時間を伴う実写動画では、記録を始めてから止めるまでの連続した時間を「shot」と言う。同じような意味で「cut」や「clip」も使われている。こちらの方はどちらかと言えば、フィルムの編集現場から出てきた「ことば」だと思うのだが、ショットの方は撮影現場で使ったのだろう。撮影することを「shooting」と言う。
映画史をやっているとさまざまな機械が開発され、淘汰されていったことがわかる。そのうちのひとつにE.J.Mareyの「Photographic Gun」がある。shotとかshootingの語源と思うにふさわしい「機械」である。
映像は様々な専門用語を使うが、バックボーンが違えば使う言葉も違う。それぞれに「いわく」や由来があったりする。技術が進歩して直接関係はなくなっても、それとは切り離されて使用され続けている。
http://destrier.hubpages.com/hub/cinematography
Photographic Gun, designed in 1882 by the cinematograph pioneer E. J. Marey. This took pictures at a rate of 12 per second.
翻って、現在は携帯電話やスマートフォンで手軽に撮影ができる時代である。街中では、どこにいてもレンズがこちらを向いて「shooting」しているような気がする。映像を教わっていたときに、「カメラは武器である」とよく言われた。写真銃のイメージは現在のカメラではないかもしれない。しかし、確かにレンズに狙われている気配は、「狩られている」印象に近いものがある。だからこそ、カメラを持つものは謙虚にならなくてはならない、と言われた。撮らせていただいている、ということを忘れ、単にshootingしているのは暴力である。それを忘れてはいけない。
そう言っていたのは、浦山桐郎である。亡くなって25年をとうに過ぎ、映像を巡る状況はずいぶんと変わった。しかし、映像を考えるとき、立ち返る基本である。
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