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2022年1月28日金曜日

学期末

 通信教育課程の方は、通学課程とは少し学事の進行が違う。私の担当しているようなレポート提出や課題の郵送提出を伴う科目で言えば、2月末が課題の締め切りである。3月いっぱいは提出の受付はない。であるからして、年末から2月いっぱいにかけては、提出物が増える。人間、締め切りが間際にならないと、作業が進まないのは、誰もが共通して持つ性癖だろうか。

ここ2年はコロナ禍でおうち時間が増えていることもあり、コロナ前よりも提出が多い。増えてくると、採点のし甲斐はあるのだが、反面「とりあえず出しておく」姿勢も多くなる。うーむ、課題文は読んでいるんだろうか、という風情である。慌ててとりあえず出してても、こちらとしては課題違反だからとりあえず再提出ね、というコメントしか返せない。きっと本人も自覚しているのではないかと勘繰っている。

学期末の恒例の作業状況である。

2022年1月27日木曜日

年度末

 うかうかしている間に、1月も終盤である。

大学の方の授業はとうに終わっており、事務方としては入試突入体制である。私立であるので、入試命という印象がある。学事はこれを中心に組まれているのではないかと勘繰っていた。2月が本番なので、在学生のための作業は1月中に終わらねばならない。年度末と言えば、テスト、レポートや課題の締め切り、それに伴って追試、その後の採点、進級判定があり、逆算すると12月にほぼ授業を終えておかねばならない。国公立大学の入試は3月なので、それまでに入学試験と採点、合格判定、発表をせねばならない。私が関わっていた頃は、怒濤のようなスケジュールが組まれており、実技試験が多くて、ほぼてんてこ舞い、終わったら盛大に打ち上げせねばやってられない、といった状況だった。

現在は試験方法がいろいろ増えた。一般推薦、指定校推薦、センター試験利用、試験科目選択などなど、現場を離れた方から言えば、多様すぎて何が基準で合格するのかよく分からない。

入学したい方も、入学させる方も、この季節に向かっている。入学したい方から言えば、合格がゴールのような気がしているだろうが、実はスタートラインに過ぎない。

2021年12月25日土曜日

提出物

 一方、元気なのは通信教育課程である。

ここ1年半ほどは提出も多く、また課題の進行も早い。「おうち時間」が増えているせいもあるのだろう。反面、スクーリングなどの面接授業やテストなどはやりにくくなったようである。例年数十人のクラスで行っていたものが、参加応募者が数名、と「参加自粛」な学生が多くなったらしく、試行錯誤も含めてあれこれやっているようだ。昨年度は、卒業制作展示の自粛とか、講評会の中止もあり、通信教育であっても、全面「おうち時間増加オッケー」にはならないものである。

担当している授業は、テストなし、面接授業なしといった課題進行をしているので、単に提出物が増えるというよりも、例年だと締め切り間際にどーーーーっとやってくる提出物が、コンスタントに来るようになっており、まあ良い方向でもあるかしら。

今日も赤ペン先生業務である。

2021年12月24日金曜日

ぼちぼち。

さて、ぼちぼち年末である。

昨年来コロナのおかげでバタバタと過ごすことになってしまった。大変である。

1年もたてば、元通り、などと考えていた頃が懐かしいくらいだ。昨年の夏頃は、第二波あるかもなどと笑っていたが、気がつけば新種の変異株、第六波はどうか、という話題である。このまま永遠に変異株がやってきて、また波が続くのかと懸念している。

昨年度は4月から休校措置が取られ、授業は夏休み前後に再開、担当している授業は実習なので対面が前提、夏休み返上で授業した。今年度は休校はなかったものの、講義科目はオンラインが前提。実習授業が行われたものの、夏休み最終週に学内が全面入構禁止、全科目オンラインで開講、と至上命令がやってきた。えええええ、である。実習をそのままオンラインにするのは、内容上ムリ。課題の改変、授業進行の調整、配布資料などの再構成、プレゼン資料の作り直し、オンラインのテストなどなど、授業開始1週間前に怒涛のように作業することになった。そもそも「実習」でオンラインなどハナから考えていなかったので、実際の授業を進行しながら当日中に実施状況の確認、翌日の準備と微調整をせざるを得ない。しかも平日午前午後と別クラスを見ることになっており、4週間の集中授業期間である。もうヘトヘトだった。授業終了後は案の定グロッキー、復帰するのにしばらくかかった。

オンライン授業は初めてだったが、やってみたらみたで、何らかの発見や気づきはあるものだ。あながち徒労とは言えなかったが、そうならそうでもっと時間をかけてオンライン用の授業内容など、大学全体として研修できるのではなかったのか。

やはり実習授業は「同一空間内に一緒にいる」ことで学んでいるんだと再確認した。隣の人の様子を見ながら、技術を真似して学んでいく、といった方法は、自宅でオンラインでひとりで布団の上で作業している状態では全く無理。一方、オンライン用の教材を作っておけば、学生が好きな時に繰り返し見ながら作業できる、というメリットがあったものの、それで全員が身につくか、といえばちょいとビミョーだなと思うことが多い。共同作業はもうひとつやりにくいので、いわゆるブレストとかディスカッションは、オンラインのハード的な制約もあって、こちらでかなりお膳立てする必要があった。いずれにせよ、従前のやり方を踏襲することでしか授業進行が考えられないようであれば、いきおい授業内の課題やレポートを増やすことで、学生の学習成果が見えてこない。こういった授業のノウハウはこれから蓄積され、公開され、共有され、次第に洗練されてくるのだろうが、それが末端まで届くころには、コロナはどうなっているのだろうか。


2021年7月14日水曜日

必須

 美術学校の学生にとってなくてはならないもの、と言えば、鉛筆に紙、であった。鉛筆1本持っていれば、食っていける、という時代もあった。華僑の必須道具は刃物、床屋料理人仕立屋という商売は、世界どこでも必須な商売である。

今や、それはコンピュータ、ということになるのだろうか。刃物も、上を見ればえらく高額だったりするものだが、コンピュータは桁が違う、しかも刃物よりも消耗品としての耐久性が短い。

しかし、勤務校では、学生の「必須画材」としてコンピュータはあまり推奨されていない。やはり桁が違うからなのだろうか。デッサン用の鉛筆や絵筆を貸してくれるアトリエはないし、よほど大型でなければ常用のカメラを貸し出すスタジオもあまり聞いたことがない。工房貸し出し機材は、学生が占有できるわけでもないし、24時間365日貸し出せるわけでもない。しびれを切らした学生は、自分で機材を調達することを考える。とある学生は、周辺機器も含めて高額なので、当然のようにローンを組み、分割払いにする。なんと英断かと、同級生から一目置かれた。2年の始めに36回払い、これで卒業制作まで何とかなる、と思ったはずだ。悲しいのは、こういった業界では日進月歩であることだ。12回のローンが終わったところで、機材もシステムもバージョンアップ、周辺機器も当然のように新機種を発表、24回が終わったところで、機材は既に「旧機種」になっており、購入時の金額でCPUの速度は倍増、内蔵HDDは容量が倍になっていた。卒業制作にかかる頃には既に「時代遅れ」の感があり、でもローンの残額があるので機種変更や転売が出来ない。結局、イライラしながら卒業制作を進めていた。

教訓。コンピュータはローンで買わない。

2021年7月13日火曜日

教材

 映像を始め、クリエイティブな作業にコンピュータが入り込んできて久しい。ここ数年で授業内のコンピュータの運用方法が変わってきた。

10年以上前は、学生にとってはかなり高額な機材だった。大学であっても、高額だったので数を潤沢に用意できるわけではなかった。その頃の研究室の機材の予算は年間数百万、指が片手で済む程度だった。グラフィック用のワークステーション、なんぞは年間予算をはるかにオーバーする額だった。だから、機材として導入されても、学生一人が占有するわけにはいかない。順番待ちも多く、従って、夜間にレンダリング、などという状況になった。機械は24時間働きっぱなし、である。ご苦労様であった。

必要な機材、にコンピュータがリストアップされて、研究室の機材として用意されるようになり、次第に数も増えた。こういった機材は、専用の「場所」が必要になる。ラップトップではなく、デスクトップ、いくつかの機械がつながっており、授業が終わったら片付けよう、といったものではなかったからだ。

ドミノ倒しのように、コンピュータ増える、教室増える、コンピュータのためにエアコンが必要、全校舎エアコン完備、コンピュータは永久に使えるものではないので、4-5年を目処に入れ替え、システムやソフトウェアの管理維持、全学的にコンピュータのネットワークシステム導入 などなど、あれよあれよという間だった。もちろん、ロハで導入されているわけではないので、それは学費や設備費として反映される。美術大学はアトリエという場所さえあれば良い、という状況から一転、最も性能の高いコンピュータが必要なので、学費はどんどん上昇した。

コンピュータがなかったころ、最もお金のかかる「教材」は、ヌードモデルだったりしたのだが。

2021年7月12日月曜日

勝てない

 担当授業は夏休みまでの9週間である。3週間のプログラムを3クラス、というのが前期のノルマだ。寄る年波、なのか、肉体労働が今年度は少々きつくなり、なかなかブログまでたどり着けなかった。くやしい、である。

やっと前期授業も一段落したので、溜まっていた分もぼちぼち整理できると、ホッとしている。何より、授業は午前中なので、朝は気が抜けない。早寝早起き、が必須である。本に熱中して夜更かし、などしたら、寄る年波、なので朝がきつい。徹夜が出来なくなって久しいが、寄る年波、になると夜更かしで辛いのはいわゆるかすみ目というやつだ。以前は判断力がいまひとつスピードに乗らない、とか、集中力が続かない、とか、ブツブツ言いながらやっていたのだが、目の方は、それに勝る「ハードル」だった。

いやあ、これはいかんいかんと、睡眠時間確保作戦と思ったのだが、こちらも寄る年波、で、寝付きが悪い、眠りが浅い、という状況に陥る。どうあがいても、トシには勝てない。

2021年7月11日日曜日

対面

 昨年の春には感染症による休校措置がとられ、面接授業はとりあえず延期された。感染が一段落すれば面接授業再開、とアナウンスされたのだが、実際に再開したのは7月に入ってから、例年だったら夏休み突入の時期だった。コロナが怖いか、熱中症が怖いか、と言いながらマスクして実習、終了時のチャイムと同時に清掃のオジサンたちが、アルコールスプレーとウェスを持って突入、あちこち拭いていた。

今年度は、講義科目は原則的にオンライン、実習科目は原則的に対面授業、で新学期が始まった。担当科目は5月のゴールデンウィーク中に始まった。学生さんも慣れたもので、あまり「密」だとナーバスになっておらず、清掃も次第に「セルフサービスでよろしく」状態になりつつある。

昨年同様、教室面積によって収容人員が決められていたので、教室や工房は分散状態、学生はともかく、教える側は教室をあちこち走り回ることになる。健康上よろしいことに違いない、と思うことにした。

換気のために、扉や窓は開けており、そのため廊下を伝って隣の授業の音声が入り込む。普段は肉声で話す人なのだが、マスク越しで学生に聞こえにくいと思っておられるのだろう、マイク使用でボリュームが大きい。こちらの教室で私が肉声で話していると、当然のように聞こえづらくなる。音声のマスキング効果である、と学生さんに実地指導する。

というわけで、今年度も運動量多めの面接授業となった。

2020年10月30日金曜日

質問

 コンピュータを扱った他の実習授業では、「リモート方式」、クラス全員がオンラインで繋がった授業方式である。

自宅ではなくクラスルームに来る学生も含めて、同じツールでオンラインにつなげて、同時進行で授業が進められる。先生は学生の顔をカメラで確認しながら、先生の手元は別のツール、別画面でオンライン配信、という合わせ技である。

利用しているツールで、オンライン配信、作業結果の提出(アップロード)、チャットで適宜質問することが出来る、というのがソフトウェア会社のセールスポイントである。最初のうちは、効率的だったようだ。いつもならあまり質問しないような学生が、比較的積極的に質問するようになった。簡単な質問であれば、先生ではなく、他の学生が答えてくれたりもする。

しかし、夜中に、先生が課題提出チェックのためにツールを使うと、チャットも同時に繋がってしまうことが判明。繋がってしまうと同時に、学生さんからチャットが飛んでくる。「本日の授業の質問ですが」。夜中の2時である。一度や二度ではなく、頻繁に夜中に出現する学生がいるらしい。

来年度、同様の授業で進行することが決まったら、どうするかー、と考えている様子である。

2020年10月29日木曜日

隣の席は

 大学では、未入国の外国人留学生、感染症予防のための登校自粛、もちろん地方在住であれば学校の近くにすら居住していないこともあり、大学の授業は概ねオンライン授業から始まり、入構禁止措置が緩和になったと同時に対面授業もぼちぼち始められた。

担当している授業は対面授業である。グループワークが授業の目的のひとつでもあるので、オンラインで個人作業、という形式にはそぐわない。一方で、個人作業などは、オンラインの方が適している、という話もある。こういった授業形式になって数ヶ月、メリットやデメリットもあれこれと聞くようになった。

オンライン形式の授業では、プログラミングなど、個人作業が効果的だと思われていた。他の先生の授業では、「オンデマンド」方式である。動画で講義を配信、学生さんはビデオを見ながら、好きなペースで作業が出来る、はずだったのだが、クラス全体の作業クオリティが例年よりも低い、という。教室で集まって、隣の人の作業を垣間見ながら、あるいは適宜分からないことをおしゃべりしながら作業することのほうが良かったらしい。独学でプログラミング、というのは、実は効率が悪いのではないか、という話になった。

手取り足取り、という言い方があるが、スキルを学ぶときは、あまり自覚はしないものだが、実際には他人の様子をうかがったり、手軽に質問したり、という作業が、実は大切なのかもしれない。

2020年10月26日月曜日

go to school

 新聞など読んでいると、年間通してリモート授業、などという、放送大学もかくやと思われる授業形態を継続している大学もある。多くの大学は対面授業を再開しており、リモート授業と併用、という作戦が多いようだ。旅行は良くて、学校はダメ、というのは、そりゃ学生さんは納得できないだろうと思われる。

ただし、未入国、登校自粛、体調不良で欠席、あるいは10日ほど自宅で経過観察、など、学生の方も「一斉登校」状況にはならない。学校も手探り状態で、三密状態の解除、「すっかり元通り」になるには、感染症終息後、かなり時間がかかりそうな気がする。

学生によって「大学」をどのように考えているか、それは個人差がかなり大きい。勉強をするだけ、ではなく、場所であったり施設であったり友だち作りの場であったり、である。担当している学生の中には、そもそも「コミュニケーションが苦手」というタイプがいる。コミュニケーションは何とかなるが、いつも一緒にいる友だち、というのは思い当たらない、というタイプもいる。今年度で言えば、リモート授業の方が参加しやすいというタイプもクラスに数名はいる。

一概に、大学とはこういうところだ、というのは、ない。かなり枠としては「ゆるい」ものなので、どちらかと言えば「自分」をしっかり考えておかないと流される恐れの方が、以前も今も大きいだろう。上を向いているだけでは、何も降っては来ない。自分でもぎ取りに行くものだ、と我々の世代では教わった。ただ、今はむしろ、「黙って座っているだけ」なタイプが増えつつあるのは気になる。いずれにせよ、前代未聞の状況ではある。以前と同じことを期待するのは難しい。むしろプラスの方向に考えたい。

2020年9月10日木曜日

再開

 勤務校の入構禁止措置が緩和になったのが7月半ば、以降いくつかの授業では対面授業が再開された。9月の2週目が、本来、後期授業開始にあたる。それを機に、というわけなのか、他学科他授業科目でも対面授業が開始され始めた。

担当している学科は、グループワークの実技授業が多いこともあって、かなりの授業科目が「対面」方式で再開された。もっとも、外国人留学生がクラスに数名含まれており、こちらは未入国、あるいは感染第2波の時期に帰国、などしている。まだしばらくは、入国の予定が立ちそうにない。他にも、感染不安のための登校自粛、対面授業期間内の体調不良で発熱や咳が発生した場合は保健室が強制的に10日以上の出校自粛を求めている。いずれも、「対面授業欠席を公欠扱い」なのが、教務事務からの要請である。そのため、授業を生配信、自宅からリモート参加、あるいは別課題対応などが必須である。私の担当科目ではリモート参加ではなく、別課題対応にしたので、学生の状況によって個別に課題を準備した。例年授業が同時並行3本立て、くらいの感じである。何だかな。

対面授業そのものは、大学が要請している「感染症拡大予防措置」に沿って運用している。全員マスク着用、フェイスシールド配布、アルコール消毒液の個人配布と、教室内常備、授業終了後の机や椅子の消毒作業、もちろん教室内に入る人数が制限されるので教室2箇所を回りながら作業する。マスクしながら話していると、声が通りにくいのか、聞きづらいと言われるのでいつもより大声になる。3時間後にはいつもよりもヘトヘトである。

前期が入構禁止だったこともあって、夏休みはほぼ返上で対面授業となった。実習授業は肉体労働なので、毎日ヘトヘトである。学生の方は、授業が終わるや自宅に戻ってリモート講義、あるいはリモート受講用に開放された教室にパソコンを持ち込み講義を見る、という感じである。相対的にリモート授業が多いからなのか、学内人口もいつもより少なめ。例年とちがう、ビミョーな後期授業開始である。

2020年8月9日日曜日

お願い

 ちょいと昔は、大学と言えば「お馬鹿なところをやるところ」といった側面もあった。いろいろなサークルがあるが、私の学生時代には「ネコ部」というのがあった。ネコとは、実は関係なく、単に「何かにつけて飲む会」である。「サークル」として、組織をつくって届ければ、学校から年額数千円ほどの「活動費」が支給される。もちろん、飲み会の費用と化すだけだ。ブチョーも割り勘である。
まあともあれ、「お馬鹿なこと」も含めて、青春だったりするのだろうが、そこは大学なので「お馬鹿なこと」ばかりやっていると、単位が取れず留年することになる。単位は単位でそつなく取得した上で「お馬鹿なこと」をするのがスマート、だった。優等生は「お馬鹿なことをしない」ので、「スマート」ではないのである。卒業証明書に、成績はついてこない。単位取得したか否か、だけなので、優良可だったのか、単位取得に何年かかったのかは明記されなかった。
「手に職」に近いジャンルなので、「卒業」が人生のゴールではないし、「卒業」したからと言ってその後の人生が順風満帆とは言えないことは、卒業生を見れば、よーくわかる。「中退したら有名人」なケースも多い。卒業生全員が「プロの芸術家」として生きられるわけではない。不運だったり、報われなかったり、という人生も、先輩からはよく聞かされた。最終ゴールが「喫茶店のマスター」、というのが「よくあるハナシ」だった。
今や、大学から「留年させない」「脱落させない」「卒業させる」のが至上命令に近いので、お願いだから課題を提出してくれと学生に連絡するのは、講師と研究室のスタッフである。何だか違うよなあ、と思うのだが。

2020年8月8日土曜日

第2波?

またぞろ、感染者数が毎日のニュースでトップである。日々更新、などと、数だけ見ると「Go to な旅行へ行っている場合か」などと思ってしまう。後期授業も全面リモート、と決断した大学もあるようだが、ケニアの「今年度はなかったことにしよう。全学年留年だ」作戦の方が潔いとも感じてしまう。まあ、それはそれで、いろいろと後の作業は大変そう、ではある。「大学生活を返せ」という現役大学生のSNS発信が話題になった。授業ばかりではなく、青春ナ学生生活を返せ。ただし、彼らにとっての学生生活とは決して「授業してしっかり勉強する」ことばかりではなく、サークル活動課外活動楽しい放課後活動など、「授業以外」を大きく含んでいるような気がする。
まあ、翻って我々の頃は、もっと学生生活というのがゆるかった。「授業以外」に何をやるか、ということも含まれていた。今日の大学では「やらねばならないことリスト」がとてもたくさんあって、「ゆるい」どころか「がちがち」である。勤務校は、実技系の学校なのだが、最近の学生さんはサークル活動にあまり参加しない。そもそも「群れる」ことに慣れていない。サークル活動に参加して「群れる」ことに慣れるのだが、それすらしない。なぜか、と言えば、「課題が忙しい」のである。教える方もなぜか以前に比べると「ガチガチ」である。前年度秋頃に「シラバス」というのを作成する。授業の目的や到達目標、採点基準などを決め、授業日ごとの授業内容をリストにする。授業日程が終わると学生にアンケートが配られ、シラバスと授業進行について、齟齬がないか、変更なく進んだか、などと調査される。学生の顔を見て、学生の様子を見ながら、臨機応変に授業を進める「ゆるさ」は微塵もなく、シラバスと違うことはやりようがない。ある意味でシステマチックなのだろうが、これでは「パッケージ」である。

2020年8月5日水曜日

一段落

感染症拡大防止のため、入構禁止措置がとられていたが、段階的に緩和され、勤務校では対面授業が可能になった。早々に、夏期休暇を削って担当科目の実習授業が始まり、3週間、一つのクラスの集中講座が終了した。
梅雨明けが遅かったというのもあって、何となくいつも通り、夏期休暇前の授業のペースに近かったような気がする。
講義科目はほぼ「リモート授業」に移行しつつあり、感染症終息の見通しがつかなければ、来年度も続行の可能性が否めない。勤務校では別途通信教育課程も併設しており、こちらは例年より提出物も多く、また学習ペースが早いような気がする。ステイホーム効果、とスタッフは称している。
対面授業は例年よりも出席率が高く、脱落者も少なかった。入学以降、この授業開始が初登校日という学生がほとんどで、新鮮な気分だったということもあるだろう。一方で、感染症が不安なので、「通学したくない」という学生もいたり、未入国の留学生も若干おり、こちらは別課題で個別対応することになった。はっきり言うと、時間外労働である。
リモート授業も増えて考えることは、通信教育課程と通学課程の違いでもある。通信教育課程は履修登録をすると、登録授業のテキストと課題が送付されてきて、それに沿ってレポート作成、テスト、というのがいわゆる講義科目にあたる。実技の方は、課題に沿って作品を作成する、対面授業で作品を制作する、というのが授業によって違っている。両方行う科目もあれば、どちらか一方で進行する科目もある。対面授業は、スクーリングと呼ばれていて、以前は通学課程の夏期休暇中と冬期休暇中、工房や教室が空いている時期に設定されていた。現在は、駅近くのビルなどで週末を使って開催されていたりする。社会人の学生が減少した、スクーリングのための長期休暇が取りにくい学生が増えた、ということも聞いた。学生の方の状況も変わるのが、通信教育の特徴でもある。リモート授業が続行する、あるいは増えるのであれば、通信教育との違いは何だろうか、と考える。

2020年7月26日日曜日

学内風景

学生に入構禁止措置緩和から2週間、学内はぼちぼち事務手続きに来る学生がくるようになった。現在学事予定上では夏期休暇中なのだが、当方、そんな中で実技授業である。例年と違って、学内にいる学生が少ないこともあって、静かな作業中だ。
学生用に、図書館やギャラリースペースなどは限定的開放中、画材店は営業時間短縮営業中、学食はテイクアウトだけ、という状態である。入構禁止中に、学内はかなり整理されていて、今まであちこちに置いてあったベンチ類がかなり撤去されていた。学食やラウンジなどにあるテーブルもかなり減らされていて、なおかつ、あますところなくアクリルの衝立が出現している。建築学科出身の同僚とその風景を眺めて、アクリル衝立の数をざっくり見ながら経費を計算しようとしてしまったのは、習い性と言うべきかもしれない。
オンライン授業の受講用にいくつか講義室は開放されており、学生が自前のノートパソコンとヘッドフォンを持ち込んでいた。ただし、見ているのはそれぞれ違う授業なので、後ろから眺めると不思議な状況である。語学の授業を見ている学生の隣は、美術史の「授業中」である。
オンライン授業開始にあたり、学内のWiFi設備がかなり増強されたらしく、今まであまり無線が届かなかった教室も、それなりに強い電波が届いている。教室内20台ほど無線につなぐと、今までは「どよーん」としたスピードだったのだが、今や実用に耐えるくらいである。ただし、授業あるいはシステムそのもののフォローはあまりないようで、ハードウェア先行という日本人の特徴をそこはかとなく感じてしまう。
授業終了のチャイムが鳴ると、お掃除のオジサン数名がアルコールスプレーとウェスをもって扉の脇で待機している。学生を早々に追い出すと、あちこち拭きまくってくれる。消毒作業もかなり大変で気を使うだろう、お疲れさまである。
学生は全く「通常通り」授業に参加している気分なのだろう、今日もアタマをひっつけるように、おしゃべりに興じている。

2020年7月24日金曜日

オンライン

入構禁止措置緩和の中、授業が始まった。外出自粛中、講義科目はインターネットを利用した「オンライン授業」になった。授業を録画した「オンデマンド」方式、生中継だとテレビ会議のような「zoom」授業、ゼミなどではやりとりが多く「microsoft team」授業、などなど、さまざまな方法があって、研究室でも試行錯誤中である。教わる方も初めてなら、教える方も初めてなので、手探り状態である。当方、実技授業なので、オンラインに向く内容ではなく、幸い、なのか不幸なのかよく分からないが、今のところ「オールドスタイル」なスタンスである。
研究室で様子を聞いていると、オンライン授業もメリットあり、デメリットあり、なので、どのあたりが折り合いのつけどころなのかも、手探り状態。まだ日本未入国の留学生もいるのだが、海外ともインターネットならオンライン授業で進行することが出来る反面、受講者数が多い講義形式だと学生はマイクをオフにしてしまうので「講義を聞いているのか、別に音楽を聴いているのか分からん」という状況になるらしい。対面で学生の反応が見えにくいし把握しにくいこともあり、レポートやミニテストが多くなった授業も多く、以前よりも「むしろ大変」という声も聞く。
「今日の感染者数」がニュースのトップ、東京では感染者数増加の今日この頃、講義科目は今のところ後期も引き続きオンライン、が基本的な方針らしい。いや、大変な年度である。

2020年7月23日木曜日

再開

外出自粛期間が落ち着いた7月、勤務校は入構禁止措置を緩和し始めた。段階的に、施設を開放している。「大学生に日常生活」といったSNSの発信が話題になっているが、実技授業が主体な学校であるから、全部オンライン、には到底ならない。おかげで、本来は夏期休暇中なのだが、学生さんには対面授業をしに来てもらうことになる。
13日が授業初日だったのだが、この日が「初登校」という学生も多かった。自粛中は何をやっていたか、と言えば、オンラインの講義授業をして、ゲームして、といった手合いが多くいる中で、「引っ越ししてました」という女子がいた。実家からは電車を乗り継いで通わねばならず、この際、学校から徒歩圏内にアパート借りた、という「孟母三遷」という故事を思い出す。
授業中は「2メートル離れなさい」と言っているにもかかわらず、フェイスシールドを配布したにもかかわらず、気がつくと学生たちはアタマをつきあわせて話し始める。課題のことでも雑談でも、である。寄り集まるのは本能なのかも、と思いながら、今日も「離れなさーい」と言いながら実習である。

2020年5月13日水曜日

作戦中

東京など首都圏ではまだまだ外出自粛が継続中である。
ではあるのだが、一応5月6日が最初の区切りだったこともあって、勤務校の通信教育課程では7日から添削業務再開になった。まあ、通常通信教育課程では、4月の学期始めはあまり提出がそれほど多くはない。通学課程の方はオンライン授業だの、補習だの、夏休み返上だのといった対策に出ているが、通信教育の方はそもそも対面授業の割合が少ないので、学生の学習にはあまり影響はないのかもしれない。
添削室は人数制限があり、前日までの予約制、机を一つあけて座り、窓や戸口は開放、などそれなりな作戦。普段から黙々作業をしているので、あまり代わり映えはしない雰囲気。
昼休み、スタッフはそれぞれ自分の机で弁当を広げて、他人と顔を合わせず黙々と食べている。以前、「おひとりさま外食」で見たような風景である。今までだと大きなテーブルにスタッフが集まってわいわいとお弁当や出前を食べていたので、こちらの方が「対策作戦中」っぽい。

2018年10月9日火曜日

忘れもの

さて、どうして「ぼっち」を思い出したか、と言うと。
先日、授業の休み時間にトイレに行った。個室に入ったら、ドアの重さがいつもと違う。扉の内側には荷物をひっかけるためのフックがあるのだが、そこに小さな手提げ袋が下がっている。忘れものらしい。どこかに届けた方がいいかなあと、袋をとって、同じフロアの研究室に向かう。
洗面所を使うのは、概ね研究室のスタッフか、担当授業に出席している学生が多く、部外者は少ない。研究室に忘れものらしい、と届けたらスタッフが中身を確認する。中身の入った弁当である。
中を確認したスタッフと、顔を見合わせて、真っ先に確認したのは、「トイレでぼっちメシしようとした?」。
いやいや、いまどきそんな学生はいないでしょうねえ。と笑いながらトイレの個室のドアに貼り紙をしに行った。「お弁当を研究室でお預かりしています」。
お昼休みに学生が一人慌てて取りに来たそうだ。