2014年2月8日土曜日

背景

作曲家の代作暴露が新聞でも大きく報じられていた。いろいろな見方があり、意見もあるだろう。
これについてとやかく言うつもりはない。ただ、今担当している科目のテーマと少しダブって見えるので、気になった。

担当している科目は、「博物館展示とメディア」に関することをひとつの課題にしている。展示について考えろ、といってもあまりにも風呂敷が大きいので、「展示資料と展示補助装置の調査報告」をベースにしている。そこに置いてあるのが「石ころ」ではなく、「月の石」だと分かるためには何が使われているか、というわけだ。
こういった博物館展示についてのパロディーというのは昔から行われている。ガラクタにそれらしいキャプションパネルをつける、というのは、よくやる遊びのひとつだ。

それはともかく、美術学校なので学生さんはよく美術展示を取り上げる。展示作品の「制作風景」のビデオが置いてあったり、会場で使える情報端末で作品の歴史や作家の経歴、高精細画像や、それにまつわる音楽が聞けたりと、作品についてのすべての情報が展示室で得ることが出来れば、なおいっそう作品を「良い」という。
それも一理はあるかもしれない。ただ、「鑑賞」することと、作品についての知識を得ることとは、違うような気がする。
作品の背景を知ることで「感動」するのであれば、今回の騒動と似ているような気がする。ピカソのドローイングだから良いのであって、隣の子どもの落書きはいかん、のだろうか。ゴッホが自らの耳を落とさなければ、「ひまわり」は美しくないのだろうか。

「鑑賞」も、難しいもの、なのかもしれない。

0 件のコメント: