2013年11月30日土曜日

スキル

ご家庭で子どもが長電話、の次の時代は「ポケベル」だった。
小さな端末で数字が液晶画面に表示されるだけである。海外の医療ドラマなどでは、院内の緊急呼び出しに使われたりするのをよく見ることがある。「呼び出しだ」と、ポケットから出す、あの端末である。

たいていは、ここへ電話しろ、という電話番号が表示されるもので、外回りの営業マンなどが本社に折り返し連絡をするために使われた。表示は、プッシュホンで押した数字が表示される。端末の表示が高度化し、文字表示も出来るようになり、これが女子高校生に流行ったのだった。
最初は、数字の語呂合わせで、暗号文のようなものをやり取りしていた。文字表示ではテンキーを素早く打って文字に変換する。公衆電話でものすごい早さでボタンを押しまくっている女子高校生を見て、よくわからないがすごいなあ、と思ったことがある。なにがすごいって、その習得と伝達にあてる時間が、である。
今はもう、役に立たない「スキル」だろうなあ。

2013年11月28日木曜日

待ちぼうけ

間違い電話、というのは、全く思いもよらないところからかかってくるものである。

ある日かかってきた電話は、中華料理屋への出前の注文だった。中華料理店の場合は、どうやら配布したお品書きに間違った電話番号であるところの我が家の電話番号が載ってしまったらしい。これもひとつの数字が違うだけだ。
案の定、何回かは中華料理屋への問い合わせがかかってきた。
留守番電話のない時代だったので、お昼時にお留守のようであれば、電話番号をもう一度確認するだろうし、落ち着いて話をする人なら、しばらく応対するうちに、「間違い」だとお互いに気づいたり、番号違いの原因を探ったりする。その日の相手は違った。

電話が鳴って、受話器を取ると同時に、先方がまくしたてたのである。
「あー、中華飯店さんねー、2丁目のササキですけどねー、チャーハン三つ、餃子二つ、ラーメン三つねー、それを早めにー」
こちらが、あー違うんです、という間もなく、電話は切られてしまった。
こちらは間違われた中華料理屋の番号を知らない。注文は宙に浮いたままになってしまった。

ササキさんは、出前を待ち続けていたのだろうか。

2013年11月27日水曜日

末尾

今のように、電話番号が相手に表示される時代ではなかったので、話し始めて「あれ?」というのがよくあった。

自宅の電話によく「OO銀行の副支店長のXXさんをお願いします」という電話がよくかかってきた時期があった。
おかしいのは、父はそのOO銀行の違う支店の貸し付け課に勤務していたことだ。何かしら狐につままれたような気がした。
たいていは、「違います、番号違いです」と言えばおしまいだが、あまりにも何回も違う人から同じような電話がかかってくるので、「なぜこの番号におかけでしょうか」と聞いたことがある。どうやらOO銀行が配布している行員向けの支店一覧表の番号が誤植で、我が家の電話番号になっていたようである。末尾数字ひとつ違いが、当の支店の番号であった。

よその会社だったらもっと噴飯ものだったよねえ、というのが後日の我が家の「ご感想」である。

2013年11月25日月曜日

応答

卒業後しばらく大学の研究室で助手をやった。
研究室のスタッフはほかに「教務補助」がいる。助手は月給取りだが、教務補助はアルバイトで、週3日の勤務、研究室の維持管理(つまり簡単なお掃除とか、備品の管理とか)、学生との応対、事務作業(学校も役所と同じで、日々細かい伝票が行き来する)、電話の取り次ぎなんかである。

ある年の教務補助さんは、抜群に電話の取り次ぎが上手だった。教えるよりも前に、教わってしまったくらいである。
おうちでご商売をしていたのでその関係かと思ったら、さにあらず。学生時代のアルバイトは場外馬券の電話オペレータであったそうだ。
普段しゃべっている声は、なんと言うことはないのだが、電話口での会話の声質がとても良い。いわゆる、マイクのりがいい、という感じだ。受け答えは間延びせず、ハキハキとしていて、要点を繰り返す。
おおすごいねえ、と言ったら実際の受け答えを実演してくれた。


コールセンターの応答のコツは、間違えない、聞き違えない、のが大前提であるが、先方によけいな会話をさせないことが肝要なのだそうだ。携帯電話のない時代、公衆電話、会社や家庭の電話でセンターに電話するのだが、先方の会話で周囲の人に「馬券買ってる」と思わせないようにするのがコツらしい。微妙な心遣いである。

2013年11月24日日曜日

新人

個人持ちの携帯電話で連絡をするようになって、「取り次ぐ」という習慣が、家庭からなくなりつつある。

4月になると、新人が職場に出るようになる。きちんとした企業や事務所であれば、新人に電話の取り次ぎ業務を教えることになる。
同居人の職場は小学校だった。学校に電話すると、職員室にいる誰かが受ける。

「もしもし」
…と私。
「はい」
…あれ、と思いながら
「OO小学校でしょうか」
「はい」
…ここらへんで、あー、これは新人さんだなあと思う。
「家のものですけど、XXをお願いします」
「あー、えーと、XX先生はいま席を外していらっしゃいますがー」

フレッシュなのが、とってもよくわかる。
学校の新人教員というのは、あまりこういった社会研修みたいなもんがないのかもしれない。彼らにとって「先輩」であるところの高齢教師は敬語を使う相手なのだろうが、使うためのTPOは習わないのかもしれない。

2013年11月22日金曜日

勇気

家庭の固定電話は、家族全員が共有する。電話をかけると誰が出てくるか分からない。

男子学生が彼女のおうちに電話をかけるのは、勇気がいることだった。
ベルが鳴って、電話に出るのが本人なら「ラッキー」、彼女から自分のことを聞かされていて好感を持っているお母さんが出たら「ついてる」、ほんとは兄ちゃんが欲しかった妹が出てくれば「ナイス」、娘をとられたくないお父さんが出てしまったら「最悪」である。本人に電話を取り次いでもらう前に一悶着あったりする。

そうならないために、電話をかける時間をあらかじめ打ち合わせたり、ベル2回でいったん切って、3分後に再度かける、などというコールサインを使ったりした。

個人持ちの携帯電話で連絡をするようになって、「取り次ぐ」という習慣が、家庭からなくなりつつあるようだ。

2013年11月21日木曜日

判別

同級生なら笑い話で済むこともあるかもしれない。大人であると、ちょっと困ることがある。

「もしもーし」
…と私。
「はいはい」
…ご家族が出てしまった。
「スズキ先生のお宅でしょうか」
「はいはい」
…声はしわがれているのでお父さんだろうか、と想像している私。
「スズキ先生はご在宅でしょうか」
「はいはい」
…しばらく沈黙が続く。
「もしもし」
…と私。
「はいはい」
「スズキ先生をお願いしたいのですが」
「わしがスズキ先生なんじゃが」

あとで聞いたら、一家全員先生業なご家庭であった。
いい年の中年男性であるスズキ先生の自宅には
「ジロー先生、ご在宅でしょうか」
と聞かなくてはいけないのだった。

2013年11月19日火曜日

似たもの

ご兄弟だと声が似ている、というのはよくある話である。
ときどき、親子でもよく声が似ているケースがある。

「もしもーし」
…と、私。
「はいはい」
「田中君ですか」
「はいはい」
「今日の授業のことなんだけど」

しばらーく、話をしていて、こちらの用件が一段落する。
「はいはい、ではタロウに変わりますねー」
「……」
「はいタロウでーす。今の親父でーす」

田中君には違いないのだが、結局同じことを二度言う羽目になる。
お父さんは授業には来ていないので、その時点で学生であるところの田中君に変わってほしいのである。
後で聞くと、タロウ父はよく田中ムスコと間違われるそうなので、お互い悪のりしているらしい。タロウ本人は親父宛の電話でよく話を合わせていたりするようである。親子である。

2013年11月15日金曜日

間違い

まわりに電話持ちの家庭が多くなると、子どもがやることは「お友達への長電話」である。

電話をしにくる人が多かった我が家では、時代を経ても、相変わらず「玄関にお電話」が鎮座している。
冬場の長電話は寒いのである。だから、早々に友達の話を切ることもあった。
毎日学校で顔を突き合わせているので、何を今更、と親は思っていたに違いない。まあそれでも話すことがつきないし、箸が転がってもおかしい年頃なのである。

ご家庭の電話へかけるので、最初に出るのが、話したい本人であるとは限らない。お母さんだったり、お兄さんだったり、お手伝いさんが出たりする。
「もしもーし」
…と私。
「はいはい」
「昨日の宿題のことだけどねえ」
しばらーく話していると、どうも話が食い違うような気がする。
「もしもーし」
「はいはい」
「ケイコチャンよねえ」
「ちがいまーす。ヨーコでーす」

ケイコチャンとお姉さんはとても声がよく似ていたりする。よく間違われるそうであった。

2013年11月13日水曜日

貯金箱

学校の授業中にスマホをいじっている学生を見ることが珍しくなくなった。
通信用の機器や技術の開発と発達と普及はめざましいものがある。
10年ひとむかし、どころではなく、1−2年が「ひと時代」にも思えるほどである。

子どもの頃は、すべての家庭に固定電話が入っているとは限らない時代だったので、小学校の連絡網では「その子の家に直接行って伝える」というのが、列の後ろの方に入っていた。

電話のあった我が家では、電話がかかってくると、向かいの家宛であったりする。電話番号を聞いて、一度切る。向かいの家の人を呼びに行き、電話番号を渡す。向かいの家の人は小銭入れを持って、我が家を訪れる。玄関の脇にある電話で、電話局の交換手を呼び出す。通話が終わると、先ほどの電話の通話料金を交換手が教えてくれる。電話の横には貯金箱があり、その通話料金を入れる、という感じだった。
よそのうちなので、込み入った話は出来ないし、無駄話や世間話もなしだ。電報というのもまだよく来ていたので、電話は「緊急の用件を伝える」ものだった。

母の住んでいた家は、玄関脇に「電話室」があったそうである。通っていた私立小学校の入学は「家庭に電話がある」のが条件だったそうである。戦前の話である。

2013年11月12日火曜日

前提

「良いおはなし」に感動するのは、人間の良心の琴線に、どこか触れるものがあるからだろう。
それが、実話かフィクションか、というのは、あまり違いはないかもしれない。
問題があるとすれば、「実話だから感動した」人が、それが「実話ではなかった」と知ったときのことである。感動の「前提」がなくなってしまうからだ。

さて翻って、インターネット上のあれこれ「感動的」なデマである。
実話だかフィクションだか分からない状態で流布をする。問題なのはここで、実話なのかフィクションなのか、ということが事前にきちんと知らされない。たいていの人は「実話」だと思い込みやすいようになっている。フィクションだと「感動」くらいで済むことが、実話だと「感動以上」になってしまうことがある。「一杯のかけそば」は、小説以上のヒットになった。歴史をひもとけば、プロパガンダというのはたいていがこういう手法を使う。「感動以上」は、時として「信仰」になったり「盲信」になったりする。

だから、「感動したからかまわない」というのでは済まないこともある。感動した、ことが重要ではなく、その元ネタのソースをきちんと把握することも、同様に大事である。

それは我々が、ナチスによるプロパガンダで学んだことではなかったのだろうか。

2013年11月10日日曜日

側面

そのテの話で思い出すのは「一杯のかけそば」である。
詳細は他に譲るとして、これも感動的な話で、あっという間に世間に広がった。確か映画にもなっていたはずである。

もとのお話は確かに「感動的」なプロットである。元は短編小説ということだが、その元ネタが実話かフィクションかで論議をかもし、ワイドショーや新聞ではよく取り上げられていた。短編小説の原作者の逮捕やらスキャンダルやらがあって、突然「かけそば」ブームは収束した。

ここで面白かったのは、表面的に「感動的」に見えたとしても、別の側面から見る人がそれなりにいるんだなあ、ということだ。「感動的だ」という世間の感想が大きければ、たとえうさんくさいと思っても、言い出すきっかけがつかめなくなる、ということもあった。ブームが終わった後で、やっぱりうさんくさかったよねー、という話もよく聞いたからだ。

感動した、と言っても、元がフィクションと明白なら問題にはならない。「一杯のかけそば」では、フィクションらしいと分かったとたんに、感動したと言った人が「あーやっぱりねー」という反応になってしまったのだった。

2013年11月4日月曜日

感動

同居人が、学生から感動的なお話を聞いたらしい。授業から帰ってきたら、うるうるしている。
どんな話か、というと、飛行機の中で黒人と隣り合わせた白人女性がクレームをつけた。CAは他人に聞こえる声で、空きのあったビジネスクラスにご案内する旨を伝えて、黒人を連れて行った。機内はスタンディングオベーションの嵐になった、というものだ。

どこかで聞いたネタである。ちょっとシチュエーションやディテールが違ったりするが、似たような話を聞いたことがある。インターネットとは便利なもので、こういうときにネタ元を探すことが出来る。検索サイトでキーワードを打ち込むと、あれこれ出てくる。
関連するものもいろいろと出てくるのだが、フィクションらしいこと、SNSを通して「拡散」したことなどが出てくる。我々の世代だと「幸福の手紙」とか「チェーンメール」なんかに近いかもしれない。

お話を教えてくれた学生は、インターネットで見て感動しました、と教えてくれたようである。
感動的だから、いい話だからOKというだけではなく、これには別の側面もあって、一言では言い難いものがある。


ブラックプロパガンダ、グレープロパガンダ、などという言葉が脳裏をよぎる。