2012年12月24日月曜日

セコハン

美術学校だから、なのか、ということはさておき、貧乏学生の多かった学校のようなので、その手の思い出話にはことかかない。

創立当時の学校は、東京の郊外にあった。元は、創立を画策した何人かが、借りた地所のようだ。戦前のことなので、当時はまわりは畑だらけ、駅からはぬかるんだ道を通って学校に通ったそうである。
当は、靴というのは高価だったので、学生はたいてい下駄で登校したのだそうである。
校舎というのも払い下げ、つまりセコハンだったので、安普請。だから高下駄で雨の日に登校し、うかつに勢いよく足を踏み出すと床が抜けたそうである。
学生も貧乏なら、学校も貧乏だったのである。
抜けた床、雨漏り、すきま風、はものともせず、当時の学生はお絵かきに励んだのである。
現在学校はもう少し郊外に引っ越したが、環境などを鑑みると、ずいぶんと違うものである。今や通年24時間フルエアコン、ロスナイ換気、トイレは間接照明、ウォシュレット、消毒液設置、トイレットペーパーは常備、手洗いは自動で出水する。今は昔、である。 

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