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2024年4月25日木曜日

差し引き

 術後の養生、といっても、寝ているだけでは復調はしない。トシのこともあり、運動しなければどんどん筋力が落ちる。自転車バイク激しい運動は禁止なので、もっぱらお散歩がリハビリ運動である。

幸い、お日柄も良くなり、晴れればお散歩日和なので、こちらが生活費を稼ぐべくお仕事に精を出している間は、お散歩にいそしんでいただいている。

数週間前までは、花見がてらの散歩だった。花も散ってしまったので、ここしばらくは「食材買いだし」が散歩の目的となっている。散歩してケーキを買ってきてしまえば、プラマイゼロ、という感じがしないでもないのだが。

2024年4月24日水曜日

途上

 外的な痕跡がないとは言え、病人あるいは回復途上、といった風情には変わりがない。術後一か月の「定期点検」で、全治3ヶ月を言い渡された。重いものを持たない、激しい運動は禁止、自転車バイクは禁止、である。もちろん、後遺症が「トイレ不如意」なので、家から遠くへは行けない。

もとより定年退職後の非正規雇用中なので、勤務はある程度融通が利き、なおかつフルタイムではないことは幸いで、4月半ばから何となく勤務に復帰している。しかし、「座るのがお尻に辛い」という症状もあり、自宅にいれば「横になっている」時間が長くなっている。横になると、条件反射で寝てしまうことになり、おのずと昼寝時間が長くなり、従って夜中に起き出す、あるいは早朝から起き出すことになる。静かにしていてくれればありがたいのだが、「横になってヒマ」であることは、テレビ鑑賞あるいはスマホかタブレットいじりに直結する。つきあっているこちらは、昼寝抜き。何となく睡眠不足である。

2024年4月23日火曜日

輪唱

 さて、3月下旬に無事手術も終了した。内視鏡による手術なので、外側には傷跡もなく、外見的には「手術したなー」という痕跡は見えない。痛い痛いと騒いでいるのが、どうやら病気みたいだという外的な特徴ではある。

病室は相部屋でベッドが4つ、同じ病態の患者が並んでいたようだ。手術は毎日1−2名ずつこなされているようで、昨日は隣、今日はここ、明日は向かいの患者が手術予定、というシフトだったらしい。そうなると、隣が術後の夜中に「いたいいたい」と大騒ぎをしているのを、しらけた気分で聞いた翌日、自分が大騒ぎすることになり、落ち着いた翌日は向かいの患者の叫び声を聞いて同情することになったようだ。1週間で、ちょっと回復が遅い患者も総じて入れ替わり、定期検診時にまた「こんにちは」と会う、というスケジュールになっているようだ。

術後2日目からは何となく復調し始めたようで、「お食事」のお写真が送られてくるようになった。相変わらず、食欲だけは失わない人である。

2024年4月1日月曜日

リバウンド

 幸い、かどうかわからないが、同居人は12月からは食欲がしばらくなくて、ほぼ毎食おかゆ生活。当然のように、酒を飲む気にもならないので、体重は順調に減少。2ヶ月ほどで一気に10キロ落ちとなった。

1月に入ってからは、食欲も戻ってきた。下半身の病気でもあり、胃袋から上は元気なので、手術に備えて栄養補給と、食べることにいそしむ。体重はすぐに5キロほどリバウンド。残りの5キロは、アルコール分だったのかもしれない。

手術に備えて、「自己採血」というのがあり、そのためにも「レバー推奨」なお食事となった。何かにつけて、プラセボ効果と暗示がよくきく人なので「マイブーム」になると高揚度が高い。レバー食べすぎの副作用がないか心配しなくていいのかしら。まあ、自己採血までの数週間だけで、あとはレバーなど食べなくなるのだろうが。

2024年3月31日日曜日

外付け

 同居人は、身体内部からチューブを出して、内蔵外付け、という風情である。外付けの膀胱を「ウロバッグ」と称するらしい。これがあれば、日常生活は大丈夫ですよ、などと言われて1週間ほど生活してみた。1週間後に、クリニックで「外しましょう」。晴れて解放されたものの、数時間後にはまた具合が悪くなり、クリニックに逆戻り。再び「外付け」状態である。結局抜本的な解決策として手術をすることになり、仕事の切れ目をにらんで、3月半ばに手術をスケジューリングした。

それが暮れもギリギリに押し迫った28日頃、当然のように年末年始のスケジュールは吹っ飛んだ。おせちどころではない。大晦日も元旦もおかゆだった。

外付け生活に慣れてきたのが1月半ば、その頃から手術に向けて各種検査や自己採血などのスケジュールが組まれ、病院行きが最優先である。

まあ、これをアップロードした時点で、無事手術は終了し、「外付け」生活は卒業したものの、手術後の体調は即座には戻らない。現在も体調には波があり、恐る恐る暮らしている、という感じだ。

2024年3月30日土曜日

救急

 そうこうしている間、昨年暮れに同居人の具合が急に悪くなった。明け方突然、苦しみだして「死んでしまいそうだ」と大騒ぎしている。近所の病院の緊急を探すが、通院記録がないと受け入れてもらえない。救急に連絡をしてみたものの、こちらも「到着するまで数時間、そのころには病院やクリニックの窓口が開くからそちらで」と、つれないお返事。その間にも、同居人はわめき続けているのだが、仕方なく数年前に通院したクリニックに連絡した。

当日処置後は落ち着いたものの、また午後に具合が悪くなった。午後はクリニックの定休なので、仕方なく近所の別の病院へ転げ込む。「痛い苦しい」と大騒ぎである。よほどうるさかったのか、診察順序を変えてみてもらうことに成功(?)。その日からしばらく「ウロバッグ」生活が始まった。

2018年6月1日金曜日

参加

同居人が、図工の先生になろうと思ったのは、ひとむかし前、既に四半世紀以上になるのだが、当然のように時代はデジタルではなく、アナログであった。自分でいろいろと勉強しようと思ったようで、さまざまな「自主研究会」に参加していた。職場の研修会とは別に、有志の研究会というのがいろいろとあった時代である。勉強するテーマや、内容によっていろいろなグループがあったようだ。それなりのそれぞれが活発に動いていたのが、7−80年代頃のことだったのだろう。
たいてい運営する側、というのは、ボランティアに近いものになる。勉強する代金を徴収する営利団体ではないからだ。まあだからこそ、卒業した学校や、師事した先生、勤務している学校やエリアといった境界のない集まりにもなったのだろう。
同居人が最近顔を出している研究会も、運営する側はボランティアである。最近愚痴っているのは、運営する側が「打ち上げ」する飲み会の支出額が大きくなってきていることだ。日当は出さないので、弁当代や飲み会が「必要経費」として計上されているようだ。なんだかそれが、さもしい感じがする、と言いながら、研究会の会計書類を眺めている。

2018年5月31日木曜日

整理

同居人は、3月末までにいくつかの大学講師の仕事を整理した。
小学校の教師を退職してから7年ほどになるのだが、その間いくつかの大学で授業をしていた。辞めた理由はいくつかあるのだろうが、そのひとつはジェネレーションギャップというものでもあるのだろう。自分の大学時代と現在は、かなり様相が異なってきている。昔は良かった、というわけでもないだろうが、授業進行に融通がきかない、という状況が何回かあって、閉塞感があったのではないかと思う。
ひとつは大学の授業管理のシステムが、以前と違って「厳しい」と感じられることだった。前年度の半ばに、翌年度の授業進行のシラバスを提出する。全15回の授業の内容、資料など揃えなくてはならない。提出は、インターネット経由で、デジタル苦手な同居人は四苦八苦していた。授業が始まる翌年度の初めまではかなり間がある。その間に、「うーむ変更したい」と思っても、シラバス通りに進行しなくてはならない。授業はナマモノだと思っていたが、最近は「パッケージ」製品となっているようだ。学生が、スマホ見たりしながら授業に参加しているのは、こちらを「テレビ画面」のように、認識しているのではないか。シラバス通りに授業をしていて、脱線したり、方向転換しない、という前提だからだ。
もうひとつは、学生との関わりが以前と比べて「難しい」と思ってきたからだろう。美術系の学校で、教職課程科目を担当していた。美術系だと「でもしか」先生、というのがいる。作家になれないから、先生にでもなるか。あるいは、作家として生活できないから、先生しかできない、というタイプである。まあこれも、生活設計の上では、ひとつのありかただろうが、悲しいのはそういう先生に教えられる子どもである。学生自身が、昔と比べれば「子どもっぽい」印象があり、ついその先にいる「教えられる子ども」を見てしまったのかもしれない。

2018年1月18日木曜日

軽量

同居人が自転車を買おうと画策している。
画策、というのはたいてい、布団の中でタブレットでECサイトを眺めている、ことである。
乗り物好きなのか、飽き性なのかよくわからないが、自転車もいろいろととっかえひっかえしている。
電動アシスト自転車、というものが発売された頃、坂道が多い街に住んでいたこともあって勇んで買った。20年ほど前のことだ。なかなか面白い乗り物で、走り始めに後ろから誰かが押してくれているような感じがする。結構楽しく、あちこちに出かけていた。
悲しいのは、電池、と言う存在である。当時のことなのでニッケル電池、もちろん重たくて高価である。残量がLEDのインジケータランプで表示されるのだが、これがどれほど「もつ」のかは、経験値でしかわからない。いや経験値でもよくわからない。もちろん、経年劣化もあるし、疲労もある。アシストやライトで電力を食うわけだから、どんな道でどれほど使ったのかも分からない。そのくせ、充電には時間がかかる。最悪なのは、出先で電池切れになったときだ。必要以上に重たい自転車に変身してしまう。坂道をのぼるのに、「快適」どころではなく、「重労働」である。今は、もっと軽くて性能の良い電池が使われているのだろうが。
そんなわけで、引っ越しを機に自転車を買い換えた。いわゆるクロスバイクという種類だ。その後、自動車に積んで先方で乗るというので、折りたたみ自転車に買い換え、タイヤ系が小さいので乗りにくいと、折りたたみ自転車2号に買い換え。再び、坂道が辛いと、電動自転車2号に買い換え。こちらはバッテリーが小さいのだが、やはり持ちが悪くて、帰宅時にバッテリーが持たない。再び折りたたみ自転車3号に買い換え。先週は、やはり健康のためには、もっと走るのが欲しいとクロスバイクに買い換え。今回は、重量9キロほど。最初の電動自転車は20キロほどあったのだが、自重も軽いと快適に走れるそうである。ここ数日は「自転車は軽いのに限る」が口癖だ。それよりも、乗る人間が標準体重にダイエットした方がもっと効果的だと思うのだが。
さりとて、自転車遍歴も激しい同居人である。

2017年12月30日土曜日

ネタ

先生たちの会を見ていると、よく出てくる話に「業界雑誌」というのがある。どんな業界でもあるのだろうが、もちろん教育業界にもある。教科書会社や、教材会社が発行している月刊誌である。本屋さんに出ているのではなく、多くは定期購読なので、一般的には見たことがない。「小学図工」みたいなタイトルの薄い冊子だ。算数関係や、国語関係、音楽や体育など教科ごとにあるし、横断的に「指導と評価」といった類の内容もある。
他の教科は知らないが、図工関係で言えば、こちらも「授業のネタ」なネタが多い。
冷静に見れば、授業をやっている学校のバックグラウンドはもちろん、授業を受けている子どももそれぞれに違うのだから、マニュアルにはならない。アイディアはもらえるだろうが、その通りにやっても、提示された効果が出るとは限らない。だから、教材はキットになっても、指導方法はマニュアルにできない。
業界紙の読者も、研究会の参加者もそれはよく分かっているのだと思う。だから、アイディアはもらっても、全く同じ授業にはならない。自分なりにブラッシュアップしなくてはならない。相手は「ナマモノ」なので、同じ学校、同じ学年であっても、違う年度であればそれなりに違ってくるからだ。
まあ、教える側としては、これを面白がれなくてはならないと、やっていけない。

2017年12月29日金曜日

パッション

どのような会でも、主な作業はいわゆる「情報交換」である。自分の授業の内容を発表、というのが多い。新人は授業のネタを探し、先輩はいろいろな授業のコツを伝授する、という感じだ。あとはお決まりの「懇親会」、授業内容以外の「情報交換」である。
同居人の専攻は図画工作である。小学校の授業というのは、教科書もあるし、学習指導要領もある。ある程度中身は決まっていて、授業の内容も決まっている。図工の場合は、教科書にあることをやらなければならない、教科書以外のことをやってはいけない、というような「範疇」が、ある程度緩いような印象がある。もうひとつ、小学校の図工の場合、専任で教える教員がいる学校と、いない学校がある。美術学校出身の教員がいる学校もある。先生の方を見ていると、ベースが違うこともあって、得意不得意があったりする。
そういうところで、いわゆる「教材屋さん」という商売が成立する。図工方面で言えば、「卒業制作用壁掛け時計工作キット」みたいなものだ。ある程度の大きさの板が数枚と、時計のムーブメントと針とネジなどがビニール袋に一式入っている。板には予め目印があり、小さな穴が開けてある。板に工作するとか、絵を描くとか、彫り込むとかして文字盤として仕上げ、穴に針とムーブメントを組み込んでネジ止めすればオッケー、なセットだ。こういうのがないと、先生は人数分のムーブメントと針とネジを発注し、木材屋に板を発注し、予めサイズに切ってもらっておくなど指示を出さなくてはならない。穴を子どもに開けさせると、穴の位置が違ったり、大きさを間違えたりして、余計に手間がかかる。図工の授業というのは、準備が大変なのである。
さて、図工の先生たち、というわけだから、もちろんちょっと「変わった人」もいる。こういった「安心楽々キット」みたいなものにアンチな人たちだったり、他の人と違うモノを子どもにつくらせたかったりする。だから、他人の「授業」が気になるわけだし、他の学校の授業も参観しに行ったりする。
まあ、そもそも、先生にこういうパッションがなければ、面白い授業にはならないのだろう。それが「ブラック」になってしまう理由のひとつだったりするのだろうが。

2017年12月27日水曜日

同居人は小学校の教員をやっていたので、同業同専攻の先生たちと集まって、研修会、研究会、勉強会、学習会などの類によく出ていた。ひところは、ほぼ毎週のように違う勉強会に行っていた。
公立の小学校だと、地域ごとに集まりがあるし、私学でも同じような集まりがあった。民間研究会、というサークルもあって、地域や私学はもとより、幼稚園、小中学校、高校大学、絵画教室の先生も集まっていたこともあった。 こうやって先生たちは、意外と「横つながり」もあったりする。
公立の小中学校だと「異動」がある。数年ごとに、先生は移ってしまい、同じ学校にずっといるわけではない。だから、公立小中学校・同じ専攻で集まる会は、授業以外にも交換する情報があったりする。 
同居人はほぼ「団塊の世代」である。他の世代と比べて人口が多い年代だ。だから、どこの勉強会でも同じような世代が集まっている。段階的に年齢差がある人たちが集まっているかと言えばそうではないことが多い。同居人世代の後はほぼ減少、一回り下からは激減。だから、同じ世代が平行にトシをとっていき、若い世代が入らない。
団塊の世代は「なんでみんな勉強しに来ないのか」などと言っているのだが、若い世代の先生がそもそも少ない上に、今話題の「ブラック企業」であるところの学校に「セブンイレブン」なお勤めである。所属組織の「研修」であればともかく、民間の研究会はもちろん「持ち出し」、自分の勤務時間以外の活動である。そもそも情報収集や交換は懇親会ではなくインターネットで行っていて、「会う」必要がない。「先生の孤立化」と、先生が過労死でニュースになると話題に出る。他人と出会うような時間的余裕がなさそうだ。

2017年9月4日月曜日

点灯中

またまた、輸入車の日常として、警告センサーや警告ランプの点灯など気にしない、というのがある。
多いのは「エアバッグ異常」だろうが、こういったセンサー類をリセットするのは、整備工場で整備コンピューターにつないで、と少々手間がかかる。まあ走行系に問題なければ、接触不良だろう、くらいで乗るようになってしまう。ピーターと狼、状態だ。ぶつかってみなければ、正常なのか接触不良なのかわからない。
今使っているのは、懲りもせず3代目のフィアットだ。同じメーカーで数台乗ると、なんとなく共通の癖がある。このメーカーは「オイル注意」である。警告灯が点灯しなくても、エンジンオイルの減りが早い。3代目は、ドライブに行った先で、思い切りオイルが少なくなっており、焦ったことがあった。以来、ドライブのお供はオイル缶である。
さてその後、ある日「エンジン異常」が点灯した。走行系で気になる。数日後、同居人と一緒に、購入したディーラーに持ち込むことにした。ちょっと遠方で、高速道路に乗らねばならない。走っていたら、いきなり具合が悪くなった。エンジンの回り方がおかしい。踏んでもスピードが出ない。走行に不安があり、レッカーに来てもらい、ディーラーにそのまま入院。数週間後の検査結果はバルブ破損。エンジンオイルの減りが早かったわけだ。イタリアの本社とやりとりしてエンジン交換と大工事になった。
その際に、ディーラーが代車を持って来た。営業担当者が帰った後で、エンジンをかけたら「警告ランプ点灯」中、である。しかも「エンジン異常」中、である。入院中のクルマと同じ状況である。あわててディーラーに連絡したら「あーすみません、点灯しっぱなしで大丈夫です。それで乗ってきたので問題ありません」。大丈夫か警告灯。いやいや、営業マン。
で、自車の方は入院が3ヶ月以上になった。その間、ディーラーの都合で、入れ替わり立ち替わり代車が3台。ちょっと長期の試乗のようだ。帰ってきた自車のエンジンはぴかぴかの新品である。
不幸中の幸い、事故もなく、生命の危機もなかった。今となれば、いいネタではある。国産車ではあり得ないだろうが。

2017年9月3日日曜日

ご機嫌

そんなわけで、国産車では「見かけない故障」というのもあった。同居人ともども、困ったなー、と言いながら、まあ生命の危険はなかったので、今となっては笑い話になったのもある。

VWゴルフは、大きなエンジンを積んでいた。いつものように乗っていたら、シフトアップしないことがあった。ローでかなり引っ張らないとシフトが上がらない。いまどきの自動車はコンピュータが入っていて、ときどき自分でメンテナンスするらしい。私はあまりふかして乗るタイプではないのだが、クルマの方はときどきふかして乗って欲しいらしかった。
フィアットのプント、というのも、「ざっくばらん」だった。こちらは朝一番の発進時に、ときどきシフトが入らない。一旦パーキング、ニュートラル、それからドライブと、順番にゆっくりシフトを入れ直す、のが「コツ」らしいことを発見した。マニュアルに書いてはいない「癖」である。
その後、助手席の床が水浸し、になった。近所のディーラーに入れたら、屋根から水漏れだろうと言うことで入院。それがかなり長期になり、2ヶ月後に戻ってきたが、状況が改善していない。雨もないのに、水浸しである。運転席は大丈夫なのだが、助手席は水浸しである。購入ディーラーが遠方だったが、こちらに持ち込んだら、エアコンの配管接続ミスで、よくあるんですよー、と30分で解決。
懲りもせず、次もフィアット、グランデプントを買ってしまった。昔から好きなデザイナーの手がけた車種だったからだ。これは、走行中にシフトが「抜ける」。走っていたら、突然シフトがニュートラルになって走行不能になった。出先だったので、最寄りのコンビニにやっとこさたどり着き、購入時の営業マンに遠路はるばる来てもらった。入院1ヶ月。これもその後あまり状況が良くなく、ときどき機嫌が悪くなった。修理工場を換えたり、パーツを換えたり、オイルを変えたりしたのだが、劇的には改善しなかった。結局これが手放す要因にはなった。
このフィアットはオートエアコンを積んでいた。温度計で外気と室内を測って、希望温度にする、というやつだ。冬の寒い日に乗り込んで、室内設定温度は20度、エアコンのスイッチオンで自動的に「温風」が出るはずなのだが、凍えるような冷気が出る。見ると測定外気が30度を示している。室内を20度にしようと、エアコン君は「外は真夏だー、それよりはマイナス10度にするぞー」と頑張っているのである。手動のエアコンと違って、こうなると欲しい温度の風が出ない。外気温の温度センサーを交換したら、即解決。
ここまでいろいろな故障があると、退屈しない。機械のご機嫌を見ながら、今日もエンジンをかける。

2017年9月2日土曜日

らしさ

引き続き。
同居人はクルマ好きである。何かヒマがあると、自動車ディーラーをのぞいている。購入する気もないのにカタログをもらってくる。市場把握と称して試乗の予約をする。
そういうことをする人がいるから、営業費というのが多額に必要で、それが車両価格に反映されているのである。
その後も何台か自宅の自動車は入れ替わった。家を引っ越して、自動車の台数が増えた。それでもどれかは輸入車という状況である。サイズの手頃さと、クルマとしての面白さ、というのは、国産車ではあまり両立しないらしい。マニュアル好きの同居人と、オートマの私が運転するので、私の常用はどちらかといえば、「マニュアルライクな乗り方が出来るオートマ」がチェック項目である。
何台か輸入車を乗り継いで思ったのは、ディーラーではなくアフターメンテナンスを考えないといけない、ということだ。輸入車ディーラーに付属している修理工場がベストか、と言えばそんなことはなかった。街で見かける「輸入車ディーラー」は、看板が同じだけで、実はフランチャイズみたいなところがある。近所の同じディーラーで情報を融通し合う、という状況ではないことがあり、保証期間の修理は必ず購入ディーラーで、というお約束がある。自宅の近所にディーラーがあれば問題はないだろうが、BMWのときはディーラーは近所、ディーラーの直営修理工場は駅をいくつか越えた別の場所だった。ショールームは、購入後は不要である。修理の出し入れで半日くらいは潰すことになる。
どのクルマでも問題なくノーメンテナンスで乗れた、ということはない。いつでもどこでも何かしら、だましだまし乗っているようなところはある。まあ「機械」というのはそんなもの、である。国産車だと、たいていの場合、こうはならない。だから「機械らしい」のだろうが。

2017年9月1日金曜日

消耗

入院期間が多いと、生活するのに時々不便である。修理しても状況が改善しないのはあまり嬉しくないので、次のクルマを物色し始めた。その頃、トヨタがVWの代理店を始めた。トヨタがやるなら、アフターの面倒見はいいだろうと、知り合いを紹介してもらって車種を物色。同居人が海外で生活していたときに初代ゴルフを使っていたそうなので、信頼度は抜群。試乗車はあまりぱっとしなかったようだが、たまたま従業員が使っていたグレードが気に入って即決。結果的にはこれが一番気に入って、長く乗った。
自動車としては完成度は高く、乗ったときの信頼度がある。一方で、国産車のような「かゆいところに手が届く」ような感じがしない。良い意味で無骨だ。参ったのは、エアコンのききが今ひとつ、ではなく、三つほど良くない。ドイツは暑くないからいいのかもしれないが、夏の暑い日など大変だった。
2回目の車検を通した後で、ぼちぼち気になり始めたのは、樹脂系パーツのもろさである。外も中も、樹脂やゴム系のパーツがダメになってきた。この辺の耐久性が国産車とは違うところなのだろう。トヨタで面倒を見てもらうのだが、どうしてもパーツの供給に時間がかかるようになったので、ぼちぼち手放すか、という話になった。クルマとは消耗品、という側面が大きいのだなあと実感した。

2017年8月31日木曜日

亡霊付き

その頃から、輸入自動車というのが買いやすくなってきた。外国車のディーラーというのが街中に出現してきた。トヨタ、日産、その隣にベンツ、BMW、という感じだ。消費者としては、選択の幅が大きくなるわけで、うちの条件に合うサイズが当時売り出し始めたBMWの「コンパクト」。同居人の憧れの「BMW」だった。
最初はニコニコしながら近所を乗っていた。しばらくしてから、慣らしも兼ねて名古屋の墓参りへドライブした。知多半島経由である。夜の知多半島は、ライトのついているビニールハウスや温室が並ぶ畑の中の一本道。街灯もなく、真っ暗である。窓を開けて、走っていると、ブオーと音がする。2サイクルの二輪車が後ろからあおっているような音だ。しかし後ろにヘッドライトはない。もしや幽霊か、などと話しながらドライブ続行。その後から、やたらやかましい音が室内に反響するようになった。
もちろん保証期間なのでディーラーに持ち込む。修理点検も兼ねて入院となった。診断の結果はコンプレッサーの不良で交換。戻ってきてしばらくは静かなのだが、数ヶ月も経つと、またやかましくなった。再び入院、帰ってきてしばらくは静か、その後また再現。常に「2サイクルの二輪車の亡霊があおっている」状態である。なかなか賑やかなクルマだった。

2017年8月30日水曜日

曲がり角

ずいぶん以前になるのだが、同居人と暮らし始めるにあたり、自動車を買い換えることになった。
自動車産業というのは、世間の景気の一歩後を追うようなところがある。開発に時間がかかるので、世間の流行と同調、というわけにはいかないからだ。
その頃は、バブル景気の少し後。国産自動車は大型化、ラグジュアリー化が流行だった。住むことになる住居は、どちらかといえば都心の住宅密集地。車庫は狭く、近隣の道路も狭い。角を回って、自宅前の道路に侵入できる自動車、つまり回転半径がなるべく小さい、5人乗り、高速で遠出もするので軽自動車はなし、車庫に入る大きさ、というのが条件だ。同居人は欲しい車を物色した。試乗に行って気に入ると、自宅まで乗らせてもらう。角を一発で曲がらなければアウト、車庫に切り換えなしでスムーズに入らなければアウトである。気に入っても、曲がれないのがいくつもあって、どんどんと条件は厳しくなった。
同居人の父親はその頃ベンツに乗っていた。これがびっくりするほどよく曲がる。国産自動車のほとんどはFF、父親のベンツはFRということもあるのだろう、自分の運転が上手なのかと錯覚するほどの曲がりようである。せまい道の交差点でも気持ちよくまわる。高級車、のイメージがあったが、むしろ実用車だと思った。もう少しサイズの小さいものがあればベストなので断念したが。

2017年8月29日火曜日

アシあれこれ

すでに夏休みが終わった学校もあるのだが、私にとっては、残り少ない夏休みである。閑話休題で、しばらく前に友人と話題にしていた、自動車の話である。

私は郊外暮らしで育った。都心の団地住まいの2年ほどを除いては、駅から遠く、バスの便もまばらなエリアの一軒家。妹のお稽古事の送迎が必要なので、自動車が必需品だった。
私の世代は、大学時代に運転免許取得が、社会人へのパスポート代わりだった。もちろん、現在と異なり、マニュアル車での教習である。苦労して取得したのに、自分で運転するようになった頃は立派なペーパードライバー。クラッチのつなぎ方がどうも上手くない。結局オートマで乗るようにはなった。
その後も郊外暮らしで自動車が「アシ」な生活である。

同居人の方は「アシ」など不要な都心で育ったが、父親がクルマ好き、男三人兄弟で、兄はラリー、弟はサーキットで走るライセンス持ち。当然真ん中の同居人も、それなりにクルマ好き。その当時は「軽自動車」免許というのがあって、試験場一発、16歳で取得、以来ドライバーで、JAF歴50年をすでに越えた。もちろんご両親も免許持ちだが、こちらはもっと前に免許取得なので、免許証はほぼ「全部入り」。バイクなどとんと無縁なのに「大型二輪」なども入っている。自転車に乗れないのに、大型二輪免許保有、という人もあったらしい。食い詰めたらタクシー運転手、と言っていたが、二種免許入り、だったからだ。

今はほとんどの人が「オートマ免許」取得なのか、販売されている自動車もほぼオートマ車である。クルマ好きの同居人はマニュアル大スキなので、自動車購入の際はまずトランスミッションがチェック項目である。日本車はほぼマニュアル壊滅状態なので、寂しそうである。高齢者の「アクセル踏み間違いで暴走」、という事故のニュースを見る都度に、マニュアルならこういう事故はないよねえ、とつぶやいている。

2017年6月6日火曜日

方言

同居人の最近のお仕事のひとつは、「スクールカウンセラー」である。
いじめ問題や教員の不祥事など、メディアで良く取り上げられている。その対策に、文科省が旗を振って「チーム学校」などと音頭を取っている。その「チーム」にいる、というわけである。
文科相が旗を振っているからと言って、全国的に即座に配属されたわけではない。こういうのは、自治体の教育委員会の裁量なので、全国一律同じように配属されてはいない。
一般的に思い浮かぶのは、生徒相談室で生徒個人のお悩み相談、というところだろう。必要な資格に「臨床心理士」などというのがお馴染みである。翻って、同居人の方は、学校心理士、という資格である。どちらかと言えば、先生側のサポートのウェイトが大きい。今のところは、市の教育委員会で設置されているチームで、市内の小中学校を巡回し、学級運営をサポートしている。
サポートするからには、学校内の授業の様子も見ることになる。
先日は、市内の小学校に出向いて行って授業参観してきた。「英語」の授業だったらしい。小学生相手なので、外国人講師が、歌やゲームをしながら、日常的な会話に慣れる、という内容だったようだ。外国人講師、と言われればそうなのだろうが、その学校では明らかにフィリピンなまりの英語で、かなり派手なお姉さんが教えていたらしい。英語、と言っても、フィリピン風である。
まあ、インドなまりとか、エジプトなまりとか、コックニーなまりとか、オーストラリア風とか、英語と言ってもそれぞれあるので、国際的、と言われればそうなのかもしれないが。