2013年10月30日水曜日

地下

大学の近くにはJR武蔵野線というのが通っている。
そもそも貨物線だった路線である。高架を走っているので、強風に弱い。ちょいと風が強いなーと思うとすぐに遅延した。そうかと思えば、大学の近辺は地下路線なので、ほとんど地下鉄状態である。
大学の最寄り駅、といっても徒歩30分以上はかかるのだが、そこは地下駅である。道路から見ると平屋根の入り口が見えるだけ、駅は階段を下りた地下にある。こんなところに電車が走っていようとは夢にも思えない風景である。

ここも、だいぶ前になるが、台風で水没し、数ヶ月水が引かなかったことがあった。台風で地下鉄が水没した、というニュースを聞いたことがなかったので、びっくりした。
大雨が降ると「地下」は、あぶないのである。

2013年10月29日火曜日

対策

大雨の都度、校舎がお風呂やプールと化してはならない、と学校側が判断したのかどうか分からない。新しい校舎の前の芝生に、ある日こつ然と穴が掘られた。

新しい、水の逃げ場か、と思ったら、どうも地下にポンプを設置したらしい。流れてくる水を強制的にどこかに送る、という作戦を考えたようだ。相前後して、周辺地域の下水道が整備され始めた。その後、水没することはなくなった。


お天気には誰も勝てないが、いろいろと策を練るのが人間ではある。

2013年10月23日水曜日

風呂

毎度台風が来るたびに、バス停が水没するのである。ところが、ある年から水没しなくなった。

校門に近いところに、新しい校舎が新設された。校舎は、半地下+地上4階のゴージャスな建物である。
案の定、大雨が降ると、半地下がプールと化した。

校門の前のバス停よりも、半地下の方が「低い」のは一目瞭然である。水の行き場が変わっただけだった。

壁も床も、白いタイルばりの新しい校舎は、さながら「お風呂」のようであった。

2013年10月22日火曜日

決心

日本であるので、毎年台風はやってくる。
時期や大きさや被害の程度がそこそこ違うというだけである。

学生の頃、大学の周辺には下水道が整備されていなかった。急な夕立や台風の大雨が降ると、校門の前は池と化した。
そんなことに2度も遭遇した。2度目は絶対に学校内に行きたかったので、意を決して運転手にドアを開けてもらった。ステップまで水が上がっている。靴下を脱いで、ジーンズをたくし上げ、膝上まで水につかって構内へ入った。

家から学校へは遠い。このまままたも目の前を通過するのは、通学時間の無駄である。
学校とは、何が何でも行くところ、だったのかもしれない。

2013年10月21日月曜日

通過

日本であるので、毎年台風はやってくる。
時期や大きさや被害の程度がそこそこ違うというだけである。

学生の頃、大学の周辺には下水道が整備されていなかった。急な夕立や台風の大雨が降ると、校門の前は池と化した。そのあたりではちょっとへこんだ場所だったのだろう。
校門の前にバス停がある。その日は午前中が大雨だった。バスで学校の前に着く頃にはやんでいたのだが、バス停のあたりは水没していた。バスのドアを開けても、水面である。バスの運転手は、ドアも開けずに通過した。学校に行くはずだったのに、通過して帰るはめになった。

学校とは近くて遠いところであった。

2013年10月19日土曜日

台風

さて先日は、季節外れの台風がやってきた。

小学校の頃は関西に住んでいたので、台風というのは夏休みの終わりの出来事で、学校がお休みとはあまり縁がなかった。中学高校では、気象警報よりも「最寄りの鉄道が止まったらお休み」という決まりだった。台風よりもストライキで休校になったことの方が多い。

大学になったら、そう言う決まりはなかったようだ。実はあったのかもしれないが、学生の私は知らなかった。
嵐の中、止まっている鉄道路線を避け、やたら遠回りして学校にはるばる出向いたことがあった。槍が降ろうと、何が落ちても、大学はやっていると信じて電車を乗り継いだ。たどり着いたら、先生の方は鉄道が不通で来られない、ということで、開店休業状態となった。もちろん律儀にやってくる学生もいるし、徒歩圏内に下宿している学生もいるので、まあ課題の続きなど作業をし始めるのだが、そのうち誰かがアルコールを持ち込み、ポテトチップスが差し入れられ、自習ではなく飲み会に変貌するのが関の山ではあった。

携帯電話もメールもない時代、もちろん大学にはクラスの連絡網もない。下宿の学生には電話という連絡手段すらなかった。近所の友達からの「伝令」だったり、大家からの「呼び出し」である。

牧歌的な時代だったのかもしれない。

2013年10月18日金曜日

念力

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
以前はフィルムだったり、テープだったりはしたのだが、相変わらず機械がなければ成立しない作業でもある。
機械の扱いが「上手」な人と、あまりそうではない人がいる。

ビデオカメラにはバッテリーを装着して使うのだが、メーカーごとに装着方法が少しずつ違う。現在学生に使ってもらっているカメラのバッテリーは、外部に装着するタイプである。このタイプは、たいていが「ひっかける」タイプになっていて、溝にはめ込んでスライドさせるものだ。外部装着式だと、バッテリーの大きさが選べたりするのだが、接点が汚れたり、ゴミがかんだりする。ちょっとした加減で、うまくはまらないことがあり、接触不良になりやすい。
よく学生が、録画中にバッテリーが落ちる、とクレームを言いにくる。どれどれ、と見せてもらい、接点をブロアーで吹き、バッテリーをはめ直すと、症状は再現しない。
学生は怪訝な顔をして作業を続行する。

接点不良、などという現象は、今の学生さんが日頃使っているガジェットでは、あまりあり得ない症状なのかもしれない。ハイテクそうな機器に見えても、アナログな部分というのがあるものだ。
バッテリーを装着し直して問題なし、なケースの学生さんは、ときどき「なんでですか」と言うのだが、そういうときは「君の念力が足りない」ということにしている。

2013年10月16日水曜日

主語

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
実習、なのであれこれと機材や消耗品を使うのである。
今時の学生で気になるのは「ぞんざい」な感じである。機材を扱っているのに、扱いがすごく「雑」なのである。

いくら高価な機械でも、少し使い込まれた機材というのは扱いがぞんざいになるのかなあという感じもする。
カメラは落としたら壊れるよ、とさんざん、口を酸っぱくして注意しているにもかかわらず、ここ1ヶ月で2台のカメラが落とされた。そこそこのお値段のカメラなのだが、使用して3年目、学生さんが入れ替わり立ち替わり使って使用頻度が高い。使っているうちに、あちこちの塗装がはげ、ねじが落ちたら代用品をはめるので見栄えが悪くなってくる。まあそれは「性能」とは少し関係ない気はするが。

メカニカルな機材を使っていた頃は、セコハンは当たり前、あちこちへこんだり、傷のあるカメラを使っていた。
きれいなうちは丁寧に扱い、ちょいと年季がいったらぞんざいになるのは、世の中の奥方の扱われ方と一緒か、新しいものを尊ぶ日本人の性癖か、と思ったりもする。

昨日の学生は授業終了後「僕が落としました」と言いにきた。なぜ落としたのか、といったころもある程度自覚はしているようだ。案の定、三脚にきちんと固定されていない、という定番の理由で、何度も注意したことである。言っても無駄だったのかとむなしくなったりもする。

まあこういったのはまだましなほうだ。

先月の学生は「カメラが落ちました」と言いにきた。主語がカメラである。あり得ない。カメラが自発的に落ちる訳はない。落ちるには訳があるが、それに心当たりがない場合、あるいは心当たりにしたくない場合、主語はカメラになるのである。

2013年10月14日月曜日

役割

ビデオカメラを扱う基本的な映像構築の作業を実習している。
さて、そろそろ今年度の担当授業も終わりに近くなってきた。
集中授業で、3週間が1ターム、1年間に5ターム、教えることは同じなのだが、教える相手は毎度変わるので、それに応じて作戦を細かに変える。退屈はしないが、それなりに大変である。

授業は実習、なのであれこれと機材や消耗品を使う。
今時の学生で気になるのは「ぞんざい」な感じである。機材を扱っているのに、扱いがすごく「雑」なのである。

三脚などは、あちこちがねじやノブがあって、それぞれが何らかの「留め具」になっていたり、「押さえ」になっていたりする。ちょいと見れば、何がどこを「留め」ているのか分かりそうなものなのだが、一気呵成にえいやっと足を伸ばしたり広げたりする。
ビデオ用の三脚というのは、アルミ製のものが多いので、無理矢理力を加えると、たわむ、曲がる、折れる、ベアリングのねじが外れる、といったトラブルが起きる。ここ数年は「力任せ」な壊し方をする学生が増えたような気がする。構造を見るよりも先に自分のやりたい方向を優先させる、という感じなのかもしれない、と折れたパイプを見ながら考える。


パイプやねじの気持ちや役割を考えない、ということは、もっと大きな問題が事前にあるような気がしてならない。

2013年10月11日金曜日

先生によって病気もまちまちだし、入院時の様子もまちまちである。
ある先生は、仕事中毒という訳でもないのに、入院中でも平時とあまり変わらない生活をしていた。

見舞いに行くと、病室にいない。看護婦に聞くと、いつも応接室にいる、とのお答え。
古い病院で、見舞客の相手が出来るちょっとした応接室があった。応接セットがいくつかと、観葉植物の大きな鉢植えのある、南向きの部屋である。ひとつの応接セットに先生がいて、他の見舞客と懇談中、のはずである。近くに寄ると、どうやら世間話ではなく、お仕事の話である。次回の講演会や出版のスケジュール調整の様子である。
先生がこちらに気づくと、やあやあと手を上げる。ちょうどいいところにきたよ、これ、ファックスしといて、と便せんを渡される。ファックスって病院の中にあるんですか、と聞くと、ナースステーションにあるよ、とお返事。便せんを抱えてナースステーションに行く。看護婦さんは「またファックスですね」と先を読んだようなお返事。「ほんとは駄目なんですよお」と言いながら、機械の場所を教えてくれた。
さては、常習犯である。

入院中であるので、好きな時間に好きなようにお仕事ができる訳で、午前中から見舞いと称して、仕事の段取り中。でも予定通り退院できないとその段取りも無効ですよお、と薬を持ってきた看護婦さんに釘をさされていた。

2013年10月9日水曜日

ハッカパイプ

ところで。

大学の先生の中には、体の調子を悪くする人も、ときどきいらっしゃる。
まあ、それなりに授業に穴をあけないように準備万端で「休養」する人もいるし、突然のように「休業」する人もいる。私の周囲ではあまり「事故」というケースはないのは幸いではある。入院で休養すると、親しい先生だと何回か顔を見に行ったりする。

その先生はとてつもないヘビースモーカーで、お酒が大好きな人だった。検査後、ちょいと精密検査、と入院、その後本格入院と、あいなった。
病院は当然のように禁煙である。どうも口寂しいらしく、「見舞いに行くが差し入れは何が良いでしょう」とうかがうと、即座に「ハッカパイプ。お祭りの縁日で売ってるアレ」。
amazonだの楽天などない頃である。駄菓子屋さんを回って、探して買って行った。
どうやらお気に召したらしく、数日後に「また買ってきて」。

子ども向けのハッカパイプなので、砂糖が仕込んである。お気に召して始終くわえていれば、ツケは即座に検査結果に現れる。入院中とて、検査結果は即座に「お食事」に反映される。

その後、様子を見に行くと、ハッカパイプは当然禁止になっていた。塩気抜き、油抜き、もちろん砂糖もスパイスもなし、という江戸時代のお殿様のような「あじけなーい」お食事になってしまったと嘆いていた。

2013年10月7日月曜日

ひったくり

ずいぶんと前の話である。

妹が外国に仕事に行った。お仲間とご一緒だったので、夕食を繁華街でとり、連れ立って宿に帰ろうとした。後ろから誰かがぶつかり、よろけた隙に肩にかけていたハンドバッグをひったくられた。
ひったくったのは若い男で、全速力でかけて逃げて行った。

彼にとって不幸だったのは、妹はスポーツ選手で、お仲間も全員、スポーツ選手だったことである。転んだ妹に先駆けて、一人が駆け出し、後を追った。立ち直った妹もすぐに体制を立て直して後を追った。
ご一行はプロのアスリートである。数時間炎天下でプレーするなど当たり前なので、瞬発力も持久力もある。これが車で逃げられたら駄目だったのかもしれないが、犯人は走って逃げたのが運のつき、結局はお仲間が数人がかりで、追いつき追い越し、つかまえて、警官に渡してしまったらしい。

目尻をつり上げた東洋人の女たちに追いかけられて、犯人もさぞ驚愕したに違いない。

教訓:ひったくるなら相手を選べ。もとい:海外旅行ではいつでも走れるスニーカー。

2013年10月6日日曜日

ロンドン

カナダのトロントに知り合いがいるので、何度かお世話になった。
日本から言えば裏側、直行便はえらく高いので、貧乏世界旅行の途中で寄るとか、安い飛行機を乗り継いでいくとか、そういう作戦が多かった。
そのカナダ人の知人は、親日家ということもあって、日本人の世話をすることが多い。政府関係で来る人は必ずアメリカ乗り換えなのはなぜか、と言われた。単に、コストパフォーマンスの問題だと思うのだが。直行便に比べると、時間もかかるし、到着がまた半端な時間なので、ビジネスマンは利用しない方法だ。北米経由で乗り継ぎなら半額近くになることがある。

ずいぶん以前に、貧乏旅行のついでにそういった飛行機の乗り継ぎやりくりをしていたことがあった。
成田から、アメリカの航空会社でデトロイト乗り換え、トロント行き、という切符を買った。PAN AMがもう既になくなった後で、ユナイテッドかデルタを使ったと思う。到着が夕方遅くになるので、とりあえずトロント空港そばのホテルを予約しておいた。
成田を離陸すると、様子がおかしい。やたら旋回する。エンジントラブルで成田に引き返した。機体交換で、5−6時間遅れで離陸。もちろん乗り継ぎ便は当該飛行機会社が世話をするはずだ。デトロイトに到着したら、transitの札を上げた係員がいる。Toronto、と言うと、こっちこっち、と手を引っ張られる。預けた荷物は、と聞くと「何とかなるからとにかくこっち」と言われる。入国監査を割り込んで終えると、ターミナルを駆け抜けて、インターナショナルではなく、ドメスティックに行かなきゃ行けないからねー、とバスに押し込まれる。この時点で、デトロイトは巨大な空港だと思った。ターミナル間はバスで連絡しているのだが、2−3分ではないくらい遠い。成田からの出口で渡されたメモの搭乗口につくと、小さな飛行機である。太平洋路線はジャンボなので、小さく見える。
こんなに遠く離れているのに、スーツケースが一緒に来ているとは思えない。乗り込んだらすぐにドアが閉まって離陸。
着いたところは、LONDON。もちろんイギリスではない。ターミナルも2階建ての小さな建物で、畑のど真ん中といった雰囲気。夕方も6時を過ぎたので、売店も店じまい。さびしいものである。ドメスティックなのに着いたところは外国である。
当然、ここが終着点ではない。transit ! と叫ぶと、係員がやってきて、ボーディングパスとチケットを確認、あわててこっちこっちと手を引っ張られる。小さな事務室に案内されると、貫禄なおばさんがパスポートをチェック。珍しいねーと言われ、これがカナダのイミグレである。はんこをポンと押して、あそこの飛行機に走って乗れ、と指された先は、タラップのあるセスナ機である。どう考えても、スーツケースが一緒に来ているとは考えられないが、ここでもめて人間を置いていかれるのはいやなので、階段を上って乗り込む。乗客は数名。席に着くと同時に、扉は閉まり離陸した。
小1時間で到着したのがToronto空港。しかしドメスティックなエリアなので、やっぱりタラップで、ターミナルビルははるか彼方である。やはり荷物など本人と同行してはいない。荷物はどこかと言うと、最初の飛行機会社の国際線ターミナルの窓口へ行け、と言われる。
国際線のターミナルまで走り、係員に聞くと、とりあえずカローセルに行ってみろ、という。スーツケースを探すと、当然のようにカローセルに取り残されていた。なぜ荷物がここにあり、人間はたらい回しにされたのか。理不尽な思いもするが、既に真夜中も過ぎ、係員も皆無。タクシー乗り場ででホテルに行って、とお願いすると、近すぎるので乗車拒否された。
成田を出て、半日以上、荷物を引きずりながら、くたびれて未明にホテルにチェックインした。時差ぼけも何のその、バタンキューである。
直行便をケチったばかりに、カナダ国民も滅多に行かない飛行場まで行ってしまった。時々、自慢する。

教訓:飛行機代をケチる時は考えた方が良い。

2013年10月4日金曜日

パンナム

「2001年宇宙の旅」という映画がある。

1968年の製作当時は、2001年など遠い未来だったのかもしれない。
現在見ても、まだそこまで未来は進んでいるようにも見えない。
映画にはたくさんの宇宙船が出てくるが、「PAN AM」のロゴが入っている。1980年代終わりまでに、会社がなくなるなど思いもしなかったのだろう。その当時の大航空会社だった。

私が初めて北米へ行くために乗った飛行機もPAN AMだった。太平洋路線はやたらでかい飛行機、ぎゅうぎゅう詰めのエコノミーシート、香水のにおいを振りまくCAが配る機内食は、かたいお肉ととてつもなく甘いデザートがついた。
その後、南米に行く時もPAN AMだった。成田からアラスカ、デトロイト、マイアミ経由で、南米に入ったので、あちこちの空港で機体を乗り継ぐ。降りるときに「transit!」と叫んで、案内を乞いながら、荷物を担いで大きな空港内を走る。デトロイトまでは大きな飛行機だったが、その後は乗り換えるごとに飛行機の機体が小さくなり、空席も多くなった。太平洋路線は若い姉ちゃんがCAだったが、国内路線は貫禄あるオバチャンやオジチャンがCAだった。空席にうつって、肘掛けを跳ね上げて、足を上げて寝るといいよ、と教えてくれた。

他にもいろいろな飛行機会社を使ったが、オバチャンオジチャンがCAとして働いていたのはPAN AMだけだった。あのアメリカのアットホームな感じが良かったんだけどなあ、と映画に出てくるロゴを見るたびに思い出す。