2021年12月26日日曜日

実家

まあ、バタバタしていたのは、実家の状況もある。90を過ぎた父親が、最大6名が住んでいた築50年ほどの家屋で一人暮らし。10月に申請した要介護度は「1」、11月からは週に2日のデイサービス通いである。

思い出せば、同居人の両親の時は、介護保険が開始されるかされないか、といった時期だった。病気でもあったので、ほぼ1年ほど、制度があれこれと変わるたびに、介護の担当者やホームヘルパーの担当業務が変わり、慌ただしかった。まだまだ「介護ヘルパー」といった職業が認知され始めた頃でもあり、やってくるヘルパーさんも玉石混交だった。結局、両親が希望する対応は介護制度では難しかったので、私費でまかなっていた部分も多かった。現在はケアマネージャーに、どの程度のサービスが受けられるのか、上限を聞く状況であるようだ。20年はふた昔、でもある。

実家の場合は、母親の具合が悪くなる前、父のスケジュールは週に2回のコーラス、日曜に教会礼拝、月に数度の友達との会食、といったところだった。母親の具合が悪くなったら、サークル活動は全休。礼拝も休止。見舞いに精を出した。母親の具合も具合だから、コーラスくらいは再開したら、という話をし始めた矢先のコロナで、サークル活動は自粛で休止、ほぼ家にいるハメになった。「社交」がなくなると、時間を持てあます、というか、ぼーっとしている時間が長くなるわけで、側から見ていて不安である。そのせいもあって、週に1―2度は、片道2時間かけて、様子を見にいくようにしている。歳も歳なので、「あれはどこ」といった探し物、代名詞での会話が増えた。まあ、同居人も似たようなものだが。

 

2021年12月25日土曜日

提出物

 一方、元気なのは通信教育課程である。

ここ1年半ほどは提出も多く、また課題の進行も早い。「おうち時間」が増えているせいもあるのだろう。反面、スクーリングなどの面接授業やテストなどはやりにくくなったようである。例年数十人のクラスで行っていたものが、参加応募者が数名、と「参加自粛」な学生が多くなったらしく、試行錯誤も含めてあれこれやっているようだ。昨年度は、卒業制作展示の自粛とか、講評会の中止もあり、通信教育であっても、全面「おうち時間増加オッケー」にはならないものである。

担当している授業は、テストなし、面接授業なしといった課題進行をしているので、単に提出物が増えるというよりも、例年だと締め切り間際にどーーーーっとやってくる提出物が、コンスタントに来るようになっており、まあ良い方向でもあるかしら。

今日も赤ペン先生業務である。

2021年12月24日金曜日

ぼちぼち。

さて、ぼちぼち年末である。

昨年来コロナのおかげでバタバタと過ごすことになってしまった。大変である。

1年もたてば、元通り、などと考えていた頃が懐かしいくらいだ。昨年の夏頃は、第二波あるかもなどと笑っていたが、気がつけば新種の変異株、第六波はどうか、という話題である。このまま永遠に変異株がやってきて、また波が続くのかと懸念している。

昨年度は4月から休校措置が取られ、授業は夏休み前後に再開、担当している授業は実習なので対面が前提、夏休み返上で授業した。今年度は休校はなかったものの、講義科目はオンラインが前提。実習授業が行われたものの、夏休み最終週に学内が全面入構禁止、全科目オンラインで開講、と至上命令がやってきた。えええええ、である。実習をそのままオンラインにするのは、内容上ムリ。課題の改変、授業進行の調整、配布資料などの再構成、プレゼン資料の作り直し、オンラインのテストなどなど、授業開始1週間前に怒涛のように作業することになった。そもそも「実習」でオンラインなどハナから考えていなかったので、実際の授業を進行しながら当日中に実施状況の確認、翌日の準備と微調整をせざるを得ない。しかも平日午前午後と別クラスを見ることになっており、4週間の集中授業期間である。もうヘトヘトだった。授業終了後は案の定グロッキー、復帰するのにしばらくかかった。

オンライン授業は初めてだったが、やってみたらみたで、何らかの発見や気づきはあるものだ。あながち徒労とは言えなかったが、そうならそうでもっと時間をかけてオンライン用の授業内容など、大学全体として研修できるのではなかったのか。

やはり実習授業は「同一空間内に一緒にいる」ことで学んでいるんだと再確認した。隣の人の様子を見ながら、技術を真似して学んでいく、といった方法は、自宅でオンラインでひとりで布団の上で作業している状態では全く無理。一方、オンライン用の教材を作っておけば、学生が好きな時に繰り返し見ながら作業できる、というメリットがあったものの、それで全員が身につくか、といえばちょいとビミョーだなと思うことが多い。共同作業はもうひとつやりにくいので、いわゆるブレストとかディスカッションは、オンラインのハード的な制約もあって、こちらでかなりお膳立てする必要があった。いずれにせよ、従前のやり方を踏襲することでしか授業進行が考えられないようであれば、いきおい授業内の課題やレポートを増やすことで、学生の学習成果が見えてこない。こういった授業のノウハウはこれから蓄積され、公開され、共有され、次第に洗練されてくるのだろうが、それが末端まで届くころには、コロナはどうなっているのだろうか。


2021年7月14日水曜日

必須

 美術学校の学生にとってなくてはならないもの、と言えば、鉛筆に紙、であった。鉛筆1本持っていれば、食っていける、という時代もあった。華僑の必須道具は刃物、床屋料理人仕立屋という商売は、世界どこでも必須な商売である。

今や、それはコンピュータ、ということになるのだろうか。刃物も、上を見ればえらく高額だったりするものだが、コンピュータは桁が違う、しかも刃物よりも消耗品としての耐久性が短い。

しかし、勤務校では、学生の「必須画材」としてコンピュータはあまり推奨されていない。やはり桁が違うからなのだろうか。デッサン用の鉛筆や絵筆を貸してくれるアトリエはないし、よほど大型でなければ常用のカメラを貸し出すスタジオもあまり聞いたことがない。工房貸し出し機材は、学生が占有できるわけでもないし、24時間365日貸し出せるわけでもない。しびれを切らした学生は、自分で機材を調達することを考える。とある学生は、周辺機器も含めて高額なので、当然のようにローンを組み、分割払いにする。なんと英断かと、同級生から一目置かれた。2年の始めに36回払い、これで卒業制作まで何とかなる、と思ったはずだ。悲しいのは、こういった業界では日進月歩であることだ。12回のローンが終わったところで、機材もシステムもバージョンアップ、周辺機器も当然のように新機種を発表、24回が終わったところで、機材は既に「旧機種」になっており、購入時の金額でCPUの速度は倍増、内蔵HDDは容量が倍になっていた。卒業制作にかかる頃には既に「時代遅れ」の感があり、でもローンの残額があるので機種変更や転売が出来ない。結局、イライラしながら卒業制作を進めていた。

教訓。コンピュータはローンで買わない。

2021年7月13日火曜日

教材

 映像を始め、クリエイティブな作業にコンピュータが入り込んできて久しい。ここ数年で授業内のコンピュータの運用方法が変わってきた。

10年以上前は、学生にとってはかなり高額な機材だった。大学であっても、高額だったので数を潤沢に用意できるわけではなかった。その頃の研究室の機材の予算は年間数百万、指が片手で済む程度だった。グラフィック用のワークステーション、なんぞは年間予算をはるかにオーバーする額だった。だから、機材として導入されても、学生一人が占有するわけにはいかない。順番待ちも多く、従って、夜間にレンダリング、などという状況になった。機械は24時間働きっぱなし、である。ご苦労様であった。

必要な機材、にコンピュータがリストアップされて、研究室の機材として用意されるようになり、次第に数も増えた。こういった機材は、専用の「場所」が必要になる。ラップトップではなく、デスクトップ、いくつかの機械がつながっており、授業が終わったら片付けよう、といったものではなかったからだ。

ドミノ倒しのように、コンピュータ増える、教室増える、コンピュータのためにエアコンが必要、全校舎エアコン完備、コンピュータは永久に使えるものではないので、4-5年を目処に入れ替え、システムやソフトウェアの管理維持、全学的にコンピュータのネットワークシステム導入 などなど、あれよあれよという間だった。もちろん、ロハで導入されているわけではないので、それは学費や設備費として反映される。美術大学はアトリエという場所さえあれば良い、という状況から一転、最も性能の高いコンピュータが必要なので、学費はどんどん上昇した。

コンピュータがなかったころ、最もお金のかかる「教材」は、ヌードモデルだったりしたのだが。

2021年7月12日月曜日

勝てない

 担当授業は夏休みまでの9週間である。3週間のプログラムを3クラス、というのが前期のノルマだ。寄る年波、なのか、肉体労働が今年度は少々きつくなり、なかなかブログまでたどり着けなかった。くやしい、である。

やっと前期授業も一段落したので、溜まっていた分もぼちぼち整理できると、ホッとしている。何より、授業は午前中なので、朝は気が抜けない。早寝早起き、が必須である。本に熱中して夜更かし、などしたら、寄る年波、なので朝がきつい。徹夜が出来なくなって久しいが、寄る年波、になると夜更かしで辛いのはいわゆるかすみ目というやつだ。以前は判断力がいまひとつスピードに乗らない、とか、集中力が続かない、とか、ブツブツ言いながらやっていたのだが、目の方は、それに勝る「ハードル」だった。

いやあ、これはいかんいかんと、睡眠時間確保作戦と思ったのだが、こちらも寄る年波、で、寝付きが悪い、眠りが浅い、という状況に陥る。どうあがいても、トシには勝てない。

2021年7月11日日曜日

対面

 昨年の春には感染症による休校措置がとられ、面接授業はとりあえず延期された。感染が一段落すれば面接授業再開、とアナウンスされたのだが、実際に再開したのは7月に入ってから、例年だったら夏休み突入の時期だった。コロナが怖いか、熱中症が怖いか、と言いながらマスクして実習、終了時のチャイムと同時に清掃のオジサンたちが、アルコールスプレーとウェスを持って突入、あちこち拭いていた。

今年度は、講義科目は原則的にオンライン、実習科目は原則的に対面授業、で新学期が始まった。担当科目は5月のゴールデンウィーク中に始まった。学生さんも慣れたもので、あまり「密」だとナーバスになっておらず、清掃も次第に「セルフサービスでよろしく」状態になりつつある。

昨年同様、教室面積によって収容人員が決められていたので、教室や工房は分散状態、学生はともかく、教える側は教室をあちこち走り回ることになる。健康上よろしいことに違いない、と思うことにした。

換気のために、扉や窓は開けており、そのため廊下を伝って隣の授業の音声が入り込む。普段は肉声で話す人なのだが、マスク越しで学生に聞こえにくいと思っておられるのだろう、マイク使用でボリュームが大きい。こちらの教室で私が肉声で話していると、当然のように聞こえづらくなる。音声のマスキング効果である、と学生さんに実地指導する。

というわけで、今年度も運動量多めの面接授業となった。

2021年4月14日水曜日

レシピ

 この手のセッティングに動画、など以前は考えたこともなかった。分かりやすい、と言えばその通りなのだが。

大学では映像系の教育セクションにいるのだが、数年前にいわゆる「レシピサイト」から求人があった。その頃は、料理もインターネットの動画配信サイトで見られるようになったんだなあ、などと思っていた。先日友人と話をしていたら、いまどきの学生さんは料理レシピが読めない、という話になった。動画サイトを見ながら料理をしているので、文字で書かれたレシピでは料理が出来ないらしい。読解力と想像力、レシピで言えば経験値が必要なのだが、そういったものが不要、ということでもあるらしい。

ありがたいような、ありがたくないような気がする。

2021年4月13日火曜日

チェンジ

 久し振りにプリンターを買い換えた。1台は8年、もう1台は10年選手である。これまた久し振りに故障の少ない個体にあたったことで、思いのほか使い込んでしまった。1台は調子が悪くなったので修理をしたが改善しない、もう1台は故障したら修理対応不可なこともあって、時間のある内に入れ替えることにした。

数年前からこの手の周辺機器は分厚いマニュアルが同梱されなくなった。お約束のように「セットアップ用CD-R」などは入っているのだが、当方ここ10年ほどは「光学ドライブなし」なコンピュータなので、インターネット経由でドライバをダウンロードする。先代から変わったことは、「クイックマニュアル」が、QRコードだらけなことである。読み込むとメーカーのサイトかと思えば、動画配信サイトである。要は、動画を見ながら設定しろ、ということなのだろう。コンピュータに接続するプリンターのセッティングに、スマホ必須、と言うわけである。

2021年4月10日土曜日

作戦

消耗品扱い、というのは、政府の戦略ではないかとよく思うことがある。同居人は車好きである。お気に入りは17年オチ、数年前から税金が上がった。政府は古い車に重税を課すのである。

税金を払いたくないために、車を買い換える、という作戦を狙っているようにしか思えない。自動車産業に役立つ税金アイディアではある。戦中戦後派に育てられた世代としては「もったいない」という気分の方が先に来る。住宅や衣類もしかりなのだが、経済が回るためには「買いかえる」ことが大切なのだろう。わかってはいるのだが、もったいないことである。

2021年4月9日金曜日

消耗品

 そんな空き家が何軒かあった土地に、ここ半年ほどで建て替えの工事業者が入るようになった。コロナで景気が悪いのかと思っていたのだが、ステイホームにテレワークで、郊外に住宅需要があるらしい。そういえば、近所の畑やよく通る雑木林も建売住宅になって大売り出し中である。居住宅の方は、町内会の申し合わせで土地を細分化しない、というお約束があるらしい。あまり分割せずに、6−70坪ほどの土地に大きなカーポートをつけた一軒家が建てられている。ところかわって、元は畑だったところに並んでいる建売住宅の方は、2−40坪ほどの土地に目一杯家を入れて、カーポート1台、庭無し、あってもほんの少し、がここらのトレンドである。

上物を壊すのに数日、地ならしするのに数日、ああ更地になったなあと思うと、後いう間に家が建っている。早業である。

海外の知人に不動産売買をしている人が居た。古い中古住宅を買い、住みながらリフォームやリノベーションをして、きれいになったところで売ると言う。日本では建物の価値はあまりないので、解体して新築、というのが「コスト的にもスケジュール的にも良い」という風潮である。伊勢神宮も建て替えをする国なので、古い住宅には価値がない。そうやって建てられる建物は、受け継がれるものではなく、消耗品である。

2021年4月8日木曜日

空き家

 実家も同様だが、現在の居住地はいわゆる新興住宅地である。50年ほど前に宅地開発されたところで、ほどほどの一軒家が並んでいる。こういったところは、「代々住んでいる」のではなく、開発時に土地を購入して移り住んだ住人が多い。かれこれ50年前に核家族で引っ越してきたわけだ。子ども世代が私の年頃なので、当然のように大学や就職や結婚で家を離れる。実家に同居、と言う場合は、そのまま住むか、二世帯住宅に建て直すか、の選択になる。むろん、子どもが同居しないケースもあるので、かつては4人で住んでいた家に老夫婦2人が残ることになる。老夫婦も、元気なうちは良いのだが、次第に年をとる。どちらかが病気になったり、施設に入ったり、亡くなったり、すると、一人暮らしである。それが心許なくなると、子ども世帯の方へ引っ越したり、施設に入ったりしている様子が多い。そうなると、家は「空き家」になる。

こういった風情の空き家が、居住宅のまわりにも数軒ある。時折子ども世帯が様子を見に来たり、庭の手入れをする業者が入ったりしている。まったくのほったらかし、と言う状態ではないのだが、住み手のない家はなんとなく寂しげに見えるものである。

2021年3月15日月曜日

名前

 犬と暮らしていると、散歩は必須である。ある意味、義務になってくるので、それが出来る人と出来ない人で、犬を飼えるかどうか決まってくるのだろう。犬には人間同様トイレ関係とか、食後の運動とか、犬なりに生活時間帯があるようで、実家では定時に散歩というスケジュールが出来ていた。散歩をしていると、同じように、散歩している犬+人間と出会う。犬同士が挨拶したり威嚇したりするわけだが、そんなことが数回続くと人間同士が顔見知りになる。面白いのは、犬の名前は教え合うのに、人間の名前は教え合わないことが多かった。人間の子どもの付き合いと似たようなもので、「ポチのママ」「マロンのパパ」などと呼び合うようになる。挨拶は、「おはよう、ポチは今日も元気だねえ。ママもお元気そうで」という具合である。

ある日の夕方、実家の呼び鈴が鳴った。どなたですかー、と聞くと「サクラのママでーす」というお返事である。どこのスナックのオーナーか、家人が飲みに行って忘れものでもしたのかと思えば、犬の「サクラ」ちゃんの飼い主であった。

2021年3月9日火曜日

ハイホー

 実家に犬がいたときは、近所を一緒に散歩した。一人で歩くのとは違って、犬なりに気になる家があったり、気に入ったルートがあったりする。犬種はビーグルで、ビーグルの常なのか、鼻を常に地面にくっつけて歩く。ひたすら嗅いでいるのだが、相方の人間としては地面を嗅ぐわけにはいかないので、近所の家の庭など鑑賞する。いわゆる新興住宅地なので、ほとんどが同じ大きさの敷地に、似たような大きさの家が並ぶ。それでも建て売り住宅地でないためか、それぞれ家の意匠が違う。家はもちろん、庭などもそれぞれ違うので、季節折々で表情が変わる。

通り道に、植木鉢が整然と並ぶ家があった。小さな草花が、いろとりどりの花をつけている。季節ごとに植え替えるのだろう、花の途切れることがない。その家の門扉から玄関先まで、陶器で出来た小さな小人さんたちが並んでいた。ディズニーのシンデレラに出てくる小人さんのキャラクターである。密かに「ハイホーのおうち」と命名していた。

一緒に歩く犬がいなくなって、10年以上になった。先日久し振りにその家の前を通りかかった。植木鉢は健在で、ガーデニングに精を出しているようだが、小人さんたちはいなくなってしまっていた。うーむ、ハイホーのおうちではなくなってしまった。おうちの名称を変更せねば。

2021年3月6日土曜日

レシピ

 そんな話をしていたら、そういえば、という友人がいた。

昨今は、レシピ本でお料理が作れない人が多いらしい。もっぱらレシピサイトの動画を見ながらつくるのだそうである。まあ、具体的に見ながらつくれるのは確実だが。だから、「千六本に切っておいて」では通じないらしい。

課題文を読み込んで完成形態を想定するのではなく、具体的なビジュアルの完成形態を見なければ作業できないのかもしれない。

料理なら、着実に同じものが出来るのだろうが、ハプニングとか、瓢箪から駒などという状況はあり得ないのかもしれない。実はそれが面白いものだったりする、かもしれない。


2021年3月5日金曜日

サンプル

 ここ数年のことではあるが、学生さんから「参考作品を見せて欲しい」とよく言われる。なぜか、と問えば、「良い評価の作品をつくるため」である。

作業の合間も、機材の使い方についてよく質問する学生がいる。「使い方については自分で取扱説明書を読む」ことが前提なのだが、「わかりません」と来る。いやいや、いまどきのデジタル機材、特にコンピュータのアプリケーション上の作業は「アンドゥ」がきくので、「やってみて」と言うのだが、やる前に聞きに来る。

授業の課題は「トライ アンド エラー」がモットーなのだが、どうも様相が違う。学生さんは、「トライ」したら「サクセス」する、あるいは「サクセス」するために作業するので、「トライ」という認識すらない。エラーすることを厭う、言い方を変えると「無駄骨は絶対折らない」ようにしたいのかもしれない。

2021年3月4日木曜日

ニューライフな学期末

 コロナコロナと騒いでいるうちに、あっという間に月日が過ぎた。書きためてはいたものの、気がついたらずいぶんと更新せずにいた。いかんいかん。

さてここのところの動向である。

通学課程の方は、基本的には対面授業だが、登校自粛や公欠扱いの学生もいたので、二重三重に授業内容を用意しなくてはならず、つまりいつもよりもえらく忙しかった、というのが正直なところであった。やっと12月に採点のための作品が揃ったのだが、1月半ばに提出しない学生が1名おり、動向が分からずやきもきした。留学生だったのだが、本人的にはどうも早々に留年を決めていたらしい。日本未入国でもあり、また入国しても自国と自由に往来できるわけでもないので、選択としてはうなずける。

通信教育課程では、フィールドワークを課している課題がいくつかあり、こちらも感染症対策で代替課題を準備した。課題内容が増えたのと、ステイホーム効果で提出が多く、こちらもいつもより忙しい。年度末に向けて、ただいま絶賛採点作業中である。

2021年3月3日水曜日

ニュー

 「新しい生活様式」などと言われてしばらく経つ。いきなりそう言われても、そうそう生活など変えられるものではない。家を出て、数歩歩いて、「あっ、マスクマスク」などと言って、走って戻るようなことを何回もやっている。しばらく前から、市中に「マスク」という商品が出回るようになったので、「マスク忘れた!」と青くなることはなくなったが。

あちこちでアルコール消毒液を使うせいか、手荒れが目立つ。夏からハンドクリームを使うようになった。冬になったら尚更である。

そんな「新生活様式」も、慣れた頃終わるのではと思っていたが、あにはからんや、すでに1年である。なんだかなあ、と思いながら、慣れないなあ、慣れたくないなあ。しかし、1年も経つと、本当に元に戻るのか、疑問に感じてしまうこともビミョーである。