2014年12月26日金曜日

注意

「マスクとって話すべき」で思い出したのが、以前のボスの話である。

その世代の人だと、当然なのだが、室内では帽子をかぶらない、というマナーがある。その先生の講演会で、ずっと帽子をかぶって大きなマスクでお話を聞いていた人がいたそうである。先生はマナー違反で注意するつもりで、「帽子を脱いでください」と言ったそうだ。その人はしばらくもじもじしていたが、「どうしても脱がなくてはなりませんか」と質問した。マスクで声もくぐもっていて、聞きにくい。先生は「聞き取りにくいのでマスクをとってお話しください。それに帽子を脱ぐのはマナーだと思いますが」と言うと、その人はやっと帽子とマスクを脱いだ。帽子を脱いで分かったのは、彼女には全く頭髪がなかった。彼女は申し訳なさそうに「すみません、治療中なので」と言ったそうだ。

先生は授業中に帽子をかぶった学生がいても注意をしなかった。若い人に注意しないので、マナーを覚えないのでは、聞いたら、そんな話をしてくれた。だから「帽子とかマスクは、むやみに脱いで、と言いにくいんだよねえ」。

2014年12月25日木曜日

マスク

インフルエンザの流行とは関係なく、マスクをしている人が増えたなあ、と街中に出ると感じるようになった。
昔のようにガーゼのマスクを洗って使う、というのではなく、使い捨てで高機能、効果抜群、というのも理由だそうだが、中には「メークアップをしなくていい」という「伊達マスク」派もいるらしい。

同居人の先日の授業は、学生さんのプレゼンだったようだ。マスクをしてぼそぼそとしゃべっていて、何をしゃべっているのか分からん、とお怒りになって帰宅した。
しゃべるときくらい、マスクをとるべきではないか、というのが、同居人の持論である。


まあ先生としてはそう思うのかもしれないが、インフルエンザをばらまくよりは良いのではないかと端で思ったりする。

2014年12月24日水曜日

確保

保育園ではローテーションと臨時応援で保育士さんの冬休みを確保する。
出かけた日に部屋に入ると、見慣れない保育士さんがいて、教室を間違えたのかと回れ右して帰りそうになったりするらしい。

子どもの方も「臨時預け」という制度があるようで、いつもは幼稚園に行っている子どもが長期休暇中は保育園に来る、というケースがある。
部屋に入ると、見慣れない子どもがいて、違う教室かと回れ右して帰りそうになったりするらしい。

保育園も介護も病院も、世間様の「長期休暇」とは関係のない業界である。預けられる子どもも、しかり、ではあるが。

2014年12月23日火曜日

冬休み

勤務校はとっくに後期の授業は終了、冬休みに突入中である。
学生さんにとっては、あとは1月の期末試験だけである。

実技授業に期末試験はないので、12月一杯で課題を提出させて終了、と言うのが多い。同居人の方は講義科目なので、期末試験が終わるまで「年度内」である。
授業が月曜日なのでハッピーマンデー対策と、台風のための休校日があったので、あと数日補講などがあって、クリスマスまで授業である。

もっとも、もうひとつ通っている保育園の方は、冬休みもなく、最低限の年末年始休暇だけなので、スケジュールをやりくりして自分の冬休みを確保している。もちろん保育士さんたちも同様で、ローテーションの変更、パートやアルバイトなど臨時の保育士さんの応援で、なんとか自分たちの冬休みを確保している。


勤めていると当たり前にもらっていた「冬休み」だが、関係ない業界もたくさんある。

2014年12月22日月曜日

丁寧

慇懃丁寧、と言えば、やはりマニュアル化された丁寧敬語である。

…と言って思い出すのは、「こちらきつねうどんになります」。
テーブルの上に置かれたうどんは、あとどのくらいで「きつねうどん」になるのだろうか、食べずにじーっと眺めて待っていた、という笑い話である。
「させていただきます」というのも、最近は耳につく。「本日は営業をお休みさせていただきます」というはり紙を見ると、違和感がある。「本日の営業はお休みです」では伝わらないのだろうか。


日本語はビミョーである。

2014年12月19日金曜日

お世話

最近のビジネスメールの文面でポピュラーなのは、

○○さま
お世話になります。

である。「様」は漢字ではなく、「さま」という仮名書きが多い。
2行目は、最近どちらかと言えば

お世話になっております。

が主流である。微妙に丁寧感が増すのかもしれないが、こう来られると
…お世話したっけ。
としばし考える。初対面、というか、面識のない相手からのメールなのである。

お仕事の依頼であればこれから世話になるのはこちらの方であり、仕事先の相手であればお世話になっているのはこちらである。


まあビジネス文書と言うのは「定型文」というのがあって、それにのっとって少しずつ書き換えて使ったりするものなので、あまり意味なく使っているのだろうが、真面目に読むとビミョーな日本語も多い。

2014年12月18日木曜日

文例

仕事柄、同じ業界や職場以外からの連絡と言うのも、ままある。
郵便であればビジネス文書、今やメールの時代なのでビジネスメール、というやつである。
内容はそれぞれいろいろだが、通知、確認、照会、案内、催促、謝礼、承諾、説明、なんかがある。
社会人になると、文書を送る際には、お元気ですか、では通用しない。郵便の時代であれば、「お手紙の書き方」などという本があり、「文例」などというのがついてくる。

発行年によって、少しずつ文面が違うし、本によっても内容が少しずつ違う。ビジネス文書に近いプライベートな文書も包括したり、公用文のようなものまで含むものもある。
中には超プライベートだろう、というものもあって、なかなか面白い。

「お見合いを仲介者に依頼する文例」
「お見合いをする前にお断りする文例」
「お見合い後に交際をお願いする文例」
「お見合い後にお断りする文例」
「交際している男性にデートの断りを入れる文例」


今やお見合いも「死語」になりつつあり、学生さんの個人感覚ではラブレターも振る方の連絡も「メール」だったりする。

2014年12月15日月曜日

震災も過ぎてしまえば過去のこと、当時はあれほど節電と叫んでいたのに、いまはそれほどでもないような気がする。
政府が提唱していた自然再生エネルギー利用も、当時ほどは「熱」がない。むしろまた原発稼働に移行しそうで、つくづく日本人は過去を振り返らない人種なんだと思う。

授業や仕事の関係上、建築や都市計画、というものに時々ニアミスする。常に感じるのは、東京は「スクラップ アンド ビルド」な場所、ということである。
度重なる火災や震災で、紙と木で出来ている「住宅」というのは弱い、というのはよく分かる。火除け地としての「広場」によって、遊業地というのが出来ているというのもよく分かる。
時々、いやだなあと思うのは、耐震基準という「基準」によって、古い建物がどんどん壊される、という現状である。
もちろん、建築業界から言えば、壊して建てた方が安上がりなのかもしれない。リノベーションや維持に経費を払わない、というのは、伊勢神宮遷宮以来の日本人の遺伝子なのかもしれない。


イケイケどんどん、と言っていた右上がりの景気ではなし、もう少し身の回りから生活の方向性を変えることは考えられないのだろうか、という気もする。

2014年12月13日土曜日

約束

日頃電気の恩恵にあずかっているわけだが、停電、というのは突然やってくる。もちろん、他の国を旅行していると、停電なんて日常茶飯事、というところもいっぱいある。
シャワーを浴びていたらいきなりお湯が水になってびっくりしたら、部屋の照明もつかない、現地の人は「いつもの停電」で慌てたり騒いだりしない。

コンピュータで作業を始めた頃は、通電が止まればその時点で、前回保存時以降のデータはすべてパー、というのが前提である。
ある日いきなり夕立、雷、停電、というシチュエーションで、大学の研究室にいたら、学生が泣き叫んで廊下を走っていた。「うわあああああデータがああああ」。
以来、学生さんには、こまめなデータ保存、がお約束である。
コンピュータ室の閉室時間が過ぎているのに、作業をぐずぐずと終えない学生には「ブレーカー落とすよ」が脅し文句だった。ハードな作業に伴うデータ保存は、時間がかかる。保存中に電気が切れても、データは残らない。

以来、放課後作業の学生さんには、保存時間を逆算して作業終了、がお約束である。

2014年12月12日金曜日

電化

「計画」停電の横浜の実家では、わりあい「計画」通りに停電が実施された。
夕食時にあたるのであれば、食事の支度は事前に済ませておかなくてはならない。炊飯は済ませても、停電で保温できなければ「冷や飯」である。もちろん、レンジでチン、も停電時は使えない。
実家は夕食時に灯油ファンヒーターを使っているのだが、停電だと「ファンヒーター」は使えない、というのは、意外な盲点でもあった。
傍目に辛いだろうなあ、と思ったのは「オール電化住宅」だった。

震災前にはものすごーく宣伝していた「オール電化住宅」である。昼間はよく「太陽光発電の設置はいかがでしょうか」というセールスマンが来たし、東京電力もずいぶんと分厚いパンフレットやカタログを持ってきた。
震災時は寒い時期だったので、オール電化住宅なら、照明も調理も暖房もアウトである。

震災後、「オール電化住宅」の宣伝は、あまり聞かなくなった。今は「太陽光発電設備」のセールスもほとんど来ない。


最も、震災後に早く復旧したのは電気、と言う話もあった。地上のインフラなので、電線の復旧は、地中のガスパイプを修理するよりも早いらしい。

2014年12月11日木曜日

文明

先日の四国の大雪のニュースを新聞で読んでいた。山間の集落ではIP電話を使っているので、停電時は使えない、というものだ。確かに現在のインターネット中心の情報環境は、停電にはひどく弱い。

東日本大震災の時も、関東地方は停電した地域が多かった。その後しばらくは電力量が確保できない、ということで「順繰り停電」というのが実施された。お宅の地域は何曜日の何時から何時まで、停電の可能性があります、というものだ。自分の居住地がどの地域で、いつごろ停電するのかは、自分で情報を集めなければならなかった。居住地域や行政の区割りと、電力会社の配電地域とは、区分が違うからだ。同じ町内でも、電力供給の区分が違う、というのを、その時に知った。
で、電力会社のサイトで、自分の居住地域のエリアを調べて、計画停電の予定を調べる、わけである。ところが、向かいのおうちは、80代高齢者女性一人暮らしである。とてもインターネットさくさく、という環境には見えない。大丈夫なのかと思ったら、2−3日後に市の広報チラシが配布された。やはり最終的にはアナログな「紙」媒体が一番安心だ。

幸い、うちでは「計画」されたが、「実施」されなかったので、問題はなかった。横浜の実家では「計画」通りに「実施」されて、いろいろと大変だった、と言う話を聞いた。一番先に問題だったのは、やはり電話だ。もちろん、携帯電話の充電は出来ない。家の電話は、NTTの固定回線に加入しているのだが、電話は電源コンセントが必要だ。電話機が覚えていてくれている「連絡先リスト」とか、メモリーが覚えている「留守番伝言」、もちろんファックスなどは使えない。何台かある電話機のうち、着信音すらならないものもあったらしい。結局一番頼りになるのは、40年間玄関脇に鎮座している電電公社時代貸与の電源コードなし黒い電話機だったらしい。通話品質もばっちり、だったそうである。


こんなことが数年前にあったと言うのに、孤立集落ではIP電話を使っている。文明の発達とは、微妙なものである。

2014年12月9日火曜日

環境

同居人は、今年度限りのピンチヒッターで地方大学の教育学部へ通っている。朝は早くから出かけて、2時間半かけて授業に行くのである。往復5時間、授業時間の倍以上である。
先週は、多用もあったので、当該の大学へ同行した。授業中は構内散策を決め込んだ。

地方の市街地からほどほどに離れたところ、住宅街のはずれである。東京とは違って、電車もバスもあまり見かけない。大学のすぐ横に自動車教習所がでーんと構えている。マイカーでなければ通えない、ということなのかもしれない。駐車場は広大、学生用教員用職員用来客用と看板はあるのだが、校門前の守衛室は無人、入退出のチェックもなく、駐車し放題である。
国立大学、しかも「university」なのにやけにこじんまりしたキャンパスである。聞くと、学部ごとに違う場所にキャンパスがあるらしい。都内の大学とは違って、ビルとビルの間が離れている。余裕のある土地利用である。単学部のせいなのかもしれないが、人口密度が低い。図書館も小さい上に、オープンな設計で、閲覧室なのに談話室の会話がよく聞こえる。

周りは住宅街で、そば屋も定食屋も牛丼屋も古本屋も学生ローンのお店もない。しかも、なぜか広い駐車場付きの美容院と理容室が目に付く。学生街、とは少し言い難いなあ、と思ったら、同居人の話では学生さんは「遊ばない」らしい。我々の世代、東京の学生だと「遊ぶ」と言えば、酒女博打とは言わないが、まあそれなりにいろいろあった。当該の大学の学生さんは「遊ぶ」と言えば、「誰ちゃんのアパートで集まる」ことなのだそうである。

そんなわけで、学生さんはよく言えば「勉強一筋」、悪く言えば「出不精」。こういう社会とは接点もなく、転落人生とも関係ない環境にいる学生さんが、地方の教育を担うようになるんだなあと思いながら、キャンパスを散歩した。

2014年12月8日月曜日

第二

同居人は還暦過ぎである。
交友関係も同じように齢を重ねるわけなので、お友達も還暦過ぎが増えた。ずいぶん前にアラサーとかアラフォーとか言う言葉が流行ったが、既にアラカンは過ぎて、今度はアラコキである。

こういう年回りになると、ぼちぼち年賀状に「勤務先変更」「職業変更」「定年退職」「リタイア」という近況が増えてくる。
欧米の友人だと、「リタイア楽しみ」「これからが人生だ」のような挨拶が多い。日本人の場合は、「まだまだやれるぞ」という自己暗示か自己主張かは知らないが、60代前半完全リタイア、というのは少ないような気がする。

同居人の場合は、非常勤講師という名前のパートタイマーなオジサンになった。ご友人の中には、変わった「次の商売」というのが時々いる。
「幼稚園送迎バス運転手」である。幼稚園はたいがい園児送迎のマイクロバスなんかを運行している。建前は「自家用」なので、白ナンバーである。二種免許ではないにせよ、気を使う商売のようで、「夜は飲酒禁止」を自分に課している。二日酔いでは仕事にならないからだ。

これがストレスにならないといいんだけどねー、と同居人は挨拶状を眺めながら晩酌である。

2014年12月7日日曜日

師走

今年も早くも年の暮れである。
年を取ると月日の過ぎるのは早くなる、と言う。けだし名言だなあ、とは思うが、子どもの頃は遅かったのか、と考えると、思い出せない。忘却の彼方、なのかもしれない。

先生の走る月、なのだから、師走、というのだが、いまどきの先生は年中走っている。廊下を走らないように、と小学校の廊下に子どもがポスターを描いて貼ってあったりするが、子どもがいなくなれば、先生はよく走っている。

同居人が小学校の先生だったので、こちらも年中忙しがっていた。子どもの授業や世話ばかりではなく、保護者相手だったり、ほかの先生、事務職員、用務員、ほかの小学校つながり、などなど先生の相手は「子ども」だけではなかった。マスコミには「報告書や事務作業が多い」とよく書かれる。同居人を見ていると、手書きの報告書がワープロベースになったり、パソコンベースになったりと、事務作業環境の変化に伴う作業の重複とか、覚えなくてはならないことが増える、とかいったようなことが「時間がない」の一因のような気がする。
眺めていてよく思うのは、教員に「秘書」がつけばいいのに、ということだ。小学校から大学まで、けっこうな「事務作業」というのがあるのだが、それ専属のスタッフというのをあまり見かけたことがない。あっても、よほど余裕のある国立大学の研究室である。私学の研究室で「秘書」のいるところがあったが、後で聞いたら先生のポケットマネーで雇われていたそうである。

40人学級とか、教員削減とか、文科省の予算組ではつねに話題になる。教員よりも事務方や秘書を増やした方が現実的ではないかと思う。今日も、目の前では、同居人が書類をつくるのにパソコンに向かっている。が、思い通りにならないのでディスプレイに向かって八つ当たりをしている。