さて、改編期では、民放局放映のドラマの話題がよく上がる。
ここ数週間でよくメディアで見受けるのは、視聴者の反応は、ドラマのコンセプトはともあれ、モチーフになっている舞台や人物設定が、現実のものと混同されるのではないか、といったものである。ここしばらくでは、視聴者の反応によってスポンサーが降りたり、ドラマのコンセプトの方針変更、というのが取り上げられている。
ドラマを見ていると「ビミョー」だなあ、と思う。
フィクションをフィクションと思ってみる人、リアリティがありすぎてリアルな状況と受け取ってしまう人がいるだろうなあ、というかなり「きわどい」感じである。
何がフィクションで、何がリアルなのか、といったことは、制作者側の「キモ」である。「ありえなーい」から楽しめる世界もあるし、「隣のお姉さん」ぽいので楽しめる世界もある。
問題なのは、フィクションをリアルと混同しがちなオーディエンス、なのかもしれない。メディア・リテラシーという言葉が脳裏をよぎったりもする。
ハリウッドの宇宙を舞台にした映画も、NASAが「その設定は、ありえない」と発表したりもしている。こんな発表があるくらいだから、映画の世界を現実と混同するような状況がよく見受けられるのだろう。
人物や舞台設定でオーディエンスが疑問を持つようなことがあってはならない、と言われたことがある。そこに「嘘」を見いだされてしまうと、最後まで疑心暗鬼で、ドラマに熱中してもらえないからだ。「嘘」が最小限であり、それが「核心」であることが重要だ、とも言われた。特に映像は「リアル」に見えてしまうので、「リアリティ」を感じてしまうメディアでもある。作る側も、見る側も、要注意である。
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