2012年6月30日土曜日

ママチャリ


本格的なロードでなくても、貧乏学生の交通手段はセコハンのママチャリというのが定番である。
先輩からもらったり、買い受けたり、というケースもあるが、たいてい学校の近くの自転車屋には「中古 3000円」などという紙が貼ってあるのが並んでいたりする。

研究室に勤務していた頃、別の研究室の助手が行方不明になったことがあった。
ある日助手が無断欠勤した。1-2日なら、まあ具合が悪くてアパートで寝ているのかもと、鷹揚なのが美術学校の常である。しかし2-3日しても本人の連絡はない。無断欠勤の初日の朝、普段通り、自分のアパートからママチャリで学校へ向かったのを、近所の人が見ていたりした。しかし学校には着いていない。交通事故かもと、学校はあちこちに連絡したり、通学途中で行き倒れか誘拐事件かと、ひととき学内で噂になった。警察へ手配したり、ご家族が上京してきたりと、しばらく当該の研究室は忙しかった。彼の担当していた学年も、しばらくは落ち着かない日々を過ごしていたようだった。
結局数ヶ月しても、本人の音沙汰はなく、何となく休職扱いになり、年度が替わって、空席に新しい助手が着任した。
その後残った彼の在任期間中は、どうしたのだろうかねえ、と、時折話に出るくらいになった。

日々の忙しいことにかまけている間に、それとなく彼の痕跡は学内から消えていくようだった。

2012年6月29日金曜日

すね


10年以上も前の学生なのだが、自転車少年がいた。

ある朝早くに学校へ行ったら、ある男子学生が、ロードレース風のなりをして、廊下を歩いていた。ヘルメット、ぴっちりしたシャツに短パン、自転車靴。クリートカバーを忘れたのか、爪先でカッチャカッチャと音をさせて歩いている。
あまりにも美術大学にそぐわない風景なので、思わず「おおっ」と叫んだら、相手の男子学生もこっちに気付いて、えへへ、と笑った。話を聞いたら、ここ数ヶ月はそのなりで実家のある川崎から自転車通学なのだそうである。1時間半は走るので、たいてい早く来て、体育館でシャワー、着替え、授業、という作戦であるらしい。

本格的だねえ、と言ったら、にこにこ顔で「そうなんですよお。ほら」。
と、「本格的に」すね毛まで剃っていることを自慢してくれたのであった。

2012年6月28日木曜日

遅延証明書


授業に遅刻した場合、交通機関の遅延であれば証明書を持って来てね、というのが私の授業のお約束である。

高校までに電車通学の経験がないと、遅延証明書のもらい方が分からない、という場合がある。だから遅れた電車を降りた駅で証明書をもらいなさい、などと、交通機関の使い方まで教えることになる。
JRから私鉄に乗り換えてくる場合、遅れたのはJRだけなら、遅延証明書はJRで発行するので、私鉄では遅延証明書は出してくれない。もちろんバスは交通事情から言って定刻通りというのは請け合わないから、遅延証明書は発行しない。
にも関わらず、新学期開始後2ヶ月経っても、「バスは遅延証明書を発行してくれないんでしょうか」と私に聞く猛者もいる。
昨日の猛者は、「JRが遅れました。私鉄に乗り換えて、そこの駅からバスを使ったんですが、バスの運転手がJRの遅延証明書を出してくれなくて」。

東京の交通事情に相当不案内なのか、交通機関は全部同じ経営だと思っているのだろうか。決して海外留学生というわけではないし、首都圏の出身者であったりするのだが。

2012年6月27日水曜日

根回し


4年生で選択した授業は、自宅作業ではなく工房作業が多かった。機材は工房にあるわけだから、自然と学内にいることになる。当時はロックアウトと言って、夜8時半には構内の電気が強制的に切れる。だから、作業は8時半には終了しなくてはならない。逆算して朝は9時前にやってきて、工房の解錠を待つようになる。

のべつ学内でうろうろしていると、たいてい朝早い当番の守衛のオジサンと、授業開始前に校内清掃をしているお掃除のオバサンと顔見知りになる。そのうち、顔パス、今日も大変だねえ、オバサンもお疲れさまでーす、などと声をかけるようになる。

卒業してすぐに研究室に勤務するようになったので、やはり朝は早くから、夜はロックアウトまで学生さんの作業につきあう羽目になった。守衛のオジサンには、勤務することになったのでよろしくお願いします、みたいな挨拶回りが定番である。
6月になったある日、廊下で出会ったお掃除のオバサンに、「今年も大変ねえ」と言われた。あまり何も考えずに、「今年も頑張りまーす」などと返事をしていた。
翌年の5月頃になった頃だろうか、やはりお掃除のオバサンに「今年も大変ねえ」と声をかけられた。その時もあまり何も考えずに「今年も頑張りまーす」などと返事をした。翌週同じオバサンに「ホントに今年こそ頑張って卒業してね」と声をかけられた。

しかし思い返してみると、お掃除のオバサンたちには、ご挨拶回りなど「根回し」はなかったのである。
きっと留年していたと思われていたのだろう。
翌年、同じオバサンには合わなかったので、清掃会社の配属替えとか勤務時間の変更などがあったのだろう。誤解を解く機会がなかったのが残念ではあった。

2012年6月25日月曜日

ハク


私が学生の頃は、留年している学生が今と比べると多かったような気がする。

1クラス40名弱くらいなのだが、2年生に上がれないのが4-5名と1割くらい、同時に2年生に上がると3年生に上がれなかった学生が数名残っていた。
実習中心でカリキュラムを組んでいる学校なので実習の単位取得が少なければ、学年を上がることは出来ない。3年くらいになると、落ちてきた人、落ちた人なども入り乱れ、4年の卒業時は一緒のクラスなのにあまり顔を知らない人もいたりする。入学時には一緒だったのに、卒業時には2学年くらい学年が下がっていたりする。
もちろん家庭の事情なんかもあったのだろうが、計画的に留年している強者もいた。卒業自体が「ハク」になるわけでもない業界なら、スキルをみっちりつけて、さっさと社会人、というのも選択肢の1つである。

翻って、現在は留年する学生がとても少なくなった。留年が多いと、学校経営上よろしくないのかもしれないが、とにかく研究室のスタッフが、こまめに学生のお尻をたたいている。
一方の学生の方も、しっかり出席して課題をこなす、そつのないのが多くなったような気がする。出席はしているのだが、授業中は寝てるし、実習に集中しているわけでもなく、グループワークでは他人の足をひっぱりまくる。しかし「出席は足りているでしょうか」「単位は大丈夫でしょうか」「優が欲しいんですが、どうすればいいでしょうか」などということは質問しに来る。単位のために授業に来ているのかと思わず問い返したくなることすらある。

単位が取れたからと言って、ご立派なアーティストになれるわけではない、と思うんだけれどねえ。

2012年6月23日土曜日

本質


ことほどさように、技術や文化、ハードウェアの切り替わり、というのは、その本質ではなく、利用者のニーズに依るところが大きいものである。

インターネットも、サービス開始から遍く普及していたわけではない。何かきっかけかと言えば、今でも時折「不正請求」の名前でニュースに出てくる「アダルトサイト」が出始めた頃ではなかったかという気がする。

結局のところ、「ピンク」なものは、不要不急であるが、潜在的なニーズがある。
レンタルビデオ以降、それは「個人」が「個室」で楽しむものになり、他者と共有するものではなくなった。
街にあった映画館や、ポルノ専門の上映館がなくなった。しかしだからといって、ニーズがないわけではない。どのような手段で個人にピンポイントに届けられるか、ということだったのである。

その手の情報を得るために、出費と努力を惜しまない人が多い。機械の規格は変わっていくのだが、人間の本質は変わらないと言うことだろう。

2012年6月22日金曜日

規格


映像系の作業をしていると、どうしても「機械」とつきあうことになる。
学生の頃は、動画、と言えばフィルムだったのだが、それがビデオになり、デジタルビデオになった。

最初に買ったビデオデッキはベータという規格のカセットを使用しているもので、ソニーのもの、当時は据え置きで、リモコンがケーブルで繋がっていたりした。メーカーの想定する主たる使用目的は「エアチェック」、つまり放送されている番組の録画である。
ほどなく、他のメーカーからVHSという規格のカセットを使う機械が販売された。ソニーとは違って国民的大メーカー、当然のように機械の値段を安くして「ぶつけて」くる。
その後数年は、一般家庭のシェアが次第に「安い機械」に食われつつあったが、ベータも音質や画質の良さでなかなかシェアがゼロにはならない。

一気に崩れたのが「レンタルビデオ」という商売の台頭である。
映画をビデオに収めたものを、一泊いくらで貸すもので、当初は同じタイトルの映画がベータとVHSで棚に並べられていた。大人が考えることは、まあどこでも誰でも同じようなもので、映画を家に持って帰れるのなら、ひとりでこっそり「ピンク映画」、である。こちらはなぜか圧倒的にVHSテープの使用が多かった。商売としてはハードの価格が安い方が、総体としての出費削減、売り上げ倍増である。レンタルにしろ、セル(販売される)にしろ、エッチなものを見るのは「VHS」でなければならない。見るためにはVHSのデッキを購入しなくてはならない。
というわけで、あっという間に世間はVHSビデオ一辺倒になってしまったのである。

同じ幅の磁気テープを使用しているのだが、パテント料を払いたくなくて新しい規格を作り出す、というのが、オーディオ、ビデオ関連メーカーの常である。それが普及するためには、何らかのニーズがいる。娯楽やエンターテインメントの業界では、それは文化や伝統、品質とかクオリティ、オリジナリティではなく、「ピンク」なもの、だったりするのである。

2012年6月21日木曜日

お知らせ


ちょいと郊外の小さな市に引っ越すと、都心とは違う環境なことがいくつかある。そのうちのひとつが「防災無線」というものだ。
昼間、家で授業の準備をしていると、突如どこからか拡声器で声が聞こえてくる。
「本日、午前10時、光化学スモッグ注意報が発令されました」。

何だろうと思い、注意して市内を歩いていたりすると、拡声器の設置された鉄塔が何カ所かにあることに気付く。
「ただいまの放送は新座市役所からのお知らせでした」。
ということで、市役所が拡声器で放送しているようである。東京の都心ではないことである。
もっと地方へ行くと、各戸に有線放送のスピーカーが配付されたりしているのだが、現在の居住地では間延びしたアナウンスの「無線」である。

そんな防災無線だが、一番多い放送内容は「迷い人のお知らせ」である。
「本日、午後2時頃、年齢は76歳、男性が迷い人になりました。特徴は 身長は160センチくらい、大柄で白髪交じりの短髪。服装は桃色の防水ウェア、黒色ズボン、サンダルを着用しています。お見かけの方は警察署まで至急ご連絡をお願いします。ただいまの放送は新座市役所からのお知らせでした」。
防災ではなく、捜索無線である。
高齢化社会を反映してか、迷子ではなく迷い人なのである。しかも週に数回は放送される。

一応、「防災」なので、耳を澄ますが、「迷い人」なので話半分で聞く癖がついてしまった。本来の目的で使われたときに困るなあ、と思ったりする。
しかしまともに聞いていると、160センチくらいの大柄って、どういう体型だろうかと考えてしまう。ビヤ樽体型ってことなんだろうか。

2012年6月18日月曜日

不安


映像系の実習ではグループやチームで作業をすることが多い。なぜかというと、一人では手が足りないとか、目が届かないとか、そういった物理的な理由である。つまり作業の内容を見ながら、仕事を適宜分担することで、スムーズに作業が進む、はずなのである。

ビデオで撮影作業だと、カメラをのぞいて撮影する人以外に、カチンコや役者への伝達などするアシスタントの人、後ろから車や自転車が来ないか見張る人、通りがかりの人を止めたり通したりする交通整理など、いろいろ細かい作業がある。当然、カメラマンはファインダーだけをのぞいているので、後ろから自転車がやってきてもわからないし、突然通行人がレンズの前を横切ってNGを連発する羽目になる。カメラマンだけが撮影をしているわけではない、のである。

にもかかわらず、学生さんの作業を見ていると、「全員カメラマン」状態になっていることがある。役者以外が小さなカメラのモニターに群がっている。誰も、後ろから来る人間に気を遣わない。学内だとむしろ通行人の方が気を遣っていて、掃除のオジサンがほうきを抱えて「通ってください」と言われるのを待っていたりする。
全員カメラマンになる必要はないよと注意しておくと、カメラマン以外はそばのベンチでぼーっとしていたり、スマホをいじっていたりする。下手をするとちょっと離れたところで、おやつを食べていたりする。

数年前から、こういった「ぼー」状態の学生さんが増えた。いや10年以上前から、「指示待ち症候群」というタイプの学生は多かった。以前は「何をすればいいのかなー」という顔をしていたのだが、最近は「ぼー」である。
カメラマンの気持ちになって、本人の出来ない仕事を手伝うように、と注意するのだが、「人の気持ちになる」こと自体が難しくなっているのかもしれない。おうちで日曜大工や料理のお手伝いをしたり、年寄りとつきあった経験がないのだろう。やはり「おこ様」は家庭の中では「偉い」ので、人を気遣うこともないのかもしれない。

撮影現場で「ぼー」としている学生を眺めていると、なぜか「老後の不安」というコトバが脳裏をよぎる今日この頃である。

2012年6月17日日曜日

デッサン力

水平垂直と言われたのが何となく頭の片隅に残っていたりしたのだが、考えてみると私の時分、デザインとは手作業であった。
烏口やロットリングでコンマ1ミリの30センチの墨線を数ミリ間隔でストライプにするとか、ケント紙を30センチ長さ数ミリ幅で切り刻むとか、印画紙の表層の部分だけ数ミリ四方ではぎ取るとか、コンピュータでDTP作業をやる現在では信じられないような「修業」があったのである。
まあデッサンも「美術修業」のうちなので、まあ黙々と描くしかない。これが将来何の役に立つかなど思いもしなかったのだが、意外に便利なのである。

例えば、ギャラリーの展示である。
同居人が、額縁を吊す。あちらは「よしオッケー」な顔をしているが、こちらは何かむずがゆく感じていたりする。メジャーを持って来てはかってもらうと、額縁の左右の高さがコンマ5センチほど違っていたりすることがよくある。水平定規やメジャーを出す前に、あらかたの作業の目処はつけられる。正確に作業を終了するために、最終的には必要ではあるが。

例えば、ケーキの分割である。
仲間内で大きなケーキを切り分けるときに、人数分平等に分割しなくてはならない。ロールケーキ5等分とか、ショートケーキ7等分なんかの分割は、特に微妙なので要注意である。これが平等に分けられるのが「デッサン力」の見せ所だったりする。私自身はあまりデッサンの出来がよろしい方ではなかったので、平等に切り分けられる自信がいつもある、というわけではないが。

人生修業は、いつ、何の役に立つか分からないものなのである。

2012年6月16日土曜日

垂直

研究室に勤務していた頃、先生の机を拭いて、先生宛の郵便物を揃えて机の上に並べておくのが、朝の行事であった。
主任教授はもちろんデザイナーさんなので、室内にはポスターが飾ってあり、机の上の小物はしゃれたものが多かった。

ある朝、出校した主任教授が机の上を見るなり、今日の当番が誰か、と言われた。何か粗相があったのかと見に行くと、机の上のものが並んでいない、と言われる。それなりに並んでいるようではあるが、先生にとっては机の上に水平垂直をきちんと合わせておくことが「並んでいる」ということなのであった。その日の当番は、机の上を拭いて、郵便物など「適当」に置いたらしい。斜めになっていた。
その日の当番には、口うるさい親父に見えたのかもしれない。しかし、それなりに年季の入ったオジサンから言われると何となく説得力があった。

その日の先生のお小言は、デザイナーであれば、水平垂直を常に考えなくてはならない、というものであった。その時分は、版下作業というものがあり、写植や図版を台紙に貼り込むのがデザイナーさんのお仕事でもあった。写植を斜めに貼ったりしてはならないのである。

2012年6月15日金曜日

傾き加減

デッサンをしていると培われる、と言われているのが、構図やフレーミングのセンス、光と影のバランス感覚、なんかである。石膏デッサンでは、当然すぎることであまり言われないが、静物デッサンだと静物が台の上に鎮座ましましているか、などということを細かく注意される。りんごが机にめり込んでいたり、皿に埋まったように見えてはいけないのである。もちろん、リンゴを置いてあるので、机の天板は水平であることは暗黙の了解事項である。天板を斜めに描いてしまうと、リンゴは転げ落ちてしまうからである。

ところが、ビデオカメラで撮影する初心者は水平垂直に対してかなり無頓着である。デッサンを勉強していた学生でも、平気でピサの斜塔よりも斜めな室内といった風情の絵を撮影してくる。
「なんでこんなに床が斜めなのか」と学生に問うてみると、
「不安な気持ちを表してみました」という返事だったりする。
確かに、床が斜めなのは平衡感覚には悪いかもしれない。
「いえ、主人公が将来について不安に思っているんです」。

うーむ、過去について不安があると、床が垂直になるのだろうか。

2012年6月14日木曜日

美術室

たいてい高校の美術室には石膏像が並んでいたりする。卒業アルバムなんかで見る美術部の活動と言えば、定番は石膏デッサンをしている写真である。

石膏像にもいろいろとグレードがあって、値段は同じではない。同じ像であっても製造しているメーカーによって値段が違っていたりする。同じメーカーでも型がくたびれてくると、エッジが甘いのが出来上がり、それは多少安くなるのである。
大学受験の勉強で描かされる石膏像は、胸像より大きいものが多いので、それなりなお値段になる。インテリアにするにはちょいと大きなサイズでもある。たいていの学生にとっては高額なので、自分で購入など思いもよらない。しかも、受験用にはさまざまな像を「練習」しておかなくてはならない。であるから、予備校でひたすらさまざまな像をデッサンする。

同居人は、美術を通信教育で習っていたので、そこそこデッサンには苦労をしたらしい。初めて家に行ったときは、本棚の上にどーんと、エッジの甘い「あばたのビーナス」が鎮座ましましていた。どうもその頃、通信教育の講座の方針で、首像を買わせて、自宅で何枚も描かせていたようである。うーむ、首と言えども実物大、人間の首よりも大きいし、台座もある。しかし、通信教育を終了しても毎日あばたのビーナスを描くか、と言えばそうでもないご様子。

結局、同居人の引っ越しをきっかけに、知り合いの勤務する学校の美術室にビーナスさんもお引っ越しいただいた。
こういうわけで、同居人の石膏は、美術室に並ぶことになったのであった。

2012年6月13日水曜日

品切れ中

美術学校を受験するためには、デッサンが必須だった。木炭や鉛筆でひがな石膏像を黙々と描くのが「おきまり」である。定番はアグリッパとかパジャントとかモリエールとかミケランジェロとかマルスとかラオコーンとか、その他いろいろである。
受験する大学にしかない石膏像というのがあって、それが試験に出る可能性が高いというガセネタが伝わり、ひところやけに「馬頭」ばっかり描いていた時期があった。

受験予備校に置いてある石膏像はそれなりに気をつかって保存してあった。埃をかぶらないように、日頃はビニール袋がかかっていて、素手で触ることは厳禁だった。描いていると、ついでこぼこを感触で確かめたくなったりするのだが、予備校のデッサンは「目だけで描け」というのが合い言葉でもあった。
高校の美術室にあるのは、そんなに管理が厳重ではない。先生のいないときにそーっとプル-タスの肩などなでたりした。

美術学校に行けば石膏は教材室にごろごろ、美術資料図書館のエントランスにはやたら大きな石膏像がごろごろ、もう描き放題である。専攻はデザインだったので、入学後は石膏デッサンとは縁遠くなってしまったが。

ある日、学校の画材屋の店先に「ガチャガチャ」が設置された。
カプセルに入っているのは石膏像のミニチュアである。ヘルメス、メヂチ、アリアス、セントジョセフ、ジョルジョなんかである。おおっと思ってウケルのは、美大受験石膏像デッサン出身者だけなのでは、と思うし、受験デッサントラウマでそんなものもう見たくない、という学生が多いのではと思ったが、杞憂であった。

それなりに売れ行きがいいらしく「品切れ中」が多いのである。

2012年6月12日火曜日

日本画をやっているアトリエは、板張りか畳敷き、膠を扱うので電気コンロと、保管用の冷蔵庫が必須である。
こういう道具が揃っていれば、人間やることは決まっていて、何かとかこつけてメシを作る。

違う学校だが日本画専攻の友人は、鍋料理が定番だったそうである。牡蠣と味噌で土手鍋を、師匠と囲んで美術談義である。
染色をやっている工房は、お湯を使ったり煮たりするので、大きなガスコンロと寸胴鍋が工房の備品である。年末の締めに、大きな寸胴鍋でおしるこ(染色用ではなく、しるこ用の鍋が別に保管してあるらしい)を煮るそうである。
陶磁の工房も、窯に火を入れるときは、徹夜になることがある。まあ非常時の待機だから、作業的にやることはあまりない。だからやることは決まっていて、待機している研究室で飲み食いである。
そんな火をあつかう工芸学科総出の「鞴(ふいご)祭り」というイベントでは、ここ数年子豚の丸焼きが定番だという。学生と話していると、鞴の意味は分からないが、丸焼きと言えばあのイベントと思い出す。
もうすでに、料理がメインである。

同じ釜のメシ、と言うが、美術学校では同じ鍋、だったりするのである。

2012年6月11日月曜日

リターン・キー

私の両親の場合は、「つくる」ものは「手にとって触れる」以上に「使える」ものの方がありがたい、という認識があって、デザインだの映像だのといった作業をしていると、母親にはよく「使えるものはつくらないのねえ」と言われた。母親にとって、テキスタイルとか陶磁などの工房の作品は生活に「使える」ものだが、デザインの授業のプレゼンや写真の引き伸ばしは、生活には「使えない」のである。
まあ、そうは言っても、好きでやっている作業なのだから、インクまみれだろうが、酢酸くさくなろうが、なりふりかまわなくなろうが、作業はする。
学生にとっては、「仕事の証明」でもあるし、みんなでよれよれしていれば怖くない、という状況にもなる。
そんなこともあって、なりを見れば専攻分野のだいたいのアタリがついた。

翻って今日、学生さんのなりは、均質化してきれいになった。汚れているわけではないから、それだけでは専攻分野があまり分からなくなった。肉体労働系の作業が少なくなったということでもあるのだろう。彫刻の学生だって、コンピュータで3次元のオブジェをつくってプレゼン、という時代である。彼らにとって「つくる」とは、コンピュータのリターン・キーを押すことだったりする。指先を染料で染めたり、絆創膏だらけになったり、薬品臭が髪から抜けない、などという状況は、別世界の出来事なのかもしれない。

現実的にはそういう社会になっていくのかもしれないが、それで忘れてしまうものは何もないのだろうかと、時々不安になることがある。

2012年6月10日日曜日

手の中

通っている大学では、3年次の転科編入制度、というのがある。2年次を終わった時点で、違う学科の3年生に編入できる。だから、極端な例で言えば、油絵学科に入学したが、卒業時は彫刻学科、というケースになる。
じゃあ彫刻学科の2年次までの授業はどうなる、といった論議はあるにせよ、最短経路で進路変更が出来る、というのは、学生にとってはありがたいことだったりする。身も蓋もない言い方をすれば、「とりあえず入ってしまえばこっちのもの」といったところである。

担当していた映像系の学生で、3年次に工芸デザインに転科を希望した学生がいた。そこそこセンスのいい学生で、将来有望と見なされていたので、何人かの先生は少しびっくりしたことがあった。まあ、本人がそういうのだから、それが一番いいことにちがいない。転科の理由は何か、と聞いたときに返ってきた答えは、「手の中に入るもの、自分の手で触れるものをつくりたい」だった。

映像や写真の作業では、常に相手は「虚像」である。触れるもの、手の中に入るもの、手触りのあるもの、には決してならない。

彼にとって「つくる」ということの意識の中に、「手」というものがあるんだなあと、再認識したことがあった。

2012年6月9日土曜日

指先

勤務していた研究室には印刷工房があって、卒業制作になると活版やリトグラフ、シルクスクリーンなど版画の制作がよく行われていた。

使っているのが油性のインクなので、ちょっとやそっとではなかなか落ちない。胴体の方はつなぎを着たり、髪はバンダナでまとめたりするのだが、ゴム手袋で版を触るわけにはいかない。素手で作業をするので、爪の間にまでインクが入り込み、こびりつく。工房にはピンク色の強力な工業用石けんが常備されているのだが、易々とは落ちない。無理矢理、洗おうとすれば油落ちがいいだけに手荒れでぼろぼろ、結局作業期間中は真っ黒い指先で過ごすことになる。
クラスのアイドルとおぼしき、可憐な女子学生だったりするのだが、指先だけはインクで真っ黒、などという状態になる。
もちろん、染色の専攻であれば指先は虹色、写真であれば指先は真っ黄色で何となく酢酸くさい、という状態だし、油絵の学生なら全身から使っている油の匂いがするし、日本画の学生なら何となく生臭い(これは膠)、陶磁の専攻なら何となく土埃な匂い。これでは他の大学の男子と合コンなんか出来ないよねえ、というのが4年生後半の女子の合い言葉だったりした。

美術学校で、「つくる」ことと、汚れたり臭かったりすることは、ある程度同じことだったりした。「つくる」ことは肉体労働、ということだったのである。

2012年6月8日金曜日

ぼーぼー

きょうび、キャンパスを歩いていると、昔と違ってこぎれいになったなあと思う。

オープンキャンバスに向けて学内清掃に力が入る。相前後して、植木屋が手入れに毎日のようにやってくる。
構内は広いというわけではないが、まあそれなりに植え込みなんかがあって、植木などある。キャンパスが出来て40年ほど、それなりに木は大きくなっているから、庭木のお手入れ、といったグレードではない。クレーンやらはしご車みたいなものまでやってくる。高所作業車で、3階にも届こうかという松の木の枯れ葉を丁寧に、数日かけてむしっているオジサンもいる。
どのくらいコストがかかっているのかは分からないが、おかげでキャンパス内は草ぼーぼー、という様相にはならない。

そんなことを考えながら、たまによその国立系の大学構内を歩くと、ひたすら草ぼーぼーで怪しげなエリアがあったりして、「歴史」も感じてしまったりする。喩えるなら、身なりに気を遣わないガリ勉君という風情である。
ずいぶん以前に、東大医学部あたりで白骨死体を発見、というニュースがあった。病院の患者さんが行き倒れた、ということだったが、白骨化するまで気付かれないところがすごい。構内が果てしなく広いのか、と言えばそうではないので、草ぼーぼーで気付かれなかった、植木屋も清掃業者もそこには立ち入らなかった、ということでは、と勘ぐりたくなる。

学内清掃にいそしんでいる業者さんと植木屋さんを眺めながら、ここでは白骨化する前に見つけてくれるに違いないと安心してみたりもする。

2012年6月7日木曜日

好感度

きょうび、キャンパスを歩いていると、昔と違って「普通の大学」っぽい感じだなあと思うようになった。

私が入学した頃は学内に立て看板がごろごろ、あちこちに自転車がランダムに駐輪して、ロッカーの上には彫塑の課題の木彫りの足首、階段の裏の薄暗がりにはこれまた彫塑の課題のコンクリのシイタケ、廊下には作品の巨大パネルが立てかけてあったが埃まみれで何年ここにあるのかという風情、壁には所狭しとサークル勧誘、上映会、コンパ、ゼミ勧誘、などなどのビラが貼ってあった。トイレは言わずとしれた「落書き」にサークル勧誘のビラ、用を足すのか落書きを眺めるために入るのか、といった個室もあった。学内は、ひっくりかえしたおもちゃ箱のようなところだった。

消防のご指導もあるのだろうが、今や立て看板はなし、ビラも指定掲示板があり、ロッカー周辺に荷物の散乱はなし、廊下におきっぱなしの作品はなし、トイレはきれいになり洋式温水洗浄機能付きで殺菌消毒用の薬品常備、壁はタイルだから落書きしにくいし、自転車は指定駐輪場以外の駐輪は禁止。なんともこぎれいな環境である。
それに輪をかけているのが、オープンキャンパスというイベントで、受験予定者や関係者、もちろんご父兄ご家族が自由に学内の授業を見られるという販促活動である。それに向けて学内清掃業者は力を入れて清掃しているのだが、「保護者対策」に感じることもある。つまり、きれいなキャンパスはご父兄の好感度が高く、特にトイレの衛生陶器と機器の充実度、それに清潔度はお母様の評価絶大、受験に結びつきやすいのだそうである。

「ハコモノ行政」ではなく「ハコモノ教育」に見えるからむしろ敬遠されるのでは、と思うのだが、それはこちらの「勘繰り」かもしれない。

2012年6月6日水曜日

ストッキング

きょうび、キャンパスを歩いていると、昔と違って「普通の大学」っぽい感じだなあと思うようになった。

短大が併設されていたこともあって、その当時から女子率は高かったのだが、景気が悪くなってそれがもっと高くなった。担当しているクラスでは、男子率は2割ほど。男子モテモテ、なのかと思えば、女子が「ツヨイ」のは世間と同じで、実習ではあれこれとアゴで女子に指図されていたりする。

一番違うのは服装だろうか。
コンピュータが教育現場に導入されて20年弱、学生はあまり汚れなくなった。
ハイヒールにストッキング、短パンかミニスカートなどという格好は、私の時代には考えられなかった。
教室の机や椅子は成形合板、へりがささくれていて、すぐにひっかかって伝線する。学食の椅子はプラスチックのバリが出ていたり、金属ねじの錆がうつったりする。下手なところに座れば、絵の具やおがくずがついてきたりする。植え込みには、毛虫がいたりするし、学内をうろうろしている猫は虫を養っていたりする。もちろん実習授業では、絵の具や薬品も工具も使う。うっかりすると穴まで空いて、ストッキングはぼろぼろである。

学校は制作すれば、だが制作していなくても、「汚れる」ところだったのである。

2012年6月5日火曜日

邂逅

学内を歩いていると、事務局の職員と時々邂逅する。

助手として働いていると、業務柄、職員とやりとりすることが多い。その後私は助手の任を解かれたので、直接職員と交渉することは、ほとんどなくなった。
おたがいウン十年、同じキャンパスで過ごしていたりするのだが、相手は事務職員なので毎年異動があったり、こちとら非常勤なので授業だけ行って帰る状態なので、すごく久し振り、ということもある。
まあ懐かしいねえ、などとしばし昔話などする。久し振りであればあるほど、タイムスリップな感じである。

大学職員というのは、事務方である。美術とは違うジャンルの業務である。私の頃は卒業生が事務職員として就職、というケースがほとんどなかった。だから、一般大学の卒業生、野球部出身、とか、応援団出身、などという、別世界の人が入ってきた。当然、習慣も常識も全く違うので、お互いあたふた、という状況も何度かあった。その一方で、早期退職者も多く、いつの間にかいなくなって、という人も何人かいた。

先日邂逅した職員は、学生の庶務係、みたいなセクションにいた人だ。学生生活相談全般一手引き受けといった部署で、問題学生の相談も担当である。私が助手になった頃の問題学生の何人かは宗教がらみのトラブルだった。アヤシイ新興宗教に引きずり込まれて、全生活と有り金を注ぎ込む、といったケースだ。その部署の職員に相談し、何人かの教員とプロジェクトチームをつくって、洗脳された学生を救出してもらったこともあった。
現在、似たような状況の問題学生は、宗教ではなくネットゲームである。寝食を惜しんで、小遣い生活費を注ぎ込み、引きこもるのである。

学生の「問題」も時代によって変わるもんだねえ、というのが立ち話のオチではあった。

2012年6月4日月曜日

OFFの音

映像は、画像で伝える情報が8割以上、あとは音声で何かを伝えようとする。
意外に音声の伝える情報はあなどれないのである。

画面の中に音源が見えるときに聞こえる音を「ONの音」、画面の中に音源は見えないが聞こえる音を「OFFの音」と言う。R・マリー・シェーファーという現代音楽家の書いた本「サウンド・エデュケーション」中に、耳を澄まして音を拾う、といった課題がある。やってみるとわかるのだが、耳で拾える音は音源の見えない音が意外に多い。エアコンや壁の向こうの音、背後の音など、生活や日常の音で、あまり「認識」していない音も多い。

林を撮影した画像に、カッコウをかぶせるか、ドバトの鳴き声をかぶせるかで、その場所は山の中にも感じるし、人里近くにも感じる。小学校の校庭でも小さく踏切の遮断機の音を入れると、線路の近く、飛行機の音をかぶせると飛行場のルート、大きな飛行機や軍用機の音をかぶせると基地の近く、というように感じる。人混みの雑踏でも、飛び交う言語が違えば、違う国に感じるし、商店から流れる音楽で時代を感じさせることも出来る。
音声は環境や状況など、目立たないけれど非情に重要なバックグラウンドを伝えていたりする。

音声を伴う映像は、ことほどかように上手に「嘘をつく」。その方法はさまざまで、特に音は人の意図を感じさせないことが多い。

2012年6月3日日曜日

子猫

映像は、画像で伝える情報が8割以上、あとは音声で何かを伝えようとする。
だから、映り込んだ画像が勝負になる。

ワークショップなどで、子どもにカメラを渡して何かを撮影してもらうと、思いもかけない画像を持ってくるので面白いことがある。通りのこちらから向こう側を、かなり広角で撮影してきたりする。取材場所の商店街の様子を俯瞰するような、大人っぽい構図だったりしてびっくりすることがあった。
「おお、商店街の様子を撮影してきたんだね、面白いねえ」。
などとスタッフが褒めたりする。しかし、当の本人は不服そうな顔をする。
「商店街の様子がよくわかるよねえ。お店がたくさんあるんだねえ」。
スタッフがしきりに子どもを持ち上げる。当の本人は相変わらずふくれている。そこで助け船を出す。
「うーん、じゃあ何をみんなに見せたかったのかしら」。
本人は広ーい画角の手前、小さく映り込むゴミ箱の下にうずくまる子猫を指さす。
画面の中のほんの小さな一部分である。ピントも露出も合っていないし、画面の中央に入っているわけでもない。
子どもは、商店街の様子を見せたかったわけではなく、道ばたの小さな猫を見せたかったのである。

彼が見ているもの、撮影した画角、提示されたフレーム、伝えたいもの、伝えたものは、必ずしも一致しない。
人は見たいものだけを見るのだが、それを提示する技術を、最初は持たない。自分の視野を提示すれば、誰もが自分の見ているものを見るだろうと思っている。しかしフレーミングされ、撮影されたものは、情報が均質化してしまう。だから、見せたいものを的確に見せるためには、いくばくかの技術が必要である。

同じことは美術学校の学生さんでも同じである。携帯電話で写真を撮影し慣れていながら、なぜか、彼らは撮影された画像の中で、自分が見たものだけが伝わると思っている。なぜなのだろうか。

2012年6月2日土曜日

スリッパ

映像は、画像で伝える情報が8割以上、あとは音声で何かを伝えようとする。
見えないものや聞こえないことは、伝えられない、というのが基本である。

逆に言えば、画像に映り込んでいなければ、情報は伝わらない、ということである。

それを逆手にとっているのが、時代劇である。
山の中を黄門様ご一行が、次の宿場に向かっている。
山の向こうに鉄塔や高圧線は見えず、空にはヘリコプターや米軍の飛行機は飛んでこず、だれかのふところから携帯電話の呼び出し音も聞こえず、振り返った八兵衛は老眼鏡をかけていたりしない。
しかし、黄門様の背中は着物の裾を端折るために洗濯ばさみがついていたり、まわりにはレフ板を持つ助手さんが数人いたり、頭の上には集音用のマイクがぶるさがったり、しているのである。
ローカル局の地域ニュースのアナウンサーは、バストサイズでしか収録しないところも多い。背広にネクタイ、と言う画像だが、ニュース原稿の机の下、下半身はジャージ、裸足でスリッパを突っかけていたりする、こともある。

見えていることがすべて、な映像では、見えなければ何をやってもいい、という免罪符をも持っていたりするのである。その外側を想像するのはオーディエンスの勝手、である。たいていの場合、ネクタイを締めているのに、ジャージにスリッパ、ということを想像しないだけなのである。

2012年6月1日金曜日

絶世の美女

映像は、画像で伝える情報が8割以上、あとは音声で何かを伝えようとする。
見えないものや聞こえないことは、伝えられない、というのが基本である。

だから無理か、と言えばそうではなくて、それは表現のモチベーションになっている。「愛」は、それそのものは見えないから、男女とか親子などの関わりを描くことで「愛」を感じさせるようにしているわけである。

ビデオカメラを構える初心者がすぐに忘れてしまうのが、このことである。自分が感じていることが、そのまま映像として定着すると思っていたりする。
前主任教授がよく言っていたのは「絶世の美女」撮影作戦である。ディレクターに「絶世の美女を撮影してこい」と言われたらどうする? という質問である。
15年前は外国人の映画スターの名前がよく出ていた。ニコール・キッドマン、シャロン・ストーン、ジュリア・ロバーツとかが挙げられた。
10年前くらいからは日本人の女優さんである。宮崎あおい、蒼井優、仲間由紀恵、小雪、なんかが挙がる。
5年ほど前からぼちぼち「絶世の美女」というのが通じなくなった。「街を歩いてきれいなお姉さんを撮影します」。
最近は親孝行な男子がいて「お母さん撮影します」。「絶世の美女」がお母さんとは。それでびっくりしていたら、その後「うちのおばあちゃん」という婆さん孝行な男子もいた。二度びっくりである。

前教授が20年前に想定していたのは、クレオパトラ楊貴妃ヘレネだったのだろう。今日生存している人物ではないので、被写体としては無効、というのが当時の正解である。
絶世の美女が、街で声をかける程度なら、「絶世」とは言えない。今の学生さんにとっては「世」がたくさんあるものらしい。で、最近の正解は、「君にとってはお母さんは絶世の美女かもしれないが、他人にとっては絶世の美女ではないと言われる恐れが大」、あるいは「君にとっては絶世の美女かもしれないが、他人にとっては単に君のお母さんにしか見えない」ということになっている。

さて、「絶世の美女なおばあさん」とは、どんな人だろう。