2017年2月9日木曜日

食事中

そんなわけで、「人を斬る音」は以前にも書いたことがある。
…のだが、ほかにもいろいろな音がある。
日本語はオノマトペがたくさんあるし、漫画や劇画ではよく使われる。イメージの音として日本人にはお馴染みである。
いやはや閑話休題。ともあれ、映像にタイミングの合った音がついていれば、それが発する音だと思ってもらえる。
そういったことを習ったのは、音響効果をやっていた人からで、彼は「すばらしき世界旅行」をずいぶん長い間担当していた。
当時のドキュメンタリーももちろんフィルムベースで撮影をしていたので、音声は後でタイミングを合わせる。足りない音はそれなりに足していくわけだ。向こうの山にパンダがいて、笹を食べている。むしゃむしゃ。
カメラは超望遠で、谷一つ越えた向こう側のパンダである。画像は撮れても、音声はさすがに録音できない。彼はマイクの前でキャベツを食べたそうである。むしゃむしゃ。
出来上がった番組は、山の向こうの林にいるパンダが「むしゃむしゃ」とかすかに音を立てて笹を食べている。
食べている音はパンダではないんだが。

2017年2月8日水曜日

ばっさり


別々なのが一番よく分かるのが時代劇である。のだが、最近の学生さんは時代劇をテレビでも見なくなったので、授業では伝えにくくなった。ちょいと前までは「水戸黄門」という誰もが知っている番組があったので、話はしやすかったのになあとよく思う。
いや、閑話休題。水戸黄門でもかならず後半にチャンバラの場面が入る。お約束である。ところが芝居で使っているのはもちろん本物の刃物ではない。刀と刀を合わせても「チャリーン」などという音は、実際にはしない。逃げる悪者を刀で斬りつけても「ばっさり」という音は、実際にはしない。後ではめこむのである。
人を切ったときに血しぶきが上がったのは黒澤明の映画が最初だと言われているが、人を斬ったときの音も黒澤映画が最初だと言われている。何でも最初が好きな組なのかもしれない。
人を斬った音、というのはさすがに衝撃的だったらしい。だれも聞いたことのない音だからだ。

2017年2月7日火曜日

ベツモノ


さて、大学に行って映像を勉強していた頃のメディアはフィルムである。8ミリ、あるいは16ミリのフィルムを回して作業をした。現在のビデオというメディアと異なって、フィルムは同時録音をしない。映像と音声はまったく別のチャンネルで作業して、最後にひとつにしていく。
フィクションであれば、画像に合わせて役者が台詞を「あてる」、効果音を「はめる」、BGMを「つける」という作業が必要である。役者は、撮影と、アテレコと、2回同じ台詞をしゃべる、というわけだ。足音も、ドアの開閉音も、ちゃぶ台を叩く音も、ぜんぶスタジオで音をつくる。画像のタイミングに合わせて、オープンリールのテープを切り貼りしてつなげていく、という作業をした。
絵と音のタイミングを合わせるので、それが全く別のタイミングで制作されているとは、オーディエンスは思いもしない。特に現在のテレビ、ビデオに慣れていると、絵に音がついているのは「当然」だと思っている。ところがフィルムで作業したことのある経験があると、絵と音が「別」だと無意識に思っている。

2017年2月6日月曜日

硬派


地上波の番組が面白くなくなった、と言われて久しいが、自宅にケーブルテレビで多チャンネルな状態になると、どうしても興味のある方向で番組を選ぶ。選択肢が増えたわけだ。
チャンネルが増えれば、それぞれが特化した内容になる。私にとってありがたいのは、映画専門と、ドキュメンタリー系のチャンネルがある、ということだ。
子どもの頃、まだチャンネルは少なかったが、「すばらしい世界旅行」という牛山純一が制作した番組があった。どちらかといえば人類学に近い内容が多かったと思うが、海外旅行があまりまだポピュラーでない頃、視野が広がった感じがした。最近ではこういった硬派なシリーズ番組はなくて、映像をかじっている側としては少しサビシイ。制作期間が長く、それなりの手間がかかるドキュメントは、だからといって視聴率が稼げない。どうしても制作本数が少なくはなる。
商業的なベースで言えば、タレントを並べて、芸を見せたほうが、当然のように視聴率が稼げる。地上波のゴールデンタイムの番組表を見ていると、ちょっと悲しい気がする。

2017年2月5日日曜日

オールド


拙宅で見られるノンフィクションのチャンネルで、同居人のお気に入りは、DiscoveryとNational Geographicである。硬軟取りそろえたコンテンツで楽しんでいる。お気に入りはクルマ関係である。
チャンネルの本拠地、アメリカやイギリスは、日本とはクルマ事情がずいぶんと違う。特にお気に入りなのは、古いクルマをレストア、あるいはカスタマイズするもので、イギリスの番組だ。クルマのレストア、というのは、日本の車検制度ではなかなか難しい。アメリカでは高校でクルマの整備の授業があったりするようで、簡単な整備は自分でやってしまう。日本の場合は、ほとんどブラックボックスになっているので、いじれること自体も、うらやましくもある。
番組では20年オチは当然、40年50年という年季のいった古い自動車をレストアし、検査を通して再び車道に戻す。もとより交換部品がなかったり、整備費用や整備期間が限られている。とうぜん、舞台になっている整備工場だけではレストアは出来ない。シートはシート屋さん、タイヤはタイヤ屋さん、メッキはメッキ屋さんに外注に出かける。こういう古い工業製品を整備できるイギリス、というのはいいなあ、と眺めている。職人作業を見せてもらっているわけだが、概してオジサン、いやジイサンが多く、若者の担い手があるのかとちょっと不安にもなるが。
日本の整備状況で言うと、車の不調が、と持ち込むと、たいがいはアッセンブリ交換といってパーツの塊をごそっと入れ替えられる。単に、あそこのゴムの具合が悪いので、パッキンだけ換える、というわけではない。確実で簡単、なのかもしれないが、なんとなく機械をいじっている感じがしない。
番組では、レストアは無事に済んでめでたしめでたし、という結末になるのがお約束なので、安心してみられるのもいい。古いクルマが「生き返った」感じも、職人作業が見られる感じもいい。残念ながら、こういった古い工業製品を維持し、使い続けられる制度や社会環境は、日本にはない。買い換えることで、需要を増やして、経済を回そうとするからだ。特に、数年来流行のハイブリッドやEVなど、電気、バッテリーを使うようなクルマは、ほとんど消耗品になる。50年前の電気自動車が動く、とは考えにくい。どちらが長期的にいいのか、よくわからないが。

2017年2月4日土曜日

選択


ケーブルテレビを使うことになったのは、屋根の上にアンテナを立てたくないためだった。使い始めたのは、15年以上前になるが、その頃と比べるとチャンネル数も多くなった。
行きがかり上というか、セット料金のせいか、むやみにチャンネル数の多い契約になった。生活しているとどうしても見るチャンネルというのは限られる。認知心理学のアンケートでも、インターネットのインターフェースの設計でもよく言われるのだが、人間、選択肢が増えたところで選びようがない、のである。たいていの人は、かなり絞り込んだところで、自分の意図で選択肢を選ぶ。30ほどの選択肢からひとつを選ぶのはかなり難しいが、多くて6−7、二つ三つなら確実に自分の意図で選択する、というものである。
だからチャンネル数が多い、と言っても、どちらかといえば、見ないチャンネルの方が多い。
見るチャンネルはどうしても民放とは違う傾向のものになる。うちで言えば、コンテンツとしてはノンフィクションのジャンルだった。

2017年2月3日金曜日

浦島


最近の学生さんはテレビを見ない。ひとり住まいなどしているとテレビすらない。隔世の感があるなあと思っていた。
…のだが、自宅をケーブルテレビにつないだら、当然のように「多チャンネル」になった。四六時中BBCニュースとか、映画ばかりとか、MTVばかり流している専門チャンネルがある。
その中に興味のある番組やチャンネルがあると、当然のように、地上波を見ることが少なくなる。テレビ、という箱であっても、以前のように皆がほぼ同じ番組を見ているとは限らなくなった。
地上波と違うのは、コマーシャルである。隙間時間に多いのは通販である。地上波のようなメーカーのコマーシャルはほとんどない。おかげでコマーシャルに関しては、すごーく浦島太郎な状態になりつつある。