2017年12月31日日曜日

臨機

自分のお仕事としては美術館のワークショップの記録というのをやっている。ワークショップという言葉は、昨今では一人歩きしているようなので、定義としてはさておいておく。一般的には、講座や教室のようなものだが、テキストやカリキュラムがなく、成果ではなくプロセスを楽しむ、あるいは学ぶ、というものが多い。講師、あるいはファシリテーターというリーダーの指示に従って、参加者が作業をする。
学習指導要領も何もないので、その開催場所や日時、リーダーの指向で内容はいろいろである。全く同じ内容のものはない。
…だろうなあと思いながら、ある日インターネットで検索をかけていると、妙なモノが引っかかってきた。「ワークショップのパクリ」である。いわく、「ある人のワークショップの内容を、そのまま自分のモノのように他のワークショップで開催している。著作権などはないのだろうか」といった内容だ。
ああこの人は、ものすごーく時間をかけて内容を練り上げたのだろう。デザインや美術の分野で言えば、著作権というのがあるので、「パクらない」といのが不文律である。時代がデジタルになって、インターネットでさまざまなものが拾えるようになって、その考え方が多少緩くなってはいるのだが。だから、同じような内容のモノを、断りなく実施されてカチンときているのだろう。
一方で、「授業のネタ」の視点で言えば、材料やプロセスが公表され、同じように授業をやっても、同じ結果が得られるとは限らない。だから勉強会だったり、意見交換会だったりが盛んだったわけだ。
プロセスが同じだったとしても、リーダーや参加者、場所や日時で、成果はそれぞれ違う。もし似たような内容を開催したいのであれば、先行実施者を探すだろうし、似たような内容でやりたいのだがとヒトコト断れば、先行実施者はもっといいアイディアを提供するかもしれない。教員であれば、たいがいそういう人が多い。いまどきの先生は「マニュアル」慣れしているので、「臨機応変」とか「アレンジ」などが苦手なのかもしれないが。

2017年12月30日土曜日

ネタ

先生たちの会を見ていると、よく出てくる話に「業界雑誌」というのがある。どんな業界でもあるのだろうが、もちろん教育業界にもある。教科書会社や、教材会社が発行している月刊誌である。本屋さんに出ているのではなく、多くは定期購読なので、一般的には見たことがない。「小学図工」みたいなタイトルの薄い冊子だ。算数関係や、国語関係、音楽や体育など教科ごとにあるし、横断的に「指導と評価」といった類の内容もある。
他の教科は知らないが、図工関係で言えば、こちらも「授業のネタ」なネタが多い。
冷静に見れば、授業をやっている学校のバックグラウンドはもちろん、授業を受けている子どももそれぞれに違うのだから、マニュアルにはならない。アイディアはもらえるだろうが、その通りにやっても、提示された効果が出るとは限らない。だから、教材はキットになっても、指導方法はマニュアルにできない。
業界紙の読者も、研究会の参加者もそれはよく分かっているのだと思う。だから、アイディアはもらっても、全く同じ授業にはならない。自分なりにブラッシュアップしなくてはならない。相手は「ナマモノ」なので、同じ学校、同じ学年であっても、違う年度であればそれなりに違ってくるからだ。
まあ、教える側としては、これを面白がれなくてはならないと、やっていけない。

2017年12月29日金曜日

パッション

どのような会でも、主な作業はいわゆる「情報交換」である。自分の授業の内容を発表、というのが多い。新人は授業のネタを探し、先輩はいろいろな授業のコツを伝授する、という感じだ。あとはお決まりの「懇親会」、授業内容以外の「情報交換」である。
同居人の専攻は図画工作である。小学校の授業というのは、教科書もあるし、学習指導要領もある。ある程度中身は決まっていて、授業の内容も決まっている。図工の場合は、教科書にあることをやらなければならない、教科書以外のことをやってはいけない、というような「範疇」が、ある程度緩いような印象がある。もうひとつ、小学校の図工の場合、専任で教える教員がいる学校と、いない学校がある。美術学校出身の教員がいる学校もある。先生の方を見ていると、ベースが違うこともあって、得意不得意があったりする。
そういうところで、いわゆる「教材屋さん」という商売が成立する。図工方面で言えば、「卒業制作用壁掛け時計工作キット」みたいなものだ。ある程度の大きさの板が数枚と、時計のムーブメントと針とネジなどがビニール袋に一式入っている。板には予め目印があり、小さな穴が開けてある。板に工作するとか、絵を描くとか、彫り込むとかして文字盤として仕上げ、穴に針とムーブメントを組み込んでネジ止めすればオッケー、なセットだ。こういうのがないと、先生は人数分のムーブメントと針とネジを発注し、木材屋に板を発注し、予めサイズに切ってもらっておくなど指示を出さなくてはならない。穴を子どもに開けさせると、穴の位置が違ったり、大きさを間違えたりして、余計に手間がかかる。図工の授業というのは、準備が大変なのである。
さて、図工の先生たち、というわけだから、もちろんちょっと「変わった人」もいる。こういった「安心楽々キット」みたいなものにアンチな人たちだったり、他の人と違うモノを子どもにつくらせたかったりする。だから、他人の「授業」が気になるわけだし、他の学校の授業も参観しに行ったりする。
まあ、そもそも、先生にこういうパッションがなければ、面白い授業にはならないのだろう。それが「ブラック」になってしまう理由のひとつだったりするのだろうが。

2017年12月27日水曜日

同居人は小学校の教員をやっていたので、同業同専攻の先生たちと集まって、研修会、研究会、勉強会、学習会などの類によく出ていた。ひところは、ほぼ毎週のように違う勉強会に行っていた。
公立の小学校だと、地域ごとに集まりがあるし、私学でも同じような集まりがあった。民間研究会、というサークルもあって、地域や私学はもとより、幼稚園、小中学校、高校大学、絵画教室の先生も集まっていたこともあった。 こうやって先生たちは、意外と「横つながり」もあったりする。
公立の小中学校だと「異動」がある。数年ごとに、先生は移ってしまい、同じ学校にずっといるわけではない。だから、公立小中学校・同じ専攻で集まる会は、授業以外にも交換する情報があったりする。 
同居人はほぼ「団塊の世代」である。他の世代と比べて人口が多い年代だ。だから、どこの勉強会でも同じような世代が集まっている。段階的に年齢差がある人たちが集まっているかと言えばそうではないことが多い。同居人世代の後はほぼ減少、一回り下からは激減。だから、同じ世代が平行にトシをとっていき、若い世代が入らない。
団塊の世代は「なんでみんな勉強しに来ないのか」などと言っているのだが、若い世代の先生がそもそも少ない上に、今話題の「ブラック企業」であるところの学校に「セブンイレブン」なお勤めである。所属組織の「研修」であればともかく、民間の研究会はもちろん「持ち出し」、自分の勤務時間以外の活動である。そもそも情報収集や交換は懇親会ではなくインターネットで行っていて、「会う」必要がない。「先生の孤立化」と、先生が過労死でニュースになると話題に出る。他人と出会うような時間的余裕がなさそうだ。

2017年12月20日水曜日

アピール

授業が終わるとしばらくは放心状態、である。先生業は、私としてはエネルギーを使うお仕事、である。
しばらくは授業の後片付け、学生の提出作品の整理をしていると、来年度のシラバスの執筆依頼が来る。大学の授業日程などスケジュールが決まり、送られてくるので、それにあわせてスケジュールを組む。
考えてみれば、この時期に授業をやっているクラスは、現状を見ながら来年度のことも考えなくてはならず、今年度の反省など盛り込む余地がないのではないかと心配になる。
私が学生の頃は「授業概要」程度、どの授業も数行で「何について論じる。テキストはあれこれ」くらいの記述だったような気がする。現在は、もっと記述のルールが厳しい。主語は学生、目的と内容を切り分け、スケジュールは日割りで、採点基準を明確にして、質問に来る学生のためにオフィスアワーを明示、などと「記述の手引き」にあったりする。がんじがらめである。いや、勤務校にオフィスアワーなどという、大層なモノがあったのか。
実際の授業では、学生の動向を見ながら、方向修正したり、スケジュールを調整しながら進めていく。シラバス通りにやっていると、学生がついてこられないこともあるし、反対に学生が馬力を出してしまい、時間を持て余すこともある。相手は「ナマモノ」である。スケジュール通りにやっていくのであれば、オンライン講座と変わらない。
一番がっかりするのは、授業に来ているのに、シラバスを読んでこない学生が、かなりいることだ。シラバスに「初日に持参するモノ」だったり、事前学習を指示していたりするのに、初日にやってくる学生は「そんなもの知らない」状態だったりする。選択科目なら、シラバスを読んで、選択の目安にするのだろうが、必修だと読む必要がないと思っているのかもしれない。10年ほど前までは、分厚い「シラバス」という冊子がどーんと3冊セットで配布された。まあパラパラと読む、可能性はあるかもしれない。現在は「webシラバス」という方式である。シラバスサイトに学生アカウントでアクセスして、授業科目名や開設期間、授業曜日で検索する。うーむ。必要な科目の内容は検索しやすいが、横断的あるいは斜め読み、全体の大まかな把握がしにくい。必要なことだけ読む、という方法になるのだろう。授業名、開設曜日と時間、くらいなのだろうか。
ひところ、受け持っている選択科目の授業の受講希望者が減少したことがあった。担当している研究室の専任の先生に、受講希望者を増やしたいんだが、と言われた。増やしたところで、授業で見られる学生の数はそう多くはないのだが、結局受講希望者が少ないといわゆる消去法で選択する学生が多くなり、モチベーションが上がらないのではないか、というのだ。まあ、そういう見方もあるのか。
結局、最低限学生が見るのは、授業名、開設曜日と時間、くらいなので、アピールポイントは授業名。案の定、授業名を変えたら受講希望者が増えた。シラバスの内容は変えていないのに、である。人間は案外と単純なモノかもしれない。でもやっぱりちょっとがっかりである。