2012年12月21日金曜日

寄り道

海外でビジネスをしている友人には、どこのユニバーシティの、カレッジをはあそことここを出て、どこでドクターを取得して、といった「学歴」だったりするのがいる。合間にどこかに就職したり、研修したり、社会活動をしていたりする。カレッジも、同じような領域ではなくて、全く違った学業ジャンルだったりすることがある。
学校を出る、ということが、そもそも日本のように「就職予備校」ではないんだなあという気がした。

同居人も、大学は商科でマーケティングをやって、商社に就職して外為の仕事してから退職、教員養成所に入って免状取り直して小学校教員、その間に通信教育で美術教員の免状取得、勤務校は公立私立国立を渡り歩き、その間に小学校教員免状をバージョンアップ、図工を担当しながら大学院で心理学専攻したのは50代、定年退職前に任意退職、いまは大学の非常勤をいくつか、と今の学生さんには考えられないほど紆余曲折な遍歴である。
退職金と年金を考えると、日本ではこういった「寄り道」な人生はとても採算に合わない。日本では終身雇用で大学新卒で同じ企業(しかも大きな会社である)にべったりとしがみついた方が「お得」なように出来ている。ステップアップするにはそれなりの「ところ」に就職したり、役職に就いたり、ということが必要なように出来ている。
同居人の人生は充実していたかもしれないが、老後の資金はほとんど確保できない。転職が多いと年金の申請もやたらめんどくさいのだが、割に合わないほど額が少ない。働いている年数に違いはないのに、である。

社会構造そのものが変わらなければ、結局「いい終身雇用の就職先を確保するにはそれなりの大学」「それなりの大学に行くにはそれなりの高等学校」「その高等学校に行くにはその中学」という図式になってしまう。学校はそもそも就職予備校でしかなく、勉強するところではないのかもしれない。

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