不思議なのは、授業中に「LINE」でせっせとやりとりしているのに、授業でグループ作業をしている当事者同士はそれを使っていないことだ。
担当している授業のひとつは、グループ作業でフィールドワーク、それをまとめて作品に仕立てる、というものだ。週のうち2日は、フィールドで作業をしてもらっている。4人から5人のグループで、作業進行によっては、全員が違う場所にいる、ということが想定される。こういうときに便利なのは、デジタルガジェットである。
遠隔地にいながら、同時進行で作業をするには、LINEは最適だろう。ロケハンで撮影した写真を、SNSに投稿してみんなで見てチャットで検討できる。誰かが学校で編集した動画データも、都内で取材中のメンバーは動画投稿サイトから確認できる。なんと便利な世の中だろうか。私が学生の頃のこの手の作業よりも、3-4倍はスピードアップ、作業量倍増どころではない。移動や待ち時間、現像時間も不要だ。うらやましい限りである。
ところがである。こちらからグループ内の進捗状況を確認すると、全員の動向を把握していなかったりする。撮影した写真も共有されておらず、動画データが行方不明だとバタバタしていたりする。あげくのはてに、全員で同じ場所へロケハンに出向こうとしていたりする。時間がもったいない。全員がスマホご愛用なのに、である。
授業中のおしゃべりには使えるが、実務では使いこなせないのが謎である。
2014年10月20日月曜日
2013年10月4日金曜日
パンナム
「2001年宇宙の旅」という映画がある。
1968年の製作当時は、2001年など遠い未来だったのかもしれない。
現在見ても、まだそこまで未来は進んでいるようにも見えない。
映画にはたくさんの宇宙船が出てくるが、「PAN AM」のロゴが入っている。1980年代終わりまでに、会社がなくなるなど思いもしなかったのだろう。その当時の大航空会社だった。
私が初めて北米へ行くために乗った飛行機もPAN AMだった。太平洋路線はやたらでかい飛行機、ぎゅうぎゅう詰めのエコノミーシート、香水のにおいを振りまくCAが配る機内食は、かたいお肉ととてつもなく甘いデザートがついた。
その後、南米に行く時もPAN AMだった。成田からアラスカ、デトロイト、マイアミ経由で、南米に入ったので、あちこちの空港で機体を乗り継ぐ。降りるときに「transit!」と叫んで、案内を乞いながら、荷物を担いで大きな空港内を走る。デトロイトまでは大きな飛行機だったが、その後は乗り換えるごとに飛行機の機体が小さくなり、空席も多くなった。太平洋路線は若い姉ちゃんがCAだったが、国内路線は貫禄あるオバチャンやオジチャンがCAだった。空席にうつって、肘掛けを跳ね上げて、足を上げて寝るといいよ、と教えてくれた。
他にもいろいろな飛行機会社を使ったが、オバチャンオジチャンがCAとして働いていたのはPAN AMだけだった。あのアメリカのアットホームな感じが良かったんだけどなあ、と映画に出てくるロゴを見るたびに思い出す。
1968年の製作当時は、2001年など遠い未来だったのかもしれない。
現在見ても、まだそこまで未来は進んでいるようにも見えない。
映画にはたくさんの宇宙船が出てくるが、「PAN AM」のロゴが入っている。1980年代終わりまでに、会社がなくなるなど思いもしなかったのだろう。その当時の大航空会社だった。
私が初めて北米へ行くために乗った飛行機もPAN AMだった。太平洋路線はやたらでかい飛行機、ぎゅうぎゅう詰めのエコノミーシート、香水のにおいを振りまくCAが配る機内食は、かたいお肉ととてつもなく甘いデザートがついた。
その後、南米に行く時もPAN AMだった。成田からアラスカ、デトロイト、マイアミ経由で、南米に入ったので、あちこちの空港で機体を乗り継ぐ。降りるときに「transit!」と叫んで、案内を乞いながら、荷物を担いで大きな空港内を走る。デトロイトまでは大きな飛行機だったが、その後は乗り換えるごとに飛行機の機体が小さくなり、空席も多くなった。太平洋路線は若い姉ちゃんがCAだったが、国内路線は貫禄あるオバチャンやオジチャンがCAだった。空席にうつって、肘掛けを跳ね上げて、足を上げて寝るといいよ、と教えてくれた。
他にもいろいろな飛行機会社を使ったが、オバチャンオジチャンがCAとして働いていたのはPAN AMだけだった。あのアメリカのアットホームな感じが良かったんだけどなあ、と映画に出てくるロゴを見るたびに思い出す。
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