーとえーと」

会話は代名詞で行われ、接続詞は「えーと」である。

2013年4月2日火曜日

予約


カレンダーは1月が最初なのだが、学校は4月が始まり。だから、4月1日の新聞はエイプリルフールなネタよりも、新年度ネタが多い。たいていは、入社式とか異動とか、といった話である。学校の始まりはあと1週間ほど遅いので、来週くらいは入学式とか始業式が社会面に出てくるわけだ。

小学校にあがって、最初に教科書に出てくるのは「さいた さいた さくらが さいた」だったりなどしたが、いまや卒業式に桜が満開、入学式の頃には葉桜である。
まあでも時期的には、年度始めと花見が重なるので、会社ではイベントとして組まれていることがあるようだ。

美術館の行き帰りは、目黒川にそって歩く。目黒川は、川沿いに桜が植わっていて、花見の季節はとてもにぎわう。通い始めた十数年前、公園内の歩道の反対側は、シートを敷いて、若い数名がたむろしていた。服装から見ると社会人。いわゆる「場所取り」である。桜の季節はまだ少し寒いし、座っていてもやることないから、朝から酒盛りモードだったりすることもあった。風紀上よろしくない。
数年後から、ブルーシートが貼付けられていて、シートの真ん中に「なんとか会社なに部なんとか課」とマジックで大きく書いてあったりした。ほー、今日はなんとか課が花見である。まあ1日中ここで居座る必要はなくなったわけである。
1-2年後は、その下に翌日以降の「日付、時間」が書き込まれるようになった。ご予約である。
その翌年ごろには、その下に「ちがう会社ちがう部ちがう課、日付、時間」を書いた白い紙が貼付けられるようになった。1週間ほどは予約満杯のようである。そのころまで花がもつのかしらん。
人間、いろいろなことを考えるものである。

今年は、と言えば、花が咲くのが予定より早かった。あわてて、夜桜用のぼんぼりが準備されていたりした。地面に予約表は貼られておらず、新入社員を誘っての花見は間に合わなかったのかもしれない。

今日は花散らしの雨である。

2013年3月31日日曜日

精神衛生


こういった各種学校の教室や、美術館のワークショップの現場を見ていると、美術の原点を見ているような気がする。
もちろん、大学の授業や教室の方が、技術的なレベルは高いかもしれない。では学生が「楽しく」やっているかといえば、そうではない学生もときどき見てしまう。

大学に来る学生の場合は、たいていが高校くらいで志望学科や志望校を絞り込んでいたりする。美術学校で実技試験が入学試験にある場合は、特に集中して受験勉強することになる。そうすると、ときどき「オーバーヒート」な状態の新入生になってしまったりする。合格することが彼らの「ゴール」であって、4月からの学生生活にはあまり覇気がなかったりする。
「ほんとはここに入学したくはなかった」という学生さんも、ときどきいる。残念ながら不合格だった人にはとんでもない話だが。いわゆる「滑り止め」であったり、予備校や高校の「ご指導」を鵜呑みにしてしまったタイプである。4月からモラトリアムなタイプである。

いやいや勉強するよりも、楽しく自分が勉強したいことをした方が精神衛生上はるかに良いに決まっている。先の学校の生徒さんたちが構内で楽しそうにスケッチしているのを見るのは、こちらの精神衛生としてもありがたいことである。

2013年3月29日金曜日

区切り


先日は勤務校と同じ法人が経営している美術学校の修了式の撮影だった。

そちらの方は、各種学校で1年単位で修業するカリキュラムになっている。「卒業」が目標ではないので、ある程度の年限内で、自分の目標を立てて、心おきなく「美術する」わけである。
3月終わりの「修了式」も、1年の区切りであるようで、これを限りに学校に来なくなるわけではなく、また4月から心機一転作業開始、の人も多いようである。

大学の教室では、ほとんど同じような年齢の学生が座っていたりするが、そちらの学校の方はかなりバラエティに富んでいる。一般の大学を卒業してから「手に職」タイプの人、子育てが終わって「趣味に充実」路線な人、定年退職後の「人生やりたいことやるんだ」派な人、などいろいろである。教室を覗くと、年齢や背格好からでは、どちらが先生か生徒か分からない。
学生のベースがバラバラだと、教える方は大変だったりするのだろう。しかし、大学生と違って自分のペースで作業しているからなのか、授業風景もすこぶる優雅に見えたりする。

修了式の方も、その意味で言えば、「別れ」とか「卒業」という印象ではなく、どちらかと言えば、フォーマルな「終業式」、といった感じだ。学生数もそれほど多くないので、実にアットホームだ。

2013年3月22日金曜日

遅効性


まあ、こういった修行な課題、というのは、即効性があるわけではなく、社会に出てからじわじわとありがたみが分かるようなものである。
時折、卒業生から「あの時のー」なんていう話題が出たりする。苦労した課題ほど、社会に出てから役立ったりすることがあるわけだ。

学校の課題というのは、こういったものである。

だから、ここ何年か、授業終了時の「学生アンケート」なんていうのが気になったりするわけである。「この授業は、興味が持てましたか」「課題は適切な内容でしたか」「学習の成果が得られましたか」なんていう設問は、授業終了時にはあまり意味がなかったりするのでは、といぶかしむ。大型カメラの新聞複写など、興味が持てて、楽しい課題とは言いがたい。しかも、難問である。
社会に出てから、「やるはめになってしまった」ことで思いがけず役に立ったり、再提出を食らいまくったからこそ社会に出て納得することもあったりするからだ。

習ったことが、すぐに「モノになる」のなら、修行など不要である。

2013年3月21日木曜日

方眼紙


こうした人生修業な作業、というのは、どの専攻にもそれぞれあった。
まあ美大受験で言えば、デッサンとか平面構成なんかもそれに近いものはあるかもしれない。

タイポグラフィーの課題にしても、コンピュータでレイアウトする時代にはそれにふさわしい課題になっていくわけで、今の学生さんにはそれなりの「修練」があったりするのだろう。
写真も、今やデジタル時代で、フィルム現像が上手くなっても、デザイナーさんにとってはあまり役に立つ技術ではなくなってきたかもしれない。
スポーツで言えば、素振りやランニング、にあたる作業であったような気がする。
よその専攻だと、烏口でB3サイズの5mm方眼紙をつくる、というのがあったりした。そりゃあもう、考えるだけで「修行」である。

いくつかの課題は、クリアできる学生が少なくなり、再提出が多くなり、全体の進行に支障が出るようになったり、あるいは担当講師が交代したりして、継続的にやっている課題はあまりないようだ。

ちょっと寂しい気がする。

2013年3月20日水曜日

煮干し


私の頃の「イラストレーション」の課題では、「細密描写」というのがあった。

ねちねちと細かいものを描写する、というものだ。デッサン、とは少し違っていた。
比較的小さなモチーフを、B3くらいに大きく描くのだが、何週間にもわたって見続けるのである。

授業が始まる前に「持参物」という掲示を出す。
「デッサン用の鉛筆、練りゴム、水張りされたB3ケント」
それからモチーフも持参である。
「煮干し、スルメなど、乾物。全体の姿が分かるもの。部分的なもの(干し貝柱、フカヒレ、ジャーキーなど)は不可。4週間以上にわたって変化しないもの」
つまり、4週間以上、同じモチーフを描く、ということである。
ちっこい煮干しをB3で描くのだから、相当拡大して描くことになる。

教室ではちっこい煮干しとにらめっこしている学生がいっぱいいて、来週用に煮干しを布でくるんで壊れないように箱に入れているのであった。

2013年3月19日火曜日

面ポ

もうひとつの「面ポ」というのは、写真の課題で、「面接ポートレート」の略である。

当時、グラフィックの専攻ではグラフィックエレメント、文字や製図、写真や印刷などが必須の授業だった。写真、と言えばアナログな時代であるので、撮影-フィルム現像-引き伸ばし、といった一連の作業をする。写真の作業は、一朝一夕で上手くなるものではなくて、それなりの「修練」が必要だと思われていたのだろう。夏休みの課題は「フィルム100本」である。夏休みはおおよそ2ヶ月、60日で、現像などの暗室作業を考えると、1日2本、週に1日はまとめて現像、というスケジュールになる。

36枚撮りのロールフィルム100本分なのだが、100本「大人買い」をすると高くつく。100フィート巻き、というのを買って、使用済みのパトローネに詰め直して使う。
撮影は段階露光をしたりするので、1カットに3-5枚、サイズやポーズを変えて1人につき2-3ショット、だから1本のフィルムに3-7人前後のポートレートが入る。隠し撮りではなく、目線をもらう、というのが原則である。単純計算しても、日常的に周囲の知人だけではとうてい足りない。人の集まるところへ行って、「すいませーん、お写真撮らせて下さーい」とお願いすることで、数をこなさなくてはならない。おかげで、相当面の皮は厚くなったような気がする。
内気でシャイな人にはあまり向かない課題だったかもしれないし、誰でも努力の結果が見える、というものでもなかったかもしれない。それでも、100本フィルムを現像すれば、それなりに暗室作業は上手くなるものだ。

今となっては、苦労しただけに懐かしかったりするものである。同期の卒業生はよってたかると「あーあーあの課題はー」で盛り上がるのであった。

2013年3月18日月曜日

HAOED


どんな専攻分野やジャンルであっても、そういった「人生修業」みたいな課題はたくさんあった。

私が卒業したところで言えば、「HAOED」と「面ポ」というのがそれで、我々の世代では合い言葉になっていた。簡単なようで、なかなかクリアできない、寄り道や近道がなく、地道な努力を強いられるが、あっさりクリアしてしまう人も時々いる、というような課題である。

「HAOED」というのはタイポグラフィーの課題で、レタリングしたヘルベチカ書体を切り抜いてスペーシング(今コンピュータでレイアウトしていると、カーニングという言葉が同義)する作業である。課題内容はたかがそれだけ、なのだが。今と違ってケント紙に貼付けていたわけだし、レタリングした文字なので各自微妙にスタイルが違っていたのだろう、隣の人と同じ寸法で間をあけても、再提出になったりした。苦労したおかげで、学生がつくったポスターを見ると、ついついスペーシングを眺めてしまう。

人生修業は職業病になる可能性を秘めていた。

2013年3月17日日曜日

新聞


さて、通っている美術館では、写真の展覧会とワークショップを開催中である。

写真、といえばアナログな時代は、光学や化学によって成立する表現である。勘ではなくデータやトレーニングが最終的な仕上がりに影響した。
学校の写真の授業課題と言えば、モデルの撮影会、ではなく、トレーニングがメインな時代があった。

スタジオの壁に先生が新聞の1頁を貼付ける。
4x5のビューカメラで複写である。レンズは開放で、頁の隅から隅までピントを合わせて、フィルム上で文字を読めるようにしなくてはらない。
やったことのある人は分かるだろうが、これはものすごーく慎重で厳密、正確でタイトな作業態度が要求される。1回でクリアできる学生はほとんどおらず、たいていは居残りで新聞の社会面を、うなりながら長時間眺め続けていた。

他にもこの手の課題がいくつかあって、私は密かに「人生修行」と呼んでいた。

課題というのは、面白くはないし、楽しいものではない。卒業して仕事をするようになるとやっとありがたみがわかってくるものだ。

2013年3月15日金曜日

提出


同居人はいくつかの学校で非常勤講師をしている。
学期末の採点結果の報告と、学期前のシラバス提出は、恒例行事である。

以前は手書きの原稿を渡しておしまい、だったのが、通信機器の変化とともに、次第に多様化した。USBフラッシュメモリにデータを入れて書き留め送付、CD-Rにデータを焼いて手渡し、というのが数年前で、最近はインターネット上でデータ入稿、といった案配である。
どの大学も同じシステムを使っている訳ではないので、必要なOSだのブラウザだの、細かく指定される。ログインもパスワードをいくつか要求されたり、そのあげく「ログインできません」というエラーメッセージが無情にも現れる。

同居人は気が短い人なので、あれこれと試行する前に大学の担当者に電話をかける。
「ログインできないんだけど」
先方はシステム管理者なので、キャッシュを捨てろ、再起動しろと、指導する。しかしなぜか同居人のマシンでは上手くログインできない。やりとりすること30分、もう一度トライしてから電話することにした。しかしやはりログインできない。
さて、大学に電話しても誰も出ない。午後5時過ぎ、お勤め人は帰宅時間である。
「そちらの大学のために四苦八苦してるんだけど」

原稿を郵送するだけなら、簡単なのである。
デジタルを使いこなせない人には、とても難しい作業のようで、これだけで1日分のエネルギーを消耗してへとへとになっていた。

2013年3月14日木曜日


新学期が始まる前の準備と言えば、大学側で集める「シラバス」用の原稿書きである。

解説授業科目の内容とか目的とかを集めた冊子を、以前は「授業要録」とか「授業概要」とかというタイトルでまとめていたが、いつの間にか「シラバス」という横文字になった。
これがまた、内容や項目が規定で決まっているらしく、事務方からこんな内容で書いてね、という注文がやってくる。

難しいのは、受講人数や受講者の顔どころか名簿もなしで書かなくてはならないことだ。実習を伴う作業の場合は、学生の性癖とか性向とか、そういったものが授業の進行にかなり影響する。ここまでやろう、とシラバスには書いたものの、学生の段取りが悪く、要領が悪く、覚えも悪く、トラブったり、事故ったりなどして、予定の半分しか進まなかったりする。そうすると、次の授業が遅れ、その次の授業が遅れる。
学生とのやり取りなく、ただ教壇でしゃべる一方という授業なら、シラバス通りに進むのだろうが。

実習は蓋を開けてナンボ、あるいはアドリブで進行する部分が多いからなあ、と考えてみたりもする。

2013年3月13日水曜日

季節


花粉の季節である。

私はものごころついたときからハウスダストのアレルギー性鼻炎なので、年中ティッシュペーパーが必須である。
同居人は典型的な花粉症なので、この季節だけ鼻炎で、しかも症状がひどい。今も目の前で鼻の穴にティッシュを丸めて突っ込んでいる。

外へ出かけると、マスクに花粉よけ眼鏡、といった風体の怪しい人が増える。防御措置なのはよく分かるが、その風体でこちらに向かって挨拶されても、誰が誰やらよく分からない。だからといって「どなたさまでしたっけ?」と聞くことも、はばかられる。

マスクな季節である。

2013年3月12日火曜日

古典技法


写真というメディアがデジタルに移行するにつれ、暗室用の機材もなかなか手に入りにくくなった。もちろん、フィルムや印画紙、現像用のケミカルなどもどんどん商品のラインアップが減ってきた。

ぼちぼち「趣味」ではなくなりつつあり、市場からなくなるのも時間の問題と思わずにはいられない。作業をするには材料を集める工夫と労力が必要になってくるようになる。
生き残る手段とすれば、アートとか工芸とかのジャンルだろうか。早くて数年後、遅くても10年経たないうちに、ケミカルを使用する写真暗室作業は「古典技法」になるのだろう。作業をするために、既成の調合薬品はなくなるから、天秤ばかりでそれぞれの薬剤を調合するところから始めることになるのかもしれない。絵画の「古典技法」を再現することと似たようなものだ。

ただ「便利」ということと、「表現」ということや、「面白さ」ということとはフェーズが違う。確かに、デジタルというのは便利だが、それ以外の価値を認める人がいれば「表現手段」として生き残ることはできるかもしれない。あるいは、写真の原理を知ることは、デジタルの世代にとっても有効だとは思う。

単に「レアでコアな趣味の世界」としてだけ生き残るのが寂しいと感じるのは、アナログ世代だからなのかもしれない。

2013年3月11日月曜日

各自の自由


暗室作業というのは日本全国誰でも同じ作業をしているわけではない。作業者によってずいぶんその方法は違う。暗室で作業する道具、その配置も、人それぞれである。

勤務校には一時期、学内に4カ所から5カ所ほどの写真用の暗室があった。
写真を学ばせる専攻ごとに、それぞれ違う暗室があったわけだ。もちろん教える先生が違うので、道具も設備もみんな違うのである。同じ専攻でも、教える先生が変わるといろいろなものを変えることになる。
学校では何人かが作業するので、手順や方法などの統一が必要だが、個人作業になれば「各自の自由」なので、それぞれ自由にアレンジした道具や空間をつくりだす。世の中の暗室作業のバリエーションはとめどもなく多いわけである。

守るべき事項というのはいくつかあるが、それさえクリアすれば、作業の工夫は自由度が大きい。他人の暗室作業は手伝いにくいし、自分の暗室作業は人に手伝ってもらわないことが前提だったりする。この自由度の範囲の規定と大きさ、というのが、多分今のマニュアル世代には難しいんだろうなあ、と学生の暗室作業を見ているとよく思う。

2013年3月9日土曜日

原則


暗室作業というのは、料理のレシピ作りに似ている。

毎度同じ仕上がりにするために、手順や作業をデータにして自分なりの「基準」をつくる。
気分によって出来上がりがその都度違うようでは、「複製」はできないし、仕上がりのコントロールができないからである。
学生を見ていると、そういった作業が得意なのもいれば、不得意なのもいる。不得意であっても、最終的に「暗室マン」を目指さないのであれば、コントロールの方法が分かればディレクションはできる。

不得意な学生は、あまりマメで几帳面ではなかったり、悪く言えばものぐさ、よく言えば要領よく作業をしたいタイプだったりする。

引き伸ばし作業では印画紙を扱うとき、安全光という赤い電球の下以外では感光してしまう。露光の直前に印画紙を出して、露光が終わったらすぐ現像、という作業を指導する。
ある学生の仕上がりは、なぜか印画紙の周辺が感光して真っ黒くなっていた。製品のパッケージングが甘くなったのかと思ったが、テスト露光をしてもパッケージ内の印画紙は「普通」である。
その学生は、一度に一枚ずつ印画紙を出すのが面倒くさいのだろう、数枚をパッケージから出して引き伸ばし機の下やイーゼルの下の隙間に滑り込ませたりしていた。露光のたびに光が回り込んでかぶっていたのだった。

暗室作業は手順通りにやる、というのが原則である。

2013年3月8日金曜日

差し入れ


記録の仕事をしている美術館のワークショップ、春の講座は「写真」がテーマである。
講座の一つは、「銀塩写真」、モノクロのフィルム現像、コンタクトシート作成、伸ばし、である。
1日4時間×3日間なので、「体験教室」という感じ、である。美術館には暗室がないのでにわか暗室をつくるところからはじまる。
それでも参加者のうち、若い方の人は「物心ついたときからデジタル写真」世代だし、もう少し上の年齢でも「カメラ屋さんにおまかせ同時プリント」な世代である。

デジタル写真、というものに「写真のシステム」が本格的に移行し始めたのが、15年ほど前になるだろうか。それまでは、写真と言えばモノクロ写真、暗室作業はグラフィックデザインをやる人にとっては必須作業だった。
わけも分からず、データ取りと反復練習に励み、夜間の風呂場とトイレを占拠してフィルム現像、押し入れにこもって引き伸ばし、暗い作業である。
冬になると夜中は寒いだろうと家人が石油ストーブを差し入れてくれてしまい、ストーブの火で印画紙がかぶってしまった。ありがたいけど、作業ができないから、石油ストーブはやめてね、と言ったら、次の日はファンヒーターを差し入れてくれてしまい、乾燥のためにぶる下げていた印画紙やフィルムがホコリだらけ傷だらけになってしまったりした。

デジタル世代には笑い話にも思えないかもしれないが、写真というのは面倒くさい作業だったのである。

2013年3月6日水曜日

時刻表


よく使う電車の路線がダイヤ改正である。

地下鉄とつながったのが数年前、今度は地下鉄の先に別の私鉄がつながることになる。
私鉄ー地下鉄ー別の私鉄、という感じで埼玉県から一気に乗り換えなしで一気に横浜、社内は観光客誘致のポスターが並んでいたりする。
首都圏に長年いると、こういった「乗り入れ運転」がよくある。
乗り換えなし一直線、というのは確かに便利である。

妹の婿さんは、建設会社に勤務していて、担当現場に出向くことがよくあった。10年ほど前のことになるだろうか、そのときの現場は三浦海岸だった。妹の家は横浜市郊外なので、横浜駅で乗り換えて現場に出かけるわけだ。三浦海岸駅は京急の終点三崎口の一つ手前、帰りは始発駅に近いこともあって座れることも多かったのだろう。日頃の疲れからか、ついうとうとしてしまったらしい。妹の家に電話がかかったのが、夜中近くで「今成田空港の近くみたいです」。直通運転で、つい寝過ごしてしまったらしい。はるかかなたの駅で、全く知らない駅だったらしい。終電では自宅までたどり着けそうもないので、空港近くのホテルに泊まったそうだ。

最近だと、どこかで遅延が発生すると芋づる式に全部が遅れたり止まったりするようになった。ずいぶん遠くの事故なのに、である。
乗り換えなし一直線は、便利なのか不便なのか、よく分からない。

2013年3月5日火曜日

電話


同居人の趣味の一つにヨットがある。

こういうスポーツは、登山などと同じである意味「危険」なスポーツでもある。卓球場で遭難はしないだろうが、海や山では遭難を想定することがある。よく「乗組員リスト」なんかを作成して、レースの主催者が取りまとめたり、クルージングに行くときは出発地のハーバー管理者に渡したりする。
リストには、名前と住所と電話を書くようになっている。

さて、ここ十数年の携帯電話とスマホなどの普及で、住所と電話を書いて、と言ったら、自分の所有する携帯電話番号を書く人が多くなった。以前は住所の次に書く電話番号はおうちにある電話機の番号だったりしたものである。最近は個人情報保護という意識が大きいのか、留守中が多いのか、携帯電話の番号を書く人が多い。
一人暮らしの学生なら別に不自由はないだろうが、船が遭難した場合、リストを持っているハーバーやレースの主催者が緊急連絡をする。留守家族に連絡するためだ。そのときに電話してかかるのが、当の遭難者の携帯だったりしても意味がない。遭難中である。

固定電話も使用頻度が減ったとはいえ、こういう趣味の同居人を持つと、必須なアイテムである。

2013年3月4日月曜日

帽子


さて、足の次は頭の上である。

高齢者くらいの世代だと、帽子、というのは「洋服」の一部だったりした。背広に帽子をかぶって会社に行くし、女性は服をオーダーするときに共布で帽子をつくる、ということもよくあった。洋服ダンスの上には帽子の丸い箱が積んであったりした。
服装だから、帽子のマナーというのがある。葬式や国歌斉唱、お寺や教会は脱ぐ、女性のつばなし帽子は正装の一部、など、文化や民族宗教によって少しずつ違う。私くらいの世代だと、細かいところまでは分からないが、基本的には室内では脱いでおいた方が無難、くらいを親から教わった。

いまどきの学生さんだと、授業中にも関わらず野球帽をかぶりっぱなし、というのがいる。ずいぶん前のハナシだが、教室内で帽子をかぶっている学生を見たら、その学生が帽子を脱ぐまで授業を始めない、という高齢の先生がいた。帽子をかぶるという場所や機会が少なかったり、家族にそういう習慣がなかったり、中学高校で制帽がなかったりすると、マナーというのがあまり浸透しなくなるんだなあと思った。
20年近く前になるが、野球帽をかぶって授業に出ている学生がいても注意をしない、という先生がいた。そうそうお若い先生でもなかったのだが、気にならないかと、別の機会に聞いたことがある。その先生は、以前講演会で帽子をかぶったまま着席している女性を注意したことがあったそうである。その女性は、がん治療の最中だったのだそうだ。それ以来、着帽をマナー違反だと知ってはいるが、注意できなくなったのだそうである。

野球帽をかぶっている学生はがん治療中ではないだろうが、注意しないことによって、室内で脱帽というマナーを知らないまま卒業していった。

2013年3月1日金曜日

スリッパ


さて、履物つながりである。

今時の子どもというのは、体格がよろしいものである。
数十年前は、私の靴のサイズ、22.5センチというのはほぼスタンダードなサイズだったのだが、今の女性靴のスタンダードはもう少し大きかったりするようだ。ときおり、女子学生で「靴のサイズが大きくてコンプレックスなんですう」というのがいたりする。どのくらいかと聞いてみると、26とか、26.5とかいうサイズである。確かに私の中では「大きい」が、クラスの女子の中には24.5とか25のお嬢さんもよくいて、「そんなことないよお」と言われていた。
女子だといくら大きくてもこのくらいなのだが、男子だと28とか29とか、想像だにしない大きさの学生がいたりする。

私の授業では、教室でスリッパに履き替えてもらう。廊下に下足箱があり、そこに自分の靴を入れるのである。
昨年あたりから、靴が大きすぎて、下足箱の扉が閉まらない、という学生が出現した。まあこれは、下足箱の上にのっけときなさい、で何とかなる。
困るのは学校が用意しているスリッパである。いわゆる「普通のビニールスリッパ」である。サイズは大人用ワンサイズ。22.5の私も、29センチの男子学生も、同じサイズのスリッパを履くわけである。

「すみません」。
大足の男子がやってくる。何かと思えば、
「スリッパが壊れました」。
脇の部分がぱっくりとわれている。彼の足では小さすぎたのか。ま、いいよいいよと、その場はおさめたが、数週間後、再び件の学生がやってくる。
「すみません」。
何かと思えば、また壊したらしい。スリッパは共同で使用しているので、常に彼が同じものを使っているとは限らないのだが。

新学期の準備の指示をする時期になると、スリッパ特大サイズというのを発注しようか、学生各自持参にするか、と助手さんと悩むのである。

2013年2月27日水曜日


さて、美術の分野の中には、危険な作業が含まれるものがあったりする。

木工や金工の工房はもちろん、刃物や工作機械がずらりと並んでいる。最初に教わるのは「応急処置」で、事故があったときの対処方法である。怪我をして使い方を覚えていたのでは、身体がいくつあってももたないような機械である。
彫刻の工房も、粘土を扱うくらいなら怪我はないかもしれないが、木彫をやれば小さければ鑿、大きければチェーンソー、金属を扱えばガスバーナーを使って溶接をする。

彫刻の先生で、石で大きなものをつくる人がいた。そのときに制作していたのは「靴」である。学校の工房で作業をしていて、けっこうな大きさだった。学生は密かにそれを「ガリバーの靴」と名付けていた。
作品完成後、展覧会に搬入するために、「靴」はリフターで持ち上げられ移動することになった。途中、「靴」がリフターから落ちてしまった。作品は無事だったが、先生の足が「靴」の下にあって怪我をしてしまったそうである。靴に踏まれてしまったのだった。

美術も危険な作業を伴うことがあるので、先生であっても要注意、というのが基本である。

2013年2月26日火曜日

先手


そうやって、先手をとってあれこれ教え込む、というのは良いことなのかと、ときどき考えることがある。

カッターとかはさみなどの文房具でも、痛い思いをして使い方を覚える子どももいる。ただし、危険な電動工具などを扱う場合はかなり厳密に操作を教え、禁止事項を遵守させないと、大怪我をするが。

私が教えているのは、映像制作の分野だが、個人制作を実習の課題にしている。基本的に自分の身の回りの物を利用して、身の丈でつくる、という作業である。
まあ写真とか映像とかという表現ジャンルでは、よっぽどのことがなければ「命に関わる」ような作業はない、のが普通である。機械は壊れるかもしれないが、本人ごと壊れることはあまりない。
授業のスタンスとしては、つくってみる、失敗してみる、学んでいく、という方向をとっている。先手を取り、手を取り足を取り教えても、経験値になっていかないからだ。
手取り足取り方式では、当面見栄えの良い作品はできるかもしれない。しかし、将来自主制作や卒業制作をするときには、教員がべったりと四六時中つきあうわけではない。一人になったときにどうやって問題解決するか、ということは、「失敗した数」がものを言うことがある。だから、失敗した後は、なぜまずかったのかを考え、解決策を考えておくこと、できればリベンジにチャレンジすることを指導する。

ただ、ここ数年気になっているのは、つくるまえに学生がいろいろと聞きにくることだ。以前の参考作品を見たい、あるいは、どうすれば評価の高い作品になるのか、といったことである。
たかが課題なので、せいぜい好きにすればいいのに、と思うのだが、当の学生は真剣である。「良いもの」は自分にとって「良い」のではなく、採点者にとって「良い」ものである。あるいは、作品制作において失敗をしてはならない、と刷り込まれているようだ。作品をつくるために、もがいたりあがいたりすることは、彼らの辞書にはない。最短距離で高評価を得ることが目的のようだ。
「学ぶ」ということが、違う意味になっているような気がする。

大人が、失敗をさせないためにいろいろと先手で教え込むことは、当面は良いことのように見えるが、実は当面だけ良いのであり、将来的にも良い、というわけではないような気がする。

2013年2月25日月曜日

往復


今日の大学生はとても忙しい、とよく言われる。
翻って自分の学生時代は、と言えば、「そうだったかなあ」という印象が大きい。忙しい、という元学生に限って、勉強よりも飲み会とナンパが忙しかったりしたものである。
忙しい、と思う前に楽しかったからかもしれない。

勤務校で言えば、学校と近所に借りたアパートとの往復、美術館や博物館へも行かない、映画も行かない、といった「通学オンリー」な学生が増えたような気がする。
だから、アルバイト命、な学生も減ったような印象がある。美術学校は授業料以外にも金がかかるので、我々の世代はせっせと制作費を稼いだ。最近は「親のすね」な学生が増えたのか、アルバイトに行くか授業に来るかと、学生を説得する機会も減ったような気がする。

学生はアルバイトで社会勉強をしたりしたものだったが、その機会が減ってきたということなのだろう。就職活動が始まる頃になると、就職課がいろいろと手取り足取り教える講習会の告知があちこちに貼られている。卒業生への問い合わせの方法やら、面談の予行演習やら、応募書類の書き方やら、いろいろである。そんなことは自分で調べたり、あたって砕けて学ぶものだろうと思うのだが、最近は手回しよく予習をさせて失敗させない、というのが世間の方針らしい。

だから、失敗を知らず、打たれ弱い子どもが増えるわけだ。