2013年1月25日金曜日

イヤホン


同居人の授業のカンニング騒ぎも、少し落ち着いた様子である。
授業で説教、もとい、学習することや、「テスト」というものの意味なんかを話していたようだ。ちょいとつつくと素直に反省するのは、美術専攻の学生の単純で、いいところ、である。

教職課程の授業を担当しているので、カンニングした学生も「将来教員志望」であるわけだ。教わる側から言えば、「カンニングしてた教員に習いたくはない」ような気はする。そういう教員に教わると、結局「点数がすべて」であると言われるような気がするからだ。

翻って、カンニングした方の身になって「カンニング」をインターネットで検索してみると、中国本土の試験の様相とか、カンニンググッズとかが出てくる。別の意味で面白い。しかし、こんなことを考えるのであれば、もう少し別のことに役立てればいいのに、と思ったりもする。
記憶に新しいところでは、日本の運転免許試験で耳にイヤホンを仕込んだカンニング、というのがあった。受験生は耳に仕込んだイヤホンがとれなくて他人の健康保険証で耳鼻科に駆け込んだので発覚、といった記事だったような覚えがある。カンニングする方も手を替え品を替え、だったりするのだが、カンニングで取った免許で運転されるのは怖い。一時停止の意味が分からない運転手に横断歩道上で轢かれたくはないし、一方通行の標識が読めなくて逆走してきたトラックと正面衝突したくはない。何のために免許試験をやると思っているだろうか。

最終的には、「正直者が馬鹿を見る」ような教育方針では、よろしくなかろうと思う。受講生には、「清く正しく美しい」教員になってほしいものである。

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