2018年9月25日火曜日

コーチ

先月は、体操協会のハラスメント問題が新聞でも大きく取り上げられていた。そもそもコーチのパワハラという話から始まったような気がしたが、協会のパワハラかも、という話になり、選手の会見やら協会の謝罪文やらやりとりの録音やら、いろいろと出るものである。
名選手と名コーチ、あるいは名監督というのは、同一人物では成立しにくい、とよく言われる。逆上がりが得意な人は、逆上がりを教えるのが上手、とは限らない。
もうひとつ、このニュースで難しいのが「協会」制度である。
妹がスポーツをやっていたのは、すでに四半世紀ほど前の話になってしまう。妹がやっていたのはテニスである。クラブテニスのはしり、だった。それまではスポーツと言えば学校でやるもので、部活の延長だった。妹の世代で初めて、町のテニス教室で上手くなった子どもたちが、地方大会で勝つようになった。学校とは関係がないスポーツ選手、である。その頃は、コーチと選手が二人三脚、というスタイルだった。多くは、子ども+コーチ+母親、という3人組で地方の大会に参戦する。その後強くなると、協会から声がかかる。強化選手とか、強化合宿とか、である。数名の強い選手を集めて、日本チーム、になるわけだ。その時点で、従来のコーチと離れ始める。協会が用意したコーチや監督と、国別対抗戦に出る。うちの場合で言えば、他の理由もあったのだが、結局コーチと少し離れたことで、上手くいったこともあれば、そうではないこともあった。個人プレーのスポーツの場合、コーチが変わることが上手くいくとは限らないこともある。
スポーツ指導、というのは、いろいろな方法論があるのだろう。うちの場合は、最初に教えたコーチとかなりべったりな関係だったので、妹がそのコーチから離れるときは大変だった。
今回もうひとつ難しいのは、協会のボスがクラブを持っている、ということでもある。強い選手を抱えているクラブであれば、お客さんも多くつく。有力選手をスカウトする、という点で言えば、高校野球などが身近なところだろう。強い選手が多い場所であれば、互いに切磋琢磨するので、全体のレベルアップがはかれることも事実だ。
体操協会の問題も、外野からあれこれ言うことが難しいなあと思う。いずれにせよ、こういう「強化」体制に、なんとなく社会主義の国にあった「体育的な国策」を連想してしまうのは私だけだろうか。

2018年9月3日月曜日

鼻歌

新聞を購読している。まあ、習い性というやつかもしれないが。
何か読むべき「活字」が手元にないと、不安なたちだ。だから、数十年前、インターネットもなかったころ、数ヶ月海外にいたときなどは、「漢字」を読むために中華料理屋を探したりした。現在は、インターネットが通じれば、あるいはデバイスに何十冊も電子書籍をつっこんでおけるのだろう。うらやましい世の中である。
購読している新聞は毎日で、関東圏ではあまりメジャーではない。中学の頃、「朝日新聞しか新聞ではないから」といった持論を担任がよく話していた。メディアを選ぶ、というのは人それぞれである。実家は転勤で大阪に数年いた。関西では毎日はそこそこメジャーである。もうひとつ、妹がスポーツをやっており、大会のひとつは毎日新聞が主催だ。記事になることが何度かあったりして、毎日新聞定着、な状態になった。
今時は、新聞を購読しているご家庭が減少の一途だという。小学校の図工の時間に、古新聞を持って来て、と言ったら、「うちは新聞がありません」という子どもが増えたらしい。古新聞を畳の下に敷く、などという家もなくなりつつあるのだろう。大学生も、下宿生はほぼ新聞は購読しない。「就活に日経」というコマーシャルが数年前はあったのだが、今や「就活には日経電子版」なのかもしれない。
新聞購読家庭が減っていくとどうなるか、というと、新聞販売店が減る。毎月新聞の集金に来る人が、うちは販売店を廃業します、と言いに来たのが一昨年だった。来月から読売の販売店が配達しに来ます、という。残った販売店も、いろんな新聞を扱うようになって大変である。
昔、新聞配達、といえば、少年のアルバイトだったり、奨学学生のお仕事だったりしたものだ。毎日新聞販売店は、「健康のために、アルバイト主婦募集」というチラシを配っていた。読売の販売店も、人手不足らしく、春には「新しい配達員です」と挨拶に来たのは、ベトナム人の青年だった。
毎日新聞は自転車で配達だったが、読売はバイクで配達。朝早く、バイクの音で目が覚める。ベトナム青年が配達に来るようになって、それに歌声が加わった。大声で歌いながら配達するのである。もちろん、あちらの歌らしいので、言葉は分からない。賑やかに調子をとって配達である。今日も歌声で目が覚める。朝4時半である。

2018年9月1日土曜日

ずる

官僚ご子息の裏口入学の余波か、しばらく前は入試で女子学生一律減点というニュースが駆け巡った。びっくり、と思う一方、私立学校だからなあ、という気もする。
私が大学の入試をしていた頃の話だ。入学試験が終わり、発表までに数週間がかかる。その間に大学から「お知らせ」という封書が来た。中身を見ると、要は「寄付金のお願い」である。合格したのかも落ちたのかも分からない、母親は「寄付したら合格させてくれるかも」などと言う。いやいや、そんなことで合格しても、学校に行ってから授業についていけなかったらどうするのか。結局そんなことを言いながら、寄付を払いそびれ、案の定不合格だった。行かない学校に寄付しないで良かった。
母親が育った家は、大学教員の家だった。明治終わりから昭和初期の頃である。家には書生さんが数人いて、学生さんも出入りしていた。宿題は書生さんにやってもらった、とのたまう。時代もあるのだろうが、嫌な勉強をいやいややっても身にはならない、という方針だったようだ。ところが好きな科目はと言えば「算数」だったそうで、それを勉強したかったのだが、「女の子だから」という理由で家庭的に却下、それが母親の勉強についてのトラウマだったようだ。
勉強することについて、いろいろな考え方もあるのだろう。ただ、「入学試験」と合格の条件を明示している以上、こそこそズルするのはヨクナイ、とは思う。