2014年10月12日日曜日

古典技法

技術を使う分野では、ハードによって表現が違ってくることがある。一方で、どんなハードを使っても、変わらないものやこと、というものもある。

それは従来の美術分野でも同じことだ。テンペラやフレスコといった絵画技法は、今日ではあまりポピュラーな手法ではない。それを実現するにはさまざまな材料や道具を手に入れなければならない。マーケットが小さいので、入手は「楽」なものではない。しかし、それを使わなければ表現できないこと、というのも確かにある。利便性だけで表現が成立するものでもない。

映像の分野で言えば、フィルム、という技術はそろそろ終焉に向かっているのかな、という感じがする。町の写真屋さんや現像取り次ぎの店も減った。特殊なフィルムの現像は、ラボが減ったために処理時間よりも輸送時間の方がかかるようになった。こちらのほうは、マスプロダクトの製品なので、企業が取り扱いをやめてしまえば、その技術や技法を再現することは難しい。もっとプリミティブな技術であれば、なんとか再現できるのかもしれない。ガラスの乾板や、鶏卵紙などはできるだろうが、フィルムやカラーの自家現像などは難しくなるのだろう。

いつしかフィルムは「古典技法」になっていくのだろう。そのときに残っていく「変わらないもの」は何だろうか。

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