今年も早くも年の暮れである。
年を取ると月日の過ぎるのは早くなる、と言う。けだし名言だなあ、とは思うが、子どもの頃は遅かったのか、と考えると、思い出せない。忘却の彼方、なのかもしれない。
先生の走る月、なのだから、師走、というのだが、いまどきの先生は年中走っている。廊下を走らないように、と小学校の廊下に子どもがポスターを描いて貼ってあったりするが、子どもがいなくなれば、先生はよく走っている。
同居人が小学校の先生だったので、こちらも年中忙しがっていた。子どもの授業や世話ばかりではなく、保護者相手だったり、ほかの先生、事務職員、用務員、ほかの小学校つながり、などなど先生の相手は「子ども」だけではなかった。マスコミには「報告書や事務作業が多い」とよく書かれる。同居人を見ていると、手書きの報告書がワープロベースになったり、パソコンベースになったりと、事務作業環境の変化に伴う作業の重複とか、覚えなくてはならないことが増える、とかいったようなことが「時間がない」の一因のような気がする。
眺めていてよく思うのは、教員に「秘書」がつけばいいのに、ということだ。小学校から大学まで、けっこうな「事務作業」というのがあるのだが、それ専属のスタッフというのをあまり見かけたことがない。あっても、よほど余裕のある国立大学の研究室である。私学の研究室で「秘書」のいるところがあったが、後で聞いたら先生のポケットマネーで雇われていたそうである。
40人学級とか、教員削減とか、文科省の予算組ではつねに話題になる。教員よりも事務方や秘書を増やした方が現実的ではないかと思う。今日も、目の前では、同居人が書類をつくるのにパソコンに向かっている。が、思い通りにならないのでディスプレイに向かって八つ当たりをしている。
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