2018年5月31日木曜日

整理

同居人は、3月末までにいくつかの大学講師の仕事を整理した。
小学校の教師を退職してから7年ほどになるのだが、その間いくつかの大学で授業をしていた。辞めた理由はいくつかあるのだろうが、そのひとつはジェネレーションギャップというものでもあるのだろう。自分の大学時代と現在は、かなり様相が異なってきている。昔は良かった、というわけでもないだろうが、授業進行に融通がきかない、という状況が何回かあって、閉塞感があったのではないかと思う。
ひとつは大学の授業管理のシステムが、以前と違って「厳しい」と感じられることだった。前年度の半ばに、翌年度の授業進行のシラバスを提出する。全15回の授業の内容、資料など揃えなくてはならない。提出は、インターネット経由で、デジタル苦手な同居人は四苦八苦していた。授業が始まる翌年度の初めまではかなり間がある。その間に、「うーむ変更したい」と思っても、シラバス通りに進行しなくてはならない。授業はナマモノだと思っていたが、最近は「パッケージ」製品となっているようだ。学生が、スマホ見たりしながら授業に参加しているのは、こちらを「テレビ画面」のように、認識しているのではないか。シラバス通りに授業をしていて、脱線したり、方向転換しない、という前提だからだ。
もうひとつは、学生との関わりが以前と比べて「難しい」と思ってきたからだろう。美術系の学校で、教職課程科目を担当していた。美術系だと「でもしか」先生、というのがいる。作家になれないから、先生にでもなるか。あるいは、作家として生活できないから、先生しかできない、というタイプである。まあこれも、生活設計の上では、ひとつのありかただろうが、悲しいのはそういう先生に教えられる子どもである。学生自身が、昔と比べれば「子どもっぽい」印象があり、ついその先にいる「教えられる子ども」を見てしまったのかもしれない。

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