2013年4月30日火曜日

時期


コンパ、というのは、まあ社会の人間関係の予行演習のようなものだ。

新歓コンパは楽しそうに見えるが、実は結構それなりに手間がかかる。
場所の確保、日時の設定、会費集め、広報宣伝、酒と食材の調達、会場の整備、準備、式次第の作成と進行、現場の管理、後片付け、会費精算、といった作業が必要である。景気が悪くなると会費の収集が滞る。伝統的に2年生が出費、1年生がロハ、なのだが、今年は1年生も会費払ってね、などと言えば、3年4年にひんしゅくを買う。自分たちはロハだったのに、というわけである。金が集まらないと、スポンサーを捜す。先生たちにカンパをねだったりするのだが、先生も強者なのでいつも「はいよ」と財布を開いてくれるわけではない。「オトシマエ」として、授業を手伝った学生もいた。
金を集めるのは「幹事」、渋るのは同級生、オトシマエをつけるのは「幹事」、飲みにくるのは同級生、自分は飲めない「幹事」、後片付けも「幹事」が中心。だから、「幹事」のなり手はどんどん減る。「幹事」の引き受け手がなければコンパは開催できない。開催できないのはその学年の「コケン」に関わるので、なんとかみんなで「幹事」の探し合い、なすり付け合いが行われる。

長い春休みがあけた4月の初めに「コンパ」が企画されたとしても、幹事が決まるのが遅くなると、開催は遅くなる。
「新歓コンパ」のビラは、我々の頃は4月だったのに、次第に時期が遅くなり、今や5月6月は当たり前、の世界になった。7月近くになって「新歓」では、「薹(とう)が立ちすぎている」ような気がする。

2013年4月29日月曜日

きっかけ


新学期も始まって数週間、私の方はGWあけからの授業開始なので、現在準備中だが、同居人の方はカレンダー通り、ぼちぼち授業が始まった。
新学期になると、学内のあちこちにビラが貼られる。「新人歓迎コンパ」である。

「新人歓迎コンパ」と言えば、私の世代では「新歓」。2年生以上が1年生を招くコンパだった。放課後の教室で、酒屋からビールとジュースとポテトチップスを調達。紙コップと紙皿は近所のホームセンターに買い出し。2年生がお金を集めて、1年生はロハ。
学科専攻によっては「伝統の余興」というのがあった。代表的なのはダンパ、つまりダンスパーティー仕立てである。学食ホールを借り切り、バンド(もちろんご学友である)が入る。
学年によってパフォーマンスが違ったりする。ある学年では落語研究会の寄席つきだったりした。
酒がなくなれば、近所の居酒屋へ退去してなだれ込む。シラフな女子が後片付けをすることになり、割を食う。だから、先に酔っぱらったもの勝ち、なので、よく飲む女子もいた。
学科専攻の「新歓」だが、名簿がある訳ではないので、違う学科専攻のコンパに潜り込む猛者もいた。「あれー、あんな人、いたっけ?」、である。

普段一緒の授業を受けている訳ではないので、これが数少ない「先輩」との出会いだったりした。これがきっかけにサークルに勧誘されたり、制作の手伝いに出かけたりと、上下関係ができるわけである。

2013年4月23日火曜日

名前

学校に残って勤務するようになったら、まずやることは名簿の整理だったりした。

研究室で管理している授業は、専門の実習や講義である。小中学校と違うのは、必修だったり選択だったり仮進級だったりする学生がいて、授業ごとに違う名簿を作成しなくてはならない。アナログ時代はそれなりに面倒くさく、大変な作業ではあった。コンピュータで作業するようになって一番「楽」になったのは、こういった事務作業である。

教える方は、授業ごとに作ってもらった名簿で、初日の授業に出ることになる。
実技で受講人数も多くはないので、名簿で名前を読んで出席を取る。勤務校でくれる名簿は、学籍番号と漢字氏名、ふりがな付きの名簿である。下の名前が当て字が多くなって解読が難しくなった頃から、ふりがなは入れてくれるようになった。
「一検」はかずみちゃん、「青加」ははるかちゃん、「樹」はたつきくん、である。きっと幼い頃からいつも「なんて読むの?」と聞かれ続けてきたに違いない。本人は説明するのにうんざりしてはいないのだろうか。
難しいのは「くん」なのか「ちゃん」なのか、である。下の名前だけでは性別が全く分からないことがある。「望/のぞむ」くんだったり、「望/のぞみ」ちゃんだったりするのである。

そのうちに性別も入れてくれるようになると、密かに期待している。

2013年4月20日土曜日

宿題


私が子供の頃は、「お父さん会社員、お母さん専業主婦、子供2人」が一般家庭のロールモデルだった。

確かに、子供時代の友達は、地域的な特性もあっただろうがそんな家庭が多かった。
転校した小学校では、商店街が近かったので、自営業のお子さんが多かった。お母さんが働いている、と言っても、たいていは自営業が多かった。文房具屋さん、そば屋さん、美容院、銭湯なんかがクラスメートだ。
私の自宅では、仕事ではないが帰宅時に母がいないことが多かった。そういう家の子はたいてい「鍵っ子」と呼ばれていた。帰ったら自分で鍵を開けるために、首から鍵をぶる下げていたりした。

その後、だいぶたってからだろうが、ロールモデルっぽい一般家庭が少なくなった。専業主婦が家で子供の帰りを待っていたりしない。「鍵っ子」ではかわいそうだったりしたのだろうか、公立の小学校では「学童クラブ」というのが出来始めた。夕方まで小学校の空き教室で宿題をしたり、友達と遊んだりできて、相手になる大人が数名いた。
私立の小学校ではそういった制度がない。どうするか、といえば「お稽古ごと」である。月曜日は英会話、火曜日はピアノ、水曜日はスイミング、木曜日は学習塾、金曜日はお習字、と大人顔負けの忙しさである。母親がべったりつきあうこともあれば、何人かの母親がローテーションを組んで、数名の子供の送り迎えを担当したりする。

「子供用デイサービス」という看板から、何をやっているんだろうと想像したりもする。宿題を一緒にやっていたりするのだろうか。

2013年4月19日金曜日

デイサービス


巷に高齢者が多くなったためなのか、介護保険という制度のためなのかよくわからないが、老人用の保険施設、というのがとっても多くなった。

自宅のある場所が40年以上前に開発分譲された典型的な郊外型住宅地である。隣近所はご老人の世帯が多い。隣接する商店街は主が高齢化し、跡取りがなければ廃業、そのままテナントが入らず、シャッターが下ろしっぱなしで、普段は商店会の倉庫として再利用、という状態である。
そんな空き店舗にも「デイサービス」という「テナント」が入った。朝夕、老人を介護付きの自動車で送り迎えしている。

そういった施設が、目につくようになったなあと思った矢先、通り道のマンションの1階に新しい「デイサービス」のテナントが入っていた。パステルカラーの看板やかわいらしい動物のイラストが窓に描いてある。

よーく見ると、「学童デイサービス」なのであった。

2013年4月18日木曜日

土曜日


小学校が「ゆとり教育」を打ち出した頃、土曜日の登校風景がなくなった。

私は、中学高校と「土曜授業なし」の私学へ通っていた。週末は何に使うか、というと、その週の復習と翌週の予習で手一杯である。もう少したつと、週末はひたすら受験予備校通いになる。土曜日に授業がない、ということはてんで「ゆとり」ではなく、「リベンジ」だったりしたわけだ。

同居人が当時小学校の教諭をしていた。一番困ったのは、学校行事をいつやるか、といったことだったそうだ。会社員なら土曜日はお休みなので、土曜日に運動会や学芸会がセッティングできたりする。ところが、「お休み」である土曜日や日曜日に行事を行うと、代休やら授業の振替やら平常時のやりくりが、ものすごーく大変なのだそうである。
先生たちにとっては、土曜日の午後はその週のまとめやら、翌週の準備やらに使えたのが、土曜日に登校しない、となると、平日の残業になる。どこもそうだとは言わないが、同居人の平日は、朝7時前に登校、夜8時過ぎに退校、という感じだった。

そしてまた、土曜日授業が復活しそうな雰囲気、現場はまた大変なんだろうなと思う。

2013年4月16日火曜日

やりくり


今年度の新学期は、カリキュラムの変更があった。
実技の授業なので、授業の組み方、内容の変更などがあったりする。その都度、研究室の方は教室や工房、機材や講師のやりくりに追われたりする。

私の担当している授業は、実技の集中形式である。月曜日から土曜日までの午前中、3週間ほど、というのが1クールになっている。1年生は4クラスの編成になっているので、4クール同じ授業をする、というわけである。学生の方は1クールを終えたら、違う授業を1クール受けて、というサイクルで、4つの授業を回って受ける。
今年度は授業初めの4週間に、「持ち回り」ではなく、違った授業が組み込まれた。「持ち回り組」は4週間後にずれ込んで授業を開始することになった。去年通り、ではないので、スケジュールをやりくりする。

大学の授業は基本的にカレンダー通りである。だから、祝日はお休み、なのである。「持ち回り組」としては、同じ授業を繰り返したいわけである。そうでないとクラスごとに「不公平」になりかねない。「ハッピーマンデー」制度が出来て、月曜の授業が激減した。祝日の間はお休みする制度が出来て、ゴールデンウィークを含めたスケジュールのクラスは、穴だらけで、集中力が持続しない。スケジューリングしにくいことおびただしい。
数年前から、月曜授業の振替制度が出来たり、海の日もテストがありますという学校が出来たりした。勤務校では、この祝日は「お休み」、この祝日は「平常授業あり」と、さらにややこしい。

こんなことなら、祝日を年末年始やお盆に集中してほしいくらいである。だから日本に「バカンス」というものが定着しないのかもしれない。

2013年4月10日水曜日

石橋


映像に限らないと思うが、現場作業というのは、時間的に取り返しがつかなくなることがある。

例えばイベントの取材であれば、同じことを何度もやって見せてくれるわけではないので、最終的な仕上がりを想定してそれなりの準備をすることになる。
途中で機材の使い方が分からない、などということがあれば、取材はストップするので、あらかじめマニュアルを読み、予行演習をしておいたりする。
その上でも、まだまだ不測の事態というのは出現する。機械がトラブる、なんていうことは、機械で作業していれば想定内の出来事である。ただし、機械がトラブったので、取材が中止になることはない。イベントの方は機械の都合に関わらず進行するからだ。

映像エンジニアという現場の裏方さんは、だから二重三重に予防策を用意する。カメラが必要なら予備のカメラだけでなく、予備のレンズや予備のバッテリーなんかももちろん、用意する。
「石橋を叩いて渡る」典型である。予備だけで本番用の機械よりも多いくらいである。

ときどき「石橋を叩きすぎてしまって、渡る前に壊してしまう」ことがないのか、端から見て心配することがある。

2013年4月9日火曜日

逆効果


機械は人間のように融通が利かない。「やってはいけないこと」があったりするし、「こうすれば壊れます」といった定石がある。壊れてもまあいいか、で済まないことがあるので、事前にマニュアルを読むという作業が発生する。

PL法が出来てから後、マニュアルにはまず「やっちゃいけないこと」がとにかく列挙されることになった。電池はプラスとマイナスを間違えないで入れろ、なんてことは、わざわざ言われるまでもなく、やっていたことだったのである。しかし、わざわざマニュアルの冒頭にそういったことが列挙されるようになって、マニュアルをかえって読まなくなったような気もする。

逆効果な例である。

2013年4月8日月曜日

落とし穴


人間、マニュアルを「読まない派」と「読む派」に大別できる。

新入生のクラスでは、あらかじめテキストを読むように初日に言い渡す。しかし全員が読んでくるとは限らない。読まないでぶっつけ本番、当たって砕けるタイプの学生がいくばくか存在する。
そういう学生のために、いくつか落とし穴を用意する。大失敗、ではなく、小失敗になるように仕込んでおくことがミソである。
こちらの思惑通り、落とし穴にがっつり落ちてしまった学生さんには、申し訳ないが反省していただくことになる。「テキストにあらかじめ記述してあり、前日までに読んでおけば、落ちなかったはず」であることを、周囲の学生も含めて指差し確認する。

落とし穴にはまってしまったことでマイナスに評価するわけではない。しかしその後、「マニュアル読む派」にならなければ、マイナス評価になる。

危険な工具を扱う工房では、ちょっとした不注意や知識不足が、怪我のモトである。高額な機材を扱うジャンルでは、思わぬ失敗が、金や手間では取り返しのつかないことになることがある。

人生、石橋を叩いて渡る、のが私の作業ジャンルでの鉄則である。

2013年4月7日日曜日

目分量


同居人は「マニュアル読まない派」の典型である。

料理も目分量、目検討、自分の舌で料理すると豪語する。毎度作り方と分量が違うので、再現性がない。
陶芸窯で焼き物をつくるときも、データをこまめにとってはいるものの、完成後そのメモを散逸させてしまうので、データとして蓄積できない。
コンピュータやアプリケーションは言わずもがなである。同じミスを何度となく繰り返していたり、同じ操作法を何度となく聞かれる。

刹那派である。

2013年4月6日土曜日

マニュアル


同居人は「マニュアル読まない派」である。

人間、「読まない派」と「読む派」に大別できると思っているのだが、同居人は前者の典型である。理系ではないし、機械いじりが得意ではないようである。
どんな機械でも「先にいじくりまわしてこわす」ことが多く、後からマニュアルを読んでおけば良かったと思わせることしばしである。

以前の機器というのは、機能が少なく、使える機能も表層にスイッチがついていたりした。小学校の図画工作科でずっと使用していた工作機械は、単純明快でマニュアルすらないものも多い。糸鋸ミシンや、卓上ボール盤、「見りゃわかる」ものばかりだ。マニュアルは「あってもなくても同じもの」であったりしたかもしれない。

同居人が唯一、一生懸命入手して読むのは、自動車の整備マニュアルである。さすがにこれは「いじくりまわしてこわす」わけにはいかないのかもしれない。

2013年4月4日木曜日

会話


同居人が同世代の友人と話をしている。還暦もすぎて、悠々自適、な世代、人生はいろいろである。

同居人は先生稼業が長いので、友人というのも同業者が多い。同世代の人が集まると、昔話に花が咲く。
「あー、30年前の、あれねー」
「そうそう、それそれ」
「あのときの、あの先生は、そういえばどうしているだろうねえ」
「えーっと、あの先生だよねえ、えーとえーと」
「あー、小柄な人ですよねー、えーとえーと」
「いや、ちょっと小太りだったよ、えー名前はー、えーとえーと」

会話は代名詞で行われ、接続詞は「えーと」である。

2013年4月2日火曜日

予約


カレンダーは1月が最初なのだが、学校は4月が始まり。だから、4月1日の新聞はエイプリルフールなネタよりも、新年度ネタが多い。たいていは、入社式とか異動とか、といった話である。学校の始まりはあと1週間ほど遅いので、来週くらいは入学式とか始業式が社会面に出てくるわけだ。

小学校にあがって、最初に教科書に出てくるのは「さいた さいた さくらが さいた」だったりなどしたが、いまや卒業式に桜が満開、入学式の頃には葉桜である。
まあでも時期的には、年度始めと花見が重なるので、会社ではイベントとして組まれていることがあるようだ。

美術館の行き帰りは、目黒川にそって歩く。目黒川は、川沿いに桜が植わっていて、花見の季節はとてもにぎわう。通い始めた十数年前、公園内の歩道の反対側は、シートを敷いて、若い数名がたむろしていた。服装から見ると社会人。いわゆる「場所取り」である。桜の季節はまだ少し寒いし、座っていてもやることないから、朝から酒盛りモードだったりすることもあった。風紀上よろしくない。
数年後から、ブルーシートが貼付けられていて、シートの真ん中に「なんとか会社なに部なんとか課」とマジックで大きく書いてあったりした。ほー、今日はなんとか課が花見である。まあ1日中ここで居座る必要はなくなったわけである。
1-2年後は、その下に翌日以降の「日付、時間」が書き込まれるようになった。ご予約である。
その翌年ごろには、その下に「ちがう会社ちがう部ちがう課、日付、時間」を書いた白い紙が貼付けられるようになった。1週間ほどは予約満杯のようである。そのころまで花がもつのかしらん。
人間、いろいろなことを考えるものである。

今年は、と言えば、花が咲くのが予定より早かった。あわてて、夜桜用のぼんぼりが準備されていたりした。地面に予約表は貼られておらず、新入社員を誘っての花見は間に合わなかったのかもしれない。

今日は花散らしの雨である。