先月は、体操協会のハラスメント問題が新聞でも大きく取り上げられていた。そもそもコーチのパワハラという話から始まったような気がしたが、協会のパワハラかも、という話になり、選手の会見やら協会の謝罪文やらやりとりの録音やら、いろいろと出るものである。
名選手と名コーチ、あるいは名監督というのは、同一人物では成立しにくい、とよく言われる。逆上がりが得意な人は、逆上がりを教えるのが上手、とは限らない。
もうひとつ、このニュースで難しいのが「協会」制度である。
妹がスポーツをやっていたのは、すでに四半世紀ほど前の話になってしまう。妹がやっていたのはテニスである。クラブテニスのはしり、だった。それまではスポーツと言えば学校でやるもので、部活の延長だった。妹の世代で初めて、町のテニス教室で上手くなった子どもたちが、地方大会で勝つようになった。学校とは関係がないスポーツ選手、である。その頃は、コーチと選手が二人三脚、というスタイルだった。多くは、子ども+コーチ+母親、という3人組で地方の大会に参戦する。その後強くなると、協会から声がかかる。強化選手とか、強化合宿とか、である。数名の強い選手を集めて、日本チーム、になるわけだ。その時点で、従来のコーチと離れ始める。協会が用意したコーチや監督と、国別対抗戦に出る。うちの場合で言えば、他の理由もあったのだが、結局コーチと少し離れたことで、上手くいったこともあれば、そうではないこともあった。個人プレーのスポーツの場合、コーチが変わることが上手くいくとは限らないこともある。
スポーツ指導、というのは、いろいろな方法論があるのだろう。うちの場合は、最初に教えたコーチとかなりべったりな関係だったので、妹がそのコーチから離れるときは大変だった。
今回もうひとつ難しいのは、協会のボスがクラブを持っている、ということでもある。強い選手を抱えているクラブであれば、お客さんも多くつく。有力選手をスカウトする、という点で言えば、高校野球などが身近なところだろう。強い選手が多い場所であれば、互いに切磋琢磨するので、全体のレベルアップがはかれることも事実だ。
体操協会の問題も、外野からあれこれ言うことが難しいなあと思う。いずれにせよ、こういう「強化」体制に、なんとなく社会主義の国にあった「体育的な国策」を連想してしまうのは私だけだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿