2013年3月31日日曜日

精神衛生


こういった各種学校の教室や、美術館のワークショップの現場を見ていると、美術の原点を見ているような気がする。
もちろん、大学の授業や教室の方が、技術的なレベルは高いかもしれない。では学生が「楽しく」やっているかといえば、そうではない学生もときどき見てしまう。

大学に来る学生の場合は、たいていが高校くらいで志望学科や志望校を絞り込んでいたりする。美術学校で実技試験が入学試験にある場合は、特に集中して受験勉強することになる。そうすると、ときどき「オーバーヒート」な状態の新入生になってしまったりする。合格することが彼らの「ゴール」であって、4月からの学生生活にはあまり覇気がなかったりする。
「ほんとはここに入学したくはなかった」という学生さんも、ときどきいる。残念ながら不合格だった人にはとんでもない話だが。いわゆる「滑り止め」であったり、予備校や高校の「ご指導」を鵜呑みにしてしまったタイプである。4月からモラトリアムなタイプである。

いやいや勉強するよりも、楽しく自分が勉強したいことをした方が精神衛生上はるかに良いに決まっている。先の学校の生徒さんたちが構内で楽しそうにスケッチしているのを見るのは、こちらの精神衛生としてもありがたいことである。

2013年3月29日金曜日

区切り


先日は勤務校と同じ法人が経営している美術学校の修了式の撮影だった。

そちらの方は、各種学校で1年単位で修業するカリキュラムになっている。「卒業」が目標ではないので、ある程度の年限内で、自分の目標を立てて、心おきなく「美術する」わけである。
3月終わりの「修了式」も、1年の区切りであるようで、これを限りに学校に来なくなるわけではなく、また4月から心機一転作業開始、の人も多いようである。

大学の教室では、ほとんど同じような年齢の学生が座っていたりするが、そちらの学校の方はかなりバラエティに富んでいる。一般の大学を卒業してから「手に職」タイプの人、子育てが終わって「趣味に充実」路線な人、定年退職後の「人生やりたいことやるんだ」派な人、などいろいろである。教室を覗くと、年齢や背格好からでは、どちらが先生か生徒か分からない。
学生のベースがバラバラだと、教える方は大変だったりするのだろう。しかし、大学生と違って自分のペースで作業しているからなのか、授業風景もすこぶる優雅に見えたりする。

修了式の方も、その意味で言えば、「別れ」とか「卒業」という印象ではなく、どちらかと言えば、フォーマルな「終業式」、といった感じだ。学生数もそれほど多くないので、実にアットホームだ。

2013年3月22日金曜日

遅効性


まあ、こういった修行な課題、というのは、即効性があるわけではなく、社会に出てからじわじわとありがたみが分かるようなものである。
時折、卒業生から「あの時のー」なんていう話題が出たりする。苦労した課題ほど、社会に出てから役立ったりすることがあるわけだ。

学校の課題というのは、こういったものである。

だから、ここ何年か、授業終了時の「学生アンケート」なんていうのが気になったりするわけである。「この授業は、興味が持てましたか」「課題は適切な内容でしたか」「学習の成果が得られましたか」なんていう設問は、授業終了時にはあまり意味がなかったりするのでは、といぶかしむ。大型カメラの新聞複写など、興味が持てて、楽しい課題とは言いがたい。しかも、難問である。
社会に出てから、「やるはめになってしまった」ことで思いがけず役に立ったり、再提出を食らいまくったからこそ社会に出て納得することもあったりするからだ。

習ったことが、すぐに「モノになる」のなら、修行など不要である。

2013年3月21日木曜日

方眼紙


こうした人生修業な作業、というのは、どの専攻にもそれぞれあった。
まあ美大受験で言えば、デッサンとか平面構成なんかもそれに近いものはあるかもしれない。

タイポグラフィーの課題にしても、コンピュータでレイアウトする時代にはそれにふさわしい課題になっていくわけで、今の学生さんにはそれなりの「修練」があったりするのだろう。
写真も、今やデジタル時代で、フィルム現像が上手くなっても、デザイナーさんにとってはあまり役に立つ技術ではなくなってきたかもしれない。
スポーツで言えば、素振りやランニング、にあたる作業であったような気がする。
よその専攻だと、烏口でB3サイズの5mm方眼紙をつくる、というのがあったりした。そりゃあもう、考えるだけで「修行」である。

いくつかの課題は、クリアできる学生が少なくなり、再提出が多くなり、全体の進行に支障が出るようになったり、あるいは担当講師が交代したりして、継続的にやっている課題はあまりないようだ。

ちょっと寂しい気がする。

2013年3月20日水曜日

煮干し


私の頃の「イラストレーション」の課題では、「細密描写」というのがあった。

ねちねちと細かいものを描写する、というものだ。デッサン、とは少し違っていた。
比較的小さなモチーフを、B3くらいに大きく描くのだが、何週間にもわたって見続けるのである。

授業が始まる前に「持参物」という掲示を出す。
「デッサン用の鉛筆、練りゴム、水張りされたB3ケント」
それからモチーフも持参である。
「煮干し、スルメなど、乾物。全体の姿が分かるもの。部分的なもの(干し貝柱、フカヒレ、ジャーキーなど)は不可。4週間以上にわたって変化しないもの」
つまり、4週間以上、同じモチーフを描く、ということである。
ちっこい煮干しをB3で描くのだから、相当拡大して描くことになる。

教室ではちっこい煮干しとにらめっこしている学生がいっぱいいて、来週用に煮干しを布でくるんで壊れないように箱に入れているのであった。

2013年3月19日火曜日

面ポ

もうひとつの「面ポ」というのは、写真の課題で、「面接ポートレート」の略である。

当時、グラフィックの専攻ではグラフィックエレメント、文字や製図、写真や印刷などが必須の授業だった。写真、と言えばアナログな時代であるので、撮影-フィルム現像-引き伸ばし、といった一連の作業をする。写真の作業は、一朝一夕で上手くなるものではなくて、それなりの「修練」が必要だと思われていたのだろう。夏休みの課題は「フィルム100本」である。夏休みはおおよそ2ヶ月、60日で、現像などの暗室作業を考えると、1日2本、週に1日はまとめて現像、というスケジュールになる。

36枚撮りのロールフィルム100本分なのだが、100本「大人買い」をすると高くつく。100フィート巻き、というのを買って、使用済みのパトローネに詰め直して使う。
撮影は段階露光をしたりするので、1カットに3-5枚、サイズやポーズを変えて1人につき2-3ショット、だから1本のフィルムに3-7人前後のポートレートが入る。隠し撮りではなく、目線をもらう、というのが原則である。単純計算しても、日常的に周囲の知人だけではとうてい足りない。人の集まるところへ行って、「すいませーん、お写真撮らせて下さーい」とお願いすることで、数をこなさなくてはならない。おかげで、相当面の皮は厚くなったような気がする。
内気でシャイな人にはあまり向かない課題だったかもしれないし、誰でも努力の結果が見える、というものでもなかったかもしれない。それでも、100本フィルムを現像すれば、それなりに暗室作業は上手くなるものだ。

今となっては、苦労しただけに懐かしかったりするものである。同期の卒業生はよってたかると「あーあーあの課題はー」で盛り上がるのであった。

2013年3月18日月曜日

HAOED


どんな専攻分野やジャンルであっても、そういった「人生修業」みたいな課題はたくさんあった。

私が卒業したところで言えば、「HAOED」と「面ポ」というのがそれで、我々の世代では合い言葉になっていた。簡単なようで、なかなかクリアできない、寄り道や近道がなく、地道な努力を強いられるが、あっさりクリアしてしまう人も時々いる、というような課題である。

「HAOED」というのはタイポグラフィーの課題で、レタリングしたヘルベチカ書体を切り抜いてスペーシング(今コンピュータでレイアウトしていると、カーニングという言葉が同義)する作業である。課題内容はたかがそれだけ、なのだが。今と違ってケント紙に貼付けていたわけだし、レタリングした文字なので各自微妙にスタイルが違っていたのだろう、隣の人と同じ寸法で間をあけても、再提出になったりした。苦労したおかげで、学生がつくったポスターを見ると、ついついスペーシングを眺めてしまう。

人生修業は職業病になる可能性を秘めていた。

2013年3月17日日曜日

新聞


さて、通っている美術館では、写真の展覧会とワークショップを開催中である。

写真、といえばアナログな時代は、光学や化学によって成立する表現である。勘ではなくデータやトレーニングが最終的な仕上がりに影響した。
学校の写真の授業課題と言えば、モデルの撮影会、ではなく、トレーニングがメインな時代があった。

スタジオの壁に先生が新聞の1頁を貼付ける。
4x5のビューカメラで複写である。レンズは開放で、頁の隅から隅までピントを合わせて、フィルム上で文字を読めるようにしなくてはらない。
やったことのある人は分かるだろうが、これはものすごーく慎重で厳密、正確でタイトな作業態度が要求される。1回でクリアできる学生はほとんどおらず、たいていは居残りで新聞の社会面を、うなりながら長時間眺め続けていた。

他にもこの手の課題がいくつかあって、私は密かに「人生修行」と呼んでいた。

課題というのは、面白くはないし、楽しいものではない。卒業して仕事をするようになるとやっとありがたみがわかってくるものだ。

2013年3月15日金曜日

提出


同居人はいくつかの学校で非常勤講師をしている。
学期末の採点結果の報告と、学期前のシラバス提出は、恒例行事である。

以前は手書きの原稿を渡しておしまい、だったのが、通信機器の変化とともに、次第に多様化した。USBフラッシュメモリにデータを入れて書き留め送付、CD-Rにデータを焼いて手渡し、というのが数年前で、最近はインターネット上でデータ入稿、といった案配である。
どの大学も同じシステムを使っている訳ではないので、必要なOSだのブラウザだの、細かく指定される。ログインもパスワードをいくつか要求されたり、そのあげく「ログインできません」というエラーメッセージが無情にも現れる。

同居人は気が短い人なので、あれこれと試行する前に大学の担当者に電話をかける。
「ログインできないんだけど」
先方はシステム管理者なので、キャッシュを捨てろ、再起動しろと、指導する。しかしなぜか同居人のマシンでは上手くログインできない。やりとりすること30分、もう一度トライしてから電話することにした。しかしやはりログインできない。
さて、大学に電話しても誰も出ない。午後5時過ぎ、お勤め人は帰宅時間である。
「そちらの大学のために四苦八苦してるんだけど」

原稿を郵送するだけなら、簡単なのである。
デジタルを使いこなせない人には、とても難しい作業のようで、これだけで1日分のエネルギーを消耗してへとへとになっていた。

2013年3月14日木曜日


新学期が始まる前の準備と言えば、大学側で集める「シラバス」用の原稿書きである。

解説授業科目の内容とか目的とかを集めた冊子を、以前は「授業要録」とか「授業概要」とかというタイトルでまとめていたが、いつの間にか「シラバス」という横文字になった。
これがまた、内容や項目が規定で決まっているらしく、事務方からこんな内容で書いてね、という注文がやってくる。

難しいのは、受講人数や受講者の顔どころか名簿もなしで書かなくてはならないことだ。実習を伴う作業の場合は、学生の性癖とか性向とか、そういったものが授業の進行にかなり影響する。ここまでやろう、とシラバスには書いたものの、学生の段取りが悪く、要領が悪く、覚えも悪く、トラブったり、事故ったりなどして、予定の半分しか進まなかったりする。そうすると、次の授業が遅れ、その次の授業が遅れる。
学生とのやり取りなく、ただ教壇でしゃべる一方という授業なら、シラバス通りに進むのだろうが。

実習は蓋を開けてナンボ、あるいはアドリブで進行する部分が多いからなあ、と考えてみたりもする。

2013年3月13日水曜日

季節


花粉の季節である。

私はものごころついたときからハウスダストのアレルギー性鼻炎なので、年中ティッシュペーパーが必須である。
同居人は典型的な花粉症なので、この季節だけ鼻炎で、しかも症状がひどい。今も目の前で鼻の穴にティッシュを丸めて突っ込んでいる。

外へ出かけると、マスクに花粉よけ眼鏡、といった風体の怪しい人が増える。防御措置なのはよく分かるが、その風体でこちらに向かって挨拶されても、誰が誰やらよく分からない。だからといって「どなたさまでしたっけ?」と聞くことも、はばかられる。

マスクな季節である。

2013年3月12日火曜日

古典技法


写真というメディアがデジタルに移行するにつれ、暗室用の機材もなかなか手に入りにくくなった。もちろん、フィルムや印画紙、現像用のケミカルなどもどんどん商品のラインアップが減ってきた。

ぼちぼち「趣味」ではなくなりつつあり、市場からなくなるのも時間の問題と思わずにはいられない。作業をするには材料を集める工夫と労力が必要になってくるようになる。
生き残る手段とすれば、アートとか工芸とかのジャンルだろうか。早くて数年後、遅くても10年経たないうちに、ケミカルを使用する写真暗室作業は「古典技法」になるのだろう。作業をするために、既成の調合薬品はなくなるから、天秤ばかりでそれぞれの薬剤を調合するところから始めることになるのかもしれない。絵画の「古典技法」を再現することと似たようなものだ。

ただ「便利」ということと、「表現」ということや、「面白さ」ということとはフェーズが違う。確かに、デジタルというのは便利だが、それ以外の価値を認める人がいれば「表現手段」として生き残ることはできるかもしれない。あるいは、写真の原理を知ることは、デジタルの世代にとっても有効だとは思う。

単に「レアでコアな趣味の世界」としてだけ生き残るのが寂しいと感じるのは、アナログ世代だからなのかもしれない。

2013年3月11日月曜日

各自の自由


暗室作業というのは日本全国誰でも同じ作業をしているわけではない。作業者によってずいぶんその方法は違う。暗室で作業する道具、その配置も、人それぞれである。

勤務校には一時期、学内に4カ所から5カ所ほどの写真用の暗室があった。
写真を学ばせる専攻ごとに、それぞれ違う暗室があったわけだ。もちろん教える先生が違うので、道具も設備もみんな違うのである。同じ専攻でも、教える先生が変わるといろいろなものを変えることになる。
学校では何人かが作業するので、手順や方法などの統一が必要だが、個人作業になれば「各自の自由」なので、それぞれ自由にアレンジした道具や空間をつくりだす。世の中の暗室作業のバリエーションはとめどもなく多いわけである。

守るべき事項というのはいくつかあるが、それさえクリアすれば、作業の工夫は自由度が大きい。他人の暗室作業は手伝いにくいし、自分の暗室作業は人に手伝ってもらわないことが前提だったりする。この自由度の範囲の規定と大きさ、というのが、多分今のマニュアル世代には難しいんだろうなあ、と学生の暗室作業を見ているとよく思う。

2013年3月9日土曜日

原則


暗室作業というのは、料理のレシピ作りに似ている。

毎度同じ仕上がりにするために、手順や作業をデータにして自分なりの「基準」をつくる。
気分によって出来上がりがその都度違うようでは、「複製」はできないし、仕上がりのコントロールができないからである。
学生を見ていると、そういった作業が得意なのもいれば、不得意なのもいる。不得意であっても、最終的に「暗室マン」を目指さないのであれば、コントロールの方法が分かればディレクションはできる。

不得意な学生は、あまりマメで几帳面ではなかったり、悪く言えばものぐさ、よく言えば要領よく作業をしたいタイプだったりする。

引き伸ばし作業では印画紙を扱うとき、安全光という赤い電球の下以外では感光してしまう。露光の直前に印画紙を出して、露光が終わったらすぐ現像、という作業を指導する。
ある学生の仕上がりは、なぜか印画紙の周辺が感光して真っ黒くなっていた。製品のパッケージングが甘くなったのかと思ったが、テスト露光をしてもパッケージ内の印画紙は「普通」である。
その学生は、一度に一枚ずつ印画紙を出すのが面倒くさいのだろう、数枚をパッケージから出して引き伸ばし機の下やイーゼルの下の隙間に滑り込ませたりしていた。露光のたびに光が回り込んでかぶっていたのだった。

暗室作業は手順通りにやる、というのが原則である。

2013年3月8日金曜日

差し入れ


記録の仕事をしている美術館のワークショップ、春の講座は「写真」がテーマである。
講座の一つは、「銀塩写真」、モノクロのフィルム現像、コンタクトシート作成、伸ばし、である。
1日4時間×3日間なので、「体験教室」という感じ、である。美術館には暗室がないのでにわか暗室をつくるところからはじまる。
それでも参加者のうち、若い方の人は「物心ついたときからデジタル写真」世代だし、もう少し上の年齢でも「カメラ屋さんにおまかせ同時プリント」な世代である。

デジタル写真、というものに「写真のシステム」が本格的に移行し始めたのが、15年ほど前になるだろうか。それまでは、写真と言えばモノクロ写真、暗室作業はグラフィックデザインをやる人にとっては必須作業だった。
わけも分からず、データ取りと反復練習に励み、夜間の風呂場とトイレを占拠してフィルム現像、押し入れにこもって引き伸ばし、暗い作業である。
冬になると夜中は寒いだろうと家人が石油ストーブを差し入れてくれてしまい、ストーブの火で印画紙がかぶってしまった。ありがたいけど、作業ができないから、石油ストーブはやめてね、と言ったら、次の日はファンヒーターを差し入れてくれてしまい、乾燥のためにぶる下げていた印画紙やフィルムがホコリだらけ傷だらけになってしまったりした。

デジタル世代には笑い話にも思えないかもしれないが、写真というのは面倒くさい作業だったのである。

2013年3月6日水曜日

時刻表


よく使う電車の路線がダイヤ改正である。

地下鉄とつながったのが数年前、今度は地下鉄の先に別の私鉄がつながることになる。
私鉄ー地下鉄ー別の私鉄、という感じで埼玉県から一気に乗り換えなしで一気に横浜、社内は観光客誘致のポスターが並んでいたりする。
首都圏に長年いると、こういった「乗り入れ運転」がよくある。
乗り換えなし一直線、というのは確かに便利である。

妹の婿さんは、建設会社に勤務していて、担当現場に出向くことがよくあった。10年ほど前のことになるだろうか、そのときの現場は三浦海岸だった。妹の家は横浜市郊外なので、横浜駅で乗り換えて現場に出かけるわけだ。三浦海岸駅は京急の終点三崎口の一つ手前、帰りは始発駅に近いこともあって座れることも多かったのだろう。日頃の疲れからか、ついうとうとしてしまったらしい。妹の家に電話がかかったのが、夜中近くで「今成田空港の近くみたいです」。直通運転で、つい寝過ごしてしまったらしい。はるかかなたの駅で、全く知らない駅だったらしい。終電では自宅までたどり着けそうもないので、空港近くのホテルに泊まったそうだ。

最近だと、どこかで遅延が発生すると芋づる式に全部が遅れたり止まったりするようになった。ずいぶん遠くの事故なのに、である。
乗り換えなし一直線は、便利なのか不便なのか、よく分からない。

2013年3月5日火曜日

電話


同居人の趣味の一つにヨットがある。

こういうスポーツは、登山などと同じである意味「危険」なスポーツでもある。卓球場で遭難はしないだろうが、海や山では遭難を想定することがある。よく「乗組員リスト」なんかを作成して、レースの主催者が取りまとめたり、クルージングに行くときは出発地のハーバー管理者に渡したりする。
リストには、名前と住所と電話を書くようになっている。

さて、ここ十数年の携帯電話とスマホなどの普及で、住所と電話を書いて、と言ったら、自分の所有する携帯電話番号を書く人が多くなった。以前は住所の次に書く電話番号はおうちにある電話機の番号だったりしたものである。最近は個人情報保護という意識が大きいのか、留守中が多いのか、携帯電話の番号を書く人が多い。
一人暮らしの学生なら別に不自由はないだろうが、船が遭難した場合、リストを持っているハーバーやレースの主催者が緊急連絡をする。留守家族に連絡するためだ。そのときに電話してかかるのが、当の遭難者の携帯だったりしても意味がない。遭難中である。

固定電話も使用頻度が減ったとはいえ、こういう趣味の同居人を持つと、必須なアイテムである。

2013年3月4日月曜日

帽子


さて、足の次は頭の上である。

高齢者くらいの世代だと、帽子、というのは「洋服」の一部だったりした。背広に帽子をかぶって会社に行くし、女性は服をオーダーするときに共布で帽子をつくる、ということもよくあった。洋服ダンスの上には帽子の丸い箱が積んであったりした。
服装だから、帽子のマナーというのがある。葬式や国歌斉唱、お寺や教会は脱ぐ、女性のつばなし帽子は正装の一部、など、文化や民族宗教によって少しずつ違う。私くらいの世代だと、細かいところまでは分からないが、基本的には室内では脱いでおいた方が無難、くらいを親から教わった。

いまどきの学生さんだと、授業中にも関わらず野球帽をかぶりっぱなし、というのがいる。ずいぶん前のハナシだが、教室内で帽子をかぶっている学生を見たら、その学生が帽子を脱ぐまで授業を始めない、という高齢の先生がいた。帽子をかぶるという場所や機会が少なかったり、家族にそういう習慣がなかったり、中学高校で制帽がなかったりすると、マナーというのがあまり浸透しなくなるんだなあと思った。
20年近く前になるが、野球帽をかぶって授業に出ている学生がいても注意をしない、という先生がいた。そうそうお若い先生でもなかったのだが、気にならないかと、別の機会に聞いたことがある。その先生は、以前講演会で帽子をかぶったまま着席している女性を注意したことがあったそうである。その女性は、がん治療の最中だったのだそうだ。それ以来、着帽をマナー違反だと知ってはいるが、注意できなくなったのだそうである。

野球帽をかぶっている学生はがん治療中ではないだろうが、注意しないことによって、室内で脱帽というマナーを知らないまま卒業していった。

2013年3月1日金曜日

スリッパ


さて、履物つながりである。

今時の子どもというのは、体格がよろしいものである。
数十年前は、私の靴のサイズ、22.5センチというのはほぼスタンダードなサイズだったのだが、今の女性靴のスタンダードはもう少し大きかったりするようだ。ときおり、女子学生で「靴のサイズが大きくてコンプレックスなんですう」というのがいたりする。どのくらいかと聞いてみると、26とか、26.5とかいうサイズである。確かに私の中では「大きい」が、クラスの女子の中には24.5とか25のお嬢さんもよくいて、「そんなことないよお」と言われていた。
女子だといくら大きくてもこのくらいなのだが、男子だと28とか29とか、想像だにしない大きさの学生がいたりする。

私の授業では、教室でスリッパに履き替えてもらう。廊下に下足箱があり、そこに自分の靴を入れるのである。
昨年あたりから、靴が大きすぎて、下足箱の扉が閉まらない、という学生が出現した。まあこれは、下足箱の上にのっけときなさい、で何とかなる。
困るのは学校が用意しているスリッパである。いわゆる「普通のビニールスリッパ」である。サイズは大人用ワンサイズ。22.5の私も、29センチの男子学生も、同じサイズのスリッパを履くわけである。

「すみません」。
大足の男子がやってくる。何かと思えば、
「スリッパが壊れました」。
脇の部分がぱっくりとわれている。彼の足では小さすぎたのか。ま、いいよいいよと、その場はおさめたが、数週間後、再び件の学生がやってくる。
「すみません」。
何かと思えば、また壊したらしい。スリッパは共同で使用しているので、常に彼が同じものを使っているとは限らないのだが。

新学期の準備の指示をする時期になると、スリッパ特大サイズというのを発注しようか、学生各自持参にするか、と助手さんと悩むのである。