2017年8月31日木曜日

亡霊付き

その頃から、輸入自動車というのが買いやすくなってきた。外国車のディーラーというのが街中に出現してきた。トヨタ、日産、その隣にベンツ、BMW、という感じだ。消費者としては、選択の幅が大きくなるわけで、うちの条件に合うサイズが当時売り出し始めたBMWの「コンパクト」。同居人の憧れの「BMW」だった。
最初はニコニコしながら近所を乗っていた。しばらくしてから、慣らしも兼ねて名古屋の墓参りへドライブした。知多半島経由である。夜の知多半島は、ライトのついているビニールハウスや温室が並ぶ畑の中の一本道。街灯もなく、真っ暗である。窓を開けて、走っていると、ブオーと音がする。2サイクルの二輪車が後ろからあおっているような音だ。しかし後ろにヘッドライトはない。もしや幽霊か、などと話しながらドライブ続行。その後から、やたらやかましい音が室内に反響するようになった。
もちろん保証期間なのでディーラーに持ち込む。修理点検も兼ねて入院となった。診断の結果はコンプレッサーの不良で交換。戻ってきてしばらくは静かなのだが、数ヶ月も経つと、またやかましくなった。再び入院、帰ってきてしばらくは静か、その後また再現。常に「2サイクルの二輪車の亡霊があおっている」状態である。なかなか賑やかなクルマだった。

2017年8月30日水曜日

曲がり角

ずいぶん以前になるのだが、同居人と暮らし始めるにあたり、自動車を買い換えることになった。
自動車産業というのは、世間の景気の一歩後を追うようなところがある。開発に時間がかかるので、世間の流行と同調、というわけにはいかないからだ。
その頃は、バブル景気の少し後。国産自動車は大型化、ラグジュアリー化が流行だった。住むことになる住居は、どちらかといえば都心の住宅密集地。車庫は狭く、近隣の道路も狭い。角を回って、自宅前の道路に侵入できる自動車、つまり回転半径がなるべく小さい、5人乗り、高速で遠出もするので軽自動車はなし、車庫に入る大きさ、というのが条件だ。同居人は欲しい車を物色した。試乗に行って気に入ると、自宅まで乗らせてもらう。角を一発で曲がらなければアウト、車庫に切り換えなしでスムーズに入らなければアウトである。気に入っても、曲がれないのがいくつもあって、どんどんと条件は厳しくなった。
同居人の父親はその頃ベンツに乗っていた。これがびっくりするほどよく曲がる。国産自動車のほとんどはFF、父親のベンツはFRということもあるのだろう、自分の運転が上手なのかと錯覚するほどの曲がりようである。せまい道の交差点でも気持ちよくまわる。高級車、のイメージがあったが、むしろ実用車だと思った。もう少しサイズの小さいものがあればベストなので断念したが。

2017年8月29日火曜日

アシあれこれ

すでに夏休みが終わった学校もあるのだが、私にとっては、残り少ない夏休みである。閑話休題で、しばらく前に友人と話題にしていた、自動車の話である。

私は郊外暮らしで育った。都心の団地住まいの2年ほどを除いては、駅から遠く、バスの便もまばらなエリアの一軒家。妹のお稽古事の送迎が必要なので、自動車が必需品だった。
私の世代は、大学時代に運転免許取得が、社会人へのパスポート代わりだった。もちろん、現在と異なり、マニュアル車での教習である。苦労して取得したのに、自分で運転するようになった頃は立派なペーパードライバー。クラッチのつなぎ方がどうも上手くない。結局オートマで乗るようにはなった。
その後も郊外暮らしで自動車が「アシ」な生活である。

同居人の方は「アシ」など不要な都心で育ったが、父親がクルマ好き、男三人兄弟で、兄はラリー、弟はサーキットで走るライセンス持ち。当然真ん中の同居人も、それなりにクルマ好き。その当時は「軽自動車」免許というのがあって、試験場一発、16歳で取得、以来ドライバーで、JAF歴50年をすでに越えた。もちろんご両親も免許持ちだが、こちらはもっと前に免許取得なので、免許証はほぼ「全部入り」。バイクなどとんと無縁なのに「大型二輪」なども入っている。自転車に乗れないのに、大型二輪免許保有、という人もあったらしい。食い詰めたらタクシー運転手、と言っていたが、二種免許入り、だったからだ。

今はほとんどの人が「オートマ免許」取得なのか、販売されている自動車もほぼオートマ車である。クルマ好きの同居人はマニュアル大スキなので、自動車購入の際はまずトランスミッションがチェック項目である。日本車はほぼマニュアル壊滅状態なので、寂しそうである。高齢者の「アクセル踏み間違いで暴走」、という事故のニュースを見る都度に、マニュアルならこういう事故はないよねえ、とつぶやいている。

2017年8月23日水曜日

減少

普段はいわゆる「通学課程」というところで授業をやっている。面と向かって授業をやって、実習やって、というものだ。一方、勤務校には「通信教育課程」というのがある。以前は、短期大学という位置づけだったが、2002年に4年制、学士の資格が取れるようになった。
学校の組織としては、「通学」と「通信」が微妙に分かれていて、それぞれに専任教員、非常勤講師、専任と非常勤のスタッフと配置されている。
通信教育課程で、ここ数年顕著なのは、最初の頃ほど学生数が増えない、ということらしい。通信課程なので、社会人も多く、4年で卒業するのではなく、もう少し長く学生として在籍する学生が多い。そうは言っても、「新入学」な学生は、一時期ほどの増加がないらしい。ひところは、スクーリング(面接授業)の学生数が多すぎで実習授業が出来ないから急遽クラスを増やす、ということもあったようだ。最近は、生徒の数より教員の数の方が多いクラスもあったりするらしい。
私学なのだから、経営が成立しなければならない、というのは仕方がない。2年ほど前は添削非常勤講師のペイが時給ではなく、「半分時給半分出来高」制になった。時間をかけてとことんじっくり指導、ではなく、それなりにスピード出してこなしてね、ということらしい。今年は、専任教員の空きを埋めない、という作戦に出たらしい。仕方がないが、教える側としてはモチベーションが下がる。
先日は、通信の専任教員が「縮小されたら困る」などと言っていた。困るのは、学生なのか、雇用されている本人なのかわからないが。
学生としては、先細りする学校で教わるのは、心細い。入手していた情報で選択する授業を想定していても、進級時にそれが存続しているかどうか分からない。先細りするから隣の学校と併合するからねー、などという、「分校の生徒が少なくなるから分校廃止」という小中学校のような作戦はとりようがない。先細りが見えた時点で、先がある学校に移りたくなるのが普通だろう。こうやって、先細りが見えてくると、沈む船からネズミが逃げ出す、という状況になり、あっという間に学生数が減るのである。
別の学校のケースだが、学校の閉鎖が決まっても、先生の数はむやみに減らせない。その学生は、転出する学生を横目に、むしろぎりぎりまで在籍することで、潤沢な教員数で授業をする、という作戦を採った学生がいた。強者である。

2017年8月22日火曜日

サイズ

そんな中でも、現状の大学経営の観点から、新学科設立、あるいは統廃合によって、学生数確保、などという勇ましい理事会の会議録がちらほらと見えるようになった。先般の獣医学部新設でも、その手の指向が見えるような気がする。一般的に、オジサンというのは、守備範囲を広げるのが好きである。おうちは豪邸、クルマは大型車、というのが価値観の上位に来る、という感じだ。
「トランジスタラジオ」という商品が一世を風靡した時代があった。大柄な高見山関が、華麗にステップを踏んで宣伝していた。小型化、というのが、「日本のお家芸」だった時代である。
翻って、少子高齢化で、お客さんが少なくなるので、入りやすい=受験生が集まりやすい学校を目指す。あるいは、多くの学科や専攻を構えて、どんなお客さんが来てもOKな状態にする。何か、真綿で首を絞めているのではないかという気がする。こんな時代だから、ダウンサイジングにもっと知恵を出すべきではないか、とも思う。

2017年8月21日月曜日

勤務校の授業の方は7月半ばで終了する。学生さんの方はその後テストや補講などあって、それから夏休み、である。 私が学生の頃よりも、夏休みは幾分減っているような気がする。もっとも、専任の教員に聞くと、トータルの授業日数は変わっていないはずだそうだ。どちらかといえば授業期間のシフトがそう思わせているのではないか、と言う。大学にとって入学試験というのが大イベントである。以前は、一般的に入試一発、だった。しかし、少子化時代、お客さんを集めるために入学試験のバリエーションがえらく多くなった。前期公募推薦、後期公募推薦、外国人留学生、帰国子女、などというのがある。一般入試にしても、センターAだのBだの、専門試験は4科目から2科目選択だのと、やたら試験科目数が多い。間違いなく願書を書く方が大変そうである。もちろん、編入、転科、修士課程は別日程で、学部の入学試験前に行われるから、こちらは1月の終わりまでに日程が組まれる。そんなわけで、入学試験の期間が長くなる。前倒しで授業の方は12月でほぼ終わるように組まれている。その前倒しで、後期授業の始まりが早まっていて、今や9月1週目、近所の小学校と同じ日に始業である。
さて、入学試験にそんなにたくさんバリエーションがあって、1年生のクオリティが高くなったか、と言われると、申し訳ないが、それはビミョーである。現状の入試方式だと、クオリティの幅がありすぎるという状態になる。教える方は大変である。担当している学科では、専任教員は主に上級学年をみている。低学年は非常勤が持ち回りである。だから、幅がありすぎて大変、なのを、粒を揃えて上級学年に回しているのがこちらの状況である。専任教員には、こちらの苦労は分からないだろうなあ、と思う。