2019年7月15日月曜日

卒業

よく読んでいるブログがある。大学教員の経験がおありだったり、横須賀周辺在住の様子であったり、と一方的に親近感を持っており、ブログも私の畑とは少し違う視点で面白く読ませていただいている。
先日のブログはこんなところで、
http://tmaita77.blogspot.com/2019/07/blog-post_15.html
元になっている中日新聞の記事も読ませていただいた。
https://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2019070802000002.html
https://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2019071502000002.html

当方も、いわゆる兼務なし非常勤講師という「パートのおばさん」状態である。私の専攻はいわゆる「造形学」の中のデザイン、大雑把に言えば「芸術」の分野になるのだろう。私の同学年では、大学院進学者がいなかった。デザイナーとして就職するのであれば、学士が一般的で、企業や大手事務所における修士の求人はほぼ無かったからだ。もちろん当然のように大学はもとより、中学高校の「教員志望」もほとんどいない。社会で活躍するデザイナー、が学生の描くゴールである。男女雇用機会均等法前なので(トシがばれる)、一般大手企業の求人は男子オンリー、数少ない男女不問の企業の求人を狙うか、徒弟制度のような事務所勤めを経て独立を目指すか、が「ゴール」である。それに行きつかなければ、喫茶店のマスターか、スナックのママ、という時代だった。
たまたま私は卒業後、大学の研究室のサポート勤務をすることになった。どちらかといえば、教務事務に近い仕事で、4年任期だった。それが終わると非常勤講師として授業を手伝うことになった。学校のお掃除のおばちゃんに「まだ卒業できないのかい」と同情されること数年、おばちゃんの方が早く定年退職したのか、「卒業」されたようで、会わなくなった。

新聞記事と同様、勤務校もコマ単位で授業の給料が決まる。事前準備や資料作成、採点などの「時間外労働」はカウントされない。資料や機材の購入は、もちろん自腹である。
勤務校では、勤務年数が長い非常勤が、専任になれる、というわけでもない。先のブログにならって、教員数をカウントしてみた。出入りをしている専攻では、6人の専任教員に対して、非常勤の数は53人である。多いとは思っていたが、改めてびっくりである。非常勤依存度が非常に高い。世間向けの言い方をすれば、専門性のある教員を配置している、ということになるのだろうか。大学全体でも、専任120に対して非常勤705である。いわゆる「ポスドク」よりも、実際に社会で仕事をしている非常勤講師が多いので、学校側ではあまり問題視はしていないのかもしれない。非常勤は、もちろん組合にも入れない、ボーナスもごく少額、交通費以外の諸手当も社会保険もない。産休も育休も忌引きもサバチカルもない。ここ数年、他人から職業を聞かれると、「単なるパートです」と言うことにしている。
雇い止め問題の後、数年前から身分証明書は「授業期間内のみ有効」になった。つまり夏休みや春休みは「無効」である。同じ講師仲間で、お子さんを保育園に預けている人がいるのだが、「期限付き身分証明」では、保育園に申し込めない、と青くなっていた。
ブラックでブルーである。

2019年7月12日金曜日

ピンボケ

カメラを使った撮影を教えているのだが、ムービーにせよスチルにせよ、まず教えるのは「目的の被写体にピントを合わせる」ことである。どんな画面であれ、ピントが合っているものにオーディエンスはまず目を向けるからだ。「ちょっとピンぼけ」で高名なのはロバート・キャパ、「アレ・ボケ・ブレ」で高名なのは森山大道だが、どちらも、ピンぼけやアレ・ボケ・ブレしか作品がないわけ、ではない。
さて、学生さんを教えていてここ数年気になるのは、ピントを合わせるのに熱心な学生さんが少ない、ということだろうか。「ピントがあっていない」と指摘すると、「そうですか?」と質問で返される。ひどい時には、これでピントが合っているかどうかを確認しにくる。自分で見てピントが合っているか合っていないのかわからない、というのはなぜだろう、と講師仲間で話題になった。理由の一つは「オートフォーカス」で、レンズを向けて、真ん中のコントラストでピントが合う、という機構だ。この機構を多用すると、どうしても画面の中央に常に対象物がある構図になる。必然的に上半分は余白が多くなり、構図としては間の抜けた感じになる。最近はもっと高度なオートフォーカス機構も出ているが、こちとらアナログ歴が長いので、デジタル機能を使いこなすより、マニュアルで合わせた方がずっと早い。もう一つは「スマホ」のカメラである。ホームムービーのようなものであれば、被写体も撮影者もお互いをよく知っているので、「見せたいもの」が既に分かっている状況だったりする。ピント以前の問題である。また、閲覧するサイズで撮影するのでディテールがあまり気にならない。スマホのレンズは一般的にかなり被写界深度が深くなるように作られているものが多い。狭い被写界深度の微妙なピント合わせ、といった状況が発生しにくい。だから一眼レフの「背景ボケ」な効果を得るようなフィルターアプリをよく見かける。ほぼパンフォーカスな状況であれば、ピント合わせに気を遣わない。映画で言えば、パンフォーカスなのは「市民ケーン」と黒澤明だ。当時のフィルムの感度やレンズの性能から言えば、ずいぶんと照明が必要だったと思う。
その昔、実習で使っていたムービーカメラは、16ミリフィルムのボレックスだった。カメラのファインダーはオプションパーツで、レンズで捉える画角が確認できるようになっている。しかし、レンズに入った光の何分の一か、だけがファインダーにまわる機構になっていた。つまり、屋外で撮影してもファインダーはかなり暗い。ファインダーでピントを合わせるどころの話ではない。だから撮影前にカメラとフィルムのテストをした。レンズの焦点距離でどのくらいの画角が包括されるか、レンズの絞りでどれくらいの被写界深度が出るのか、データを取るのが目的だ。それが出たら、データを整理して、撮影である。本番ではカメラ助手が露出計、もうひとりは巻き尺係である。レンズの長さが決まったら画角が決まる。ファインダーを見て、画面左右ぎりぎりにマークをしておく。その中に入ったら「構図に入ってしまう」ので、スタッフや機材はその中に入ってはならない。露出が決まり、絞り値が決まると、被写界深度が決まる。レンズから奥行き、ピントの合う範囲にマークをする。それよりもレンズに寄ったり、離れたりすると、ピントが合わないので、ピントを合わせるべき被写体はそこにいなければならない。役者はレンズに対して前後の動きを考えて芝居することになる。好きなものを好きなように撮影しているように見えて、実はかなり大変な作業である。今は昔、だが。

2019年7月11日木曜日

非日常

ここ数年、学生さんの作品のテーマやモチーフを見ていると、数年単位で「ブーム」があったりするのがわかる。時代は移り変わりけり、である。
長年、よく取り上げられるキーワードに「非日常」がある。民俗学をかじったことがあったり、ある程度の年齢の人であったりすると、どちらかと言えば「ハレとケ」ということを思い出す。だから「非日常」としてまず考えるのは、お祭りだったりバカンス旅行だったりド派手な繁華街とかテーマパークだったりする。
ここ数年の学生さんの「非日常」とは、災害や災難、事件、事故、殺人、虐待、暴力、窃盗などの犯罪がらみの、いわゆる「悪い意味」である。とにかく多いのは、「殺人」、あるいはもう少し軽くてもとにかく「犯罪」である。なぜだろう。
考えるのは、我々の世代ほど「能天気」ではないのかもしれない。世の中暗いニュースが多すぎる。日頃遊ぶゲームがシューティングやらクラッシュやサバゲーもどきだったりするのかもしれない。
おりしも選挙戦の真っ最中。政治家には、学生さんの「非日常」が、ハッピーなものになるような時代にしていただきたい。