2013年9月30日月曜日

お呼び出し

電子レンジが作業を終了すると「ちーん」、というのを知っているのは、電子レンジの黎明期を知っている世代だろう。しばらくすると「ピッピッ」とか「ピー」とかいう電子音になった。

その頃から家庭電気製品はやけに音を鳴らすようになったような気がする。洗濯機の作業終了、炊飯器が炊飯終了、食器洗浄機が洗浄終了、冷蔵庫はドア開けっ放し注意、アイロン適温のお知らせ、ファンヒーターは2時間ごとに空気入れ替え、掃除機はダストパック満杯、エアコンはフィルター掃除、お風呂のお湯はり完了と、いろいろと教えてくれるのである。便利なような気がするが、どれも似たり寄ったりな音で知らせてくれる。居間にいると、どの機械が呼び出したのかさっぱり分からなかったりする。あわてて洗濯機のところまで行くと、呼び出しているのは洗濯機ではなくて風呂の水量満杯通知だったりする。

なぜこんなに呼び出されているのか、不安に感じながらも、今日もどこかでどれかの機械が、私を呼んでいる。 

2013年9月29日日曜日

センサー

昨今の自動車というのは、いろいろな装置やらセンサーやらがついているものである。
警告灯、と言えば、以前はガス欠かオイル不足か水温警告か、くらいのものだったが、今はいろいろなアイコンがメーターパネルに並ぶ。シートベルトの警告、ウィンカーやストップランプの球切れ、各種安全装置の状況まで教えてくれる。
数台前の車は、よく「エアバッグ作動しない」警告が出ていた。あわててディーラーに行くと、コンピューターをエンジンルームにつないでチェックする。たいがいはセンサー異常で、エアバッグは作動可能である。

今使っている車は、外気温センサーがついていて、パネルに温度を表示する。0度になると「路上氷結注意」まで警告してくれる。親切なのだが、だからといって教えてもらってから朝の忙しい時間に冬用タイヤに履き替えるわけではない。
先日はその温度センサーが故障した。


外は30度を越える暑さなのに、温度計はマイナス8度。路上氷結注意の表示が出る。もう路上はガチガチに氷結中である、とお車は考えておる。エアコンのスイッチを入れると、突然の熱風である。オートエアコン装備車なのである。
外気温に対しての「温度指定」なのである。エコな冷房基準温度「28度」を指定すると、マイナス8度+28度だとお車は計算し、36度分の温風を出してしまうのである。外は極寒だ、急いで室内を暖かくしよう! と気を使ってくれている。ありがたい心遣いなのだが、たまらん。かといって、マイナス温度設定はない。しかも、単に冷風を出してくれ、というスイッチがない。いくら温度を下げてもやっと「送風」モードである。

次に買う車はマニュアルエアコンにしたいものである。

2013年9月27日金曜日

工作

学生の頃、秋葉原と言えば「電子パーツ買い出し」である。

父親くらいの年配だと、鉱石ラジオをつくったことがあったり、真空管アンプの自作が「趣味」な人がいる。私の場合は、電子映像つまりビデオの上映やインスタレーションをやっていた都合で、電線と端子を買ってきて、ハンダ付けして、ケーブルを自作する、という作業が主である。メーカーから買ったり、代理店でつくってもらうと、いいお値段である。ハンダゴテでよくやけどして、小さな水ぶくれをいくつもつくった。小さな露天みたいな店が集まったビルや路地があり、電線専門店やパーツの専門店があったりした。電気屋さんとおぼしきオジサン達の間を縫って、電線の束を買って
抱えて帰った。
今は昔、である。

その頃に店があったところは、再開発になったり、ビルの立て替えで、ずいぶんと風景が変わった。
今は少し離れたところに、センサー系の電子パーツ店が集まっており、それなりににぎわっているらしい。今の電子工作はハンダ付けしなくてもいいらしく、手軽に作業できるのだそうである。おかげでそちらの方は、女子学生の出入りも多いらしい。

電気工作は「少年(元を含む)の趣味」ではなくなりつつあるようだ。

2013年9月25日水曜日

ストレート

ここ1週間ほどになるだろうか、メールを開けると「ご迷惑」なやつの嵐となっている。

…みんな英語である。
件名を見ていると、夜の妄想系、媚薬系、肉体によく効くお薬系、すべて男性向けなのである。以前に書いた日本語のものと違うのは、表現がストレートであけっぴろげである。そのまま転載するのは少し気が引けるのだが。
どこからアドレスが流れているのか分からないが、毎日100通近い「get bigger」とか「men's night life」「enlargement」なタイトルを眺めていると、日本語メールの

from:一人で夜を過ごすのが寂しい30代人妻
sub:心の隙間を埋めてくださる方がいるでしょうか

などはなかなか工夫した文面なのかもしれないと感心したりする。
でもまあ、どちらにしても迷惑なのだが。

2013年9月24日火曜日

昼休み効果

勤務していた研究室は、某公共放送のスタッフOBが何名かいた。
放送局というのは、局によってずいぶんと生活習慣が違ったりするのだが、当該の放送局の一番の習慣は「朝から晩まで当該局のオンエアを見ている」ことである。研究室にいくつかある、アンテナと直結しているチューナー付きのテレビやモニターは、常に当該局にチャンネルを合わせて、オンエアが流れていた。
まあおかげで、いろいろなニュースをリアルタイムに知ったりすることが出来たのである。


もちろん昼休みも当該局を見ながらお昼を食べたりお茶を飲んだりしていた。連続ドラマの再放送が終わると、午後の授業の始まりである。当時は「君の名は」のリバイバルを放送していた。ご存知の方も多いと思うが、戦後の男女の運命を描いたものだ。

お食後のお茶を飲みながら、ドラマを見ていると、どうもしかし、みんなで「くらーい」気持ちになってしまう。午後の授業のモチベーションがいまいち上がらない。昼でさえこうなのだから、本放送の朝はもっとどんよりとした気持ちになってしまうに違いない。
放送が終わり、次の連続ドラマは「くらーい」話ではなかった。昼休みの雰囲気ががらっと変わったのだった。

その昔ヒットしたドラマではあるのだろうが、連続ドラマというのは、ドラマとして「良い」だけではいけない、こともある。

2013年9月23日月曜日

ドラマ効果

9月になって新学期も始まり、授業は順調に進行中。

例年だと、夏休みで「撃沈」つまり新学期に来なくなる学生がちらほらいたり、朝寝坊癖がしみついてとれなくなったり、というのがいるのだが、今年は始業時の9時に遅刻もあまりせず集まっている。
例年にないことなので、えらいなーと思ったりするのだが、考えてみればこれが当然である。だからもちろん、当然のように授業は進行する。


ところが今年に限って、9時前に教室にいる学生が多い。なぜなのだろうと思って、学生に聞いてみた。どうも、学校の近所の学生のアパートに集まって、みんなで「あまちゃん」を見ているらしい。終わってから出てくると、8時半を回った頃に学校に到着、朝ご飯のあんぱんを食べておしゃべりしながら始業を待つ、という作戦のようである。

「あまちゃん効果」で遅刻のないことは良いのだが、9月の終わりに番組が終了したらどうなるんだろう。

2013年9月17日火曜日

ハッピーマンデー

何年か前に、国民の祝日に関する決まりが変わった。
日本人働き過ぎ、というのが定評になったから、 なのかもしれない。
1年のうち何回かの祝日は、日付でなく、該当月の何回目かの月曜日、ということになったのである。いわゆるハッピーマンデー制度である。
世間のビジネス的には、土曜日と日曜日はお休み、だから土曜日に祝日が当たると「ハズレ」みたいな感じである。月曜日に回すと、3連休になるので、旅行やら遊びにやら出かけるので、経済的にお金が回る、というのが目的のひとつと報道された記憶がある。
どんな決まりであれ、ルールであれ、どんな人、どんな場合にも有効、というのはないとは思うのだが、なんだか「最大公約数」が「正しい」とエラい人は思っているようで理不尽な感じがする。

小学校が「土曜日休み」になったときも、大学は土曜日にしっかりフルに授業をやる。土曜日がお休みの会社にお勤めの非常勤の先生が多いからだ。もちろん学生のニーズに合わせてたくさんの講義を用意し、選択肢を増やすためである。
ハッピーマンデー制度以降も、祝日はカレンダー通りで学事予定が組まれていた。月曜日が授業の講義は、他の平日の講義よりも、授業日数が異常なほどアンバランスに少なくなった。他の授業は半期13回だが、月曜日は9回しかない年が出現した。4回分少ないのだが、月曜日だけ4週間授業を増設するわけにはいかない。
苦肉の策は「補講」なのだが、先生が毎日1コマずつ、連日4回出てこられないから、1週間に1回という出講になっていたりするのである。補講作戦は、増発しても1回分、せいぜい2回分くらいが関の山である。
苦肉の策第2弾は「カレンダーは無視」である。月曜日は世間的には祝日でも、学校的には平日である、という作戦である。先生も学生も祝日は返上、鉄道やバスは祝日ダイヤなので遅刻者増、という風景になる。勤務校の今年度は、この休日はお休みで、この休日は授業あり、という変則的な組み方をした。ますます面倒くさい。どうせなら、祝日は一切無視してもらった方が、スケジュール組みに悩まずに済むというものだ。

国民の祝日はお休みのためにあったような気がするが、昨今では気苦労の種と化している。さて、来週の祝日は授業があるんだっけかな。

2013年9月16日月曜日

赤シャツ

一方で、ビデオの撮影時には、アシスタントは必ず新しい白いTシャツを、アンダーシャツとして着用する、というのが「隠し技」だった。

ビデオでは、撮影前に色の調整、設定を行う。このときに、撮影現場、撮影光の下の「白いもの」で、カメラを調整する。
以前はカメラとビデオデッキが別々だった。ビデオデッキにかぶせたケースのふたをめくると、白い合成皮革が貼ってあったりしたのだが、今は機材も小さくなってそんなものを仕込む隙間はない。
学生さんくらいだと、ノートやらスケッチブックやらを調達してわらわらと設定したりする。プロの現場では「ホワイトバランスをとりまーす」と言うと、アシスタントがさっと来ているシャツやトレーナーを脱ぐ。そこには新品の白シャツがあって、それでカメラの設定ができる、という段取りである。忘れそうなものは着ていく、という知恵なのだろう。

ところがある日、ホワイトバランスを撮るために、カメラマンがアシスタントに「シャツ脱いで」と指示した。アシスタントは「え?」と聞き返したらしい。聞き返されることなど想定しなかったカメラマンは、「いいから脱いで」と指示した。アシスタントが首を傾げながら、シャツを脱ぐと、下は真っ赤なシャツだった。カメラの設定には、使えない。

2013年9月14日土曜日

黒シャツ

派手な服装のカメラマンが来ていたので、つい学生に注意することを思い出してしまった。

初心者に写真やビデオの撮影を教えていると、得てして自分が見ているものしかファインダーで確認していないことがある。
プレビューしたときに、思わぬものが画面にあったりする。片付けていないカメラケースや、放り出しっぱなしの三脚ケース、誰かの弁当箱、食べかけのあんぱん、なんていうのもそうである。
一番多いのは「映り込み」で、向かい合っているガラスや磨かれた壁面や床面に、カメラマンが反射していたりする。ファインダーでは確かに確認しづらいので、撮影前に「大丈夫かなー」と考えるのがコツである。もうひとつのコツは、出来るだけ地味な服を着ることである。ガラスへの映り込みは、白いものの方が目立つので、黒い服、無地、
の方が、目立ったりしない。長袖長ズボン黒無地、が基本である。
学生には、カメラマンは地味な服装でやってね、と言っている。

だから、たいていのカメラマンは、黒っぽい地味な服装だ。好きなのではなく、職業癖なのである。

2013年9月12日木曜日

アロハ

美術館の教育普及活動の写真記録撮影をやらせてもらっている。

活動の方は造形講座のようなものである。
当該の美術館の活動は定評があって、時々「取材」というのがやってくる。
取材元によっては、こういった活動の取材があまり慣れていないのかしらと感じることがある。
数年前にビックリしたのは、ある雑誌の取材だった。


そのときは講師とチームリーダーの大学生または若い卒業生が3名ほど、あとは子どもが20名くらい、という規模だった。
活動を取材したいというので、子どもが作業に熱中しているところにやってきた。
ライター2人、カメラマン男性1人、カメラマンのアシスタント女性2人という大所帯である。
作業をしている子どもにライターが話しかけ、質問したりする。
カメラマン3人がそれぞれにかなり大口径のレンズのついた一眼レフで子どもにあれこれ注文を出して撮影する。まるで撮影会のようだ。
しかもカメラ担当の3人の服装がかなりハデである。明るい色調でカラフル、花柄アロハ、スパンコール、フリンジやらひらひらしたスカーフ、ぴかぴかしたアクセサリーもたくさん、ジーパンにはじゃらじゃらと音のするチェーンと鍵束がぶるさがっているのである。

何かちょっと勘違いしているような気がするのだが、どうなんだろうと思いながら遠巻きに見てしまった。

2013年9月10日火曜日

9月

休み明けの新学期は、大学の場合唐突に始まってしまう。

小学校のように、始業式というものはない。初日の朝一番でいきなり授業開始で夏休みモードを切り替えなくてはならない。

今年はご丁寧に研究室の助手さんから「来週が授業初日でーす」というメールが来た。1週間前にご連絡が来て親切なことだと思っていたのだが、もしかしたら研究室は私が授業の日程を忘れたりすっぽかしたりしないかと心配していたのかもしれない。学生宛には「学生一斉通知メール」などがあるわけだが、我々非常勤のパートタイマー講師にはそういった連絡網はない。わざわざ手間をかけているのである。信頼されていない証なのかもしれないとひがんでみたりする。

研究室の方は1週前から授業の準備などする訳である。何度かメールや電話で打ち合わせをして初日を迎える。また後期もよろしくねー、などと挨拶をする。天気はまだ夏、暦と学事予定表だけが秋である。

2013年9月8日日曜日

クオーター

同居人はメタボな体格である。あまり背は高くない。

だから、服を買う時は「丈」ではなく、「幅」が基準になる。ウェストの入るハーフパンツを買ったら、クオーターパンツくらいの感じである。当然のように、クオーターパンツなら、アンクルパンツである。
普通のおズボンなら補正をするのでなんとかなるが、パジャマとかトレパンまでは丈上げを頼んだりしない。帰って着てみると、案の定「殿中でござる」みたいな雰囲気である。

趣味は車とかバイクだったりする。
バイクの場合は、足がちゃんとつくかどうかが購買の基準である。どうしても欲しい場合は、「アンコ抜き」が出来るかどうかを調べている。シートをいったん分解して、入っているウレタンを薄くするのである。まあシート高が低くなっても数センチ、というところだろうが。
マニュアル車の場合も、クラッチペダルを踏み切れるかどうかが購買の基準である。どうしても欲しい場合は「かさ上げ」、つまりペダルに板をかませたりなんか出来るかどうかを検討している。
ペダルを踏む前に、試乗車に乗ったりする。あるメーカーのスポーツカーはバケットシートになっていた。お尻が入らない。営業マンが思わず苦笑した。「一生あのメーカーの車は買わない」ことになった。

特殊な体型の人はいろいろと大変である。

2013年9月7日土曜日

安全

同居人はメタボな体格である。ついでに金槌である。
趣味はヨットである、と聞いたときに、あの体格で泳ぎが達者なんて…と思ったが、金槌だった。泳げないから船の上にいるのだそうだ。

金槌だけに、安全装備の準備はおさおさ怠りない。船の安全装備に、ライフジャケット、救命胴衣というのがある。検定品というお決まりの装備品があるのだが、ワンサイズなので、胴衣の前がしまらない。もがいているうちに、脱げること必須なので、自分サイズの救命胴衣を探す。
日本ではあまり需要がなくマーケットが小さい。今時はインターネットで海外のお店で買うことが出来るのが便利である。体格や体重で色々サイズがある。よりどりみどりである。
ついでにその頃「自動膨張式」というタイプが、流行っていた。通常の救命胴衣はぶあついウレタンを着込むというスタイルなので、暑苦しい上に動きにくい。自動膨張式は、細い帯のようなものを着るのだが、小さなガスボンベが仕込まれていて、落水すると自動的に膨張して浮きになる、というものだ。暑い日や、動かなくてはならない時は便利そうだ、と早速新兵器を買い込んだ。
その年の夏、用具の入れ替えなどして、しばらく自宅のガレージに自動膨張式救命胴衣が置かれていた。ふと気づくと、ジャケットがぱんぱんに膨らんでいた。ガレージ内で落水はしないよねえ、と言ってメーカーとやり取りしていた。温度差や湿度差もセンサーの誤作動の要因になるということだった。遭難する前に船の上でぽんと膨らんでしまったら困るのである。2-3日経つとジャケットはしおしおにしぼんでいた。膨らますのに使ったガスが抜けてしまったのだろう。落水したら24時間以内に引き上げてもらわないと沈没、ということである。

新兵器は便利そうだが、プリミティブなものの方が安心できそうである。

2013年9月6日金曜日

海苔

同居人はメタボな体格である。知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはないのである。

筋金入りの体格だが、幼い頃は病弱だったそうだ。
食も細く、心配したお義母さんが、とにかく食べているものを出来るだけ食わせる、という作戦に出たのだそうだ。当時の様子を知っている伯母サンは「お米しか食べなかったわねえ」とおっしゃった。壁を向いて、御飯に海苔だけで、黙々と食べていたのだそうで、結果がその体格だった、らしい。
もちろん炭水化物で大きくなったので、食も足りて元気になると同時に、メタボ体格、大学の体育の授業は特別授業の受講生になった。授業は研究目的で、いわゆる実験授業、内容は「肥満対策実験」だったらしい。
その後、紆余曲折があって、小学校の教員になった。小学校の先生というのは、家庭科も音楽も図工も体育も、教えなくてはならない。体育の授業では、逆上がりと水泳の教え方が上手いんだ、と自画自賛している。ほほー、じゃあお上手なんですねえ、と実家の母が相槌を打つと、「いや、僕は逆上がりは出来ないし、金槌なんです」とのたまう。できないので、理論武装しながら教える。理屈を教えると、たいていの子どもは出来るのだそうである。まあ確かに、私の小学生の頃の先生は、理屈じゃなくて「とにかく練習」「何はなくても練習」すれば出来る、という訳の分からない教え方だった。

知り合った頃からメタボ体格で、成人病どんとこい状態である。

2013年9月3日火曜日

新鮮な発見

同居人はメタボな体格である。知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはないのである。
実家にメタボ体格な人がいなかったので、そういった体格の人には新鮮な驚きと発見があった。

水分の摂取量と放出量が半端でない。喉が渇いたといって、大きなやかんの麦茶を一気飲みしたという学生時代の話があった。それは6人分の食事時に用意したお茶だったらしい。夏は汗も半端でない。加湿器と一緒にいるようなものである。水も滴るいい男、という言い方があるが、いい男かどうかはともかく、滴っているのは確かである。
ズボンは裾ではなく股から駄目になる。いわゆる「股擦れ」という現象である。こういう体格の人が「ズボンに穴があく」場合は、膝ではない。
シャツも袖ではなく襟からすり切れてくる。オックスフォードシャツなどではてきめんである。立った襟の上にお肉が乗るような状態である。
靴のかかとの減りが早い。これは体重のせいだろう。靴の消耗が早い。
風呂上がりの後のお湯の量がとっても少ない。続けて入る場合は必ずお湯を足さなくてはならない。小学校の体積と質量の実験を思い出す。
洗濯物が私と同じ「点数」でもやけに重たくなる。干す時も生地の大きさが違う。もちろん洗濯の回数も増える。
飛行機料金は同じである。体重が1.5倍以上もあるのに、なぜ同じ料金なのか。エコノミーで隣に座ると、こっちにはみ出してくるので狭苦しい。なぜ体格で料金と座席を分けないのか。飛行機会社は理不尽である。
自転車のタイヤのエアの減りが早い。もちろん、バイクも自動車もエアの減りは、みんな早いので、うちではコンプレッサーが常備品である。

ともかく、いろいろ新鮮である。

2013年9月2日月曜日

同居人はメタボな体格である。
知り合った頃からそのような体格だったので、今更メタボ、と言ってあたふたすることはない。
知り合いの奥さんの前でTシャツを着替えたら「あらまあ、…いいお肉!」と絶賛されていた。

本人は皮下脂肪のせいだと言っているのだが、健康診断の採血にはいつも大騒ぎである。
太っているのが原因ではないらしいが、採血しにくいらしい。血管が見えない、細い、逃げる、のだそうである。
お勤めしていた時は、毎年の人間ドックがノルマである。お勤め先が変わると、出かける病院が変わる。採血の上手なナースさんにあたると、翌年も、ちょっと遠くても、そこへいそいそと出かけていた。その看護婦さんがいつまでも同じお仕事をしているとは限らないので、翌年は新人ナースにあたり、両腕に穴をたくさんあけられて帰ってきた。
本人の父親も、血管が見つけにくい人だった。救急で病院に担ぎ込んだときに、当直が点滴用の針を刺そうとするのだがなかなかうまくいかず、何カ所も穴をあけていた。義父は「痛い、痛い」と叫んでいたのだが、担ぎ込んだ原因の病気ではなく、針を腕に刺されまくっていた方が痛かったらしい。しまいには、「こんなヘタクソよりも、医者呼んでこい!」と叫んでいた。針を刺しまくっていたのは、当直の若い女医さんで「すいません、私が医者なんです」とべそをかきながら、お答えになっていた。

今年の人間ドックでは、両腕に5つほど絆創膏を貼って帰ってきた。

2013年9月1日日曜日

進歩

大学に行ったら、もちろん「ご家庭宛の連絡網」などあろうはずがない。
学校や研究室の連絡はすべからく「掲示板に掲示」される。見落としたら「負け」である。休講、教室変更、レポート提出、試験内容、ぜんぶ「掲示」なので、大学に行ったらまず「掲示板」に直行である。見落として試験会場を間違えたり、レポート提出の期限を間違えたりした日には、単位はもらえないからである。大学から個人宛にわざわざ電話で「試験会場はこちらですよー」と連絡が来るはずがない、というのが前提である。

時代変わって現在は大学から学生にそれぞれメールアドレスが配布される。学校側からの連絡は、そのメールに配信されますよ、というシステムである。明日は台風が来るので休講、なんていうメールが来るわけである。台風の中、止まっている交通機関を調べて、動いている電車やバスを乗り継ぎ、ずぶぬれになってきてみれば、「本日は全講義休講」という大きな掲示があった。がっくりである。

まあ、そういったシステムなので、研究室がアドレスをソートして、特定の講座の受講生だけに「明日の教室はこちらに変更です」などという連絡も出せるようになった。我々の世代から考えれば、「ちょーべんり」である。
ところが、教室変更の連絡メールを出してもらったはずなのに、受講生が全部揃っていない。数十分後「教室変更を知らなくて」とばたばたと駆け込む学生がいる。メールを見ていないのかと、後で聞いてみると「迷惑メールにしていた」というのがいた。受講していない授業の連絡が多い、課外講座の開催通知が多くくるがそのほとんどには興味がない、などという理由で、自分でフィルタリングしていたり、送信元を見てスルーしたりする。意味がない。

我々の頃だと、「掲示板を見忘れていた」「掲示に気づかなかった」というレベルである。技術が進歩しても、人間は進歩しないものであった。