動画であれ静止画であれ、撮影するときには、まずどうやって撮ろうかということを考える。しょせんレンズと機械である。結局人間の視野や視界と同じように撮影はできない。
動画では前後の関係で選ぶ構図が決まってしまうことがある。撮影者の「好み」とか「感性」とか「センス」だけでは、数多いショットが積み重ねられていかないからだ。
まずカメラを渡して撮影してもらうと、初心者は編集を考えないで撮影することが多い。1カットの中に、すべての要素を詰め込もうとする。たとえば、シーンの状況やキャラクターの設定、これまでの展開など、てんこ盛りである。だから、フレーミングは二の次で、とにかく全部が一望できるような構図を選びがちである。ニーサイズや、ルーズなミディアムサイズで、役者がフレームインして、アクションする。アクションが終わるまで同じサイズで、カットを割らない。しかも役者のアクション以上の「意味」を盛り込む。例えば人物の性格や背景、心持ちや感情の「向かう先」であったりする。「俯き加減で歩く」のは「性格が暗い」けど、「ちょっと上目に前方を見る」のは「未来に希望を望んでいる」といったことだ。うーむ、気持ちは分かるのだが、1カットだけでそこまではちょっと無理。
動きを見せるために撮影したり、ある一連のアクションを見せる場合、それを1カットで納めようとするのは、人の本質的なものかもしれない。ジョルジュ・メリエスのフィルムとの相似点を見ているような気がする。
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