携帯電話のなかったころ、人を捕まえるにはあちこちに電話をしまくらねばならなかった。
研究室のO先生は、顔の広い人で、用事もたくさん抱えている人だった。
朝、研究室に電話がかかってくる。
「あー、おれおれ、今、正門の守衛室から電話してまーす」。
ところが、待てど暮らせど、研究室には来ない。守衛室からここまでものの5分も歩けば十分だが、既に20分を過ぎている。次の授業の打ち合わせなどせねばならないのに、と守衛室へ電話をする。
「あのー、おれおれ先生は、研究室に向かわれたのでしょうか」
守衛のオジサンは冷静にお返事してくれる。
「あー、研究室のある方じゃなくて、事務局の方へ向かわれましたけど」
研究室には先生のご指導を待つ学生さんもやってくる。業者から緊急の問い合わせも入ってくる。
お約束の時間まであと15分、それまでに打ち合わせをせねばならない。
先生の行き先を想定して、あちこちに電話をする。
「教務課でしょうか。おれおれ先生はそちらにおられるでしょうか」
「あー、ちょっと前までおられたんですが」
手遅れである。次に行きそうなのはどこだろう。
「施設課でしょうか。おれおれ先生はそちらにおられるでしょうか」
「あー、今さっき出て行かれましたが」
そば屋の出前である。こうなったら先手を取らねば。
「経理課でしょうか。おれおれ先生はそちらにおられるでしょうか」
「えー、今日は見えてないようですが」
うーむ、今日はお金の話はないのかもしれない。
「図書館でしょうか。おれおれ先生はそちらにおられるでしょうか」
「いいえ、見えてません」
しかし、ここで妥協してはいけない。構内のルートとしては次はあそこの研究室に寄るかもしれない。違う研究室にいくつか電話をかけまくる。いつも同じルートを通るとは限らないので、油断が出来ない。
まあ、たいてい「おっす」と言いながら涼しい顔で、しばらく後にやってくる。まったく予想しなかった研究室でお茶をご馳走になっていたりする。
学生との約束は、ちょっとすっとんでいて、授業の打ち合わせはヒトコトで「あとはよろしく」だったりする。
研究室内に大きな構内地図があり、先生の現在地に赤ランプが点滅している、というのが当時のスタッフの夢だった。今は携帯電話があるので、先生の居場所はすぐに知れているのだろうか。
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