2013年1月30日水曜日

決まり


デザイン系の校舎は石油ストーブではなくて、スチーム暖房が設置されていた。学内のボイラー室でお湯を沸かして、パイプで送るものである。

強弱の調整は教室内のバルブで行う。設置は教室の一方の窓の下にしかないので、教室内は温度差が激しい。一方で、on/off は個別にはきかない。融通の利かない装置である。
11月にもなると肌寒く暖房が欲しくなる朝もある。ある朝、暖房が来ないので、先生が施設課に「そろそろ暖房つけてくれない?」と連絡した。ボイラー室のおじさんのお返事は「最高気温が15度以下の日が連続して3日以上続く」とお湯を沸かす決まり、ということだった。

ボイラー室の決まりがある。今日だけ「on」というわけにはいかない。結局小さな電気ストーブを密かにあちこちに配置したのだった。

2013年1月29日火曜日


美術学校で教室、というのは基本的に「汚れるアトリエ」である。一昔前は、ほんとうに窓と扉だけある「ハコ」というのが、アトリエの基本設計だった。

美術系のアトリエの暖房は業務用の石油ストーブである。
当然のことだが灯油は補給しなくてはならない。クラスで当番制、施設のおじさんのところへポリ缶を持って灯油をもらいに行く。

たいていの場合、教室では天板には金だらいが乗っかっていて、水がはってあったりする。研究室ではやかんが乗っかっていたりするのだが、夕方になるとおでん鍋に置き換わる。
日本画では、学生がそれぞれ電気コンロを持っている。もちろん膠を溶かすためである。夕方になると、やはり小鍋や餅焼き網に置き換わる。

夕方になると、どこからともなくおいしそうなにおいが漂ってきた。

2013年1月27日日曜日

屋外


学校では卒業制作展も終了したようで、ばたばたと年度末の作業が続いている。
入学試験のある2月いっぱいまで、寒い季節である。

東京といえども郊外にあるので、都心から学校に来ると「温度差」を感じる。2-30年前はもう少し周囲に畑が多かったので、なおさら、である。

美術学校というのは、「汚れる作業」が多いので、基本的に校舎は「オープン」なつくりである。廊下や階段などの共有スペースはほとんどが「半屋外」、つまり「ふきっさらし」だった。もちろん、トイレもである。
教室内は暖房があるのだが、トイレに行くためにオーバーを羽織る。大雨の日は傘をさしてトイレに行く。トイレに暖房などなく、壁や扉の外はすぐ「屋外」。当然寒い。冬になると、あれこれと都合を付けて図書館に出向いたりしたが、そこには構内でも数少ない、「外気が扉から直接入らないトイレ」があったからである。

今やほとんどが暖房便座付きの洋式トイレ、洗面所内も冷暖房完備、である。

2013年1月26日土曜日

追伸


学校は年度末、そろそろ授業の採点作業が忙しくなる時分である。

学生側としては、ズルをしても、サボっても、単位をもらえてしまえばこっちのもの。一方、先生側としては、単位さえ与えればいい、というのは昔のハナシである。今は結構学校の管理が厳しい。来年度から制度としてさらに厳しくなる、ということでもあるので、もちろん、地道に点数を数えて計算をしている。同居人の授業の受講生は100人以上、テストを含めて15回分の点数があって、合計点で判定する。データベースソフトとか表計算ソフトとは、ありがたいものである。
今時の学生は真面目なのが多いので、概ね学校の規約通りに出席して試験を受ける。女子学生が多いと、特に真面目なのが多くなる傾向がある。
学校のルールというのは一応あって、出席が2/3以上で期末試験の受験資格が得られる(実技の場合は課題の提出が認められる)。だから、サボるときは、自分の出席回数を把握していないといけない。

同居人の授業では最終的には教場レポートで試験をする。答案用紙を集計していると、数名、「お願い」というのが答案に書き加えられていたりする。
「出席があまりできませんでしたが、とても面白い授業でした」などと書いている。お世辞にしては、ちょいと何かいわくありげである。出席簿など見直すと、案の定出席が危うい。
もう1パターンはもう少し露骨で、「単位ください」。露骨すぎるので、出席簿を見直すと、案の定、かなり出席が危うい。
今年の一学生は、「就職が内定しました。ぜひこの授業を社会で役立てたいと思います」。普通は、このような「よいしょな追伸」はつけたりしない。怪しいなあ、と出席簿など見直すと、出席が皆無である。内定したが、卒業所要単位がかなり厳しいのかもしれない。登録だけしてあった授業の試験だけダメモトで出たのだろう。もちろん、試験の受験資格そのものがないので、対象外もしくは0点である。人生そんなに甘くはないということを社会で役立ててほしいものである。

答案の「追伸」は要注意である。

2013年1月25日金曜日

イヤホン


同居人の授業のカンニング騒ぎも、少し落ち着いた様子である。
授業で説教、もとい、学習することや、「テスト」というものの意味なんかを話していたようだ。ちょいとつつくと素直に反省するのは、美術専攻の学生の単純で、いいところ、である。

教職課程の授業を担当しているので、カンニングした学生も「将来教員志望」であるわけだ。教わる側から言えば、「カンニングしてた教員に習いたくはない」ような気はする。そういう教員に教わると、結局「点数がすべて」であると言われるような気がするからだ。

翻って、カンニングした方の身になって「カンニング」をインターネットで検索してみると、中国本土の試験の様相とか、カンニンググッズとかが出てくる。別の意味で面白い。しかし、こんなことを考えるのであれば、もう少し別のことに役立てればいいのに、と思ったりもする。
記憶に新しいところでは、日本の運転免許試験で耳にイヤホンを仕込んだカンニング、というのがあった。受験生は耳に仕込んだイヤホンがとれなくて他人の健康保険証で耳鼻科に駆け込んだので発覚、といった記事だったような覚えがある。カンニングする方も手を替え品を替え、だったりするのだが、カンニングで取った免許で運転されるのは怖い。一時停止の意味が分からない運転手に横断歩道上で轢かれたくはないし、一方通行の標識が読めなくて逆走してきたトラックと正面衝突したくはない。何のために免許試験をやると思っているだろうか。

最終的には、「正直者が馬鹿を見る」ような教育方針では、よろしくなかろうと思う。受講生には、「清く正しく美しい」教員になってほしいものである。

2013年1月24日木曜日

カンペ


もちろん、今も昔も学生は「楽して得する」ことを考えるものである。
当然そこにはリスキーなこともあるだろうし、むしろ「得する」考えるよりも真面目にやった方が早かったのではないか、ということもあったりする。

我々の世代であると「カンペ」というのが、カンニングの代表的なツールである。小さな紙にヤマをはった「お答え」を、米粒に書くような小さな文字で書き込んだりするのである。ボールペンの軸に仕込んだり、消しゴムに割れ目を作って挟み込んだりするのだから、もちろんちっちゃな紙である。だから、カンペを作り終わった頃には、中身は頭に入ってしまい、当日はお世話にならなかった、ということすらあったりする。もちろん、ヤマが外れたら、カンペを取り出すまでもない。あの苦労が無駄だったと知るだけである。

もちろん、一般的に学校では「試験が命」なので、どんな試験であってもカンニングが発覚したら即退学、いや除籍だなー、という対応をするところもあった。シビアである。
冷静に考えれば、試験で世の中を渡り歩く社会であるので、それなりにズルはリスキーである、というごくごく当たり前なことだったりもする。

2013年1月22日火曜日

コピペ


当然、今も昔も学生は「楽して得する」ことを考えるものである。

インターネットにつながったコンピュータでレポートやら論文を書くようになった今日この頃、学生さんの「資料をきったりはったり」する作業は格段に簡単便利になった。だから、レポートの課題を見ていると、「どこかで見たような文章だなあ」と思うことが増えた。ややもすると、何人も同じような文章を書いていたりする。
もちろん手書きの時代も、資料丸写し、というNGなレポートもあったのだが、まあ手書きだから語尾を少しアレンジしたり、ちょいと文章の順番をかえたりなどして、一生懸命ごまかそうとはしていたのである。ところが、コンピュータではまるごと「コピー」して「ペースト」しちゃうものだから、一言一句間違いのない丸写しになってしまうのである。
もちろん教える側の方も心得ているもので、「コピペ発見ソフト」というのが開発されていたりする。こういう話題は、誰が正しいとか、教育的な配慮とか、いろいろあったりする。本当の問題点はまたべつのところにあるのだろうし、抜本的な解決策というのはないのだろう。

手書きなら、書き写せばいくらかは頭に入るのだろうが、コピペではそんなことはない。
ただ、こういったことで勉強の機会を捨てているような学生が増えてくるのは、少し悲しいような気がする。

2013年1月21日月曜日

二部制


さて、今も昔も学生は「楽して得する」ことを考えるものである。
スマホでカンニングでショック!だった同居人とて、学生時代を思い起こせばいろいろなことがあったはず、である。

当人の世代は、いわゆる「団塊の世代」、ベビーブームとはちょっと時期はずれるのだが、出生数が多い世代である。
戦後しばらくの急成長時代と重なり、さまざまなインフラが整備されつつある頃だ。同居人が通った小学校は、当然のように1学年は二桁の学級数があり、1クラスは40人など遥かに超える児童数、しかも「二部制」だったらしい。午前の部と午後の部では、同じ授業を、違う子どもが受けにくる、というシステムである。教室という「入れ物」が、足りない時代であった。
受験して入った中学もマンモス校、ひたすら遊んでいたりするご学友も多かったようだし、ユニークな教育内容でもあったそうだが、それなりに厳しいようで、私などには考えもつかない「高校留年」もあったそうだ。
日本全体として、大学の進学率は15%、通ってみれば学生紛争なので、まじめに授業を受けるどころではない時期もあり、同居人の場合は卒業式中止。本人はひたすら授業よりもスポーツしていたようなので、ご学友とかゼミの先生よりも、チームメートの方が今でも続く「お友達」である。

翻って現在は、小学校では少人数学級や、TT(TeamTeaching)なんかもあったりする。少子化ということもあって、何事も競争率は低いし、高校は全入に近く、大学などは今や5割が行く時代である。教育上の問題点というのは、むしろ今の方が顕在化しているような気もする。

2013年1月20日日曜日

寄り道


日本の社会で理不尽だなあ、と思うのは、結局「敗者復活戦」が社会ではあまり見られないからだ。最終学歴と新卒で入社した会社が人生を決めてしまうシステムが、まだまだ一般的だ。今や中卒の国会議員は皆無に近いのではないだろうか。

美術学校ではそんなことはあまりない(というか、ほとんどない)。大手の会社に就職しても、転職したり独立したりするケースが多い。成功したケースはメディアに取り上げられたりするので伝わってくるのだが、反対のケースは伝わってこないだけだ。
我々の世代だと、「喫茶店のマスターが夢」ということをよく言った。今だと思いもかけないところで「えっ、ご同窓だったんですねえ」ということもあったりする。
知人の娘など、油絵学科を卒業して、念願のゲームメーカーに就職、2年ももたずに退職、現在ホームヘルパーの資格取得のために専門学校にお通いだったりする。私が「よいよい」になったときに来るヘルパーが、後輩だったりするかもしれない。

ただ、こうした「いろんな寄り道」を知っている人が、社会に増えてくれば、もう少し渡りやすい世の中になるのかもしれないなあ、と思ったりもする。

2013年1月19日土曜日

価値

カンニング、ということで言えば、結局たった1回の筆記試験ですべてが決められてしまう、というルールがあるからやってしまうのである。
入学試験なら、当日風邪をひいてしまうと、その後の人生はちゃら、というルールが理不尽だと思うからである。

神奈川県には「アチーブメントテスト」というのがあった。中学2年の終わりに数日かけて全科目の筆記試験があって、その結果と内申書と入学試験を足して、入学考査としていた。入学試験の比率は4半分ほど、だからアテストの結果次第で事実上の志望校決定という感じになる。3年生になって受験する試験当日の結果がすべて、という状況ではなく、従前の中学生活全体から進学を決める、あるいは内申書での判定では学校や教師によってスタンダードが違うので、というコンセプトだったようだ。

結局これも、単に筆記試験が前倒しだったり、部活がやれなくなったり、全科目なので体育も美術も音楽も筆記試験で判定されたり、ということで、いいこと尽くめ、ではなかったようだ。

試験の方法もいろいろと手を替え品を替えしているのだが、当日一本勝負なのは、あまりかわらない。だから、どんなことをしてもその試験に「良い点数」をあげなくてはならないのである。フェアであることよりも、「良い点数」の方が、彼にとって価値があるからである。

2013年1月17日木曜日

物差し

東日本大震災前の話題と言えば、入学試験で携帯電話を利用したカンニング、であった。
情報取得のリテラシー、と言えば聞こえはいいし、もちろんそういった能力も社会では必要だろう。が、試験というものは「ズルをしない」というのが前提である。「外部と接触しないで受験する」ことが前提の試験の現場で、それをするというのはよろしいことではなかろう。

私の授業は実技実習なので、ズルをする余地はまあないのだが、同居人のような一般的な講義科目では大変そうである。
先日行ったテストでも、カンニングはだめですよと事前に通知しているにもかかわらず、こっそりスマホで語意を調べたり、情報を集めたりしていたらしい。彼らには「テスト中のスマホ利用」はカンニングであるという認識がないようだ。
小学校ではさすがにこういった事例はないので、同居人の方はかなりショックだったようだ。数日ふさぎこみ、授業辞めると言い出していたりした。
逆を言えば、語意を記述したり、情報取得で何とかなるような試験問題そのものを考えなくてはならない、ということだろう。
口頭試問、という試験形式がある。それが一番正確な「物差し」になるような気がするが、200人弱の受験者に、1人の試験官でそれは現実的ではない。
そうなると結局論述問題にしかならないので、採点にかなり時間をかける必要がある、ということである。

先生と学生のイタチごっこは、今も昔も、まだまだ続くのである。

2013年1月16日水曜日

IDカード

さて、同居人が講義する学校では、学生さんは「IDカード」を持っている。
昔は紙に写真を貼って、事務局が割り印を入れたりする「学生証」だったが、今やクレジットカードのように磁気情報を入れたカードが「学生証」である。

人数の多い講義だと、入り口に「カードリーダー」があって、それにカードを通して出席管理ができます、と着任時に事務職員が自慢していたらしい。学校もIT化が流行りである。

ガジェット好きなのは講師も同じである。では、と使わしてもらおうと意気込んで登校すると、カードリーダーが全部貸し出し中です、とか、故障中です、というのが多かったらしい。結局、出席票を提出させることが何度か続いた。こういった出席票を整理するのが、私の夜鍋仕事になった。
カードリーダーが運良く借り出せて、使ってみると、なぜか何度もカードを読み込ませている学生がいたそうだ。欠席する学生のカードを集めて、まとめて代表がカードを通しているのである。新手の代返である。

結局どんな作戦をとっても、代返というのは皆無にならないのだった。

2013年1月14日月曜日

猛者

もっと学生数の多い大学だと、もちろん大人数の大講義、というのがある。

アナログ世代だと、これくらいの人数ではもう出席を取る、というレベルではない。休んだところで教師が「あれ、今日は○○くんはいないねえ」などと言うことはない。
だから、日常的な教室内の人数と、期末試験の会場の人数がかなり違う、ということがある。思わず「いつもの教室」ではなく、もう一回り大きな教室で試験だったり、教室を二つに分けて試験だったりすることがある。

マンモス大学での伝説である。
ある大人数の講義の期末試験で、配布された問題用紙の最初に、こんな設問があった。
1、この講義の講師を、下の10枚の顔写真の中から選べ。

1回も出席せずに期末試験だけ受ける猛者がいる、ということなのだろう。どれだけの大人数の講義なのだろうか。

2013年1月13日日曜日

代返

同居人の講座は一般講義なので、受講登録者は200人弱、平均的な出席が100人超えである。
これくらいの人数だと、教室内の学生の顔を覚える、という段階ではない。学生も単位は欲しいが勉強はあまりしたくない、というのが世の常なので、講師とのイタチごっこが続けられる。

筆者の学校はそうそう大所帯ではないので、何百人という大講義はあまりなかったが、それでも「出席簿まわし」では授業内に名簿が回りきらない、というケースがあったりする。こういう時は、「出席票」というのが使われる。
入室時に1枚ずつ小さな紙切れが渡される。紙には「日付、授業時限数、科目名、担当教員名、受講者の専攻学年クラス氏名」を書くための枠が印刷されている。授業終了時に教員が回収する、という仕組みである。

出席簿回覧よりも、まあ代返がしにくい仕組みにはなっているが、皆無にはならない。配布と回収はやはり手間取るので、いちいち紙と名前と顔を照合するわけにはいかないからである。同じ筆跡だと代返がばれる。ときどき、注意されたりする。

来週の代返用に、数枚の紙切れを確保する学生がいたりする。次の週は、違う色の紙切れが渡されたりするので、NGである。そこらへんは、予想の範囲内である。
世の中、ずるをしてはいけない、と思わされるのが学校、というところなのである。

2013年1月11日金曜日

前提

さて、同居人の大学における講座のひとつは一般講義なので、受講登録者は200人弱、平均的な出席が100人超えである。
これくらいの人数だと、教室内の学生の顔を覚える、という段階ではない。学生も単位は欲しいが勉強はあまりしたくない、というのが世の常なので、講師との「イタチごっこ」が始まる。

我々の世代だと、完璧なアナログ世代なので、「イタチごっこ」が前提である。
100人を超えるような講義科目の出席は、授業中に出席簿が回ってくる、という仕組みだった。自分のところに自分でチェックを入れるのである。もちろん、仲良しのお友達の分もチェックを入れる。まあここいらへんは、織り込み済みである。出席人数と教室内の人数は違いがある。チェックを入れてもらえない学生は「友達がいない」ので、問題外の外。
試験はと言えば、それなりの長文の教場レポート。解答用紙は真っ白で、問題は当日試験監督が発表。試験範囲の予告はあっても、「代返組」には意味はないのでもちろんこれで「落ちる」ようになっている。ノートやテキスト持参のテストもあったりするが、「代返組」はもちろん試験場でじたばたするだけになるので、結果は知れたもの。

だからまあ、出席していない授業の単位はまず無理、というのが前提で授業というものが成立していたのが「アナログ世代」である。

2013年1月8日火曜日

同窓会


同居人は、公立、私立、国立と、さまざまな小学校を渡り歩いた。それぞれメリットもデメリットもあり、子どももご家庭もいろいろである。

東京では、初等教育事情というのは特殊である。バブル時期に「流行った」ということもあって、幼稚園小学校から「お受験」というのが、よーく話題になる。
地元の公立小学校に行かずに、私立や国立の小学校に行く、という選択肢である。

まあ傍目にはいろいろに映るだろうが、子どもにとって決定的な違いは、「放課後どこで誰と遊ぶか」という選択肢がかなり狭くなることである。私立や国立は、歩いて通える距離でないことも多い。電車やバスで通うわけだ。同じ教室の友だちは、違う町や区から通ってくる。住所録を見れば、同じ町内に住んでいるクラスメートはいないことのほうが多い。だから、放課後「あーそびましょー」と言って、友だちの家の前で声をかける、という状況は皆無になる。隣の家に同年齢の子どもがいたとしても、通う小学校が違えば生活のスケジュールも違う。頻繁には遊べない。地元の小学校なら、地域ぐるみの祭りやイベントなどに参加したりされたり、といったこともあるが、私立国立の子どもにはそういったチャンスは少ない。だから、地域密接型とは言えない。「地域で子育て」とは、少し違うのである。

良くも悪くもこんな具合なので、同居人が勤務していた小学校では、卒業後の同窓会に「成人の日」がよく使われる。地元の成人式に行っても、知り合いはほとんどいない。だから小学校同窓会を兼ねて集まるのだそうである。なるほど。

2013年1月6日日曜日

みかん


同居人は、公立、私立、国立と、さまざまな小学校を渡り歩いた。それぞれメリットもデメリットもあり、子どももご家庭もいろいろである。卒業して既に10年以上も経つのに、丁寧な年賀状をくれるお子さん(もうすでに大学を卒業したいいお嬢さんだが)がいたり、元担任の定年親父を飲み会に誘ってくれるクラスもある。

地方出身の人と話をすると、まず東京の初等教育事情について驚かれることがある。幼稚園や小学校のお受験は、バブルの頃が絶頂期だったとは思うが、いまもそれなりに「ホット」な話題でもある。
就学前の子どもの「見分け」というのは、受ける方からすると「そんなもの分かるものか」というくらいだが、大勢の子どもを見ている「受けられる側」からすれば、それなりなものだそうである。

私の通っていた私立中学校には、下に小学校があった。そこの入学試験は数時間にわたるものだったそうである。同級生の体験談で、ずいぶんと昔の話なので、今も同様であるとは思わないが。
お遊戯や体操をやらせたり、お絵かきやお人形遊びをさせたり、といったことを通して、先生たちが子どもを観察するのだそうである。ひとしきり、そんなことをやったあとで、おやつと称して、ミカンが配られる。それを食べたら試験はおしまいだったらしい。
実はその「ミカンの食べ方」というのが、けっこう重要な試験項目で、食い散らかしたりしたら「アウト」だったのだそうである。「模範解答」というのがあって、皮を四方向にむいて、白い筋を取り、一房ずつ食べて、薄皮だけを残す。食べた後は薄皮を表皮にくるんで、見苦しくないように折りたたむ、のだそうである。

本当かどうかは定かではないが、皮ごと食べたり、二つに割ったり、いきなりかぶりついたり、してはならないのだそうである。私は「模範解答」のような食べ方をしないので落第。ああ小学校を受験しないで良かったなあと、思ったのだった。

2013年1月4日金曜日

すし


同居人が小学校6年生担任だった頃の話である。6年担当というのは、授業以外の仕事がかなり多い。卒業にかかるイベントや作業が同時にかぶってくるからである。しかもそれは年末年始を挟んだ作業になったりする。

6年生の恒例と言えば、卒業文集に卒業アルバムである。原稿や写真を集めたり整理したり、といった細かい作業はもとより、編集なんかも子どもが中心になって作業する。中心になって作業した、といった実感が大切なのかもしれないが、フォローは先生たちの作業である。

その学年は、卒業アルバムに個人ページをつくる、という編集計画を立てた。絵画やお習字、自分の写真なんかを並べるわけである。個人写真は、まあ普通であればバストサイズ、正面、いわゆる「証明写真」になるケースが多いのだが、その学年は「コスプレ」をすることになった。「将来の自分像」というわけである。
撮影された写真の整理を手伝っていたのだが、子どもなりにいろいろと工夫してコスプレするのである。なりたい職業、というのがコスプレのキーワードになっていたようで、白衣着てバインダー持って「お医者さん」とか、ベレー帽でスモック着て「画家」なんかがあったりする。仕分けしていて面白かったのは、女子の多くは昔も今もあまり変わらないことだ。医者とか薬剤師、なんていうのはたいてい親がそういう商売をしていて、そうでなければ「アイドル歌手」とか「お菓子屋さん(今風にパティスリー、なんてキャプションがついていたりするが)」「パン屋さん」「漫画家」「バレリーナ」「バイオリニスト」「小学校の先生」なんかが並んでいたりする。色気より食い気、習い事や特技で身を立てようとするのは、女子にありがちなのかもしれない。一方男子の方はと言えば、「テニスの選手(その頃テニス漫画が流行っていた)」「サッカー選手」がぽちぽち、しかし目立つのはネクタイしめて「一流企業のサラリーマン」「国家公務員」「地方公務員」「法務関係」などのキャプションが多いことだった。「宇宙飛行士」や「ノーベル賞受賞の科学者」をやっていたのは男子ではなく女子である。プロスポーツ選手も総体として少ないし、現実的な将来像ではあるが、何だかなあ、という気がした。

やたらぽっちゃりしている男子で「すし屋」というのがいた。鮨屋のセガレではなく、サラリーマンのご家庭だそうである。少しホッとした。

2013年1月3日木曜日

お返事


一介の非常勤講師ではそういうことはあり得ないが、同居人は小学校の教員が長かったので、3が日は年賀状のお返事書きに忙しい。

現場の教員だった頃は、教えているクラスの子どもからの年賀状もそれなりに来ていた。私の実家ではそういったことがなかったので、びっくりしたのは、親御さんからの年賀状もそこそこ多い、ということだった。子どもの年賀状の片隅に親御さんが一筆添えてあるのもあれば、むしろその逆、親御さんが宛名を書き、子どもの名前で差出人として書いたりしているようなのもあったりする。
12月に年賀状ネタというのを授業でやったりすると、作品とおぼしき版画やスタンプを使って作成してくることもあった。

今やコンピュータで写真をレイアウトしたり、宛名をプリントしたりしてくるのが多いので、子どもか親か、どっちが作業したのだかわからない、というのもあったりするが、「芋版」、宛名が手書き、しかも子どもの字(上手くない)の年賀状がやってくると、ちょっと先生はうれしいらしい。