2018年9月3日月曜日

鼻歌

新聞を購読している。まあ、習い性というやつかもしれないが。
何か読むべき「活字」が手元にないと、不安なたちだ。だから、数十年前、インターネットもなかったころ、数ヶ月海外にいたときなどは、「漢字」を読むために中華料理屋を探したりした。現在は、インターネットが通じれば、あるいはデバイスに何十冊も電子書籍をつっこんでおけるのだろう。うらやましい世の中である。
購読している新聞は毎日で、関東圏ではあまりメジャーではない。中学の頃、「朝日新聞しか新聞ではないから」といった持論を担任がよく話していた。メディアを選ぶ、というのは人それぞれである。実家は転勤で大阪に数年いた。関西では毎日はそこそこメジャーである。もうひとつ、妹がスポーツをやっており、大会のひとつは毎日新聞が主催だ。記事になることが何度かあったりして、毎日新聞定着、な状態になった。
今時は、新聞を購読しているご家庭が減少の一途だという。小学校の図工の時間に、古新聞を持って来て、と言ったら、「うちは新聞がありません」という子どもが増えたらしい。古新聞を畳の下に敷く、などという家もなくなりつつあるのだろう。大学生も、下宿生はほぼ新聞は購読しない。「就活に日経」というコマーシャルが数年前はあったのだが、今や「就活には日経電子版」なのかもしれない。
新聞購読家庭が減っていくとどうなるか、というと、新聞販売店が減る。毎月新聞の集金に来る人が、うちは販売店を廃業します、と言いに来たのが一昨年だった。来月から読売の販売店が配達しに来ます、という。残った販売店も、いろんな新聞を扱うようになって大変である。
昔、新聞配達、といえば、少年のアルバイトだったり、奨学学生のお仕事だったりしたものだ。毎日新聞販売店は、「健康のために、アルバイト主婦募集」というチラシを配っていた。読売の販売店も、人手不足らしく、春には「新しい配達員です」と挨拶に来たのは、ベトナム人の青年だった。
毎日新聞は自転車で配達だったが、読売はバイクで配達。朝早く、バイクの音で目が覚める。ベトナム青年が配達に来るようになって、それに歌声が加わった。大声で歌いながら配達するのである。もちろん、あちらの歌らしいので、言葉は分からない。賑やかに調子をとって配達である。今日も歌声で目が覚める。朝4時半である。

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