三脚を使っているにもかかわらず撮影してきた絵が「斜め」になったり、手持ちで撮影している場合は、学生に「なぜこのように撮影してきたのか」と聞くことにしている。
理由がない、というのが存外多い。
フレームをあまり考えていない、ということでもある。
スマホ世代な彼らは、とにかくレンズを向ける、という習慣が身に付いているようだ。フィルム世代だと、ランニングコストも高く、プレイバックをすぐにはできないので、シャッターボタンを押す前にいろいろとあれこれ手順を踏むのである。「シャッターを押す価値」が低くなったなあ、とは思うが、逆にそれなりの「イージーな記録」が役に立つこともあるのだろう。
ただし、こういった撮影方法でつくられた作品は、よく言えば「荒削り」、悪く言えば「素人くさい」印象になることは否めない。
次に多いのは、「不安感を表現してみました」「心理的な恐怖を表してみました」的なお答えである。
確かに、床が斜めなら不安である。テーブルの上には滑り止め、食器は割れないようにプラスチック製を揃えて、室内には手すり、ベッドには転げ落ちるのを防止するための柵が必要になる。なんだ、クルージングボートの内部ではないか。とすると、クルージングボートは彼らにとっては不安だらけ、いや恐怖の乗り物、なのかもしれない。
さらに、手持ちでブレブレ、というのも「不安感を表現した」というのが多い。不安なのはカメラを持っている学生本人なのではないか、と思われるほどの震えようである。見ているこちらはむしろ、こんなに震えたり慌てなくてもいいのに、と同情しちゃったりするのである。
ここで考えなくてはならないことは、床が斜めであったり、ぶれた画像であったりすることに起因する不安と、物語に触発される不安というのは違うものである、ということだ。
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