ラベル 日々 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日々 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年4月1日月曜日

リバウンド

 幸い、かどうかわからないが、同居人は12月からは食欲がしばらくなくて、ほぼ毎食おかゆ生活。当然のように、酒を飲む気にもならないので、体重は順調に減少。2ヶ月ほどで一気に10キロ落ちとなった。

1月に入ってからは、食欲も戻ってきた。下半身の病気でもあり、胃袋から上は元気なので、手術に備えて栄養補給と、食べることにいそしむ。体重はすぐに5キロほどリバウンド。残りの5キロは、アルコール分だったのかもしれない。

手術に備えて、「自己採血」というのがあり、そのためにも「レバー推奨」なお食事となった。何かにつけて、プラセボ効果と暗示がよくきく人なので「マイブーム」になると高揚度が高い。レバー食べすぎの副作用がないか心配しなくていいのかしら。まあ、自己採血までの数週間だけで、あとはレバーなど食べなくなるのだろうが。

2024年3月31日日曜日

外付け

 同居人は、身体内部からチューブを出して、内蔵外付け、という風情である。外付けの膀胱を「ウロバッグ」と称するらしい。これがあれば、日常生活は大丈夫ですよ、などと言われて1週間ほど生活してみた。1週間後に、クリニックで「外しましょう」。晴れて解放されたものの、数時間後にはまた具合が悪くなり、クリニックに逆戻り。再び「外付け」状態である。結局抜本的な解決策として手術をすることになり、仕事の切れ目をにらんで、3月半ばに手術をスケジューリングした。

それが暮れもギリギリに押し迫った28日頃、当然のように年末年始のスケジュールは吹っ飛んだ。おせちどころではない。大晦日も元旦もおかゆだった。

外付け生活に慣れてきたのが1月半ば、その頃から手術に向けて各種検査や自己採血などのスケジュールが組まれ、病院行きが最優先である。

まあ、これをアップロードした時点で、無事手術は終了し、「外付け」生活は卒業したものの、手術後の体調は即座には戻らない。現在も体調には波があり、恐る恐る暮らしている、という感じだ。

2024年3月30日土曜日

救急

 そうこうしている間、昨年暮れに同居人の具合が急に悪くなった。明け方突然、苦しみだして「死んでしまいそうだ」と大騒ぎしている。近所の病院の緊急を探すが、通院記録がないと受け入れてもらえない。救急に連絡をしてみたものの、こちらも「到着するまで数時間、そのころには病院やクリニックの窓口が開くからそちらで」と、つれないお返事。その間にも、同居人はわめき続けているのだが、仕方なく数年前に通院したクリニックに連絡した。

当日処置後は落ち着いたものの、また午後に具合が悪くなった。午後はクリニックの定休なので、仕方なく近所の別の病院へ転げ込む。「痛い苦しい」と大騒ぎである。よほどうるさかったのか、診察順序を変えてみてもらうことに成功(?)。その日からしばらく「ウロバッグ」生活が始まった。

2024年3月29日金曜日

どきどき

介護サービスそのものは、利用者が高齢者ということもあり、アナログ感満載なサービスである。連絡は電話が中心だし、書類のやりとりも多く、ハンコをたくさん押した。現在お世話になっているケアマネージャーも施設も、メールでの連絡先の提示はない。

仕事中に電話がかかってきたら、「すわ、緊急事態か!?」と、ドキドキしながら、慌てて中座して対応する。内容はと言えば、「次回までに書類をご提出ください」くらいの事務連絡だったりする。

こちらの心臓には、すこぶるよろしくない。 

2024年3月28日木曜日

サービス

 同居人の父母の具合が悪くなったのは20年ほど前で、介護保険制度が始まる前後だった。二人とも相前後して病になったので、どちらかといえば「泊まり込み付き添い看護人」を探して、お世話になることから始まった。途中で制度が出来たり、変わったりなどして、看護人と家事手伝いの線引きが出来た。家事手伝いでも、作業の内容によって違う人が担当するようになった。看護人は数名でローテーションを組んでもらったが、家事手伝いはいろいろな人が来た。来てもらう人が変わるたびに、一応対応して、いろいろと覚えてもらわなくてはならない。義父母とも、病気ではあるが、アタマは元気なので、いわゆる「注文がやたら多い病人」である。相性が悪い人もいるわけで、「家事ヘルパー」の交代が多かった。

そんな頃と比べると、20年も経てば、ヘルパーの作業内容も整理され、また技術も向上している。とても便利に「介護サービス」を利用できるようになったなあと思う。

2024年3月27日水曜日

うかうか

 人生あっという間、という言い方があるが、うかうかしている間に更新の隙間が1年も空いてしまった。ぽちぽちと何らかのカタチで書いているものの、文字にしていると気が済むのか、更新までに至らず、などと言い訳めいたことを考えている。

間が開いてしまったのは、実家の方を見ている時間が増えたからだ。母の他界後、父が一人暮らしになった。最初のうちは、一人暮らし満喫、という風情だったのだが、やはり高齢なので、いつまでも同じようには暮らせない。そもそもが、昭和一桁世代、モーレツなサラリーマン世代でもあり、家事の一切をやった経験がない。体力も気力も記憶力も次第に落ちていく。何だか怪しいなあ、と妹と相談して、介護サービスを利用するようになったのが一昨年。これもまた次第に利用するサービスの種類や量も増えてきており、既に介護サービス無しでは生活は出来ない。サービスでお願いしていない掃除や洗濯、ゴミの片付けなどのために、週に1−2回ほど様子を見に行っている。往復だけで5時間。泊まりがけと言うほどの距離ではなし、仕事もあり、同居も考えにくい。この先どうするかなあ、と考えるようにはなった。

2023年3月17日金曜日

安心

プリンターのセッティングをしていた。まずはプリンター本体のシリアル番号をメーカーサイトでユーザー登録しておく。それから別のページからドライバをダウンロード。その際に、「ユーザー認証」という手続きがある。ユーザーIDとパスワードだけではなく、SMSへ送られてくるパスコードを打ち込み、やっと本人と思ってもらえるわけだ。

考えてみるとここ数年は、コンピュータやアプリケーションの起動、あるいはサイトのログインの時には片手にスマホ、という場面が増えた。ウェブサイトへのログイン、アプリケーションのライセンス確認など、ログインIDとキーワード、それにスマホにアクセスキーをSMSで発信し、それを打ち込む、という作戦である。これのおかげで、スマホを使わざるを得ない、のか、あるいはスマホ利用前提でシステムを組んでいるのか、そもそもスマホを使わない人はどうするんだろうと、老婆心ながら考えてしまう。

セキュリティ的には、このご時世、何をやっていても「安心」とは言えないので、手数が増えた分だけ安心感が増すか、とも考えにくい。まあ、儀式だよねえ、と思うことにする。

その昔は、ユーザーIDとパスワードでも面倒だなあ、などと考えていたものだ。高額なアプリケーションでは「ドングル」というのがパッケージに同梱されていた。インターネットバンキングの最初の頃は「暗証番号発生装置」のようなカードが郵送されてきた。いろいろとあの手この手を考え出すものだ、と感心する。

2023年3月11日土曜日

年度末その3

 通信教育課程の方は、通学課程と学事予定が違う。こちらは2月末日が課題やレポートの締め切り、3月いっぱいが採点、進級と卒業の判定、卒業制作展示、片付けたら卒業式である。通信教育課程は入学試験がないので、2月半ばから3月半ばくらいまでが年度末の多忙な時期である。

というわけで、このところ、通信教育課程の方の課題が山積しており、採点に精を出していた。

 課題提出の締め切りが2月末日。逆算して1月半ばくらいから提出が増え始める。通信教育課程なので、レポート作品の送付には郵便局の第四種というのが適応されている。まあ、いまどき郵便ではなく、オンラインで提出だろ、と思う向きもあるかもしれないが、実は密かな楽しみが切手拝見である。たかだか15円、なので、いつも使っている絵はがきやお手紙の定額切手だと額が大きい。みんな工夫しており、2円や1円がぞろぞろ並んでいたり、ちょっと昔に発行された懐かしい切手だったりする。

1月も半ばを過ぎると、少しずつ「速達便」が増える。260円加算である。うーん、レポートが17回も送れるぞ、などとケチなことを考える。2月に入ると、念のためか配達証明、レターパック、ゆうパック、宅急便などが増えてくる。速達料金に上乗せして、時間と提出した安心を買うわけだ。

送料をおごっても、課題違反だと、再提出になってしまう。課題文をもう少していねいに読むと、課題違反にはならなくなるだろうにと思うが、締め切りには間に合わない。当たって砕ける方が、潔いのかもしれない。

2023年3月10日金曜日

年度末その2

 日本の学校は4月始まり、だから前年度末は3月、が建前なのだが、大学では年度末は12月から1月初めである。現役の学生さんは、だから12月あたりでほぼ年度内の授業が終わる。授業の回数は前期後期とも13週が基準だから、計算すれば1年のうち、授業があるのはほぼ半分、あとは試験とか追試が2週ほど、数えてみれば、授業以外のいわゆる「お休み」期間も多い。

学生さんはお休みだが、学校サイドはお休みにはならない。1月に入ると卒業制作展、採点、集計、大学院入試、それから入試、入試が終わるとやっと卒業式、それが終わると新学年の準備、という段取りである。年が明けて1月から3月が、スタッフ側としては多忙な時期である。悲しいことに、花粉症のピークと重なって、とても辛い。

2023年1月9日月曜日

お土産

 元日の朝は、例年やたら分厚い朝刊が届く。販売店から「いつもより厚いので、新聞受けには入らない場合、まわりをぐるっと見渡すように」という、ご注意のチラシも年末に入る。

ところが今年は、あれ?というくらい、分厚くはなかったので、ちょっと印象が違った。初売りセールのチラシも少ない。なんだか景気が悪いのかしら、という気分がする。

私は習い性で、朝は新聞を広げないと気が済まない。だからと言って、隅から隅まで熟読するというわけではないが。

妹の家は、かなり前から新聞購読はしていない。以前、ビジネスマンであるところの旦那様は、駅売りの朝刊を買って、電車内で読んでいた。そんな家庭習慣なので、甥っ子は新聞を読むという習慣がない。ニュースはもっぱらLINEだそうだ。

というわけで、実家に集まったときに、妹が持ち帰る「お土産」のひとつが、「古新聞」である。新聞は読まないが、古新聞は野菜の保管や掃除に便利なので、欲しいらしい。なんだか不思議な「お土産」である。

2023年1月4日水曜日

年賀状

 年末年始恒例の作業で「年賀状」というのがある。海外からだと、12月初めにクリスマスカードをやりとりすることが多い。いずれにせよ「ご挨拶」ではある。

ここ数年多くなってきたのが「年賀状じまい」を書き添えた「ご挨拶」である。定年退職、引っ越し、高齢、何となく理由がないのもある。一方、「年賀状じまい」もなく、返信もない、という人もいる。訃報がないので、こちらから止めるのもナンだなあ、と思いつつ、住所録を眺める。

「年賀状を送ることを控えることにしました」というご挨拶に対して、こちらが困るのは、「ちょっと返事は勘弁してね。でも年賀状は送ってくれて構わない」のか、「年賀状を送ってくれるのも勘弁してね」なのか、「音信不通希望」で「絶縁希望」でそもそも「住所録から削除してくれ」なのか、よく分からないことである。

年賀状だけで繋がっている友人もそれなりにおり、そういった人に「年賀状を控えることにしましたが、これからも変わらぬ交流をしたいです」と書かれた日には、変わらぬ交流とは年賀状だけだったのではあるまいかと突っ込みたくなる。どうすればいいのかしら。

2023年1月3日火曜日

年頭に

 ブログの更新も滞っており、気にはなっていたのだが。

別の意味で、「トシ頃」とでも言うのだろうか。以前よりも体力的健康的にも無理が利かなくなった。マルチタスクのような作業も、ちょっとしんどくなった。家族内高齢者にも時間を割かなければならない。当然のように仕事や作業もセーブせざるを得ない。コロナのおかげで仕事も日常生活もあれこれ変更したり戻したり戻らなかったりで、「予想外」「想定外」なことも多くなった。以前は、という形容詞が、10年くらいではなく20年30年ぐらいのスパンにもなってきた。だからというのではないが、ブログの更新も間遠になってきたのかもしれない。

年頭としては、もう少し文章を書きたいなあ、などと考えているのだが、さて、どうなることか。


2022年3月27日日曜日

100円玉

霜が降りなくなってくると、そろそろ春野菜が出始める。近所を散歩すると、農家の軒先に「無人販売所」というのが、よくある。籠に野菜が入っていて、横に貯金箱がある。一袋100円が相場である。規格外のやたら大きなニンジンや、やたら細い長ネギなどもあるのだが、畑から直送という雰囲気である。少し「大手」な農家では、自動販売機が置いてある。100円を入れて扉を開ける、コインロッカーみたいな形態である。よく利用する農家では、「新手の野菜」がよく並んでいる。最近のお気に入りは「けろっこりー」。葉物野菜のケールとブロッコリーの交配種である。

無人販売所なので、半端なお値段はないが、お釣りももらえない。お散歩には100円玉が必須である。

2022年3月26日土曜日

彼岸

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言われる。居住地は南関東のエリアなのだが、海無し県である。引っ越ししてからしばらくして、これは寒いかも知れない、と思い始めた。横浜に住んでいた頃よりも霜柱が「高い」。庭先に置いてあるホースが「凍る」。もちろん屋外駐車の車のガラスは「凍っている」。元神奈川県民から見ると、なかなかワイルドである。

だから、地産地消をうたう農協の直売所では、「霜あたりほうれん草」といいうのを売っている。引っ越してから初めて知った、スーパーではお目にかかったことのない野菜である。ここ数年、扱うスーパーも少し見かけるようになった。緑が濃くて縮れていて葉が分厚くて背が低い、見かけは小さめのタアサイみたいである。これがおいしかったので、寒くても冬はこのほうれん草がお楽しみである。

2021年12月26日日曜日

実家

まあ、バタバタしていたのは、実家の状況もある。90を過ぎた父親が、最大6名が住んでいた築50年ほどの家屋で一人暮らし。10月に申請した要介護度は「1」、11月からは週に2日のデイサービス通いである。

思い出せば、同居人の両親の時は、介護保険が開始されるかされないか、といった時期だった。病気でもあったので、ほぼ1年ほど、制度があれこれと変わるたびに、介護の担当者やホームヘルパーの担当業務が変わり、慌ただしかった。まだまだ「介護ヘルパー」といった職業が認知され始めた頃でもあり、やってくるヘルパーさんも玉石混交だった。結局、両親が希望する対応は介護制度では難しかったので、私費でまかなっていた部分も多かった。現在はケアマネージャーに、どの程度のサービスが受けられるのか、上限を聞く状況であるようだ。20年はふた昔、でもある。

実家の場合は、母親の具合が悪くなる前、父のスケジュールは週に2回のコーラス、日曜に教会礼拝、月に数度の友達との会食、といったところだった。母親の具合が悪くなったら、サークル活動は全休。礼拝も休止。見舞いに精を出した。母親の具合も具合だから、コーラスくらいは再開したら、という話をし始めた矢先のコロナで、サークル活動は自粛で休止、ほぼ家にいるハメになった。「社交」がなくなると、時間を持てあます、というか、ぼーっとしている時間が長くなるわけで、側から見ていて不安である。そのせいもあって、週に1―2度は、片道2時間かけて、様子を見にいくようにしている。歳も歳なので、「あれはどこ」といった探し物、代名詞での会話が増えた。まあ、同居人も似たようなものだが。

 

2021年4月14日水曜日

レシピ

 この手のセッティングに動画、など以前は考えたこともなかった。分かりやすい、と言えばその通りなのだが。

大学では映像系の教育セクションにいるのだが、数年前にいわゆる「レシピサイト」から求人があった。その頃は、料理もインターネットの動画配信サイトで見られるようになったんだなあ、などと思っていた。先日友人と話をしていたら、いまどきの学生さんは料理レシピが読めない、という話になった。動画サイトを見ながら料理をしているので、文字で書かれたレシピでは料理が出来ないらしい。読解力と想像力、レシピで言えば経験値が必要なのだが、そういったものが不要、ということでもあるらしい。

ありがたいような、ありがたくないような気がする。

2021年4月13日火曜日

チェンジ

 久し振りにプリンターを買い換えた。1台は8年、もう1台は10年選手である。これまた久し振りに故障の少ない個体にあたったことで、思いのほか使い込んでしまった。1台は調子が悪くなったので修理をしたが改善しない、もう1台は故障したら修理対応不可なこともあって、時間のある内に入れ替えることにした。

数年前からこの手の周辺機器は分厚いマニュアルが同梱されなくなった。お約束のように「セットアップ用CD-R」などは入っているのだが、当方ここ10年ほどは「光学ドライブなし」なコンピュータなので、インターネット経由でドライバをダウンロードする。先代から変わったことは、「クイックマニュアル」が、QRコードだらけなことである。読み込むとメーカーのサイトかと思えば、動画配信サイトである。要は、動画を見ながら設定しろ、ということなのだろう。コンピュータに接続するプリンターのセッティングに、スマホ必須、と言うわけである。

2021年4月10日土曜日

作戦

消耗品扱い、というのは、政府の戦略ではないかとよく思うことがある。同居人は車好きである。お気に入りは17年オチ、数年前から税金が上がった。政府は古い車に重税を課すのである。

税金を払いたくないために、車を買い換える、という作戦を狙っているようにしか思えない。自動車産業に役立つ税金アイディアではある。戦中戦後派に育てられた世代としては「もったいない」という気分の方が先に来る。住宅や衣類もしかりなのだが、経済が回るためには「買いかえる」ことが大切なのだろう。わかってはいるのだが、もったいないことである。

2021年4月9日金曜日

消耗品

 そんな空き家が何軒かあった土地に、ここ半年ほどで建て替えの工事業者が入るようになった。コロナで景気が悪いのかと思っていたのだが、ステイホームにテレワークで、郊外に住宅需要があるらしい。そういえば、近所の畑やよく通る雑木林も建売住宅になって大売り出し中である。居住宅の方は、町内会の申し合わせで土地を細分化しない、というお約束があるらしい。あまり分割せずに、6−70坪ほどの土地に大きなカーポートをつけた一軒家が建てられている。ところかわって、元は畑だったところに並んでいる建売住宅の方は、2−40坪ほどの土地に目一杯家を入れて、カーポート1台、庭無し、あってもほんの少し、がここらのトレンドである。

上物を壊すのに数日、地ならしするのに数日、ああ更地になったなあと思うと、後いう間に家が建っている。早業である。

海外の知人に不動産売買をしている人が居た。古い中古住宅を買い、住みながらリフォームやリノベーションをして、きれいになったところで売ると言う。日本では建物の価値はあまりないので、解体して新築、というのが「コスト的にもスケジュール的にも良い」という風潮である。伊勢神宮も建て替えをする国なので、古い住宅には価値がない。そうやって建てられる建物は、受け継がれるものではなく、消耗品である。

2021年4月8日木曜日

空き家

 実家も同様だが、現在の居住地はいわゆる新興住宅地である。50年ほど前に宅地開発されたところで、ほどほどの一軒家が並んでいる。こういったところは、「代々住んでいる」のではなく、開発時に土地を購入して移り住んだ住人が多い。かれこれ50年前に核家族で引っ越してきたわけだ。子ども世代が私の年頃なので、当然のように大学や就職や結婚で家を離れる。実家に同居、と言う場合は、そのまま住むか、二世帯住宅に建て直すか、の選択になる。むろん、子どもが同居しないケースもあるので、かつては4人で住んでいた家に老夫婦2人が残ることになる。老夫婦も、元気なうちは良いのだが、次第に年をとる。どちらかが病気になったり、施設に入ったり、亡くなったり、すると、一人暮らしである。それが心許なくなると、子ども世帯の方へ引っ越したり、施設に入ったりしている様子が多い。そうなると、家は「空き家」になる。

こういった風情の空き家が、居住宅のまわりにも数軒ある。時折子ども世帯が様子を見に来たり、庭の手入れをする業者が入ったりしている。まったくのほったらかし、と言う状態ではないのだが、住み手のない家はなんとなく寂しげに見えるものである。