2020年3月29日日曜日

籠城

自粛も飽きてきたんだろうなあと思う間に、外出自粛である。
先の金曜日は、同居人が用があって都心に行った。いつもより人出が多かったようで、デパ地下の食品売り場は年末のような混みようだったらしい。しかも、高級食材が目の前でぽんぽんと売れていく。籠城なので、家でお楽しみ、という作戦なのだろう。つられて、えらい高いチーズを買ってしまったらしい。おおおおお。
この混みようで、「オーバーシュート」しないのか不安である。

2020年3月28日土曜日

飽き

世はコロナ騒ぎである。
数週間前、週末の都心は、人も車も少なくて、お盆か正月かといった感じだった。うーん、やはり籠城だなあと思っていたら、郊外の公園の駐車場が長蛇の列だった。けっこう大きな車で自転車を積んだりしている。「閉鎖された空間」ではなく、野外なら良いだろうという判断なのだろう。お父さんは駐車待ち、お母さんと子どもが自転車をおろして離れていく。
幹線道路を車で移動していると、やけに地方ナンバーが多い。ガソリンスタンドもいつもより混んでいる。公共交通手段ではなく、自家用車移動が増えているような気がする。これもコロナ対策なのだろう。
先週末に都心の繁華街に行った同居人は、「全然いつも通り」と言って帰ってきた。飲み屋はそれなりに客がいて、帰りの電車もそれなりに混んでいたようだ。そろそろコロナにも飽きてきたか、という時分だろうか。

2020年3月27日金曜日

世はコロナ騒ぎである。
以前も似たような肺炎で騒いだが、その比ではなく「騒ぎ」である。
マスクがあっという間に店頭からなくなったと思った。通り道にあるドラッグストアに毎朝長蛇の列が出来ていた。大変だなーと思ったら、店から出てくる客は、マスクではなく、トイレットペーパーを抱えている。肺炎とトイレットペーパーと関係があるのかと思ったら、次の日はトイレットペーパーではなくティッシュペーパーを抱えている。ナゾだと思っていたら、その次の日はキッチンペーパーを抱えている。
同時期にスーパーから姿を消したのが、米とカップ麺だ。先週は、スーパーから納豆が軒並み品切れ又は品薄である。籠城対策ではなく、納豆が肺炎に効くという情報が流布していたのだろうか。商品棚が「空」になっているのは、東日本震災以来かもしれない。

2020年3月24日火曜日

みかんの続き

みかんがお好みだった母親だが、3月になって咀嚼力も嚥下力も落ちたようで、介護士から「缶詰にトライするか?」と連絡が来た。薄皮がどうも苦手になったらしい。ここのところ、果物缶詰が差し入れの定番になった。「千両みかん」にならずに済んだ。

2020年3月23日月曜日

みかん

母親の続きである。
食べるものや食べる量が少なくなっていく。端で見ているとちょっと切なかったりするのだが、ホームの介護士はなんとかして経口で食べさせようと、あの手この手を考えていく。
普通食の次は、「刻み食」。その次は「ほぼペースト」。その手の食品は、介護用品売り場で見かけるようになってきた。同居人の両親の時は、そういった商品はまだなかったので、ベビーフードを使ったりしていた。
母親の方は、食べる量とものにかなりムラがある。12月からは、「お食事」はお嫌いで、もっぱら「果物」がお好みになった。言語による意思疎通が難しいので、あれこれ試してみないと分からない。果物を抱えてホームに何度か通って、10月以降は「温州ミカン」がお好みになった。シーズンで良かったものの、夏になったらどうしようと内心びくびくしていた。生のミカンが店頭に並ぶのは2月半ばくらいまでで、シーズンも終わりになると種入りが増える。夏になっても「ミカン」と言われても、生のものは入手しにくい。うーむ、落語の「千両みかん」が脳裏をよぎる。

2020年3月19日木曜日

下宿屋

母親が入った施設は、「認知症対応型グループホーム」である。入居者は個室を借りて、介護士が24時間常駐して、生活の援助と介護をする、といったスタイルだ。どちらかといえば、下宿屋さんとか、合宿所みたいな雰囲気である。
同居人の母親は、最後はホスピスだったので、静かで落ち着いた雰囲気だったのだが、こちらは明るい下宿屋さん、である。訪問の歯医者さんや内科医、美容院が来て、季節ごとにイベントがある。入居者も認知症なので、暗い雰囲気はない。毎度毎度、「お住まいはお近くかしら」と聞いてくれる人、枯れたアサガオの植木鉢が水浸しになるまでじょうろで水をやっている人、ずーっと鼻歌を歌っている人、絶妙なツッコミで介護士と会話する人。症状も状態もひとそれぞれ、である。

2020年3月18日水曜日

それぞれ

介護で思い出すのは「中沢家の人々」である。言わずと知れた三代目三遊亭圓歌の、である。
圓歌の両親、亡妻の両親、後妻の両親と6人の「親」に囲まれた生活のエピソードが語られる。初めて聞いたのは、もうずいぶんと前で、「高齢社会」の入り口くらいの時期だったろうか。「年寄り」と生活していると感じる、ちょっとネガティブな思いを、ユーモアで包んでくれる感じ。
友人には、「老い方も、死に方も、ひとそれぞれ」と言われた。最後まで一緒に笑えるだろうか。

2020年3月17日火曜日

ごぶさた

しばらく文章を書くことをサボっていた。
最後に更新した7月より少し前、母親の体調が悪くなり、入院した。入院中に介護認定を受けて、秋口から施設住まいになった。
老夫婦二人暮らしだったので、老老介護は難しいだろうと考えたからだ。
手続きや引っ越しで夏はバタバタしており、9月は授業が毎年一番忙しい時期だ。10月になってやっとぼちぼち息をついて、実家と施設とを週2回ほど往来、様子を見ている。
同居人の親が具合が悪くなったのが20年弱ほど前。その頃とはまったく「介護状況」が違っていて、びっくりである。それが「進化」なのかどうかはさておいて、である。
20年ほど前は、「在宅介護」のシステムの過渡期だったのだろう。途中で制度が変わって、ヘルパーさんの仕事の分担や担当時間などが変更になったりした。あるヘルパーさんは、料理はするが買い物はしない。あるヘルパーさんは、掃除はするが料理はしない。仕事の分担が変わったり、途中で違うヘルパーさんが来たりした。その都度、呼び出されて、家の案内や家事の手順など説明する。お手伝いさん、というのを使ったことがないので、手伝ってもらう側ももどかしい。病気だったこともあって、慣れた頃にはしばらく入院、数週間後の退院時はまた違うヘルパーさんが来て、と何だか気ぜわしかったことを思い出す。