美術学校だから、なのか、ということはさておき、貧乏学生の多かった学校のようなので、その手の思い出話にはことかかない。
美術学校なので、金持ちの裕福なご子弟が、大挙して入学するわけではない。
2代目の理事長は、父親から受け継いだ学校なので、まあ本人の好むと好まざるに関わらず、学校経営をすることになったそうである。2代目は、出身校も専攻分野も美術とは全く関係はなかったのだが、それなりに父親から受け継いだものがあったとみえて、学校も学生もそれなりにお好きだったようである。
貧乏で学費も払えない、と言う学生に、出世払いと称して、卒業制作の作品を「買い取って」いたという話がある。卒業して出世したら、その作品を売却して元を取るよ、といった感じだったそうである。学校経営もあまり「上がり」がいいものではないのに、である。
その後、2代目は、当時としては「早く」に亡くなってしまった。未亡人は、売れもしない学生の絵がいっぱいあるのよ、とよく笑っていた。
2代目の後は、世襲ではなく、理事会から選出された、創立者の家系や親族ではない人だった。未亡人は学校経営からは関係がなくなったわけで、学校の方に出てこられることは少なくなった。元理事長夫人という肩書きで、学校行事に出ることも少なくなり、その後しばらくして亡くなった。ご親族は学校経営の「表」に出てくることはなくなった。
その「売れもしない絵」はどうなっているのかと、卒業制作の時期になるとよく思い出す。