見えないものや聞こえないことは、伝えられない、というのが基本である。
逆に言えば、画像に映り込んでいなければ、情報は伝わらない、ということである。
それを逆手にとっているのが、時代劇である。
山の中を黄門様ご一行が、次の宿場に向かっている。
山の向こうに鉄塔や高圧線は見えず、空にはヘリコプターや米軍の飛行機は飛んでこず、だれかのふところから携帯電話の呼び出し音も聞こえず、振り返った八兵衛は老眼鏡をかけていたりしない。
しかし、黄門様の背中は着物の裾を端折るために洗濯ばさみがついていたり、まわりにはレフ板を持つ助手さんが数人いたり、頭の上には集音用のマイクがぶるさがったり、しているのである。
ローカル局の地域ニュースのアナウンサーは、バストサイズでしか収録しないところも多い。背広にネクタイ、と言う画像だが、ニュース原稿の机の下、下半身はジャージ、裸足でスリッパを突っかけていたりする、こともある。
見えていることがすべて、な映像では、見えなければ何をやってもいい、という免罪符をも持っていたりするのである。その外側を想像するのはオーディエンスの勝手、である。たいていの場合、ネクタイを締めているのに、ジャージにスリッパ、ということを想像しないだけなのである。
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