2015年11月25日水曜日

ずいぶんと以前のことである。

定年を70歳で迎えた一般教育の先生がいた。一般教育科目なので、勤務校の卒業生ではない。一般講義、なので、「教え子」はいない。実技の先生ではないので、展覧会もなく、最終講義もこじんまりと行われた。
あまり家庭的には恵まれない先生だったが、退任の10年ほど前、最縁して学校の近くに転居していた。退任してもご近所ですね、などとパーティーでは言っていた。

退任後まもなく、風の便りに離婚されたことを聞いた。70過ぎの離婚が、どういう理由なのかはわからない。近くのアパートに一人暮らしを始めたらしかった。
それから数年後、風の便りにアパートを引き払ったことを聞いた。郊外の老人ホームに入ったそうだ。家族もなく、教え子もいない、誰とも会わない日々であるという手紙が、誰かのところに届いたらしい。

そういえば退任の数年前は、講義の後もずいぶんと長い間研究室に灯りがともっていたことを思い出す。「研究」しているのではなく、どうも家に帰りづらいらしい、というのが噂になっていた。

人生、いろいろである。 

2015年11月24日火曜日

頭数

勤務校の専任教授の定年は70歳。
一般的なサラリーマンと比べると、ずいぶんと爺さんになるまで働かせるものである。

勤務校は美術の実技系である。専任教授は実技の先生ばかりではなく、英語や体育、一般教育などの基礎教育課程の講義や実技の先生もいる。実技の先生達も、自分の「研究室」と「教え子」がいる人と、基礎的な授業を受け持っており「教え子」のいない人もいる。
「教え子」がいる、つまり、ゼミだったりして親密な関係にある卒業生がいる先生だと、退任にあたるイベントというのは盛大である。着任当時から現在までの卒業生にあまねく案内を出すこと1500人以上、などというのもある。
一方で、「教え子」がいない、あるいは講義科目だけの先生だと、最終講義やパーティーは学内関係者で埋まったりする。助手として勤務していた頃は、教わったことのない先生だったが、人が少ないから出てくれと言われたこともあった。

教える側も送られる側、いろいろである。 

2015年11月23日月曜日

一列

同居人が受講したある「最終講義」のことだ。

一般の女子大学なので、大講堂での最終講義である。卒業生も担当ゼミの学生も女子ばかりなのに、片隅にそこそこの年齢のおじさま達がかたまって陣取っている。
卒業生や学生の父兄、までが来ることはあまりない。女子大学の先生や職員なら顔を知っている。どうも内部人材ではないようである。どういう人達かと思いながら、講義を聞いていた。

時間通り講義が終わると、おじさま達はおもむろに壇上に上がる。そろいのスーツに蝶ネクタイである。講師の先生をまんなかにして横一列に並ぶと、いきなり歌い出した。先生も歌い出した。

大学時代はグリークラブでならしたそうで、その頃のクラブ仲間がやってきての「余興」だったようだ。講義はまあ「普通」だったが、「余興」は大受けだったそうだ。 

2015年11月22日日曜日

オーバー

最終講義は、先生によってお題目がいろいろである。
専門分野の概論であったり、いつもの講義の続きであったり、全く関係ない話であったりすることもある。

いつも講義が長引く先生がいた。話に熱中してしまい、授業終了のチャイムが聞こえない、というタイプである。最終講義も案の定、話が長くなった。授業の基本は90分だが、最終講義はイベントなので、早めに終える先生が多い。しかしその先生は、「最後だからやはりここは」と話が続いた。心置きなく話しておきたいこと、がたくさんあるタイプである。

90分をだいぶオーバーした頃、スタッフから声がかかった。これ以上話が長引くと、後のスケジュールの「パーティー」の時間がなくなるからである。しぶしぶ話を切り上げたのだが、先生としては「パーティー」よりも「講義」なのだろうな、という風情だった。 

2015年11月21日土曜日

平積み

美術系の勤務校なので、先生も美術系の思考と日常生活である。
退職間際の先生は、最終講義や記念出版で、いつも以上に忙しかったりするのだが、やはり「締め切りに間に合わない」先生もいた。

最終講義がたいてい1月の在校生の学事終了の時期にあり、引き続きパーティーがあったりする。記念出版をする場合は、その時に「お土産」として渡されたりすることが多い。
ある先生は凝り性だったので、編集作業がなかなか進まず、結局最終講義に出版が間に合わなかった。パーティーで手渡されたのは「引換券」である。出版されたら、本をお送りします、と書いてあるのだが、いつ出版されるとは書いてはいない。最後の最後まで本人らしい。

出版なので、それなりの部数を印刷する。ある先生の出版された本は、研究室に平積みにされていた。「ご希望の方はお持ちください」と貼り紙がある。多くの人が出入りするというわけでもないのか、随分長い間積んであった。おかげで、「ああ、あの先生は」といつまでも話題に上っていた。 

2015年11月20日金曜日

定年

勤務校にも「定年」というのがある。職員と専任の教員では定年時の年齢が違っていて、専任の教員は70歳が定年である。現在は「選択制度」というのもあって、前倒しで定年を選べるようになっているようだ。
卒業して幾星霜、習っていた先生たちが定年になり、鬼籍に入るようになる。こっちも歳とった、ということでもある。

学校によっても、「定年退職のイベント」というのがいろいろとあるのだろう。
勤務校では一般講義を受け持っている先生には、「最終講義」というのがある。どちらかといえば「イベント」のようなもので、公開講義になっている。卒業生なんかもやってきて、いつもとは違う雰囲気になる。
実技を受け持っている先生には「記念展覧会」という個展をやることになっている。学内の展示会場で開催され、会期中に本人の「ギャラリートーク」なんかがあったりする。
予算の関係かどうか知らないが、展覧会をやらない先生は「記念出版」というのがある。大学の出版局で本を1冊つくってくれる。もちろん書くのは本人である。

だから、退職間近の先生というのは存外に忙しかったりする。展覧会の準備など、数週間ではなく、数ヶ月から1年ほどはかけるからだ。出版であっても、即座に本ができるわけではなく、それなりに準備と執筆の期間が必要になる。退職間近で「窓際」どころではない。

2015年11月7日土曜日

気づき

今時の学生さんはスマホ持ちなので、授業中に充電している様子である。だから、授業の後、教室を見回ると、ぽつねんと「充電中のスマホ」というのが壁際の椅子に鎮座ましましていたりする。

もちろん、スマホはお持ち帰りになったが、充電中のケーブルとACアダプターだけが壁面に残存しているケースもある。帰宅してから充電できなくて困るだろうなあ、と心配である。

ときどきは、ノートパソコン用のACアダプターだけが残されていることがある。美術系の学校なので、Appleの製品が多い。こんな白くて四角くて大きいアダプターを忘れるなんて、と思っていた。最近のAppleのノートパソコンのACコネクターは磁石方式で簡単に外れるのである。だから、ケーブルが外れたまま気づかないのだろう。

以前、壁際に陣取り、電源を確保し、授業中に操作していた学生が「うえっっ」と叫んだことがあった。電源ケーブルをつないでいた、と思っていたら、実は外れていたらしく、気づかなかった。操作中に電源が落ちたらしい。

電源周りは要注意である。 

2015年11月6日金曜日

シェード

当している学科の授業は、私の担当授業以外にも、短期集中決戦型のスケジュールが多い。授業が一段落すると、教室や工房を片付けるのは、いずこも同じである。
たいてい、いろいろな「忘れ物」が出てくる。

先日は「靴」でびっくりしていたが、ほかの授業の忘れ物では、「衣類」「服飾雑貨」などがあったりする。何か、といえば、フィクションのドラマ撮影の実習授業である。ドラマなので「お芝居」をするわけだが、小道具などを学生が集める。芝居に使った小道具がそのまま置いてある、というケースである。なぜか「デスクスタンドのシェード」とか「座布団」などもあったりする。慌てて取りに来ないので、ここ半年ほど研究室前の廊下のダンボール箱に突っ込んであるままである。シェードを持ってきた本人は、シェードなしのデスクスタンドで勉強しているのだろうか。 

2015年11月5日木曜日

前提

中が直接見えない下足箱なので、ときどきロッカー代わりに使う学生がいる。開けたらなぜかノートや本が置いてあったりする。これも「置いてある」のか、「忘れた」のかは、ちょっと見ただけではわからない。

「置いてある」のだろうと思われる「ブツ」は、学内ではよく見かける。ロッカーに入れるのが面倒で、ロッカー棚の上にほいと置いたり、共用教室にもかかわらず私物を置いたりする学生がいる。見た目に「うるわしい」とは限らないので、「置いてある」のが、お持ち帰り前提なのか、廃棄前提なのか、よくわからない。ときどきは「捨てないでください」という張り紙が付いていることもある。

さて、学内では年に数度「大掃除」がある。長期休暇前、年度末が主な「時期」だ。学生生活課が「ロッカー内や周辺の私物を持ち帰るように」と張り紙をする。ある日清掃業者がすべからく一掃、という作戦である。張り紙後に、さーっと「もの」が無くなったところを見たことがないので、「廃棄したい前提」であるものが多いと思われる。

私が学生の頃も似たようなものだったのだろうが、業者でも「廃棄に困る」ようなものがあったりした。立体の課題の作品で大物、重量級、明らかに埋め立てゴミ、である。校舎の外に、モルタルから掘り出したキノコや玉ねぎがごろごろと転がっていたのを思い出す。 

2015年11月4日水曜日

授業が終わって残務整理である。
提出作品のチェック、採点、というのは普通の「サービス残業」である。
担当授業は機材を使うので、機材のチェックなども「残務整理」に含まれる。
当然のように、教室や工房もつらつらと眺めることになる。

授業が終わる1週間ほど前のことだった。工房は土足厳禁なので、廊下に靴箱とスリッパを用意している。一人分ごとに小さな扉が付いている、風呂屋の下足箱のようなスタイルである。当然のように学生が帰れば、スリッパだけが入っている、はずである。
たいてい、授業が終わったらちょいと確認するようにしているのだが、ある日、女子学生のものとおぼしき革靴が入っていた。学生は全員帰っている。靴がある。うーむ、スリッパで帰ってしまったのだろうか。気が付いたら慌てて戻るだろうな、と思っていた。翌日も、翌々日も、靴はそのままである。授業がすべて終わっても、靴はまだ残っていた。

忘れた、のではなく、置いていったのだろうか。履いてきたのか、持ってきたのか。謎である。 

2015年11月3日火曜日

そこにある

同じ課題を十年一日のようにやっているわけだが、もちろん編集側のハードというのも随分と変わってきた。今やノンリニア編集、つまりコンピュータで編集作業することは「あたりまえ」な時代である。

翻って私がビデオで作業を始めた頃は、テープで撮影、テープのダビング編集、である。編集は基本的に1:1、出力側の1台のプレーヤーのテープから、入力側の1台のレコーダーのテープへと、必要な部分をダビング、つまりコピーをしていく。当然のようにダビング回数が増えれば、アナログ信号なので画像は劣化していく。
基本的にカット編集、つまりそれまでやっていたフィルムをつなげる感覚とよく似ている。違うのは、映像の始め、つまりTOPから順序よく、しかも要領よく、ダビングしなくてはならない、ということである。

フィルムでいうオーバーラップやワイプ、という作業は、2:1編集という。出力側だ2台のプレーヤー、入力側に1台のレコーダー、という編成だ。これはタイムベースコレクタという特殊な機械を挟んで2台の出力側のプレーヤーを制御しなくてはならなかった。オーバーラップするための機材は、全部ひっくるめて、当時で1500万円ほどになった。もちろん自前では用意できない。レンタルでスタジオを借りて半日で数万円である。そこまでして作業するかと自問自答しながら小遣いを貯めた。考えに考えて、大枚はたいて、「効果がない」としたら、泣くに泣けない。

コンピュータではそういった画像の加工はかなり自由になる。アナログの時代で言えば、3:1や4:1くらいの芸当は簡単にできる。だから今の学生さんは、お気軽に「芸当」をお使い遊ばす。そこにエフェクトをかけられるスイッチがあるからだ、くらいの意味しかない。

それがどんな意味があり、効果があるかなど、考える暇などないのかもしれないが。 

2015年11月2日月曜日

小判

同じ課題を十年一日のようにやっているわけだが、映像やコンピュータ関連の作業というのは日進月歩で機材が変わっていく。ビデオカメラは5年もすればかなりくたびれてくる。減価償却期間終了を見計らって新しい技術が出てくる。

今年度使っていたビデオカメラはfull HDの撮影データをカードに保存、それ以前はデジタルデータをテープに記録、その前はアナログのテープだ。アナログテープを使用していた頃は、テープの規格が変われば機材を買い換えていた。Hi8、8ミリ、あたりが20年ほど前だったろうか。1/2インチ、3/4インチ、1インチくらいを使っていた時代だと、まだまだフィルムの方が「現役」だった。

まあ、ここのところは、ほぼ5−7年くらいのスパンだろう。今度変えるとしたら、4Kとか8K、あるいは一眼レフで作業することになるのかなあと漠然と考える。しかしそもそも、基礎課程においてそれほどの撮影のクオリティが必要なのか、という疑問もある。露出どころかピントさえ「知らない」スマホ世代の学生である。うーむ、猫に小判、豚に真珠、という気がしてきた。 

2015年11月1日日曜日

サービス

10月の3週目で、とりあえず勤務校の通学課程における授業日程は終了である。5月の連休明けから夏休みを挟んで16週間、同じ授業を5回繰り返す、というスケジュールである。
もちろん学生の方は入れ替わるので、全く同じ授業にはならない。が、それでも繰り返してこちらが「ベテランになった」という気は全くしない。毎度毎度、新しい発見と、もちろん失敗と反省の繰り返しである。

十年一日で、同じ課題をやっている。ワンパターン、といえば、ワンパターン、である。一方で、学生の方は毎年変わるので、結果は十人十色、同じものはまるっきり出てはこない。実習課題なので、課題における「正解」はない代わりに、「失敗」もまたない。学校には、たまにはこういった「先輩もくぐり抜けてきたあの課題」というのがある。くぐり抜け方、などが先輩から伝授されたりするようだが、実習なので役には立たない。


そして、学生の方は授業が終わればバンザイな状態だが、こちらの方はこれからが「残務整理」である。提出物のチェックと採点、来年度の向けての準備が山積である。非常勤講師にとって、こういうのは「サービス残業」でもある。