2012年6月9日土曜日

指先

勤務していた研究室には印刷工房があって、卒業制作になると活版やリトグラフ、シルクスクリーンなど版画の制作がよく行われていた。

使っているのが油性のインクなので、ちょっとやそっとではなかなか落ちない。胴体の方はつなぎを着たり、髪はバンダナでまとめたりするのだが、ゴム手袋で版を触るわけにはいかない。素手で作業をするので、爪の間にまでインクが入り込み、こびりつく。工房にはピンク色の強力な工業用石けんが常備されているのだが、易々とは落ちない。無理矢理、洗おうとすれば油落ちがいいだけに手荒れでぼろぼろ、結局作業期間中は真っ黒い指先で過ごすことになる。
クラスのアイドルとおぼしき、可憐な女子学生だったりするのだが、指先だけはインクで真っ黒、などという状態になる。
もちろん、染色の専攻であれば指先は虹色、写真であれば指先は真っ黄色で何となく酢酸くさい、という状態だし、油絵の学生なら全身から使っている油の匂いがするし、日本画の学生なら何となく生臭い(これは膠)、陶磁の専攻なら何となく土埃な匂い。これでは他の大学の男子と合コンなんか出来ないよねえ、というのが4年生後半の女子の合い言葉だったりした。

美術学校で、「つくる」ことと、汚れたり臭かったりすることは、ある程度同じことだったりした。「つくる」ことは肉体労働、ということだったのである。

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