2016年4月28日木曜日

親心

臨床心理士は、美術系の学校出身ではないし、美術家を志したこともないのだろう。先生方に対する心理士の「ご要望」は、申し訳ないが、少し違うのではないかと思う。
大学での授業に興味が持てないのであれば、勉強する必要はない。さっさと自分の興味範囲を探した方が良い。大学は義務教育ではないのだから、大学の授業に迎合する必要はないはずだ。興味のあること、勉強したいことがあれば、授業が退屈なものだったとしても、講義を聞いたり本を読んだりすることは出来る。
実技授業の講評では、基本的には作品について「講評」していて、作者について「講評」しているわけではない。ここ数年の学生の特徴は、「批判」の対象が、作品ではなく本人であると勘違いしていて、本人を否定されているような気になるところだ。ただし、美術家やデザイナーとして仕事をするのであれば、社会に出てから、いくらでも「けちょんけちょん」に叩かれることは覚悟しておかなくてはならない。それでもコツコツと作業を続けて最後に笑う作家だって、たくさんいるからだ。褒めてやる気にさせてみても、社会に出て叩かれて、ポキッと折れてしまったら、それこそ元も子もない。学生時代に少しは耐性をつけようという親心を、臨床心理士は知らない。

2016年4月27日水曜日

フィードバック


同居人の勤務校も同様の「ご相談室」があり、週に数回「臨床心理士」が来て、学生のご相談を受け付けている、そうである。臨床心理士、というのは、イメージで言えば「カウンセラー」なのかもしれない。よろずご相談を聞く、というのがお仕事である。一方でお節介な友だちよろしく、一緒に問題について解決しよう、というのではない。だから、学生の相談内容によっては、学生が話しただけ、おしまい、になるわけだ。
まあ、愚痴っておしまい、であれば良いのだろうが、同居人の勤務校ではなぜか年度末に「ご相談室配備の臨床心理士によるお勉強会」というのがあった。学生の相談内容を、教える側の先生にフィードバックする、という趣旨である。カウンセラーとしては基本的に守秘義務があるので、個人名などは伏せられた状態で、当該年度の相談内容を発表する。それを聞いて、授業を教える側の先生にも、対処を求める、という会である。出席した同居人がレジメを持ち帰ったので、読ませてもらった。
たいていの学生のお悩みは、「授業が面白くない」、あるいは「興味が持てない」ことであったり、講評で「けちょんけちょんに批判された」り、「無視された」りすることだそうである。同居人も私も美術系の学校なので、学生が相談する内容はよく分かる。まあ、古今東西、昔も今も、美術系の学生が考えることはあまり変わらない。基本的に人間が単純なのかもしれないが。
臨床心理士による先生方へのフィードバックは、学生に対して「授業を面白くする工夫する」、あるいは「興味が持てるような授業内容にする」ことであったり、「講評で一方的に批判しない」「必ず褒めてやる気にさせる」ことなのだそうである。

2016年4月26日火曜日

ご相談

事務方から送られてくる事務書類には必ず「学校内相談窓口」のパンフレットが入ってくる。セクシャルハラスメントが話題になった頃から、「ご相談室」というのが出来たらしく、そのご案内である。
学内に設置された「ご相談室」には、週に数回「臨床心理士」と、学内担当者がおり、学生の皆様のご相談に応じます。セクシャルハラスメント、とは明確に書いていなかったりするのだが、「学生生活」のご相談全般に応じる、と書いてある。学内担当者は、学内の教授が持ち回りでやるようで、毎年メンバーが替わっているようだ。今年の担当者に相談したら、一緒に頭を抱えて底知れぬ泥沼に引き込んでくれそうだ、などと思ってしまう。去年の担当者は元気なおっさんである。相談に行ったら、一緒に「ファイト—、いっぱーつ」、などと叫ぶに違いない。
新入生は先生のことなど知らないので、親身に相談にのってくれる、と思うのだろうが。

2016年4月25日月曜日

ナンバー

さて勤務校では、やはり仕事をしているセクションではなく、純然たる事務方が新学期の事務的な書類を郵送してくる。給料の振込口座の指定とか、住所変更届とか、である。今年度からはまためんどくさいことに「マイナンバー」関連の書類が増える。私などはフリーで仕事を請け負っていたりもするので、ギャラが発生するところにはすべからく「マイナンバー」を届けることになる。これがまた会社によってまちまちでめんどくさい。
勤務校では、外注の業者に給料関係の経理を委託しているらしく、そちらから「マイナンバーを届けなさい」という書類が来た。通知書のコピーに、写真付きの身分証明になるような書類2通、である。しかし、なぜか勤務校の図書館で使える身分証明書は「除外」である。
ほかのところでは、電話で口頭試問、仕事を担当している人にマイナンバーと身分証明書を提示、などいろいろである。20年も一緒に仕事をしているのに今さら身分証明書もないよねえ、などと、他人に運転免許証を見せるのである。妙な雰囲気である。そこは「マイナンバーカードと写真付きの身分証明書2種類を担当者に提示、担当者が確認してハンコをつき、担当者がマイナンバーを書類に手書きで記入」方式である。担当者は今までなかった仕事が、しかも手間仕事が増えたわけだ。事務方も提出書類が増えるわけで、これまた仕事増量である。
よく役所の窓口で本人確認に見せてください、と言われることはあるが、コピーまではさすがに取ることは少ない。運転免許証の番号だけでは、あまり悪用する方法もないだろうと思うからだ。しかし、マイナンバーは「番号」だけなのだから、番号が一人歩きしないのだろうか。よくわからない。
私の場合は、旧姓で仕事をしているのだが、振込口座は戸籍上のお名前、もちろんマイナンバーも免許証も戸籍名である。世の中には同じように、旧姓やペンネームや芸名でお仕事をしている人もいる。ギャラをもらう人が戸籍上の人ということも折り込み済みなのだろうかと、頭をかしげながら書類を作成する。
個人を特定するのに「マイナンバー」が有効なら、結婚後の名字選択など不思議な議論に思える。戸籍名をマイナンバーにしてしまえば、どんな名前でいようとかまわないではないか、という気になるのだが。

2016年4月24日日曜日

歴史

同居人の行っている別の学校のひとつは、やはり小さな学校である。こちらも事務員がひとりでさまざまな業務を切り盛りしている。
数年前までは、けっこう貫禄のある「おばさま」だったそうである。ずいぶんと長い間勤務されていて、学校の「昔」のことをよく知っていたそうだ。
こういう事務員の場合、「以前はこうだった」という前例で作業が進むことが多い。だから、新参の講師だと勝手が分からなかったりする。こんな場合は、事務員と仲良くなるのが手っ取り早い。同居人はたいてい「甘いもの」を手土産に何回か持っていく。こういうことはやけに「気が利く」質である。

2016年4月23日土曜日

事務方

新学期の間際になると、何種類かの事務書類が送られてくる。勤務校といわず、たいがいの学校的な組織であれば、「教える」セクションと、「事務方」のセクションは、別に組織されていて動くことが多い。大きな学校であれば、それぞれに関わる人数が多くなり、担当業務ごとにまた細分化された部署があったりする。大きな学校であればあるほど、組織は細分化され、縦割りされるようになる。
昨年もこういった「縦割りな困った」ことを書いたが、その一方、小さな学校では、業務も多くはないのかもしれないが、雑多な作業をこなすことになる。講師のサポートをしながら、会計処理をして、発注したテキストの数を確認して、先生のお昼の弁当を発注する。大きな組織と違うところは、なんでも質問すれば即座に答えが出てくるところだ。名簿、去年の備品の修理状況、昨年の卒業生の進路、先生の連絡先、どんなことでもまずその事務員に聞いてみることになる。
コンピューターがさまざまな現場で導入されると、どうしてもそちらのスキルも要求される。それに絡んで、作成書類も増えることになる。15年前と比べると作業量がかなり増えた。一生懸命に対応しすぎて、事務員が「壊れた」ことがあった。小さな学校で、ほぼ一人で切り盛りしていた。サポートのバイトはいたのだが、重要な作業はやっていない。ある日突然「しばらく休みます」状態になったそうである。
しばらくは大変だったそうだが、数ヶ月後に事務員は復帰した。

2016年4月14日木曜日

手段

学生時代にヨーロッパでバックパッカー旅行というのをやった。日本で買っていくのは、ユーレイルユースパスである。ヨーロッパに入ってしまうと買えない。若造向けに1等は使えない、特急や特別列車は別料金、というのが当時のルールだった。だから鈍行でロンドンからギリシャまで行った。トーマスクックの時刻表をにらみ、列車の時刻と行き先をにらみ、途中下車の計画を立てる。ところが現地に行けば、日本のように時刻通りに列車は来ない。相席になった人に誘われて途中下車してしまう。旅は予定通りにはいかないもので、でもそれなりに楽しく2ヶ月ほど列車であちこちをまわった。

列車が旅の目的ではなくて手段になってしまうと、結局途中の駅は素通りになる。熱狂的な新幹線誘致の看板を見ていると、何かちょっと違う気がしてしまう。 

2016年4月13日水曜日

誘致

あちらで立ち寄った諫早駅は、小さな地方都市の典型のような可愛い駅舎だった。改札口からホームが見える、東京圏内に住んでいるともう見かけなくなった佇まいだ。駅の横には大きな大段幕があって、「長崎新幹線で地域を活性化!」といった勇ましいスローガンが踊っていた。
人口は14万弱、東京で言えばちょっと多摩地区の小さめの市くらい、という規模だ。在住している市と同等くらいなのだが、こちらは現在都営地下鉄絶賛誘致中である。

鉄道が市の中心になり活性化する、という考え方は同じなのだが、果たしてそうなのだろうかというのが、先日の北海道新幹線だ。開業当初は物珍しさもあって賑わうのだろうが、果たしてそれがいつまで続くのだろう。同居人は毎年1回札幌で仕事があるのだが、北海道新幹線の計画を知ると、開通したら新幹線で行こうかな、と言っていた。開通した現状では、結局札幌で仕事なのだから、直通で札幌に行けなければ飛行機でなければ不便、なのだそうだ。 

2016年4月12日火曜日

移管

関東から九州くらいだと、新幹線か飛行機で移動する感じになる。先日は北海道新幹線の開通がニュースになっていた。
列車で移動することが目的ではなくて手段になっているのだろう。開通と同時に寝台列車や長距離列車が廃止、旅もせっかちになったものである。もっと困るのは青春18きっぷが使えなくなる区間が出てくることだそうだ。新幹線開通と同時に在来線が第三セクター運営になると、そこは「JR」ではなくなってしまう。微妙な「移管」である。
先日向かったのは博多。飛行場が街中にあって、博多駅もすぐそこ。こうなると飛行機か新幹線か、というチョイスである。東京からのぞみに乗るのと、飛行機の待ち時間を考えれば、どちらが「早い」か、という距離感だ。結局飛行機に乗ったのは、早期予約割引チケット、というのがあったからだ。新幹線のほぼ半額である。

時は金なり、なのだが、ちょっとサビシイ。 

2016年4月11日月曜日

時刻表

しばらく所用があって、博多長崎方面に出向いていた。関東に住んでおり、親類縁者も近しい人がいないと、関東以外の地域は旅行でしか出向かない。遠くて移動の旅費が高いとなおさらモチベーションが必要になる。どちらかと言えば「出不精」なので、機会がなくては出向けない。損な性分だとは思うのだが。
同居人はいたって腰の軽い人なので、どんな旅行でも支度は前日1時間でほいほいと出かけてしまう。こういうのを旅慣れている、というのだろう。中学時代は、「鉄道クラブ」だったそうである。時刻表とにらめっこして鉄道旅行の計画を立てて、長期休暇中に先生と旅行、である。「点と線」という小説があるが、停車時刻と乗り継ぎ発車時刻を比べて、駅構内の地図を探して、などという「計算」をして計画を立てたそうだ。時代である。

いまやスマホで「乗り換え案内」なので、該当の電車の乗車駅と降車駅しか分からない。途中がない、という典型的な今時のスタイルである。 

2016年4月2日土曜日

時代

この手の資料整理は、いろいろな人の目が重なると、いろいろな見方や読み方が出てくる。正解が見つかることもあれば、なんじゃこりゃというものも、他の人にとっての貴重な資料であったりもする。今回の複写はデジタルデータなので、例えば資料画像の整理、提供や閲覧は、20年前と比較すると格段に楽チンである。資料の文面のフランス語を読んでもらうために、遠隔地の知人にデータを送って読んでもらう、などという芸当ができるわけだ。
結局複写の点数は1800弱、その他にあったフィルムやデータを整理したのが700ほどになった。
これまたデジタル時代のありがたいことは、整理したデータを速攻で担当者に送れることだ。点数が多いので添付ファイル、というわけにはいかないから、今やオンラインストレージで共有である。
フォルムで作業していた時代は、ラボからバイク便でポジフィルムだけ送ったり、誰かにクーリエよろしく運んでもらったりした。デジタルで作業することになって、数点なら添付ファイル、そこそこならデータ送信サービス、大量ならディスクをバイク便、という作戦になった。添付ファイルなら相手のメールサーバーの容量、データ送信サービスなら相手のPCの空き容量を気にしなくてはならなかった。オンラインストレージなら、どこでもデータが見られるし、スマホやタブレットでも通信環境さえあれば確認できる。

便利な時代ではある。