テレビを見ていると、「インタビュー」という方法で、「ひとにものをきく」場面をよく見る。学生がノンフィクションをつくろうとすると、必ず「インタビューする」のである。
ニュースで政治家に政策を聞く、街頭で社会についての考えを聞く、イベント参加者に感想を聞く。
どうですか、と聞くと、誰もが即座に的確な回答をしている。だから、誰が、どこで、何を、どのように聞いても、同じように即座に的確な回答がかえってくる、と勘違いしがちである。
街頭インタビューというのはかなり「仕込み」が必要である。誰もが即座に笑顔で答えてくれるわけではないので、まず「答えてくれそうな人」を見つけなくてはならない。そういった「人」が見つかったら、もちろん取材の許可をもらい、取材の意図を話し、どんな話を聞きたいのか、ディレクターがじっくり話をする。その人に答えてもらいたいことを、彼らから引き出さなくてならない。あまり「お答え」が長くなるとオンエアでは使えないので、「お答え」を要約し、そのように「お答え」してもらうように念を押す。それからカメラを回して、インタビュアーがマイクを向けるのである。
「朝早くから行列に並んでいらっしゃいますねー、何時から並んでいらっしゃるのですか?」
「うるさいなー、さっきから何度も午前5時だって言ってるだろう! しつこいなあ」
とおこったおじさんがオンエアされた「放送事故」があったりもしたそうだが、何度も念を押されればうんざりするに違いない。
もちろん「お答え」が全部オンエアで使われるわけではない。編集という作業が介在する。話の途中で切られていたりするので、「お答え」したうちのほんの一部分しか使われない、というのはよくあることである。あれだけ時間をかけてつきあってあげたのに、たった一言だけしか使われなかったりする。もちろん「お答え」が本人の話の意図とは正反対になるように編集されたりもする。与党の政策について「いやあ、こまったもんだねえ」と言ったのに、野党の国会のヤジには「いやあ、こまったもんだねえ」に化けたりする。
街頭インタビューは「世間の声」ではない、かもしれない。
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