ラベル 学生生活 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 学生生活 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年1月28日金曜日

学期末

 通信教育課程の方は、通学課程とは少し学事の進行が違う。私の担当しているようなレポート提出や課題の郵送提出を伴う科目で言えば、2月末が課題の締め切りである。3月いっぱいは提出の受付はない。であるからして、年末から2月いっぱいにかけては、提出物が増える。人間、締め切りが間際にならないと、作業が進まないのは、誰もが共通して持つ性癖だろうか。

ここ2年はコロナ禍でおうち時間が増えていることもあり、コロナ前よりも提出が多い。増えてくると、採点のし甲斐はあるのだが、反面「とりあえず出しておく」姿勢も多くなる。うーむ、課題文は読んでいるんだろうか、という風情である。慌ててとりあえず出してても、こちらとしては課題違反だからとりあえず再提出ね、というコメントしか返せない。きっと本人も自覚しているのではないかと勘繰っている。

学期末の恒例の作業状況である。

2022年1月27日木曜日

年度末

 うかうかしている間に、1月も終盤である。

大学の方の授業はとうに終わっており、事務方としては入試突入体制である。私立であるので、入試命という印象がある。学事はこれを中心に組まれているのではないかと勘繰っていた。2月が本番なので、在学生のための作業は1月中に終わらねばならない。年度末と言えば、テスト、レポートや課題の締め切り、それに伴って追試、その後の採点、進級判定があり、逆算すると12月にほぼ授業を終えておかねばならない。国公立大学の入試は3月なので、それまでに入学試験と採点、合格判定、発表をせねばならない。私が関わっていた頃は、怒濤のようなスケジュールが組まれており、実技試験が多くて、ほぼてんてこ舞い、終わったら盛大に打ち上げせねばやってられない、といった状況だった。

現在は試験方法がいろいろ増えた。一般推薦、指定校推薦、センター試験利用、試験科目選択などなど、現場を離れた方から言えば、多様すぎて何が基準で合格するのかよく分からない。

入学したい方も、入学させる方も、この季節に向かっている。入学したい方から言えば、合格がゴールのような気がしているだろうが、実はスタートラインに過ぎない。

2021年7月14日水曜日

必須

 美術学校の学生にとってなくてはならないもの、と言えば、鉛筆に紙、であった。鉛筆1本持っていれば、食っていける、という時代もあった。華僑の必須道具は刃物、床屋料理人仕立屋という商売は、世界どこでも必須な商売である。

今や、それはコンピュータ、ということになるのだろうか。刃物も、上を見ればえらく高額だったりするものだが、コンピュータは桁が違う、しかも刃物よりも消耗品としての耐久性が短い。

しかし、勤務校では、学生の「必須画材」としてコンピュータはあまり推奨されていない。やはり桁が違うからなのだろうか。デッサン用の鉛筆や絵筆を貸してくれるアトリエはないし、よほど大型でなければ常用のカメラを貸し出すスタジオもあまり聞いたことがない。工房貸し出し機材は、学生が占有できるわけでもないし、24時間365日貸し出せるわけでもない。しびれを切らした学生は、自分で機材を調達することを考える。とある学生は、周辺機器も含めて高額なので、当然のようにローンを組み、分割払いにする。なんと英断かと、同級生から一目置かれた。2年の始めに36回払い、これで卒業制作まで何とかなる、と思ったはずだ。悲しいのは、こういった業界では日進月歩であることだ。12回のローンが終わったところで、機材もシステムもバージョンアップ、周辺機器も当然のように新機種を発表、24回が終わったところで、機材は既に「旧機種」になっており、購入時の金額でCPUの速度は倍増、内蔵HDDは容量が倍になっていた。卒業制作にかかる頃には既に「時代遅れ」の感があり、でもローンの残額があるので機種変更や転売が出来ない。結局、イライラしながら卒業制作を進めていた。

教訓。コンピュータはローンで買わない。

2021年7月13日火曜日

教材

 映像を始め、クリエイティブな作業にコンピュータが入り込んできて久しい。ここ数年で授業内のコンピュータの運用方法が変わってきた。

10年以上前は、学生にとってはかなり高額な機材だった。大学であっても、高額だったので数を潤沢に用意できるわけではなかった。その頃の研究室の機材の予算は年間数百万、指が片手で済む程度だった。グラフィック用のワークステーション、なんぞは年間予算をはるかにオーバーする額だった。だから、機材として導入されても、学生一人が占有するわけにはいかない。順番待ちも多く、従って、夜間にレンダリング、などという状況になった。機械は24時間働きっぱなし、である。ご苦労様であった。

必要な機材、にコンピュータがリストアップされて、研究室の機材として用意されるようになり、次第に数も増えた。こういった機材は、専用の「場所」が必要になる。ラップトップではなく、デスクトップ、いくつかの機械がつながっており、授業が終わったら片付けよう、といったものではなかったからだ。

ドミノ倒しのように、コンピュータ増える、教室増える、コンピュータのためにエアコンが必要、全校舎エアコン完備、コンピュータは永久に使えるものではないので、4-5年を目処に入れ替え、システムやソフトウェアの管理維持、全学的にコンピュータのネットワークシステム導入 などなど、あれよあれよという間だった。もちろん、ロハで導入されているわけではないので、それは学費や設備費として反映される。美術大学はアトリエという場所さえあれば良い、という状況から一転、最も性能の高いコンピュータが必要なので、学費はどんどん上昇した。

コンピュータがなかったころ、最もお金のかかる「教材」は、ヌードモデルだったりしたのだが。

2020年8月9日日曜日

お願い

 ちょいと昔は、大学と言えば「お馬鹿なところをやるところ」といった側面もあった。いろいろなサークルがあるが、私の学生時代には「ネコ部」というのがあった。ネコとは、実は関係なく、単に「何かにつけて飲む会」である。「サークル」として、組織をつくって届ければ、学校から年額数千円ほどの「活動費」が支給される。もちろん、飲み会の費用と化すだけだ。ブチョーも割り勘である。
まあともあれ、「お馬鹿なこと」も含めて、青春だったりするのだろうが、そこは大学なので「お馬鹿なこと」ばかりやっていると、単位が取れず留年することになる。単位は単位でそつなく取得した上で「お馬鹿なこと」をするのがスマート、だった。優等生は「お馬鹿なことをしない」ので、「スマート」ではないのである。卒業証明書に、成績はついてこない。単位取得したか否か、だけなので、優良可だったのか、単位取得に何年かかったのかは明記されなかった。
「手に職」に近いジャンルなので、「卒業」が人生のゴールではないし、「卒業」したからと言ってその後の人生が順風満帆とは言えないことは、卒業生を見れば、よーくわかる。「中退したら有名人」なケースも多い。卒業生全員が「プロの芸術家」として生きられるわけではない。不運だったり、報われなかったり、という人生も、先輩からはよく聞かされた。最終ゴールが「喫茶店のマスター」、というのが「よくあるハナシ」だった。
今や、大学から「留年させない」「脱落させない」「卒業させる」のが至上命令に近いので、お願いだから課題を提出してくれと学生に連絡するのは、講師と研究室のスタッフである。何だか違うよなあ、と思うのだが。

2020年8月8日土曜日

第2波?

またぞろ、感染者数が毎日のニュースでトップである。日々更新、などと、数だけ見ると「Go to な旅行へ行っている場合か」などと思ってしまう。後期授業も全面リモート、と決断した大学もあるようだが、ケニアの「今年度はなかったことにしよう。全学年留年だ」作戦の方が潔いとも感じてしまう。まあ、それはそれで、いろいろと後の作業は大変そう、ではある。「大学生活を返せ」という現役大学生のSNS発信が話題になった。授業ばかりではなく、青春ナ学生生活を返せ。ただし、彼らにとっての学生生活とは決して「授業してしっかり勉強する」ことばかりではなく、サークル活動課外活動楽しい放課後活動など、「授業以外」を大きく含んでいるような気がする。
まあ、翻って我々の頃は、もっと学生生活というのがゆるかった。「授業以外」に何をやるか、ということも含まれていた。今日の大学では「やらねばならないことリスト」がとてもたくさんあって、「ゆるい」どころか「がちがち」である。勤務校は、実技系の学校なのだが、最近の学生さんはサークル活動にあまり参加しない。そもそも「群れる」ことに慣れていない。サークル活動に参加して「群れる」ことに慣れるのだが、それすらしない。なぜか、と言えば、「課題が忙しい」のである。教える方もなぜか以前に比べると「ガチガチ」である。前年度秋頃に「シラバス」というのを作成する。授業の目的や到達目標、採点基準などを決め、授業日ごとの授業内容をリストにする。授業日程が終わると学生にアンケートが配られ、シラバスと授業進行について、齟齬がないか、変更なく進んだか、などと調査される。学生の顔を見て、学生の様子を見ながら、臨機応変に授業を進める「ゆるさ」は微塵もなく、シラバスと違うことはやりようがない。ある意味でシステマチックなのだろうが、これでは「パッケージ」である。

2020年8月5日水曜日

一段落

感染症拡大防止のため、入構禁止措置がとられていたが、段階的に緩和され、勤務校では対面授業が可能になった。早々に、夏期休暇を削って担当科目の実習授業が始まり、3週間、一つのクラスの集中講座が終了した。
梅雨明けが遅かったというのもあって、何となくいつも通り、夏期休暇前の授業のペースに近かったような気がする。
講義科目はほぼ「リモート授業」に移行しつつあり、感染症終息の見通しがつかなければ、来年度も続行の可能性が否めない。勤務校では別途通信教育課程も併設しており、こちらは例年より提出物も多く、また学習ペースが早いような気がする。ステイホーム効果、とスタッフは称している。
対面授業は例年よりも出席率が高く、脱落者も少なかった。入学以降、この授業開始が初登校日という学生がほとんどで、新鮮な気分だったということもあるだろう。一方で、感染症が不安なので、「通学したくない」という学生もいたり、未入国の留学生も若干おり、こちらは別課題で個別対応することになった。はっきり言うと、時間外労働である。
リモート授業も増えて考えることは、通信教育課程と通学課程の違いでもある。通信教育課程は履修登録をすると、登録授業のテキストと課題が送付されてきて、それに沿ってレポート作成、テスト、というのがいわゆる講義科目にあたる。実技の方は、課題に沿って作品を作成する、対面授業で作品を制作する、というのが授業によって違っている。両方行う科目もあれば、どちらか一方で進行する科目もある。対面授業は、スクーリングと呼ばれていて、以前は通学課程の夏期休暇中と冬期休暇中、工房や教室が空いている時期に設定されていた。現在は、駅近くのビルなどで週末を使って開催されていたりする。社会人の学生が減少した、スクーリングのための長期休暇が取りにくい学生が増えた、ということも聞いた。学生の方の状況も変わるのが、通信教育の特徴でもある。リモート授業が続行する、あるいは増えるのであれば、通信教育との違いは何だろうか、と考える。

2020年7月23日木曜日

再開

外出自粛期間が落ち着いた7月、勤務校は入構禁止措置を緩和し始めた。段階的に、施設を開放している。「大学生に日常生活」といったSNSの発信が話題になっているが、実技授業が主体な学校であるから、全部オンライン、には到底ならない。おかげで、本来は夏期休暇中なのだが、学生さんには対面授業をしに来てもらうことになる。
13日が授業初日だったのだが、この日が「初登校」という学生も多かった。自粛中は何をやっていたか、と言えば、オンラインの講義授業をして、ゲームして、といった手合いが多くいる中で、「引っ越ししてました」という女子がいた。実家からは電車を乗り継いで通わねばならず、この際、学校から徒歩圏内にアパート借りた、という「孟母三遷」という故事を思い出す。
授業中は「2メートル離れなさい」と言っているにもかかわらず、フェイスシールドを配布したにもかかわらず、気がつくと学生たちはアタマをつきあわせて話し始める。課題のことでも雑談でも、である。寄り集まるのは本能なのかも、と思いながら、今日も「離れなさーい」と言いながら実習である。

2019年3月19日火曜日

3月というのは年度末である。12月に年末だったのに、またぞろ「末」である。
学校関係が忙しいのはもとより、この季節は道路工事も忙しい。急いでいるときに限って道路工事で道が混み、通行止めになっており回り道をしなくてはならない。人間、締め切りが目前に来なくては働かない、ということが実感できるのが、ここ1−2ヶ月である。
受け持っている通信教育課程のレポートの締め切りが2月末、だから年明けくらいからぼちぼちと提出物が増えて来て、2月半ばになると毎日のようにどんどん届く。採点する側は、人数が増えるわけではないので、どんどん未採点が溜まっていく。締め切り間際と言うこともあって、「とりあえず」なレポートの割合も増えてくるので、合格率が下がる。おかげでこちらのモチベーションも下がる。悪循環である。中には、情に訴える「お手紙付き」というのがある。「この単位さえ取れれば卒業です。就職も決まっています。よろしくお願いします」という手合いである。本当に、「この単位さえ取れれば卒業」な学生は、こんなお手紙付きで、締め切り間際にギリギリセーフな提出などしない。事務方で調べてもらうと、同じ手紙をつけたレポートが何通も出ていたりする。どれかひとつでも落ちれば「卒業できない」低空飛行タイプである。案の定、課題違反なレポートだったりする。逆立ちしても合格点にならなくて、どうしようかなあと思うのだが、他の科目でも同じような提出だったらしい。助手に相談すると、「誰が一番先に不合格にするか」と様子伺いしている先生が数名いるらしいとのこと。助手からは淡々と「いつも通りに採点して特別扱いしないように」と注意された。ある意味で、通信教育の方が採点はドライでシビアである。

2018年4月2日月曜日

落とし前

年度末ネタでよく出るのは、なんとかして単位をもらう作戦である。
就職が決まっているんです、卒業しなくてはならないのです、などと泣き落とす、というのはよく聞く話である。30-40年前ならいざ知らず、いまどきそんな手が通用するのは、勤務校あたりではあまり聞かない。最近の大学の教務課は、そこのあたりチェックが厳しい。
同居人の大学時代は、紛争時である。大学の授業そのものがボイコットされていたり、学内には入れなかったりなどして、授業そのものが、あったのだかなかったのだかよく分からない、と言う時代である。
それでもやっぱり卒業所要単位というのはあって、事務方はきちんと管理をしていた。いまどきの学校だと、卒業間際に「単位が足りない」と事務方から連絡が来るのかもしれないが、その時分は自分で管理をしなくてはならない。日頃の行いを省みて、事務方に取得単位を問い合わせる。やっぱり足りなさそうだという学生さんは、追加試験や追加レポートなど担当教員に談判しに行く。
先生のお宅で住み込み書生生活とか、かなりハードな事務所の手伝いとか、いくつも担当されていた講義授業資料のまとめとか、そういったことで単位にしてくれた、という話もあったらしい。のんびりした時代である。

2018年4月1日日曜日

延期

年度末ネタでよく出るのは、就職が卒業ではない、というものだ。
私が助手だった頃は、バブルな時期で、就職活動も早々に内定がたくさん出ていた。思わず、こんな学生があんな大企業に!、というケースもあって、研究室スタッフで、真剣に大丈夫かなどと心配した。遅刻の常習者で、授業中は居眠りか、タバコを吸うために廊下にいることが多く、課題もたいてい締め切り間際に提出、つまりいつもは締め切り後に駆け込み提出でごり押し、という学生だ。会社勤めに向いているようには思えない。その頃の企業内定は秋の初めに出ていた。後期になって、当該の学生は「どんなもんだい」状態である。就職が決まって余裕を決め、授業に出ずに趣味のバンド活動にいそしんでいた。4年だから、最後の実技は卒業制作である。こちらも締め切りすれすれ、お世辞にも優秀作、とは言えない。まあ就職が決まっているから、なんとか出してやるか、という教員の温情で最低点で滑り込みセーフである。まあ社会人になったら、生活も変わるから、真面目な会社人間になるかも、などと話していた。
卒業判定会議で判明したのは、彼が卒業所要単位を満たしていないことだった。研究室では実技授業を見ているが、一般教養や外国語の取得状況は把握していない。研究室では慌てて、学生に連絡をした。ところが全く連絡がつかない。携帯電話やインターネットのない時代である。実家の家族には「卒業旅行に行く」と言って、出かけたままだそうだった。友人の誰も、どこにどれくらい旅行に行くのか知らなかった。どうやらヨーロッパあたりに行こうかという話をしたらしい、というところくらいまではわかった。そうなると全く連絡がつかない、というわけだ。
卒業式に、彼は意気揚々とやってきた。ヨーロッパ帰りらしく、ゴロワーズの両切りをくわえている。友人と旅行の話で盛り上がっている。そこで、彼は自分の名前が卒業者名簿にないのを知った。そこで帰るのかと思ったら、ちゃっかり卒業式には列席し、謝恩会には出て、明け方まで飲み歩いたらしい。大企業という就職先は、そこのあたりチェックが厳しい。就職はキャンセルになってしまった。
4月に入ってから、何度か彼を構内で見かけた。卒業延期になって、講義を取り直していたらしい。翌年の卒業式にもやってきた。

2018年3月31日土曜日

とりあえず

そうして、通信教育の年度末はと言えば、お決まりの「課題の締め切り」である。
崖っぷちのなんとか、というわけではあるまいが、とにかく締め切り日に近くなると、かなりの点数が届けられる。普段は、週に2−3点の提出ベースなのに、最終日に20点を超える。受付事務も相当忙しい。
もちろん、締め切りには理由がある。翌月には卒業や進級の判定があるからだ。会議までの半月ほどで、すべての採点を終えなくてはならない。まあこのあたりも、数年もやっていれば心得たもので、予めスケジュールには余裕をつけておく。
ただ悲しいのは、締め切り間際になると「とりあえず出しておく」風の内容が激増することだ。課題をキチンと読んでください。テキストをよく読んで基本的な理解を得てから資料を集め作業を始めてください。といった文面が増える。課題違反はもちろん「再提出」になるので、申し訳ないが、新年度にまた出してね、ということになる。人生滑り込みでは、結果オーライにはなることはまれだ。ただ、個人的年間スケジュールから言えば、4月5月の再提出のレベルは高くなる。
しかし中には強者もいて、翌年やはり締め切り間際に、前年同様の課題違反で滑り込み提出をしてきた学生がいた。逆にこれはこれで、潔いと言えるのかもしれない。お願いだから3回目は勘弁して欲しい。

2018年3月30日金曜日

駐車場

さて、通信教育課程はと言えば、である。
通信教育、と言っても、郵送でやりとりばかりではなく、実技授業もある。同居人もその昔通信教育課程に通っていたクチである。社会人は、フルに夏休みを確保して、大学のキャンパスに通う、というものだった。通学課程は夏休みなので、敷地側としては、通う学生さんが夏休みの間だけは違う人種、というだけである。
私が学生の頃、通学のために近所の駐車場を借りていた友人がいた。「夏休み期間中を除く」という契約で、試験が終わると夏休み明けまでは駐車場を使えない。なぜかと言えば、その期間中、通信教育の学生さんに貸すのである。
土地はしっかり夏も稼いでいるわけだ。

2018年3月29日木曜日

年度末

世間的に3月は年度末である。
一方、通学している大学生の学期末は12月である。数えて見ると、1年は52週ほどあるのだが、授業をしているのはほぼ半分だ。私が学生だった頃は、半期が13回だったので、都合26回が授業日である。のんびりというか、怠慢というかは、人それぞれなのだろうが。
現況は、と言えば、年間の授業回数が数回増し、ハッピーマンデー効果もあって祝日も授業、入学試験のスケジュールが先に組まれていて、逆算して授業日程が決まるという印象がある。以前に比べると、9月の始業が早くなって、後期の年度末は「年内」という感じだ。 学生さんの方は、夏休みが短くなったが、春休みが潤沢に長くなったのかもしれない。
いずれにせよ、大学の授業は年間のほぼ半分。大学生とは優雅なものである。

2017年10月5日木曜日

パンク

かくして、学生さんの風体は自由である。
さすがに、いわゆる「コスプレ」風なのは、ここ数年の流行ではあるが。
以前は、風体で概ね専攻学科が分かったものだった。しかかし、最近の学生さんは実技と言ってもいわゆる「美学生」っぽくない。一般大学の学生さんと、外見ではあまり違わない。学内でコスプレして、高校の制服を着ていたりするので、なおさら、区別がつかない。
以前受け持っていた学生さんは、ロック研究会というサークルでバンド活動をしていた。バリバリのパンクロックバンドである。次第に風体が「パンクロッカー」風になっていく。進級すると、「パンクロッカー」度が上がる。男子学生だったが、胸まで長いロングヘア、パーマをかけてウェーブヘア、しかもヘアカラーを入れてメッシュヘア。もちろんいつでもさりげなくアイシャドウを入れている。夏でも革ジャン、安全ピンがあちこちについていて、背中にはドクロマーク。スリムなジーンズはあちこち穴が空いている。その頃はロンドンブーツではなく、ウエスタンブーツが流行だった。年間通してそんな格好なので、夏は汗だくで革ジャンを着ている彼を見る方が「暑い」、冬は穴あきのジーンズで穴から鳥肌が立っているのが見えるのが「寒い」。本人もバリバリのパンクロッカーのつもり、だったのだろう。何事も「パンクロッカー」たるスタイルのためと、暑くても寒くても、その風体は維持されていた。
4年生になると「就職活動」というのがある。夏休み明けに久し振りに学校に来た彼は、短髪、化粧っ気はなし、リクルートスーツでワイシャツにネクタイ、書類鞄で、研究室に推薦状をもらいにやってきた。最初は「どなたさまですか」と言いたいほどの別人ぶりである。
もともと優秀な学生だったので、結果的にはそこそこの会社には就職した。彼の「パンク」は単に外見だけだったんだねえと、卒業式後に、話題になった。パンクな格好で就職活動して、それを受け入れてもらえる度量の広い会社がないものかと、実は密かに期待していたのだが。

2017年10月4日水曜日

変身

夏休み明けは9月初め、勤務校は小学校並みに早い始業である。
授業は3週間の集中授業なので、予め研究室のスタッフに受講生の顔写真を用意してもらうことにしている。年間130人ほどの学生さんを見ることになっているのだが、それぞれ3週間ほどしかつきあわない。さすがに全員の名前と顔を覚え込むのは難しいからだ。
学生さんは4月に身分証明用の写真を撮影する。データが研究室にあって、それを使い回してもらう。ところが、大学に入って1−2ヶ月ほど経つと、最初の顔写真と違う人物になるケースがある。一番変化が大きいのは、髪型や髪色、メガネのカタチである。4月は生真面目風な女子高校生くらいな感じだったりするのが、5月になると頭が赤かったり、メガネがコンタクトになったりする。研究室で用意してもらう顔写真に「頭赤い」「頭青い」「頭黄色い」「頭短い」、パーマかけてアフロヘアになったら「頭爆発」などというメモを記入する。
身体的には、激やせ、激太り、などというのは、ほとんどいない。ファッションの見た目がかなり変わることはある。いきなりゴスロリ風になったり、ストリートダンサー風になったり、フェミニン風になったり、というのはある。これも「今はパンク」などというメモを記入することになる。
学生時代というのは、かくも風体は自由である。本人と確認できる程度の「変身」であれば、問題はない。問題があるのは、肉体作業な実習授業なのに「きれいめOL風」だったり、夏だと「ほとんどお肉丸出し」みたいな女子学生である。授業の内容に即したファッションが望ましい、のだが。

2017年6月20日火曜日

マクラ

いまどきの、とマクラがつくようになったら年寄り、と言われる。若いもんに「昔の」などと、生まれる前のことを言っても意味はない。彼らには「いま」しかないからだ。
まあそれでも、年をとってみると、以前との比較で考えることは多くなる。大学の1年生相手でよく考えるのは、高校までの教育成果としての「学生」さんである。
年寄り世代になくて、いまどきの学生にあるのは、「情報科」という科目である。コンピュータとか、情報リテラシーを教える、という科目である。一方減っているんだろうなあと思うのは、いわゆる工学系の技術科、家事系の家庭科である。男子でも5寸釘が打てない、図面が読めない、女子でも裁縫が出来ない、包丁が扱えない、という場面を見かける。個人差なのかもしれないが、授業でやったのでは、と聞いたら、やってません、と堂々と答える。おうちのお手伝いもしたことがないのだろう。
ではいまどきの学生さんは、情報系はばっちり、なはずだが。簡単なプログラミングをやったことがある学生から、パワポで何かつくったことがある、インターネットで調べものをした、程度までかなりばらつきがある。情報科には、学習指導要領などというものがないような印象すらある。教える側の能力差が大きい、と言えばそれまでだろうが、義務あるいはそれに近い教育制度で、なおかつ、いまどきのリテラシーとして重要な「情報」系の科目で、それはまずくはないだろうか、と思う。
今や昔、であるが、技術科という科目でも、学校によってはかなりばらつきがあった。私の世代の男子に聞くと、エンジン全部分解再構築、丸太から板を切り出して椅子と机を作る、などというのがあった。私は女子校だったので、家庭科オンリー。やはりお裁縫が多く、ボタンホールはフランス風を教わった。中学生の頃、ブラウスやスカートをつくったのだが、ジャストサイズで型紙をつくったのが4月、出来上がるのが数ヶ月後で、出来た頃にはサイズが変わっていた。成長期まっただなか、だったのである。
いやしかし、今考えると、エンジン分解など面白そうだなあ、と思うのだが。

2017年3月3日金曜日

隙間

そんなことを考えていたら、新聞で「就活解禁」の見出しを見かけてしまった。
さて、私の母親はせっかちなので、浪人するよりは入れた学校に通って卒業、という主義である。私は幸い浪人せずに済んだが、全部落ちていたらどうなっていただろうかと思うことがある。
しかし、通った学校では、1浪2浪は当たり前だった。二つ年上でも同級生、仲良く「ちゃん」づけで遊ぶ仲になる。
長じて思うのは、長い人生なんだから、1年2年はどうってことないかな、ということだ。
新学期に時折見かけるのは、「大学って入ってみたら、想像と違ってた」と感じている1年生だ。「入れたところに行きなさい」作戦なのか、事前のリサーチ不足なのかはわからない。でも浮かぬ顔をして授業に「出てるだけ」では、むしろ人生の無駄になっているような気がする。
就活している学生さんを見て思うのは、卒業と同時に会社に通い、と「隙間なし」の人生計画だ。無駄のない人生計画に見えるが、反面打たれ弱いのではないか。「会社に入ってみたら、想像と違ってた」ことにはならないだろうか。大学は4年ほど辛抱すれば卒業できるかもしれないが、会社ではそうは言えないだろう。だから真面目な人ほど「違ってた」けど「頑張って」しまうのである。「燃え尽き症候群」になりやすいのではないかと心配してしまう。
人生挫折を経験して知ることもあるだろうし、卒業して1年じっくり人生計画を立てるのもいいだろうし。就活、などとあおられなくても、のんびりやれるようになるといいのに、と思う。

2017年3月2日木曜日

年度末

毎年、年度末はやってくる。学校の場合は、新年明けが年度末である。大学の場合は、ほぼ12月から1月半ばまでに授業や試験が終わる。重なるように卒業制作展と審査があって、その後は入試、というのが通学課程の年度末である。もう片方でやっているのは通信教育で、こちらの方は入学考査は書類審査だし、秋入学というのもある。通学課程ほどではないにせよ、それなりに年度末である。私はこちらでは、レポート担当、赤ペン先生である。通信課程の年度末レポート締め切りは2月末日。2月初めからぼちぼち「駆け込み提出」というのが増えてくる。「とりあえず」ビール、ではなく提出、である。

2016年12月22日木曜日

名物

私が学生の頃、ご推薦されたのは「生物学」である。教授が授業中に突然歌い出すので、「歌う生物学」というサブタイトルで、学生の間では人気だった。人気なので受講生が多く、アナログな時代なので出席などつける方が大変だから、出席は「甘い」。でも面白いので、いつも講義室は満員である。私が受講した年の試験は、白紙を配られた。試験問題は教室内で「学内の植物の細密画」である。
開講時間の制約のため選択できなかったが、ほかにもいくつか「名物授業」があった。
学内のサークルにまでなってしまった科目もあった。サークル名は「経済ゼミ」。
OBがよく潜り込んでいて、なぜか数代にわたる元学生と学生が一緒に授業を聞いていた科目もある。
あまりにも先生の熱が入って、授業は面白いのだが、授業時間終了後も「終わらない」のもあった。続きは近所の喫茶店、それから居酒屋へなだれ込む、というエンドレス方式だ。今では考えられないが。