2012年10月31日水曜日

課外活動


秋は学園祭のシーズンである。
勤務している学校は、学園祭を中心に2週間ほど授業はお休みである。学校としてはコレを「課外活動」と考えているらしい。

学校には、いわゆる「学生自治会」というものがない。学園紛争のなごり、である。紛争のあげくに、学生自治会は解散し、以後学生の自主的な学内自治というのはなくなった。
しかし、学園祭はベツモノである。学生自治会がないので、当該年度の学園祭のために「芸術祭実行委員会」というのを、学生が自主的に組織する。学事予定に入っている学園祭周辺の2週間の学内管理は、「芸術祭実行委員会」が担当する。その間、学校の事務局側は学内管理を学生に移管する、というかたちになっている。

学内管理を移管されるとなると、管理要員は学生が請け負うことになる。もちろん学園祭当日に向かっての教室配分とかイベント、スケジュールの調整はもちろん、学園祭当日は喧嘩を仲裁する警備とか、怪我人と酔っ払いを看護する看護とか、学内の交通整理とか、いろいろである。

学園祭直前の授業は、学生のモチベーションが「準備」に持っていかれてしまう。出席率は低下、出てきても上の空である。学園祭終了後は、燃え尽き症候群なのか、学校に来なくなる(「沈没」と称する)学生もちらほら出る。そういう学生は、ときどき留年してしまう。たかが学園祭、どころではないのが美術学校である。

2012年10月29日月曜日

正解


同居人が小学校で図工の授業をしていた頃、「おうちから古新聞を持って来てください」とアナウンスしていた。新聞を購読しないご家庭もあったり、忘れてくる子どももいるわけだから、保険の意味もあって、同居人はときどき「ご家庭にある古新聞」を持参する。

新聞というのは、ニュースだけが掲載されているわけではなく、テレビ欄もあれば家庭欄もあり、スポーツ欄もあれば社会面もある。
大掃除やら引っ越しで、古い古い新聞が出てきて、つい「読み」ふけってしまうのは、人間の性である。それは子どもとて同じなので、難しい漢字は読めないながらも、読める字だけ拾って読んでみたりする。だから、子どもが使うことを考えたら、駅売りスポーツ紙などはあまりよろしくはなかろう。

今日も先生はご家庭にある古新聞を配布して粘土細工である。
「先生」
と作業中の子どもから手が上がる。
何かなーと、同居人は近くへ寄る。
「この答え、違ってます」

子どもの机の上に広げられた新聞にはクロスワードがあった。
同居人は時々新聞でクロスワードを楽しんだりするのである。

2012年10月27日土曜日

わさび


ちょいと昔は、よく「ご町内の皆様、古新聞、古雑誌がございましたら」とスピーカーから呼びかける軽トラックが住宅街を流していた。バネばかりで重さを量って、トイレットペーパーとか落とし紙なんかをくれた。
今時は、自治体が資源回収と称して、古新聞、古雑誌、なんかを持っていく。
まあたいていのご家庭には「古新聞、古雑誌」というのがある、のだった。

同居人が小学校で図工の授業をしていた頃、養生のためによく「おうちから古新聞を持って来てください」とアナウンスしていた。が、「うちは新聞をとってません」という子どもがちらほら出現するようになった。忘れてくる子どももいるわけだから、保険の意味もあって、同居人はときどき「ご家庭にある古新聞」を持参する。

ある日の授業は、古新聞を広げて粘土細工である。
「先生、古新聞ください」
先生は子どもに、実家から持っていった「古新聞」を渡す。
子どもは自分の机で、もらった古新聞を広げる。
子どもから手が上がる。同居人は「何ですか-」と聞く。
「新聞を広げたら、わさびの袋がはさまってましたー」

同居人の実家では鍋料理の場合、新聞を広げてカセットコンロをのせる、という「テーブル養生」をしていた。薬味やら調味料やらこぼしたり、小さなゴミが出たりしたら、そのまま畳んでしまう、という作戦である。

だから、自分の家の古新聞で作業をするのが望ましい。

2012年10月25日木曜日


学生さんと世間話をしていると、ときどき「あれ?」と思うことがある。
ここ5年ほど「あれ?」なのは、世間様のニュースの入手方法である。

活字離れと言われるようになってしばらくたつので、新聞は読まなくなったろうなあと言うのは想像に難くない。
まあ美術系の学生さんだと、世間様と隔絶しているところで生きていると言えるのかもしれないが。下宿住まいだと、新聞は購読しないケースが多い、というのも昨今の景気事情なら分からないでもない。

ではテレビかと言えば、いまどきの学生さんはそれも見ない。テレビのニュースの信頼性とか速報性とか、そうこう言う以前に、テレビは見ないんです、という学生も増えた。テレビという機械が下宿になかったりすると、インターネットで動画サイトを見る、ということが増えたようである。
もちろんラジオ、といった世代でもない。以前は受験勉強に深夜放送、といった風情だったが、それすらない。

インターネット、というのが今時の学生さんの「世間を知る術」だったりするようである。
ポータルサイトのニュースやトピックスの見出し、というのが彼らにとっての「ニュース」だったりするようだ。新聞記事を読んで、というと、インターネット上の新聞社の記事をプリントアウトしてくる。もちろん新聞という紙媒体ならではのレイアウトとか、書体とか、見出しの工夫とか、そういったものは飛んでしまい、テキスト情報だけになってしまう。それは「新聞記事」とは言えないだろう、と思うのだが、学生さんはすましたもので「新聞社のサイトの情報=新聞記事」と考えていたりする。

何かちょっと違うような気がするのだが。

2012年10月23日火曜日

許容量


同居人は小学校勤めが長かった。お昼は当然、子どもたちと同じ給食である。

小学校に遊びに行くと、まあ飲み物でも、と控え室に招き入れられる。お茶とかコーヒーではなく、冷蔵庫にたくさん入っている「給食の残り」の牛乳だったりしたことがあった。
給食で配布する牛乳が紙パックになったので、瓶を返却する必要がなくなり、子どもが残した未開封の牛乳がいくばくか保存してあった。配布当日に廃棄処分にするには、賞味期限がまだしばらくあるのでもったいない、という感じである。しかし、欠席がいたり、アレルギーの子どもがいたり、寒い日には食指が動かないらしく、毎日何個かが残ることで毎週何十個という数になるのだそうだ。
先生がそれぞれのクラスで、毎日残った牛乳を飲んだ日には、1日1リットル以上になったりする。むしろ健康的ではないだろうなあと思った。

以後、廃棄処分すれすれの紙パックの牛乳は我が家にやってくることがしばらく続いた。うちでも大人二人、1日に飲める量は限られている。牛乳は、カッテージチーズに化けた。

2012年10月22日月曜日

いつでも


同居人は小学校勤めが長かった。お昼は子どもたちと同じ給食である。

私の世代が子どもの時は、お昼はコッペパンにおかず(和洋中あり)、低学年の頃は脱脂粉乳、転校してからは瓶牛乳が定番だった。今のお子様たちはアレルギーも多いらしく、担任の先生は新学期に保護者からの聞き取り調査をしている。アレルギー症状のある子どもや、食べられる食材の少ない子どもは、別途お弁当を自宅から持参、ということになるらしい。これはこれで大変である。

変わらないのは牛乳で、今は瓶ではなく紙パックで配布である。おかずが和風だろうが、中華だろうが、牛乳は必須である。これも不思議な制度だとときどき思う。煮魚に牛乳、肉豆腐に牛乳、酢豚に牛乳、である。ミスマッチと栄養価とどちらがいいか、という選択で牛乳なのだろうが、大人になってみてみると不思議な組み合わせである。

小学校の現場では、これが「当然」、どの先生も当たり前な表情で鯖の竜田揚げと牛乳を同じトレーにのせている。考えてみれば、不思議な光景だと思うのだが。

2012年10月21日日曜日

生野菜


同居人は小学校勤めが長かった。お昼は子どもたちと同じ給食である。

しばらく前の話になるが、給食メニューが激変した時期があった。0157の時の話である。貝割れ大根か、と騒がれ、結局給食メニューから生っぽいお野菜がなくなった。野菜はひたすら、煮るとか焼くとか茹でるとか、といった感じになったそうである。突如、給食メニューからカラフルな食材がなくなり、地味ーな色合いになったそうである。

こういったニュースがあると、回れ右で前へならえ、のような対応をするのがお役所である。結局貝割れ大根ではなかったのかもしれないが、給食メニューに生野菜は、かなり長い間、復活しなかったそうである。

2012年10月20日土曜日

遅い

同居人は小学校勤めが長かった。
食べるのが早いのは職業病だと、つきあいはじめて、しばらくしてから知った。

一方私は筋金入りの「食べることが遅い」質である。
幼稚園では一人居残りで昼を食べる羽目になり、小学校でも教室の片隅で食べ終わるまで居残りである。トラウマである。
同居人の行っている保育園では、「ごちそうさま」が三回ほどあって、食べ終わらない子どもはその都度席替えしながら、教室の片隅に集めるようにしているそうである。

自分としては、自宅ではあまり「早食い」の人がいなかったり、酒飲みとつきあっての食事なので、割り方のんびりと食事をする方だったのだと、今では思う。
集合生活では何かと人と同じペースが強要されがちだったりする。管理上の問題からして、食べるスピードはその後のスケジュールを左右する。こと食事に関しては、「食べ終わる」ことの方がベースになっているので、「食べ終わる」までは解放されない、という方法が多い。定時で食事を強制終了されるのであったら、また違ったトラウマになったのかもしれない。
おかげさまで、物心つくまで、食事が楽しいと思わなくなってしまったし、給食も周りを見回してスピードを考えて、よく残して注意された。今でも「とりあえずカロリー取れればいいか」と考えがちだったりする。

居残り食事は今でもトラウマである。今ではあまり給食のような時間制限付きの食事形態はとらないように心がけたりはするのだが、やっぱり同居人と食事していると「せわしない」感じがぬぐえない。

2012年10月19日金曜日

職業病


同居人は小学校勤めが長かった。お昼は子どもたちと同じ給食メニューである。

昔も今も給食当番というのはあるようで、配膳やらお給仕やらは子どもたちが順繰りにお当番をする。
ところが先生の方はクラスに一人、毎日給食当番のようなもので、配膳とお給仕、後片付けも、子どもたちも一緒である。
クラスの中の誰よりも遅く食べ始め、誰より早く食べ終わり、後片付けにかからなくてはならない。小学校の担任の先生の早食いは、職業柄致し方ないが職業病である。

同居人の同僚と食事にでも行ったときは、とても大変だった。誰もが食べ物が来ると、一心不乱に「かきこむ」のである。お食事中に会話を楽しむ、といった風情ではない。お相伴している「小学校の先生以外」の私は常に、「食べるのが遅い」状態である。

小学校の近くの飲食店で、とても食べるのが早い人を見つけると、「先生かしらん」と考えてしまう。

2012年10月17日水曜日

経木


さて。

切り身が見えても、魚の顔が分からない、というのは今時のお母さんでも似たり寄ったりかもしれない。
日本の家庭では従前から和食が中心で、とはよく言われることである。
ではさぞやおうちのお母さんは魚のさばき方が上手だったのだろうと思ったのだが、祖母は魚をさばくことはなかったのだそうである。

朝方、魚屋の小僧が経木の束を持って裏口にやってくる。経木にはその魚屋が仕入れた魚が書いてある。一家の主婦は経木を眺めて、刺身にしようか煮付けにしようかと考える。小僧と料理方法を相談の上、「じゃあサワラを煮付けにして、鰹を刺身にして」といって小僧を帰す。夕方には、小僧が煮付け用に下ごしらえしたサワラと、刺身にした鰹を持ってくる、といった段取りだったそうである。
青物屋は、野菜を担いでやってきて、その日のおかずの様子を相談しながら、野菜を置いていく、菓子屋も午前中に経木を持って来て注文された当日のお茶菓子を当該の時間に持ってくる、豆腐屋のラッパが聞こえたら鍋を持って豆腐を買いに行く、といった日常だったらしい。
主婦は買い物に出かけなくて、いつも家にどんといる、というような風景だったそうである。冷蔵庫もない時代であり、その日の食材はその日に買わないとならない。
そんな家の台所はかなり広くて、床の下はすべて収納、味噌や梅干しなどさまざまな物が入った甕、いろいろな色の一升瓶が並んでいた。
出入りの青物屋の小僧さんを祖父がかわいがっていた。知多半島のメロン農家に婿入りして、その後ずっとメロンを送ってくれていた。

もちろん日本の家庭が同じような生活であったわけではなく、もちろんその時分にも「働いているお母さん」というのも実はたくさんいて、そういった家庭ではそれなりの営み方があったはずである。

裸電球の照らしている、光った木の床の台所を横目に見ながら、掘り炬燵で食事の出来るのを祖父と待っているのが、秋冬の楽しみでもあった。

2012年10月16日火曜日

解剖


小学校の授業内容というのは、時が過ぎるとずいぶんと変わったりするものである。

我々の世代だと、理科で「解剖」というのがあった。
しばらく前の世代だとカエルだったりしたようだが、私の世代では「鯉」だった。
ばたばたと暴れる鯉の頭を金槌で叩いて気絶させ、作業が始まる。お命を頂戴してしまうと、心臓が動いているところを見られない。叩き損なうと鯉は俎ではなく机から脱走する。大騒ぎである。

まあ考えてみれば残酷な話なので、昨今の小学校ではあまり解剖実習はやらない、という話を聞いたことがある。
まあやってみてなんぼの話だから、やらないよりはやったほうがまし、というので同居人がしばらく勤めていた小学校では解剖実習を決行することになったらしい。

早朝、業者が小学校に到着、トロ箱が理科室に搬入された。
トロ箱の中身はとれとれの「鯖」。業者は魚屋である。金槌で叩く手間はないだろうが、何か違うような気がした。

2012年10月15日月曜日

豆電球


小学校の授業内容というのは、時が過ぎるとずいぶんと変わったりするものである。
同居人がやっている授業の内容など聞いていると、浦島太郎になったような気になることがある。

我々が子どもの頃の理科の授業の実験では、乾電池に銅線をつないで豆電球を光らせて、直列並列などとやっていたりした。現在は豆電球が入手しにくいのでLED電球を使うそうだが、こちらだとつなぎ方が逆だと光らないし、電圧で光り方が弱くはならない。教えることは全くベツモノになったりする。

しばらく前のニュースで、小学校の家庭科の調理実習で食中毒、というのがあった。原因はポテトサラダに使ったジャガイモの芽が取り切れていなかったそうである。これはまた調理以前の問題かもしれない。家庭科の先生は家事のベテランというわけでもなかったりするし、ポテトサラダなど総菜屋で買う習慣だったのかもしれない。
そういえば、家庭内の調理週間もずいぶん変わっているようで、現在お魚はスーパーで「切り身のパック」を見ているお子さんが多く、そのため「切り身」と「丸物=お魚の全身」との照合図鑑、というのを雑誌の特集で見たことがあった。切り身なら「鮭」に見えるが、顔を見ても「鮭」には見えないお子さんが多いそうである。

いろいろと時が過ぎると、学校で教えることもいろいろと増えてしまって大変である。

2012年10月13日土曜日

調整


学校のカリキュラムには「選択」という科目がある。
専攻科目や学校によってずいぶん違うのだろうし、文化系理科系実技系でも選択できる「幅」というのもさまざまである。
選択授業というのは、学生にとって「嬉しい」ものに見えるようだが、準備する方は大変である。
私が授業をしているのは「実技系」なので、ことさらである。

学生の方は毎年入れ替わる。前年度と同じ資質や嗜好を持つ学生さんが来るとは限らない。前年度は大入り満員なクラスが、翌年は減少、数年後に閑古鳥、もう少し数年後は希望者ゼロ、というケースがあったりする。希望者に応じてクラスを増やしたり、エキストラのクラスを増設したり、あるいは廃止したり、といったことは、カルチャースクールや私塾ではないので、大学では基本的にはしない。希望者ゼロなら、今年度休講、来年度調整期間、希望者がほとんどいなければ数年間休講して、その間にカリキュラムの変更調整をしたりする。専攻科目内の授業との調整、学内各機関との調整と忙しくなる。
あるいは、学生にとっては、選択したい授業がない、というケースもある。選択したくはないが単位のためには何か「取る」必要はある。カリキュラムを組む側は、消極的選択のための「受け皿」も考えたりしなくてはならない。

「選択肢が多い」ことが、入学希望者を引きつけるマジックワードだったりするのだろう。「さまざまな授業が希望に応じて受けられます」という文句が、学校案内には大きく入っていたりする。学生さんを見ていると、選択は個人の趣味嗜好を反映してはいるが、長期的な学習計画に沿ったものではないと感じることがある。好きな科目だけを受けていて、本来の学習目的を失わないか、時々心配したりする。

2012年10月11日木曜日

苦手


学校のカリキュラムには「選択」という科目がある。
私が担当しているのは実技科目なので、講義ばかりではなく、とにかく働く、という作業が続く。
美術学校の学生は得てして、講義は苦手だが、ガテン系なら大丈夫、なはずなのだが、ここ数年様子が違うのに驚くことがある。

美術学校の受験にはたいがい「実技科目」というのがあった。美術系ならデッサンは必須、デザイン系なら平面構成も必須である。美術予備校のご指導は、デッサンやデザインの成績と志望大学の志望科目とのすりあわせである。
ところがここしばらく、美術学校の入学試験に実技科目が必須ではないコースがいくつか出現している。デッサンや構成などの実技試験の代わりに、論文や簡単な描画テストといったものである。
受験生から見ると、受験用のデッサンやデザインの勉強は、高校美術の習得とは違ったベクトルなので、別途予備校やら受験教室やらの受講が必要だ。ところがそれがないとなれば、高校の勉強だけで受験して合格することも出来るわけだ。
かくして、「美術学校に来たが、デッサンを描いたことがない」あるいは、「美術学校に通いながら絵を描くことが苦手」な学生が続出する。
そうなると、なぜか撮影の実習で、「建物の壁面は垂直にしないといけませんよー」とか、「人物の顔を撮影するときは、顔の向きに余白を多く取るんですよ-」とか、デッサンの初歩みたいな話をしなくてはならないのである。

彼らにとって「作品をつくる」こととは、答案用紙のマス目を埋めることだったりするのである。あげくに「私、デッサンやったことがないんです」が免罪符である。ガテン系よりも、講義を聞いて、レポートを書くことの方が得意そうである。

いやいや、世間様は概ね「美術学校出身なんだから、絵は描けるもんだ」と思っていたりするんだけどねえ。

2012年10月10日水曜日

篩(ふるい)


学校のカリキュラムには「選択」という科目がある。
専攻科目や学校によってずいぶん違うのだろうし、文化系理科系実技系でも選択できる「幅」というのもさまざまである。
選択授業というのは、学生にとって「嬉しい」ものに見えるようだが、準備する方は大変である。
私が授業をしているのは「実技系」なので、ことさらである。

毎年受講希望者が多い「人気科目」というのがあったりする。機械を使った実技科目では、無制限には受け入れられない。機械の数には制限があり、一度に受講できる人数は限られる。多いからと言って、じゃあ別の期間に同じ授業をするか、といった発想が私塾やカルチャースクールではあったりする。しかし、大学ではそうはいかない。カリキュラムは学内で絶妙に使用教室や機材を調整していたり、文科省に届け出る認可があったりするので、どたんばで変更というのがほとんどない。事前に告知したスケジュールと科目通りに敢行せねばならない。だから、希望者が多い科目は、どうしても篩(ふるい)を考えなくてはならない。

じゃんけん、あみだくじ、抽選、受講希望者内の話し合い、前年度の成績評価や素行をもとに研究室がダメ出し、いろいろとやってみたが、いずれにせよ「受講できない」場合は、他の授業を受けることになる。まあたいていは、心機一転、頑張ってくれたりするのだが、最近の学生さんはいつまでもへこんでいたりする。やる気満々だったりするとなおさらだ。

同じ専攻科目内の選択でも難しいので、先日言ったような「専攻科目横断の選択実技科目」は、受ける方も受けさせる方も、もっと難しい。

2012年10月9日火曜日

選択


学校のカリキュラムというのは、ときどき「選択」というのがある。
いくつかの科目が並んでいて、好きなのを登録しなさい、というものだ。
基本的に講義科目などは「選択必修」という方式で、たくさんの講座の中からいくつかの科目をとって単位を充当する、という方法である。選択する授業数が少なければあまり受講人数の浮き沈みはない。年度によって、受講者数が200人弱、翌年は15人、というのはあまりない(と言うか、聞いたことがない)。
ところが実技科目の場合は、少し勝手が違う。作業をするスペースや機材の関係で、受講できる人数が限られてくる。人数の調整をするために、事務方がいろいろと作業していて、最終的には受け入れ人数ちょうど、という名簿が回ってくる。

担当している実技授業に「選択」な授業がある。学内のさまざまな学科の1年生が選択できるようになっている。実写映像系の基礎学習的な科目なのだが、油絵の学生や彫刻の学生がやってくる。美術学校なので、実技であれば何となく楽しく過ごせる、というのが通例だった。考えることは苦手だがガテン系は大丈夫、なのが美術学校のいいところだった。

ところが、えらくテンションの低い学生がいたクラスがあった。何をやっても、その学生のモチベーションが上がらない。後で聞くと、そもそも希望していた授業科目ではなかったそうである。

受け入れ人数の調整というのは、こういうところでデメリットが出る。学生は4月に第5,第6志望までの科目を書類で提出し、事務方が調整する。件の学生は第5志望だったそうである。むしろ、「志望しない」ほうのカテゴライズである。これじゃモチベーションは上がらないだろうなあ、と同情した。その学生がいわゆる「競争率の高い」授業ばかりを希望したりすると、このような悲しいケースになったりする。

2012年10月8日月曜日

そば屋


世の中狭いので、誰がどこにいて、何を見聞きしているか分からない。

電車通学だった中学校では、電車内のマナーをしつこく注意された。制服を着ていると、どこの学生か分かるので、マナーの悪いのがいると、当該学校に「ご注意」のご連絡が来る。そんなことのないように、としつこく注意された。ひとりだけが悪くても、制服を着ていれば「代表」のようなもの、学生全員が「悪い」ように見えるからである。

実家の家訓に「大学の近所のそば屋で呑むな」というのがあった。
曾祖父は大学で教えていたそうなので、その頃の話である。勤務先の近所で飲食店に入ると、誰に出会うか分からない。特に学校の近くであれば学生さんや同僚に出会ってしまう可能性大である。
「あの先生は天丼と盛りだった」くらいを学生に目撃されるだけならまだいいが、アルコールが入ってしまうと、クチが滑ってしまうかもしれない。私が学校に残って勤務を初めてなるほどなあ、と思った。
会社の近所の居酒屋で上司の悪口、というのは定番だが、これとて誰がどこで聞いているか分からない。小中学校の先生は声が大きいので、ことに飲食店でもよく分かったりする。教頭や校長の話、今日の授業の話、生徒の話など、同じ空間なら筒抜けである。保護者が聞いたらどうするんだろう、という話題すらあったりする。
最近の大衆居酒屋だと、ご父兄の飲み会、というのもある。お母さんたちが集まって、PTA総会分科会のようである。これもアルコールが入り、声が大きくなると、「なんとか先生」の噂話に花が咲いていたりするのがよく聞こえる。

世の中狭いのである。誰かが聞いているかもしれない。

2012年10月6日土曜日

ばったり


同居人と近くのピザ屋でちょいとワインなど飲んでいた。
しばらくすると遅番のアルバイトが入ってきた。顔を見て、あれっ、担当しているクラスの受講生である。あちらもややあって気付いた様子。えええーっと言いながら、お給仕してくれる。こちとら顔は笑っているが、食欲激減である。

同居人の場合、小学校で教えていたので、長じてばったり、というのもあるそうである。駅でばったり、くらいならまだいいのだろうが、同居人は「あまりに疲れがたまっていたので飛び込んだ駅前マッサージ店」で担当してくれた兄ちゃんが、いきなり「お久しぶりです先生!」。小学校以来なので10年ぶりか、よく見ると見覚えのある顔、という状態らしい。先生の方は大人だから、10年経ってもあまり風体は変わらない。思わず思い出話に花が咲いたそうである。料金分もんでもらったのだろうか。

助手だった知人は、夜中のコンビニでばったり、だったそうである。夜中にちょいと食料を買いに言ったら、担当学生がレジにいた。会計しながら「あのー、明日提出の課題なんですけど」。おでんでお酒でも、と出かけた買い物が、思わぬ人生相談となったそうである。

先生業をやっていると、こういうことがよくある。世の中は狭い、とよく言う。どこで誰に会うか分からない。くわばら、くわばら。

2012年10月2日火曜日

クロスオーバー


勤務校の新学期は9月早々に始まった。
同居人の行っている大学はもう少し遅いスタートである。
学校によって学期の始まりや終わりの時期はずいぶん違う。

例によって夏休みは、前期中の講座の採点とか、後期の授業の仕込みとかで、暑いというのに、「休み」という感じはしない。
合間に同居人は保育園に出かけている。
私の家や周辺の友人に「保育園」に行ったことのある人はいなかったので、「保育園に夏休みはない」というのは、びっくりだった。
同居人の通っている保育園は、夏は保育士さんたちも入れ替わりで休みを取るようで、臨時保育士が来るらしい。いつもと勝手が違うので、作業がやりにくいようである。子どもの方も、いつも見ない顔がクラスにちらほら。話を聞くと、夏休み中の臨時預かり、というのがあるそうだ。普段は幼稚園通いだが、夏休みは保育園に通う、というケースらしい。

幼稚園は文科省の管轄、保育園は厚生省の管轄で、働く方で言えば労働環境、子ども側から言えば学習や保育の環境はずいぶん違うのだそうである。預ける親から見れば、役所の管轄は関係ないだろうから、さまざまなニーズが発生するし、園の方もそれに併せて営業をする。幼稚園の時間外保育、保育園の幼児教育に力を入れてアピールする施設もある。
すでに現場はクロスオーバーしようといているのだが、役所はなかなかそうならないのは世の常である。

2012年10月1日月曜日

間違い


新学期も始まった。
勤務校は9月早々に始まったが、同居人の方はそれよりも遅いスタートである。
学期のスタートは、それぞれ学校によって違う。秋の学期は特に学園祭があったりして、どの学校もハンパに「休講」な期間があったりする。

今学期も、同居人の方は毎度のように授業終了後、受講生のコメントカードというのを集める。150人超の講座なので、当該授業中に出席を取るのは至難の業だからだ。それを集計するのが私の作業で、というのは前にも書いた。

9月初回の授業で、名簿に名前の見当たらない生徒が4-5人いた。はてな、である。大学からまわってくる受講者名簿に漏れがあったりするのかもしれない。4月の受講登録後、登録講座を変更したのかも知れない。
あわてて、同居人に、事務局に名簿の確認をしてもらうよう依頼する。
返事が来たのが数日後。名簿の確認にはそんなに時間がかかるのかしらんと思いつつ、回答を聞く。
どうやらその4-5人はすべて別講座の受講生であった。その講座の講師は、いつもの「とってもよく似た」先生であった。

やっぱり、背が低くて、小太りで、丸顔で、眼鏡で、短髪、チョビ髭なオジサンたちは、あくまでも間違われる。
講座名も講師名も講座内容も全く違うのに、なぜだろう。