2014年10月31日金曜日

分割払い

デジタルな機材の代表と言えば、コンピュータである。
手近にあっていつも触れるようになって、やっと慣れ、使えるようになるものである。

20年近く前のことである。
コンピュータグラフィックス、というのがまだまだ手の届かない時代である。どうしてもそれをやってみたい学生さんがいて、1年生のときに機材の購入を企てた。パソコン、ディスプレイ、入出力装置一式である。一括ではもちろん買えない。安い乗用車並みのお値段である。ローンを組んだ。卒業制作までそれで制作しようと、アルバイト代をつぎ込む予定で4年ローンである。その頃のそういった機材は、学生さんにとってももちろん「高嶺の花」である。クラスの中でも話題になって、数名がいつも彼のアパートに入り浸りになっていた。

しかし悲しいかな、技術進歩は早いものである。翌年には新型モデルが発売になり、次の年には性能倍増のモデルが半額で発売された。3年後はその倍増である。
購入した学生さんは、4年生になったときには既に型落ち、爆遅の機材で作業するはめになった。ローン中なので転売も出来ない。泣く泣く、学校の機材と自宅とをピストン往復しながら作業していた。

教訓。デジタル機材はローンで買わない。4年後には機材の状況は激変する。

2014年10月30日木曜日

おすすめ

電気仕掛けになってくると、機械は「消耗品」になってくる。

以前は、1年生のクラスで「一眼レフを買いなさい」みたいなことをよく言われたし、言ってもきた。自分の目玉になる機材で作品をつくることを習慣化するための第一歩である。
大事に手入れして使った父親のカメラを貰い受けて、アルバイトでレンズを買い、それで卒業制作の作品をつくる学生もいた。

現在は、1年生のクラスで「一眼レフを買いなさい」とはあまり言えなくなってきた。自分の目玉になる機材を持ち歩くことは同じだが、数年後の卒業制作の頃には「使い物にならない」かもしれないからである。電気仕掛け、とくにデジタル化された機材は日進月歩で進化する。

学生に「おすすめのカメラは何ですか」とよく聞かれるが、難問である。

2014年10月29日水曜日

交換

そんな実家のハイブリッドであるが、車検時にバッテリー交換をディーラーに「おすすめ」されたらしい。
バッテリーの価格は数十万である。3年分のガソリン代お得が吹っ飛ぶほどのお値段である。

当然のようにバッテリーなので、使用頻度や経年変化で劣化する。新車購入時にはそんなこと考えなかったようだが、ディーラーで「3年安心パック」みたいなものが購入時にオプションで加入できるようになっていた。最初の交換電池代はサービスです、みたいなコースである。
さすがに全員が交換すると、こういった「安心パック」な類いのオプションは破綻する。今はもうこのようなオプションはつけられないようだ。

電池もパーツのひとつではあるのだろうが、自動車屋さんや機械屋さんの製品ではない。だとすれば、旧型車のパーツとしてのバッテリーはいつまで製造するのだろうか。もちろん電池業界も技術は日々進歩するので、新しいかたちの「電池」にも、旧型車は対応できるのだろうか。そう考えると、ガソリンエンジンのような「クラシックカー」というのは、ハイブリッド車ではあり得ない気がする。

2014年10月28日火曜日

燃費

実家では「ハイブリッド」自動車のはしりだった、最初のプリウスを使っていた。実家はみんな「新し物好き」なので、わくわくしてディーラーに出かけたらしい。値引き一切なしの定価取引だったらしく、5千円もまけなかった、というのが今までになくびっくりだったらしい。

主に妹が使っていたのだが、確かに燃費はガソリン車に比べるべくもなくよくて、感動だったらしい。日頃使っている程度ではなかなかガソリンが減らないよーと自慢された。
それまでは週に1度は給油していたのが、2-3週に1度でもよくなったらしい。ついでに給油するのを忘れてしまって、ガス欠寸前になったこともあったらしい。

ハイブリッドでガス欠。文明とは微妙に不便である。

2014年10月27日月曜日

電池切れ

映像系の機材を学生の頃から使っていたので、バッテリーは始終身辺にごろごろしていた。
以前にも書いたが、バッテリーの材料や種類もいろいろあったり、機材によって専用のバッテリーが必要だったりする。

いまはどんなデジタルがジェットでも「バッテリー」込みである。スマホなどは消費が激しいので、学生さんは常にコンセントを探している。
充電池が旅先で駄目になったりすることもよくあって、そんなときに備えて一般的な乾電池で動作する機材をバックアップに持っていたこともあった。日本全国ばかりではなく、たいていの外国でも乾電池は補充できるからだ。

心配になるのは、町でよく見かけるようになった「電気自動車」である。出先で「電池」が切れたらどうするのか考えると、怖くて仕方がない。そうなることはないのだろうか。

2014年10月26日日曜日

電池

走りの頃の電動アシスト自転車だったし、渋谷代々木あたりを走るので、交差点での赤信号待ちでよく声をかけられた。まだまだ物珍しい商品だった時代である。
「それ、電動ですよねえ、どうですか」。

正直に言えば、坂道はらくちんである。今や電動自転車と言えば、ママチャリお子様用かご付きで一般的である。走り始めに誰かに後ろを押してもらっている感じ、である。原動機付自転車、ではないので、平地では「単なる自転車」である。それでも、発進するときに楽、坂道も確かに楽である。文明の利器だなあといたく感心した。「どうですか」と声をかけられたら、迷わず「楽ですよお、おすすめです」と答えていた。

積んでいるバッテリーと言うのが結構大きくて重い。その頃だからニッカド電池である。この種類の電池は継ぎ足し充電が出来ないので、いったん放電させなくてはいけない。ちょいと取り扱いが面倒である。経年変化と使用頻度で電池容量が減っていく。
一度遠くへ出かけたらバッテリーの容量が急激に落ちた。ニッカドは突如電圧が落ちる。帰りは単なる「重たい自転車」に早変わりである。坂道らくちんどころではない。上り坂は筋トレ状態である。しかもバッテリーの買い替えは、けっこうなお値段である。

平地の多い郊外へ引っ越したのを機会に、電動アシスト自転車は他人に譲って、軽いクロスバイクに買い替えた。坂道らくちんではないが、バッテリー切れや充電具合を心配せずに乗れるのも、らくちんである。

2014年10月25日土曜日

渋谷に住んでいた10年頃前の話である。

電車やクルマに乗っているとあまり実感しないものだが、自転車で街中を歩くと坂道が気になるものである。渋谷は地名からして「谷」なので、反対側には「山」あるいは「丘」があり、つないでいる道は必然的に「坂道」になる。
ちょいと買い物に出るのにバスや電車を乗り継ぐよりも、直線距離で自転車で出かける方が早いなあと思って、自転車を買おうかと考えた。その頃「はしり」だったのは「電動アシスト自転車」である。これなら、坂道も大丈夫だろうと購入した。結構いいお値段だったのだが、緩い坂道はらくちんだった。しかし強敵な坂道と言うのが途中にあって、さすがにこれは手強すぎて、下りて押した。

岸田劉生に「切り通し」の写生の絵がある。その近所で、やたら坂だらけである。写生された場所は、今は既に全く面影もなくアスファルトに舗装され、周囲は住宅とマンションが並んでいる。

2014年10月24日金曜日

下駄

同居人はまごうことなきメタボ体型である。背は高くないほう、である。したがって、典型的な「ビヤ樽」体型である。

さて、同居人は自動車好きである。物心ついた時からクルマを転がしているので、クルマならマニュアルシフト、な人である。
最近の日本車ではマニュアルカーの設定が少ない、あっても割高なのが不満である。出来るだけ自分の所有車はマニュアル、ということにしたらしい。

さて、郊外に引っ越したときに、クルマをそれぞれが持つことになった。同居人は勇んでマニュアルカーを購入した。オープンな2シータースポーツカーである。国内メーカーは主なマーケットをアメリカにしているので、最近のクルマはサイズが大きくなっている。外側だけではなく内側もである。運転席で座るのは、そこそこの身長の欧米人を想定している。しかもスポーツカーだけあって、若者が主たるマーケットである。したがって、それよりも20センチほど身長が低い同居人が座るといろいろと不具合がある。クラッチペダルを踏み切るためには、シートを前に出さなくてはならない。そこまでシートを前に出すと、ステアリングにおなかがつかえ、サンバイザーがおでこにつっかえる。上半身をドライビングポジションにセッティングすると、クラッチペダルを踏み切れない。

結局クラッチペダルに「下駄を履かせる」、クラッチペダルの上に金属板を重ねて厚みを出し、足りない足の長さを補う作戦になった。メタボなオジサンは、貴重な体型なので苦労が絶えない。

2014年10月23日木曜日

シート

同居人はメタボ体型の自動車好きである。
ちょっと時間が出来ると、新発売の気になる自動車をディーラーに覗きに行く。試乗もお好きである。

以前、あるディーラーに新車を見に行った。スペック的に気に入ったらしく、実車のある店舗を探してショールームに出かけて行った。
同居人が見に行ったのは、スポーツタイプのセダンである。バケットタイプのシート、太めの革巻きステアリング、大きめのディスチャージヘッドライトなど、クルマ好きオジサンの心をそそるパーツ満載である。
ショールームの展示車のドアを開けて、ドラーバーズシートに身を沈める、はずだった。……のだが、シートの座面までお尻が届かない。バケットシートの悲しさ、両脇のクッションが高くてカタい。横に太い尻がつかえてしまったのである。

メタボ体型は、シートの選択肢が狭くなるのである。

2014年10月22日水曜日

タイヤ

ずいぶん以前の話だが、同居人の愛用車を売却することになった。

冬タイヤがあるんだけどなあ、と売却するディーラーに言ったら「処分料をいただきます」ということだった。
まだ山があるのにもったいない、と国道沿いの中古パーツショップに持ち込んだ。
店員さんが4本を眺めて曰く、「3本の状態はすこぶるいいんですけど、1本だけ妙に山が低いですねえ」。
「セコハンとしてはセット売りが出来ない」ということだったので、処分料はなし、ロハでお引きとり、となった。

同居人はすこぶるつきのメタボ体型、どうやら右前だけがとっても減っていたようだ。
メタボは財布にひびくものである。

2014年10月21日火曜日

ボンネット

同居人は自動車好きである。
ご愛用者のパーツを取り替えたり、エンジンオイルをグレードアップする、という道楽がある。

以前に知人の自動車を見て、すこぶるうらやましがっていたことがあった。
ちょいと古いが、ぶいぶい言わしているタイプの自動車で、ボンネットだけ黒い。
なんで黒いのか、と聞くと、同居人は「カーボンなんだよ。いいなあ」と言う。
なんでカーボンにするのか、と聞くと、同居人は「スチールじゃなくてカーボンにすると、軽くなるんだよ。いいなあ」と言う。
なんで軽くしたいのか、と聞くと、同居人は「クルマが軽いと、エンジンの負担が軽くなるから、速く走れるってことだよ」と言う。

知人も同居人もメタボ体型である。自分の体重を20キロほど落とせば、ボンネットをカーボンにするよりも軽量化できるのではないかと思うのだが。

2014年10月20日月曜日

応用編

不思議なのは、授業中に「LINE」でせっせとやりとりしているのに、授業でグループ作業をしている当事者同士はそれを使っていないことだ。

担当している授業のひとつは、グループ作業でフィールドワーク、それをまとめて作品に仕立てる、というものだ。週のうち2日は、フィールドで作業をしてもらっている。4人から5人のグループで、作業進行によっては、全員が違う場所にいる、ということが想定される。こういうときに便利なのは、デジタルガジェットである。
遠隔地にいながら、同時進行で作業をするには、LINEは最適だろう。ロケハンで撮影した写真を、SNSに投稿してみんなで見てチャットで検討できる。誰かが学校で編集した動画データも、都内で取材中のメンバーは動画投稿サイトから確認できる。なんと便利な世の中だろうか。私が学生の頃のこの手の作業よりも、3-4倍はスピードアップ、作業量倍増どころではない。移動や待ち時間、現像時間も不要だ。うらやましい限りである。

ところがである。こちらからグループ内の進捗状況を確認すると、全員の動向を把握していなかったりする。撮影した写真も共有されておらず、動画データが行方不明だとバタバタしていたりする。あげくのはてに、全員で同じ場所へロケハンに出向こうとしていたりする。時間がもったいない。全員がスマホご愛用なのに、である。

授業中のおしゃべりには使えるが、実務では使いこなせないのが謎である。

2014年10月19日日曜日

内職

まあそう言えば、である。

我々アナログ世代だと、授業中にメモをつくってこっそりまわしていたり、内職していたり、というのは、多かれ少なかれ見に覚えのあることだ。
最近の子どもだと、授業中に「スマホ」で「LINE」らしい。

妹が、甥っ子の通っている高校から呼び出されたそうである。授業中にスマホいじりはやめさせなさい、というお叱りだったらしい。高校生でスマホが必需品なのかと思ったら、部活の連絡網がLINEだったりするので必携なのだそうだ。
都内超進学高校某も、そもそも校則がなかったのが、スマホに関して自主管理を決めたりしていた。まあ、ガジェットとしては、面白いものなので、熱中してしまうのも分かるような気もする。

しかし、親を呼び出して注意、というのも、何か大人げないような気がする。高校は義務教育ではないので、授業を受けたくなければ教室から出る、という選択肢くらいお互いにあるはずだ。

中毒性がある、と言えなくもないのだろう。先日のニュースでは、高校生のスマホ所有率が9割、休日の使用時間が3時間と言うのが見出しに踊っていた。いまどきの高校生と言うのは、授業中にスマホに熱中していても授業についていけるし、休日にスマホに熱中していても予習復習が間に合うほど、かくも暇なのだろうか。

2014年10月18日土曜日

死語

そうは言っても、いまどきの学生さんはラブレターそのものも、見たことも聞いたこともない、もちろん書いたことももらったこともない、というのがいる。美術学校だから、色気抜きなのか、と思っていたが、それなりに可愛らしいお嬢ちゃんからしてそのようである。だから、スマホの文面からして「絵空事」なのである。

映像では、「映像で表現された世界」そのものが、虚構である。虚構の世界を、絵空事でつくるということは、嘘で嘘をつくことになるので、どうしても世界観にぼろが出やすい。だから、フィクションで、自分の知らない世界のストーリーをつくるときは、それなりにリサーチをすることになる。
学生さんの場合は、リサーチという商売をご存じないし、授業期間ではそこまで時間が取れない。どうしても自分の周りの世界でものごとを固めようとする。周りの世界、というのは、自分と同世代、学生さんの世界である。だから、自然と「内輪ウケ」なものになる。まあ楽しければいいのかもしれないが、表現者になるのであれば、それはあまりよろしいことではないと思う。

翻って、彼らにとって身近なのは、すでに「ラブメール」ではなく、「ラブチャット」、「ラブレター」は既に過去の話で、死語なのかもしれない。

2014年10月17日金曜日

信じる

そんなときに登場するのが、スマホ、ちょいと前までは携帯電話だった。

ちりり、ではなく、ぴろぴろりんとコールが鳴り、主人公はかばんからごそごそとスマホを取り出す。
画面を見る/画面のアップ 「僕も君のことが好き」/目を見張る主人公、次第に笑顔になる
などという展開である。
スマホの画面で、表示された電子文字を大映しで見せられる、というカットのつなぎ方はえらく間抜けすぎる。しかもこれで笑顔になると言うことは、「僕」からのメールであることを信じて疑っていない。詐欺メールでひっかかってしまいそうで、あぶなっかしすぎる。「僕も君のことが好き。ここをクリック」→「ご請求額は約五万円になります。至急お支払いをお願いします。振込先はこちらです。締め切り厳守でお願いします」という展開が、疑心暗鬼なアナログ世代の頭にはよぎる。


間抜けに見える、と言えば、最近の映画やドラマではそこらへんも考えられていて、ほおおと思っていたら、世界は狭いものでこんな動画も見つかったりした。
http://vimeo.com/103554797
プロだってそれなりに悩んではいたんだなあ、と思って安心した。


授業中にこそこそ、どころではなく、比較的堂々とLINEを使っている学生がいる授業中では、どれほどの「文字」が宙を飛び交っているのだろうか。

2014年10月16日木曜日

経験談

携帯電話が大学生の必須ガジェットになった頃、学生さんの映像課題でもよく使われる「小道具」になった。

学生さんの課題作品は、概ねその時の彼らの生活が、良くも悪くも、そのまんま反映される。
もちろん、学生さんの作品のうちで、ドラマになっているものの多くのテーマは「恋愛」である。普遍的なテーマでは、ある。

恋愛状態そのものが映像として昇華されるわけではない。表現の特質上、たいていは「出会い-ときめき-告白-あるいは両者の意識の確認-それに対する困難-乗り越えてゴールイン」といった図式がある。短編の場合は、どれかの局面の三つから五つをまたぐようにシナリオを設定する。

19-20くらいの学生さんの「リアルな恋愛」としての経験から描くとすれば、まあそこいらへんまでだろう。べたべたに惚れ込んで骨まで愛して自分を見失い、ずぶずぶになっていく、などという演歌のような泥沼や修羅場は経験してはいない、と思われるからだ。
担当している授業では、ごくごく短編の作品を要求するので、「恋愛状態」そのものではなく、二つから三つの局面をまたいで変化を描くようにと助言することになる。ご指導としては、いきなり相思相愛でアツアツ、といったゴール状態を描くのではなく、主人公が片思いを告白するための葛藤とか、相思相愛を確認するまでのすれ違いとかを描くほうが、映像的な「物語」として構成しやすい。

ただそれでも、人生経験が少ないので、どちらかと言えば従前のテレビドラマや映画で見た恋愛物語のステレオタイプになりがちである。そうでなければ数少ない自分の人生経験を反映した物語を想定することになる。

2014年10月15日水曜日

広報

さて、そんなことを考えていたら、ほどなく実家の母親から宅急便が届いた。
小さな瓶に入った蜂蜜5種類である。

実家の近くには日本唯一ミツバチ研究室のある大学がある。副産物なのかと思って感動したら、瓶のラベルの原産地は日本全国津々浦々だった。うーむ、ちょっと期待はずれである。
その大学は、駅前に売店を構えていて、夏の間は「ホームメイドアイスクリーム」が売り物である。シーズンには行列ができるらしい。
大学特産品行列と言えば、ほかにも都内では、農科系大学の「学園祭時期には野菜朝市(大根踊り付きかどうかは不明)」などが有名である。

研究成果が地域にアピールできるのは、大学としては「正しい広報活動」な印象がある。やみくもに新聞の全面広告を打つよりも、はるかに広報効果が高いような気がする。まあ、ソフトクリームを食べるためにその大学に行く、とは限らないが、知るきっかけとしてはインパクトがある。ともあれ、父兄の年齢にも好印象であることは間違いない。…まずーいワインは逆効果だが。

2014年10月14日火曜日

お土産

最近の大学は、少子化の影響もあってどこも営業活動が盛んである。

営業、といえば、大学ロゴ入りグッズ、というのが、昔からあったが、最近はとみにおしゃれ雑貨土産物好適品となっている。

東大、といえば、ちょいとレトロな日本手拭いというのが定番だったが、今は学外向けにもさまざまなものが売られている。もちろん、研究成果のたまもの、というものもあり、お酒が並んだ時はつい親近感を抱いてしまった。

同居人が通っている大学の一つでは、「饅頭」である。包み紙に、大学講堂のイラスト、饅頭のてっぺんには、大学の校章が焼きごてで入っている。もちろん大学内での製造ではなく、近所の著名和菓子屋Fのご謹製である。さらに、去年新発売になったのは「お茶」である。大学名に「茶」の字が入っているという「ダジャレ」なので、別に学内に茶畑があるわけではない。奈良にある姉妹校は「奈良漬け」で売り出すのではないかと、密かに想定しておる。
通っているもうひとつの大学は、総合大学でさまざまな学部と研究分野があり、学内の売店にもたくさんの「大学グッズ」が並んでいるそうだ。呑兵衛の同居人は棚に鎮座ましましている「大学ワイン」というのに、目を奪われたようだが、学内関係者から「とってもおいしくないので、やめた方がいい」と助言され、購入を断念していた。授業最終日のお土産は「国大サブレー」であった。普通なサブレーである。

美術系な勤務校では、スケッチブッククロッキー帳手提げ袋手ぬぐいなどが数年前から販売されている。大学イベントの賞品好適品である。さすがに美術系だと食い物はないのが残念である。

2014年10月13日月曜日

デジタル

写真、といえば今やデジタル、である。
動画の方はフィルムが目の前から消えてしばらくになる。もっとも、16mmくらいになると、それなりのコストがかかるので、アマチュアのお遊び、というわけにはいかなかった。私にもうつせます、というコマーシャルで一世を風靡した8mmフィルムは、一家に一台、というほどの普及率でもなかったので、さざ波のように消えていった、という印象があった。一般家庭にはテレビ放送録画用のビデオテープレコーダーが普及したあと、8ミリカメラではなく、ハンディビデオカメラというものが、学芸会や運動会の父兄席でよく見られるようになった。

撮影したものがすぐ見られる、時間を気にせずに記録することができる、現像代不要、現像してみたら露出ミスでまったく撮影できなかったなどと言うハプニングもない。後で開発されるもの、というのは、それなりに先行のデメリットをつぶしながら製品化される。一方で、テクニカルなハードルが低くなった分、それでオーケーか、と言えば、そうではない部分も出てくるものだ。今や完璧に「ブラックボックス」、である。

2014年10月12日日曜日

古典技法

技術を使う分野では、ハードによって表現が違ってくることがある。一方で、どんなハードを使っても、変わらないものやこと、というものもある。

それは従来の美術分野でも同じことだ。テンペラやフレスコといった絵画技法は、今日ではあまりポピュラーな手法ではない。それを実現するにはさまざまな材料や道具を手に入れなければならない。マーケットが小さいので、入手は「楽」なものではない。しかし、それを使わなければ表現できないこと、というのも確かにある。利便性だけで表現が成立するものでもない。

映像の分野で言えば、フィルム、という技術はそろそろ終焉に向かっているのかな、という感じがする。町の写真屋さんや現像取り次ぎの店も減った。特殊なフィルムの現像は、ラボが減ったために処理時間よりも輸送時間の方がかかるようになった。こちらのほうは、マスプロダクトの製品なので、企業が取り扱いをやめてしまえば、その技術や技法を再現することは難しい。もっとプリミティブな技術であれば、なんとか再現できるのかもしれない。ガラスの乾板や、鶏卵紙などはできるだろうが、フィルムやカラーの自家現像などは難しくなるのだろう。

いつしかフィルムは「古典技法」になっていくのだろう。そのときに残っていく「変わらないもの」は何だろうか。

2014年10月11日土曜日

贅沢

今年は、秋からの後期日程期間、産休の元同僚の大学教員のピンチヒッターに行く、という話になった。
夏休み前から履歴書や研究業績書をやりとりし始めた。国立大学の非常勤は3校目くらいである。国立大学は文科省の管轄なので応募書式が統一されているのかと思ったらさにあらず、案の定「我が社の方針書式」というのがある。産休教員の代用なので、彼女の業績をカバーするような表現をしろ、と産休教員からは指令が来た。
それでも事務方からは再三再提出の指令が来た。我が社の書式と微妙に合わなかったようだ。「、」と「,」が違ったり、全角アキと半角アキが違ったりしたようだ。チェックする方もマメである。

そんな具合で、たかだか14回ほどの授業であるのに、書類のやりとりだけで10回近くになった。産休教員のプッシュもあって、なんとか書類は受理されたものの、初回の講義で教室のドアを開けたら、受講生は再履修の2名だった。同居人はのけぞっていたようだ。
講師料と支給交通費をあわせても、時間の節約、と新幹線を使えば赤字である。学生さんにとっては、贅沢の極みである。 
まあこんな感じの受講生数でも成立してしまうのが国立大学なのかもしれない。数年前の別の国立大学では受講生数1というのもあった。マンツーマン状態、お互い風邪でお休みなどできない。キンチョーな授業である。

2014年10月10日金曜日

厚み

応募する先によって、それぞれに研究業績書や履歴書のフォーマットが違う。
もちろん、アピールするポイントも、応募先によっては違ってくるので、まるきり同じものを流用できる訳ではない。

応募先のフォーマットに従って再編集と再作成をした研究業績書を提出しても、「再提出」を課す応募先もある。罫線が一本足りないとか、ここの欄のフォントの大きさが違うとかである。ずいぶんと細かいことに気がつくなーと感心する。
むしろ使いにくいフォーマットに、地道に文字入力をする「根性」や、細かいところまでチェックできる「重箱の隅がつつける能力」が試されているのではないかと勘ぐったりする。

某国立大学では「プリントアウトされた業績書の厚みが大切なので、各項目を丁寧に記述して枚数を稼ぐように」という現役教員からのアドバイスももらったりした。薄いよりも厚い方が良い、という価値観は、大学としていかがなものか、と考えるのは私だけだろうか。ひとつのことを地道にコツコツ、といった研究者は、認められない、ということなのだろうか。

同居人だけかもしれないが、これだけの書類をつくるために、それなりの時間と手間がかかる。同居人はともかく、自分で書類を作成して応募する研究者は、日頃それだけの時間と手間を割ける、ということなのだろう。一方で、提出された先の事務方と先生方は、その「厚み」を審査するための、時間と手間がそれなりに割ける、ということなのだろう。

日本の高等教育は謎が多い。

2014年10月9日木曜日

清書

結局のところ、事務作業やデータとしての利用ではなく、「清書」するためのツールとして使用しているので、本来の「表計算」をしたいわけではない。
一方で、文書作成ソフトのwordというのが「使いやすい」のか、と言われると、これもうーむ、である。こちらはこちらで、長文を構築していくのが目的である。作表したり、文書の途中に画像を入れたりするレイアウトをしようとすると、とたんに「難しいソフト」になってしまう。文書作成とレイアウトは「違う」からである。しかし、執拗にwordで自分のつくりたい書類を、四苦八苦しながらつくっていたりする。

どうしてなのか、と言えば、そもそもWindowsパソコンを買うともれなくOfficeがインストールされていたからである。日本人はおまけと無料に弱い。自分のスキルや目的とは関係なく、Officeを使ってしまう。おかげで、ワープロソフトでレイアウトしようとしたり、表組みの文書を作るために表計算ソフトを使ってしまったりする。あげく、Excel方眼紙などという、職人芸が発生する。

そもそも「プリントアウトされた書類で提出するためのフォーマットサンプル」として、方眼紙を利用して「プリントアウトされたサンプル」が来るなら、こちらで使いやすいソフトで作成し直す、という作戦が使える。しかし、excel方眼紙の書類に記入してデータで送り返せ、という学校があると、はっきり言って辛い。しかもこういう学校の書類ほど、マクロが使ってあったりして、書類を開くと「マクロを使用しているのでご注意、本書類はマクロを無視して開きます」などという警告が出てきたりする。空欄に文字を入力するためにマクロが必要なのか、よく分からないが、とりあえず無視して開いたりする。

2014年10月8日水曜日

書式

毎年数回は、このEXCEL方眼紙によって作成された書式にのっとって、同居人の履歴書や研究業績書を作成せねばならない。

最初のうちは、馬鹿正直に送られてきた方眼紙にいかに合わせて作成するかを腐心した。しかし、である。excelで作ってしまうと、再利用は甚だしくやりにくくなる。
指定された書式は複雑怪奇なことおびただしい。見た目はひとつのセルなのだが、実はいくつかのセルが結合されている。…ように見えるのだが、罫線を「なし」にしているだけなので、テキストを打つと、変なところで折り返してしまう。書式を作った人物は、「表」だけを印刷したかったので、中のセルにダミーテキストを入れることさえしていないようである。見た目を維持するために、複数のセルにセンテンスを分けて入力する。うちはMacなので、Windowsの標準フォントは持っていない。微妙にレイアウトが変である。ちょいと書式を変更しようとしても作成者以外の改変は許さないという設定になっている。もちろん見た目はなんとかなるが、データとしてはもう意味がない。記入した項目のソートすら出来ない。
数時間格闘した後で、手塚治虫風にいうなら「あっちょんぶりけ」である。

結局、印刷された「書類」を要求される場合が多いので、別のソフトで作り直してしまった。これでデータ流用もらくちんである。印刷された「紙」だけでは、どのようなソフトで作成されたのか分からないからである。

ところが今回提出する某大学は、excel方眼紙の書式を送ってきて、そこに必要事項を記入したデータで提出するようにというご指定である。ますます「あっちょんぶりけ」である。最先端の「情報コミュニケーション学科」の設置されている大学である。これが「普通」なのだろうか。うーむ、日本の情報教育は奥が深すぎる。まあ、PowerPointで文書をつくれ、といわれるよりもましかもしれないが。

2014年10月7日火曜日

種類

同居人は小学校を退職した後、いくつかの学校の非常勤講師をかけもちしている。よく言えばフリー、悪く言えばパートの先生である。
パートの先生、というのは原則として1年雇用、つまり毎年契約更新をしなくてはならない。一方で面白いのは、いろいろな学校に顔を出せる、というところだ。

1年雇用の条件であったり、新規の雇われ先だったりすると、「書類提出」を求められる。先生業だと、履歴書、研究業績書というものだ。

面倒くさいのは、雇う側の事務方が連絡をしてきて、この書式で書類をつくるようにと指定されることだ。一律に全国津々浦々「書式」が統一されていれば、既存の書類を使い回したりするのだが、学校によって「びみょー」に書式が違う。しかも、たいていは、windowsで作成された、ひとつふたつ前のバージョンのwordやexcelファイルが「書式」として送られてくる。
我が家はMacベースで作業しており、私はやたら挙動重厚なMS Officeユーザーではないので、当然のようにフォントが置き換わり、レイアウトが崩れる。書類をワープロで指定してくるならともかく、表計算ソフトで文書を作れ、と言ってくる学校もある。三流弱小専門学校ではない。りっぱな、国立大学である。
書類を開いてびっくりした。これがネットでひところ話題になった「EXCEL方眼紙」というものであった。

新規採用先に同居人が応募をする。同居人は事務作業が苦手なので、書類作成は私の担当である。おかげで、あちこちの大学のEXCEL方眼紙と奮闘するはめになる。もしかしたらこれで応募意欲を削ごうという罠か、EXCELのアクロバティックな扱い方を見たいのではないかと勘ぐってしまう。

2014年10月6日月曜日

多忙

やっと1年生の基礎実習が一段落した。もう後半になるとさまざまな作業がたてこんできて、青息吐息である。

さて。

担当している基礎実習は、機械を使って作業する内容なので、一度に用意できる機材と人員が限られる。それに合わせて受講人数が決まってくる。現在の基礎実習は1学年を4クラスに分けて、4つの授業をローテーションで回すという方法だ。
学科が発足してから20年ほどになるだろうか、年々バージョンアップ、と言えば聞こえはいいが、年度末に少しずつ修正しながら次年度分を用意する。そうやって数年経つと、辻褄合わせの集積となっていく。
ふと気がつくと、あちこちで不具合がある。4つの授業の担当者はそれぞれ違うので、自主的に情報交換などをしている。しかし全員が非常勤、所詮「雇われ」なので、抜本的な対策を立てることはできない。

では誰がカリキュラムを考えねばならないのか、と言えば「専任教員」であるはずだ。ところがこちらもいつも「忙しい」のである。自分の授業はさておき、学内の委員会だの打ち合わせだの会議だのと、なかなか時間をとってもらえない。
では誰が会議を開催しているのか、と言えば「大学」である。そもそも、教育機関であるはずの大学が、教育をしなくてはならない教員を、会議で忙しくしているのはなぜなのか。

小学校の教員が世界一忙しい、といった調査結果がニュースになっていた頃があった。全員とは言わないが、大学の教員も教育について時間をかけられないほど忙しそうだ。なぜなんだろう。