そんなわけで、母親が育った家には、書生さんというのが何人かいたのである。
戦争中、母の家は空襲で焼け出された人を収容することになった。空き部屋に、書生さん以外にも居候を抱えることになった。
当時住んでいた本郷の家はそれなりの大きさだったようなので、それなりのおうちの人が居候にやってきたらしい。中には「じいや付き」の御曹司もいたりして、にわか下宿屋となったそうである。
下宿屋だからと言って、誰もが食費を払ってくれるわけではないし、戦時戦後のこととて食料がふんだんにあるわけではない。「じいや付き」も含めて、若い人は、しじゅうお腹が空いているわけである。
家の庭には大きな木があって、フクロウがよくやってきた。フクロウ、と聞いて絵本や物語を思い出す、といったご時世ではない。雀より大きい=食いでがある=今夜のおかず、である。数日かけて「フクロウ捕獲作戦」をみんなで考えて、捕獲にいそしんでいたのだそうである。
結局、捕獲することは出来なかったらしい。「フクロウ」という鳥が話題に出ると、みんなでフクロウを追いかけ回した昔話を、母から聞く。捕獲していたら、いったいどんな料理になっていたのだろうか。
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