2014年2月27日木曜日

こたつ

寒くなるとしもやけができる。

家族中では私だけ、しもやけ持ちである。しもやけ、というのは体質の遺伝も理由になるらしい。
母親の家系ではそういう体質の人はいないらしい。母親の方の家系のアドバイスは、劇的に効果があったわけではないので、あまり困った人はいないのだろう。聞くところによると父の妹は小さい頃はよくできていた、らしい。
でも私は、いいトシになっても、まだしもやけ持ちである。

雪山やスキーなどに行くわけではなく、首都圏に住んでいて、普通にしもやけができる。郊外に引っ越した頃は、鼻の頭にしもやけが出来た。寝室が寒かったのだろうか。
最近はどちらかというと、指先に出来るようになった。これがまた、暖まるとかゆくなってイライラする。堪え兼ねて皮膚科に行くと、「おやまあ」と言われるのである。去年は、親指以外は「たらこ」状態である。

ここ1−2年は、寒くなると靴下は2枚履き、速攻で皮膚科へ行って、内服薬を処方してもらう。効果てきめん、とは言えないかもしれないが、重症化はしない。まあ、こんなもんか、という感じだ。

しもやけのできない実家の家族の方は、いたって気軽なのが、ときどきうらやましい。私一人が、こたつに入ると悶絶していたのであった。

2014年2月19日水曜日

サイズ

寒くなってくると、しもやけができる。

子どもの頃はたいてい足に出来た。


祖母からは、靴の中に鷹の爪を入れておくように言われた。学校へ行って靴を脱ぐと、ぼろぼろになった唐辛子で白いソックスが汚れていていやだった。もちろん、私にはあまり効果はなく、しもやけは出来た。

母からは、風呂の中でもむように言われた。それも即効性はなく、むしろ、しもやけはどす黒くなっていった。

祖父からは、サロンパスを小さく切って貼るといいよ、と言われた。朝起きると布団の中は、小さなサロンパスの切れっ端がいっぱいである。

中学高校は、通学時は指定の革靴である。電車通学なので、ふきっさらしの駅のホームでで電車を待つことしばし、しもやけ養殖中である。
しもやけができると、足が膨らむので、靴は窮屈になる。窮屈になるとしもやけが出来る、の悪循環である。

そんなわけで、私は冬用にワンサイズ大きな靴を買ってもらったのだった。

2014年2月16日日曜日

野宿

同居人の札幌での出張授業は、ハードスケジュールである。
去年は、さっぽろ雪祭り寸前のスケジュールだったが、今年はどんぴしゃで雪祭り真っ最中である。こういったイベントに近いスケジューリングなので、観光地としてはハイシーズンである。航空券も宿も、予約は大変である。

ハードスケジュールだけに、雪祭り満喫、とは言えないだろうが、横目で楽しめるくらいは出来たらしい。事後作業、つまり採点もあるが、いつまでものほほんと宿にいるわけにはいかない。出張授業をする学校での枕代の提供は「授業日のみ」、つまり3泊分である。さっさと帰って、採点作業は自宅でやることになっていた。
帰宅予定日が土曜日、つまり「週末は首都圏は大雪の予報」だった。案の定欠航になったが、宿はすでにチェックアウト、延泊も出来ない。新千歳空港内には「温泉」があるので、なんとかなるだろ、という電話だった。

なんとか、はあまりならなかったらしく、結局空港内で野宿状態だったらしい。空港では毛布を貸してくれたらしいが、あまり眠れなかったようで、へとへとになって帰ってきた。

札幌の出張授業はいつも波瀾万丈である。

2014年2月14日金曜日

ロックアウト

今日のお天気も雪である。

首都圏では、数センチも積もるとニュースで大騒ぎになる。雪慣れしていないので、ちょっと道が凍ると、みんなつるつると滑る。ずいぶん前になるが、父がやはり通勤中に革靴で滑って骨折した。
さっぽろ雪祭りな季節での昨年の出張授業、同居人はごっつい雪靴とアウトレットのセールで買ったフィールドコートで出かけて行った。

授業は講義半分、実技半分の集中授業、210名の大クラスである。70名ずつの3クラスに分け、1クラスが午前午後通しで1日授業をする。3日間、先生の方は同じことを繰り返す、というハードスケジュールである。
当然のように、朝は早くから準備に行き、夜は遅くまで採点と翌日の準備である。夜も遅くなったが、もう一息、というころで、小腹が空いた。構内の売店は既に閉まっているので、門の外のコンビニに行こうと教室を出た。人気のない、夜の校舎である。外は雪が降っていて、風も強い。昇降口から出て、買い物をして、帰ってきた。出てきたところから入ろうとするが、ドアが開かない。どうも自動ロックだったらしい。しょうがないので、他の入り口を探すが、どこも開いていない。建物にも灯りのついた部屋ははあまりなく、守衛を捜すが、北海道らしく広い構内で、守衛室が見当たらない。雪も降っていて、人も通らない。だんだん、風が強くなってきた。

「夕べは大変だったんだよお」という電話が、かかって来た。翌朝である。そうでなかったら、札幌の大学構内で、肉まんとあんまんを抱えて遭難していたに違いない。

2014年2月13日木曜日

条件

雪靴は前月に大騒ぎして探して買った。いの一番にスーツケースのそこに入れた。
地域が違うと、衣料事情はずいぶんと違うものである。東京で「雪の中、歩ける靴」はなかなか靴屋ではお目にかからない。
さて、ともあれ、オーバーも調達できてよかったねー、と言ったあと、午後5時頃、出発時刻の時分に、また電話がかかってきた。

「札幌が吹雪で欠航になるかもしれない」。

どうしようもないのだが、出発が茨城空港で、いわゆる格安航空会社利用である。空港会社は話し中で通じないし、空港のカウンターも話にならないらしい。東京のブランチに連絡してくれと言われたが、こちらの方も「欠航になるかどうかわからない。欠航になっても代替便は用意しない。明日の便になっても宿泊料も何も出せない。とりあえず搭乗口にいろ」。
結局1時間ほど遅れて、到着できなかったら他の空港かUターン、という条件付き出発になった。

いろいろと嵐を呼ぶオジサンである。

2014年2月12日水曜日

調達

さて、週末の首都圏は大雪だった。

この時期、同居人は札幌に1週間ほど、出張授業である。
去年は、出かける日がえらく暖かだった。セーターを着て、ちょっと動くと暑いくらいの陽気だった。午前中に別の仕事を軽やかにこなし、午後の飛行機に乗る予定だ。

昼過ぎ、仕事先に電話がかかってきた。
「いま、高速道路のサービスエリアなんだけど。オーバー、忘れちゃった」。

行く先は、「さっぽろ雪祭り」な場所である。オーバーなしは無謀だろうが、茨城空港までオーバーを持って行く時間はありそうもない。結局、手前の町で降りて、アウトレットモールのセールで現地直前調達、となったらしい。

2014年2月11日火曜日

余録

作品についての背景を知ることは、面白い。それを知ることで、また違った見方が出来るからだ。だから絵具を塗ったキャンバスにさまざまな意味を見いだすことも出来る。だから、作品についての情報を知りたくなるし、調べ始めたりする。

ただそれは、作品そのものが自分の目の前になくても、出来ることだ。展示室内で用意されるものは、必要最小限のものでいいはずだ。その場で簡単に入手できる情報は、簡単に頭の中からこぼれ落ちる。帰りに資料室へ寄り、文献を調べ、別の日に図書館へ出かける手間がかかれば、簡単にはこぼれ落ちない。

問題は、帰りに食べたアイスクリームがおいしかった、などという余録の方を覚えてしまうことかもしれない。

2014年2月10日月曜日

探す

展示室で資料にまつわる情報をすべて入手できるのがベストである、と考えている学生さんが多いので、ときどき驚くことがある。展示室ですべての情報を見ることが出来れば、というのは、今時の学生さんの発想だなあと思う。
調べ物をしてレポート、という課題でもインターネットの参照サイトがずらっとならんで「参考文献」というリストになっていたりする。こういう学生さんは、何でも「ググり」まくる人なんだなあと思う。

それが「良いこと」なのかどうかは、分からない。確かに便利だし、いろいろなことを覚え込まなくなったなあと思う。

ただ、インターネットがなければどうするんだろう。インターネット上の情報をここまで鵜呑みにしても良いんだろうか、とも思う。調べ物をするために、図書館へ行ったり、資料を探して古書店をはしごしたり、博物館へ行ったり、といった経験は、なにものにもならなかったんだろうか、と自問自答してみる。

2014年2月8日土曜日

背景

作曲家の代作暴露が新聞でも大きく報じられていた。いろいろな見方があり、意見もあるだろう。
これについてとやかく言うつもりはない。ただ、今担当している科目のテーマと少しダブって見えるので、気になった。

担当している科目は、「博物館展示とメディア」に関することをひとつの課題にしている。展示について考えろ、といってもあまりにも風呂敷が大きいので、「展示資料と展示補助装置の調査報告」をベースにしている。そこに置いてあるのが「石ころ」ではなく、「月の石」だと分かるためには何が使われているか、というわけだ。
こういった博物館展示についてのパロディーというのは昔から行われている。ガラクタにそれらしいキャプションパネルをつける、というのは、よくやる遊びのひとつだ。

それはともかく、美術学校なので学生さんはよく美術展示を取り上げる。展示作品の「制作風景」のビデオが置いてあったり、会場で使える情報端末で作品の歴史や作家の経歴、高精細画像や、それにまつわる音楽が聞けたりと、作品についてのすべての情報が展示室で得ることが出来れば、なおいっそう作品を「良い」という。
それも一理はあるかもしれない。ただ、「鑑賞」することと、作品についての知識を得ることとは、違うような気がする。
作品の背景を知ることで「感動」するのであれば、今回の騒動と似ているような気がする。ピカソのドローイングだから良いのであって、隣の子どもの落書きはいかん、のだろうか。ゴッホが自らの耳を落とさなければ、「ひまわり」は美しくないのだろうか。

「鑑賞」も、難しいもの、なのかもしれない。

2014年2月7日金曜日

さて、改編期では、民放局放映のドラマの話題がよく上がる。

ここ数週間でよくメディアで見受けるのは、視聴者の反応は、ドラマのコンセプトはともあれ、モチーフになっている舞台や人物設定が、現実のものと混同されるのではないか、といったものである。ここしばらくでは、視聴者の反応によってスポンサーが降りたり、ドラマのコンセプトの方針変更、というのが取り上げられている。
ドラマを見ていると「ビミョー」だなあ、と思う。
フィクションをフィクションと思ってみる人、リアリティがありすぎてリアルな状況と受け取ってしまう人がいるだろうなあ、というかなり「きわどい」感じである。

何がフィクションで、何がリアルなのか、といったことは、制作者側の「キモ」である。「ありえなーい」から楽しめる世界もあるし、「隣のお姉さん」ぽいので楽しめる世界もある。
問題なのは、フィクションをリアルと混同しがちなオーディエンス、なのかもしれない。メディア・リテラシーという言葉が脳裏をよぎったりもする。
ハリウッドの宇宙を舞台にした映画も、NASAが「その設定は、ありえない」と発表したりもしている。こんな発表があるくらいだから、映画の世界を現実と混同するような状況がよく見受けられるのだろう。

人物や舞台設定でオーディエンスが疑問を持つようなことがあってはならない、と言われたことがある。そこに「嘘」を見いだされてしまうと、最後まで疑心暗鬼で、ドラマに熱中してもらえないからだ。「嘘」が最小限であり、それが「核心」であることが重要だ、とも言われた。特に映像は「リアル」に見えてしまうので、「リアリティ」を感じてしまうメディアでもある。作る側も、見る側も、要注意である。

2014年2月4日火曜日

八分目

少し前の話になるが、テレビ番組のやらせ発覚と打ち切りが報じられた。ドキュメンタリー風に、異なる技術を持つ会社の技術力を競い合わせる、といった内容である。

メディアというのは「嘘をつく」のが前提である。

ファッション雑誌のモデル撮影の現場では、背中側はサイズ合わせのためにクリップや洗濯バサミで服の寸法を微調整する。風になびくロングヘアーは、アシスタントが扇風機を抱えていたりする。ニュースを読んでいる背広姿のアナウンサーの足下はスリッパだったりする。
映像はことに、「見えなければOK」なケースが多いのだが、最近それに輪をかけているのは「画像加工ソフト」の存在である。動画はまだちょっと大変なのだが、静止画であればかなり加工が出来る。Adobe Photoshopでこんなに「化けました」サンプルは、インターネットを探せばけっこう出てくる。http://www.youtube.com/watch?v=vkwVMsGT0Os
 逆に「やりすぎ」「逆効果」「むしろ化けすぎ」なのもあったりする。使い方によってはむしろ「詐欺」と言われかねない。知らなければ「幸せ」だったりする。

もちろんすべてを疑ってみよ、というつもりはない。腹は八分目、信用するのも八分目、くらいでないと、メディアとはつきあいにくい。

2014年2月1日土曜日

学期末

勤務校は大学なので、授業は12月でおしまいである。

年が明ければ卒業制作やら、大学院の入学試験、転科編入試験などがある。
非常勤をやっていると、毎週授業が入っても、年の半分だけである。大学の専任の教職員の皆様は、授業以外の仕事もかなり多い。
通信教育課程の方は、これからが学期末、進級したければレポートや試験、卒業したければ残りの科目の単位を消化しなくてはならない。通学と違って、自己管理と自己申告が基本なので、大変だ。
担当している科目は、レポートだけでクリアする科目である。締め切り日までにレポートを出す、不合格だったら何日後までに再提出する、何日後までに合格点をもらう、というステップになっている。
締め切り間際になると焦って提出するのが人の常である。当年度中にクリアするためには「出さなくては始まらない」ので、締め切り日までにとりあえず出す。不合格であっても何日かの猶予が出る、というわけである。
というわけで、ここ数週間は「とりあえず」なレポートが増える。気持ちは分かるが、採点している方はちょいと辛いものがある。

学期末は学生さんも、赤ペン先生も、大変なのである。