2014年12月26日金曜日

注意

「マスクとって話すべき」で思い出したのが、以前のボスの話である。

その世代の人だと、当然なのだが、室内では帽子をかぶらない、というマナーがある。その先生の講演会で、ずっと帽子をかぶって大きなマスクでお話を聞いていた人がいたそうである。先生はマナー違反で注意するつもりで、「帽子を脱いでください」と言ったそうだ。その人はしばらくもじもじしていたが、「どうしても脱がなくてはなりませんか」と質問した。マスクで声もくぐもっていて、聞きにくい。先生は「聞き取りにくいのでマスクをとってお話しください。それに帽子を脱ぐのはマナーだと思いますが」と言うと、その人はやっと帽子とマスクを脱いだ。帽子を脱いで分かったのは、彼女には全く頭髪がなかった。彼女は申し訳なさそうに「すみません、治療中なので」と言ったそうだ。

先生は授業中に帽子をかぶった学生がいても注意をしなかった。若い人に注意しないので、マナーを覚えないのでは、聞いたら、そんな話をしてくれた。だから「帽子とかマスクは、むやみに脱いで、と言いにくいんだよねえ」。

2014年12月25日木曜日

マスク

インフルエンザの流行とは関係なく、マスクをしている人が増えたなあ、と街中に出ると感じるようになった。
昔のようにガーゼのマスクを洗って使う、というのではなく、使い捨てで高機能、効果抜群、というのも理由だそうだが、中には「メークアップをしなくていい」という「伊達マスク」派もいるらしい。

同居人の先日の授業は、学生さんのプレゼンだったようだ。マスクをしてぼそぼそとしゃべっていて、何をしゃべっているのか分からん、とお怒りになって帰宅した。
しゃべるときくらい、マスクをとるべきではないか、というのが、同居人の持論である。


まあ先生としてはそう思うのかもしれないが、インフルエンザをばらまくよりは良いのではないかと端で思ったりする。

2014年12月24日水曜日

確保

保育園ではローテーションと臨時応援で保育士さんの冬休みを確保する。
出かけた日に部屋に入ると、見慣れない保育士さんがいて、教室を間違えたのかと回れ右して帰りそうになったりするらしい。

子どもの方も「臨時預け」という制度があるようで、いつもは幼稚園に行っている子どもが長期休暇中は保育園に来る、というケースがある。
部屋に入ると、見慣れない子どもがいて、違う教室かと回れ右して帰りそうになったりするらしい。

保育園も介護も病院も、世間様の「長期休暇」とは関係のない業界である。預けられる子どもも、しかり、ではあるが。

2014年12月23日火曜日

冬休み

勤務校はとっくに後期の授業は終了、冬休みに突入中である。
学生さんにとっては、あとは1月の期末試験だけである。

実技授業に期末試験はないので、12月一杯で課題を提出させて終了、と言うのが多い。同居人の方は講義科目なので、期末試験が終わるまで「年度内」である。
授業が月曜日なのでハッピーマンデー対策と、台風のための休校日があったので、あと数日補講などがあって、クリスマスまで授業である。

もっとも、もうひとつ通っている保育園の方は、冬休みもなく、最低限の年末年始休暇だけなので、スケジュールをやりくりして自分の冬休みを確保している。もちろん保育士さんたちも同様で、ローテーションの変更、パートやアルバイトなど臨時の保育士さんの応援で、なんとか自分たちの冬休みを確保している。


勤めていると当たり前にもらっていた「冬休み」だが、関係ない業界もたくさんある。

2014年12月22日月曜日

丁寧

慇懃丁寧、と言えば、やはりマニュアル化された丁寧敬語である。

…と言って思い出すのは、「こちらきつねうどんになります」。
テーブルの上に置かれたうどんは、あとどのくらいで「きつねうどん」になるのだろうか、食べずにじーっと眺めて待っていた、という笑い話である。
「させていただきます」というのも、最近は耳につく。「本日は営業をお休みさせていただきます」というはり紙を見ると、違和感がある。「本日の営業はお休みです」では伝わらないのだろうか。


日本語はビミョーである。

2014年12月19日金曜日

お世話

最近のビジネスメールの文面でポピュラーなのは、

○○さま
お世話になります。

である。「様」は漢字ではなく、「さま」という仮名書きが多い。
2行目は、最近どちらかと言えば

お世話になっております。

が主流である。微妙に丁寧感が増すのかもしれないが、こう来られると
…お世話したっけ。
としばし考える。初対面、というか、面識のない相手からのメールなのである。

お仕事の依頼であればこれから世話になるのはこちらの方であり、仕事先の相手であればお世話になっているのはこちらである。


まあビジネス文書と言うのは「定型文」というのがあって、それにのっとって少しずつ書き換えて使ったりするものなので、あまり意味なく使っているのだろうが、真面目に読むとビミョーな日本語も多い。

2014年12月18日木曜日

文例

仕事柄、同じ業界や職場以外からの連絡と言うのも、ままある。
郵便であればビジネス文書、今やメールの時代なのでビジネスメール、というやつである。
内容はそれぞれいろいろだが、通知、確認、照会、案内、催促、謝礼、承諾、説明、なんかがある。
社会人になると、文書を送る際には、お元気ですか、では通用しない。郵便の時代であれば、「お手紙の書き方」などという本があり、「文例」などというのがついてくる。

発行年によって、少しずつ文面が違うし、本によっても内容が少しずつ違う。ビジネス文書に近いプライベートな文書も包括したり、公用文のようなものまで含むものもある。
中には超プライベートだろう、というものもあって、なかなか面白い。

「お見合いを仲介者に依頼する文例」
「お見合いをする前にお断りする文例」
「お見合い後に交際をお願いする文例」
「お見合い後にお断りする文例」
「交際している男性にデートの断りを入れる文例」


今やお見合いも「死語」になりつつあり、学生さんの個人感覚ではラブレターも振る方の連絡も「メール」だったりする。

2014年12月15日月曜日

震災も過ぎてしまえば過去のこと、当時はあれほど節電と叫んでいたのに、いまはそれほどでもないような気がする。
政府が提唱していた自然再生エネルギー利用も、当時ほどは「熱」がない。むしろまた原発稼働に移行しそうで、つくづく日本人は過去を振り返らない人種なんだと思う。

授業や仕事の関係上、建築や都市計画、というものに時々ニアミスする。常に感じるのは、東京は「スクラップ アンド ビルド」な場所、ということである。
度重なる火災や震災で、紙と木で出来ている「住宅」というのは弱い、というのはよく分かる。火除け地としての「広場」によって、遊業地というのが出来ているというのもよく分かる。
時々、いやだなあと思うのは、耐震基準という「基準」によって、古い建物がどんどん壊される、という現状である。
もちろん、建築業界から言えば、壊して建てた方が安上がりなのかもしれない。リノベーションや維持に経費を払わない、というのは、伊勢神宮遷宮以来の日本人の遺伝子なのかもしれない。


イケイケどんどん、と言っていた右上がりの景気ではなし、もう少し身の回りから生活の方向性を変えることは考えられないのだろうか、という気もする。

2014年12月13日土曜日

約束

日頃電気の恩恵にあずかっているわけだが、停電、というのは突然やってくる。もちろん、他の国を旅行していると、停電なんて日常茶飯事、というところもいっぱいある。
シャワーを浴びていたらいきなりお湯が水になってびっくりしたら、部屋の照明もつかない、現地の人は「いつもの停電」で慌てたり騒いだりしない。

コンピュータで作業を始めた頃は、通電が止まればその時点で、前回保存時以降のデータはすべてパー、というのが前提である。
ある日いきなり夕立、雷、停電、というシチュエーションで、大学の研究室にいたら、学生が泣き叫んで廊下を走っていた。「うわあああああデータがああああ」。
以来、学生さんには、こまめなデータ保存、がお約束である。
コンピュータ室の閉室時間が過ぎているのに、作業をぐずぐずと終えない学生には「ブレーカー落とすよ」が脅し文句だった。ハードな作業に伴うデータ保存は、時間がかかる。保存中に電気が切れても、データは残らない。

以来、放課後作業の学生さんには、保存時間を逆算して作業終了、がお約束である。

2014年12月12日金曜日

電化

「計画」停電の横浜の実家では、わりあい「計画」通りに停電が実施された。
夕食時にあたるのであれば、食事の支度は事前に済ませておかなくてはならない。炊飯は済ませても、停電で保温できなければ「冷や飯」である。もちろん、レンジでチン、も停電時は使えない。
実家は夕食時に灯油ファンヒーターを使っているのだが、停電だと「ファンヒーター」は使えない、というのは、意外な盲点でもあった。
傍目に辛いだろうなあ、と思ったのは「オール電化住宅」だった。

震災前にはものすごーく宣伝していた「オール電化住宅」である。昼間はよく「太陽光発電の設置はいかがでしょうか」というセールスマンが来たし、東京電力もずいぶんと分厚いパンフレットやカタログを持ってきた。
震災時は寒い時期だったので、オール電化住宅なら、照明も調理も暖房もアウトである。

震災後、「オール電化住宅」の宣伝は、あまり聞かなくなった。今は「太陽光発電設備」のセールスもほとんど来ない。


最も、震災後に早く復旧したのは電気、と言う話もあった。地上のインフラなので、電線の復旧は、地中のガスパイプを修理するよりも早いらしい。

2014年12月11日木曜日

文明

先日の四国の大雪のニュースを新聞で読んでいた。山間の集落ではIP電話を使っているので、停電時は使えない、というものだ。確かに現在のインターネット中心の情報環境は、停電にはひどく弱い。

東日本大震災の時も、関東地方は停電した地域が多かった。その後しばらくは電力量が確保できない、ということで「順繰り停電」というのが実施された。お宅の地域は何曜日の何時から何時まで、停電の可能性があります、というものだ。自分の居住地がどの地域で、いつごろ停電するのかは、自分で情報を集めなければならなかった。居住地域や行政の区割りと、電力会社の配電地域とは、区分が違うからだ。同じ町内でも、電力供給の区分が違う、というのを、その時に知った。
で、電力会社のサイトで、自分の居住地域のエリアを調べて、計画停電の予定を調べる、わけである。ところが、向かいのおうちは、80代高齢者女性一人暮らしである。とてもインターネットさくさく、という環境には見えない。大丈夫なのかと思ったら、2−3日後に市の広報チラシが配布された。やはり最終的にはアナログな「紙」媒体が一番安心だ。

幸い、うちでは「計画」されたが、「実施」されなかったので、問題はなかった。横浜の実家では「計画」通りに「実施」されて、いろいろと大変だった、と言う話を聞いた。一番先に問題だったのは、やはり電話だ。もちろん、携帯電話の充電は出来ない。家の電話は、NTTの固定回線に加入しているのだが、電話は電源コンセントが必要だ。電話機が覚えていてくれている「連絡先リスト」とか、メモリーが覚えている「留守番伝言」、もちろんファックスなどは使えない。何台かある電話機のうち、着信音すらならないものもあったらしい。結局一番頼りになるのは、40年間玄関脇に鎮座している電電公社時代貸与の電源コードなし黒い電話機だったらしい。通話品質もばっちり、だったそうである。


こんなことが数年前にあったと言うのに、孤立集落ではIP電話を使っている。文明の発達とは、微妙なものである。

2014年12月9日火曜日

環境

同居人は、今年度限りのピンチヒッターで地方大学の教育学部へ通っている。朝は早くから出かけて、2時間半かけて授業に行くのである。往復5時間、授業時間の倍以上である。
先週は、多用もあったので、当該の大学へ同行した。授業中は構内散策を決め込んだ。

地方の市街地からほどほどに離れたところ、住宅街のはずれである。東京とは違って、電車もバスもあまり見かけない。大学のすぐ横に自動車教習所がでーんと構えている。マイカーでなければ通えない、ということなのかもしれない。駐車場は広大、学生用教員用職員用来客用と看板はあるのだが、校門前の守衛室は無人、入退出のチェックもなく、駐車し放題である。
国立大学、しかも「university」なのにやけにこじんまりしたキャンパスである。聞くと、学部ごとに違う場所にキャンパスがあるらしい。都内の大学とは違って、ビルとビルの間が離れている。余裕のある土地利用である。単学部のせいなのかもしれないが、人口密度が低い。図書館も小さい上に、オープンな設計で、閲覧室なのに談話室の会話がよく聞こえる。

周りは住宅街で、そば屋も定食屋も牛丼屋も古本屋も学生ローンのお店もない。しかも、なぜか広い駐車場付きの美容院と理容室が目に付く。学生街、とは少し言い難いなあ、と思ったら、同居人の話では学生さんは「遊ばない」らしい。我々の世代、東京の学生だと「遊ぶ」と言えば、酒女博打とは言わないが、まあそれなりにいろいろあった。当該の大学の学生さんは「遊ぶ」と言えば、「誰ちゃんのアパートで集まる」ことなのだそうである。

そんなわけで、学生さんはよく言えば「勉強一筋」、悪く言えば「出不精」。こういう社会とは接点もなく、転落人生とも関係ない環境にいる学生さんが、地方の教育を担うようになるんだなあと思いながら、キャンパスを散歩した。

2014年12月8日月曜日

第二

同居人は還暦過ぎである。
交友関係も同じように齢を重ねるわけなので、お友達も還暦過ぎが増えた。ずいぶん前にアラサーとかアラフォーとか言う言葉が流行ったが、既にアラカンは過ぎて、今度はアラコキである。

こういう年回りになると、ぼちぼち年賀状に「勤務先変更」「職業変更」「定年退職」「リタイア」という近況が増えてくる。
欧米の友人だと、「リタイア楽しみ」「これからが人生だ」のような挨拶が多い。日本人の場合は、「まだまだやれるぞ」という自己暗示か自己主張かは知らないが、60代前半完全リタイア、というのは少ないような気がする。

同居人の場合は、非常勤講師という名前のパートタイマーなオジサンになった。ご友人の中には、変わった「次の商売」というのが時々いる。
「幼稚園送迎バス運転手」である。幼稚園はたいがい園児送迎のマイクロバスなんかを運行している。建前は「自家用」なので、白ナンバーである。二種免許ではないにせよ、気を使う商売のようで、「夜は飲酒禁止」を自分に課している。二日酔いでは仕事にならないからだ。

これがストレスにならないといいんだけどねー、と同居人は挨拶状を眺めながら晩酌である。

2014年12月7日日曜日

師走

今年も早くも年の暮れである。
年を取ると月日の過ぎるのは早くなる、と言う。けだし名言だなあ、とは思うが、子どもの頃は遅かったのか、と考えると、思い出せない。忘却の彼方、なのかもしれない。

先生の走る月、なのだから、師走、というのだが、いまどきの先生は年中走っている。廊下を走らないように、と小学校の廊下に子どもがポスターを描いて貼ってあったりするが、子どもがいなくなれば、先生はよく走っている。

同居人が小学校の先生だったので、こちらも年中忙しがっていた。子どもの授業や世話ばかりではなく、保護者相手だったり、ほかの先生、事務職員、用務員、ほかの小学校つながり、などなど先生の相手は「子ども」だけではなかった。マスコミには「報告書や事務作業が多い」とよく書かれる。同居人を見ていると、手書きの報告書がワープロベースになったり、パソコンベースになったりと、事務作業環境の変化に伴う作業の重複とか、覚えなくてはならないことが増える、とかいったようなことが「時間がない」の一因のような気がする。
眺めていてよく思うのは、教員に「秘書」がつけばいいのに、ということだ。小学校から大学まで、けっこうな「事務作業」というのがあるのだが、それ専属のスタッフというのをあまり見かけたことがない。あっても、よほど余裕のある国立大学の研究室である。私学の研究室で「秘書」のいるところがあったが、後で聞いたら先生のポケットマネーで雇われていたそうである。

40人学級とか、教員削減とか、文科省の予算組ではつねに話題になる。教員よりも事務方や秘書を増やした方が現実的ではないかと思う。今日も、目の前では、同居人が書類をつくるのにパソコンに向かっている。が、思い通りにならないのでディスプレイに向かって八つ当たりをしている。

2014年11月29日土曜日

矛先

単位取得のクレームを、担当教員と直談判するかどうか、というのは学校あるいは担当研究室の方針によるのかもしれない。
気になるのは、クレームの矛先、ではある。

同居人の授業は、常に「コメントシート」を提出させる。それが出席のカウントと、授業参加の平常点となっているわけだ。
「コメントシート」は、授業についてのコメントを記入させている。人数の多い講義だと、集計するのは私の作業である。
集計しながら気になるのは、授業についての質問が記述されていることだ。
「授業ではこういう話でしたが、このケースではどう考えたらいいでしょうか」。
いやそれは授業終了前に、授業内で質問すべき項目ではないのだろうか。

もうひとつ疑問なのは、「授業内容」とは違うコメントが散見されることである。
「後ろに座っている人のおしゃべりがうるさいです」。
そんなことは、自分で注意すれば良いのではないか。
「空調が効きすぎて、寒いです」。
先生の授業に関する質問なのか疑問である。それは一介の非常勤講師ではなく、学校の施設担当に言わねばならないクレームではないのか。


矛先、は常に難しいものである。

2014年11月28日金曜日

比較

私の方はぼちぼち年度末、ということもあって、成績を出すのが忙しい時期である。
勤務校の成績評価の基準は、2/3以上の出席で課題提出と期末試験受験資格の取得が認められ、課題または試験クリアで及第点がもらえる、というシステムである。

最近は教務課からのご指導が厳しく、留年者を出さないように、という通達が来る。おかげで課題の提出がない学生を追いかけて、提出しろー、と催促することが多くなった。
提出しない、というのは、単位取得を放棄する、という意思表示なのだと思っていたら、最近の学生は「提出しなくても単位くらい取得できたらラッキー」くらいの気持ちでいるらしい。催促を重ねることしばし、やっと提出されたのは進級会議すれすれで、それまでやきもきしているこちらの気持ちくらいおもんぱかってもいいだろう、という気にもなる。


いい意味でいい加減だった時代とは違い、顔さえ出せば単位が取得できる、というのは、何か違うような気がする。だから、日本の大学と、入るのは易く出るのは難い欧米の大学と、比較されてしまうのかもしれない。

2014年11月27日木曜日

個人情報

クレーム君当人が連絡をしない、というのは、ある意味で学内の管理がきちんとしているからかもしれない。

ピンチヒッターで出かけた某国大は、やはり同じ教職科目の必修だった。60人程度のクラスで演習主体である。
この学校も、もちろん真面目な学生ばかりではないようで、やはり出席が芳しくない、というのがちらほらいる。
授業科目が終了、試験も終えて、教務課に成績を提出する。その後、学生に成績がフィードバックされる。

ここでも取得できなかった学生が数名いた。その学生から連絡が来た。
「僕は授業に出ていたのに単位が取得できていません。なぜですか」。

同居人のメールアドレス、大学に届けていた緊急連絡用アカウントである。夜中にメールがくれば、タブレットやスマホの着信音がなるようにセットしてある。あまりに夜中だったので、返事をしないで放っておいたらしい、数時間後また着信音が鳴る。「早く返事をください」。寝ぼけているのでいい加減なことは出来ない、また明日、と返事をすると、ほどなくまた着信音が鳴る。「なぜですか」。
しょうがなく起きだして、出席簿と提出物、試験答案など引っ張りだして、眠気を覚まして、返事を打つ。「授業日は遅刻が多く、真面目にカウントすれば出席日数は不足です。教室に来るだけでは出席にはカウントしません。また、出席が少ないため提出物が不足しています。出席日数に関わらず履修登録をした全学生に試験は受験させていますが、試験答案は及第点に満たないようです。学生必携にもあるように、出席だけでは単位は取得できません。来年度は頑張ってください」。
おかげでこちらもあまり眠れなかった。

不思議なのは、大学に届けた緊急連絡用のアドレスをどこで知ったのか、ということである。翌日教務課に連絡すると、単位取得のクレームは学生と先生との「個人的なお話し合い」で解決するように窓口では対処しており、そのための連絡先を学生には開示しているらしい。先生の個人情報は保護されていない学校である。

2014年11月26日水曜日

クレーム

教務課に返事をした数日後、今度は研究室から同居人に連絡が入る。
先の「クレーム君」についてである。

クレーム君はどうも4年生だったようで、卒業が決まっており、もちろんその後は社会人として華々しい活躍を期待されている、ようである。
同居人の担当科目は教職科目の必修である。つまり、この単位が取れなくては、教員免状が出ないのである。
ところがクレーム君はどうも、教員試験を受験するようである。つまり、同居人の担当科目の単位が出なければ、教員試験は受験できない、ということになる。何とかならんか、と言う話である。

最後列で爆睡しておしゃべりして授業など聞いていなかった学生に単位は出せない、と同居人はしばらく突っぱねていた。食い下がったのは連絡をしてきた研究室の担当教員である。さすがに同世代の紛争世代、無理なごり押しは慣れっこ、お互いに粘って交渉している。

ここで不思議なのは、なぜ当のクレーム君が登場しないのか、ということである。
教務課としては「試験落第」でクリアだが、担当研究室としては卒業生の動向は「成績」に響くからなのかもしれない。

問題は、クレーム君は卒業したいのか、先生としてやっていきたいのか、ということである。先生業をしたいのに、教職科目が落第、とういのは、本人的には問題にはならないのだろうか。

2014年11月25日火曜日

存在

逆を言えば、いまどきの学生さんは「真面目」なのだろう。教室に「存在」することが「出席」だと思っている。
寝ていようが、おしゃべりしようが、スマホでオンラインゲームに熱中していようが、その空間に「存在」しているわけである。
しかし、「出席」とは授業に参加することなので、空間を共有していても気持ちが山の彼方にあるのであれば、「参加」とは言えない。
学期末には、先生のところ、ではなく、教務課におしかけて「クレーム」をつける学生がいる。「僕は2/3以上出席したのに、単位が取得できてない」。

同居人の授業は「講義」なので、ときどきこういった状況が発生する。
ほどなく、教務課のクレームがまわってくる。出席と単位取得状況を確認せよ、という指令である。
速攻で出席と授業の状況を確認する。

小学校の先生、というのは、クラスの生徒の進行状況をものすごーく把握している。顔と名前、授業態度などもよく覚えている。さすがに「昔取った杵柄」である。クレームをつけた学生の名前を見ると同居人は「やっぱり」とういう顔をした。いつも最後列でくちゃくちゃとおしゃべりをしているか爆睡している学生だと言う。


確かに出席はしている。しかし、出席だけが単位クリアの条件ではない。2/3以上の出席は、単位取得のための試験を受験できる資格が出来る、というだけだ。当該学生の試験答案はとても及第点に満たなくて、これでは単位にならない、と判断した、と教務課に返事をした。

2014年11月24日月曜日

落とし前

さて、同居人は大学紛争時の大学生、であるので、大学生活は「あってないようなもの」だったらしい。良い意味で鷹揚、悪い意味でいい加減、というやつである。
サークル活動に熱が入ってしまい、授業に出られず、出席日数が足りなくなった。もちろんそのままでは試験は受けられない。どうするか、と言えば、教授室へ出向いて理由を説明して謝罪して「オトシマエ」をつけて、試験を受けさせてもらうと言う作戦だ。教授室のお掃除、1週間の使いっ走り、雑用全般などいろいろである。
まあそれで無事卒業できたのだから、まあ優雅な時代ではある。

翻って、現在の大学生のクラスを見ていると、もっと管理がきつい感じはする。泣いても叫んでも、出席が足りなければ試験は受けられない。先生の方が情状酌量しようとすれば、教務課から「待った」がかかる。「オトシマエ」はつけてあげにくくなったが、一方的に押し掛けて理由を並べて謝罪しながら「雑用でも何でもやります、試験受けさせてください」という学生はほとんどいなくなった。


学生は黙って教室にいる、というのが基本だというのは分かってはいるのだが、学生生活の間に「オトシマエ」のつけかたくらいは、実習しておいた方が良いのではないかと思う。

2014年11月23日日曜日

忘れ物

まあ、修学旅行や林間学校の風呂場でパンツを忘れる、というのは分からないでもない。
自宅で汚れ物はオカアサンが集めて洗濯をするのだろう。たいがいの子どもは「脱ぎ散らしっぱなし」なのかもしれない。
しかし、ときどき理解不可能なパンツの忘れ物もあるんだよねー、と小学校教員だった同居人はのたまう。

小学校では夏になると体育の時間に「プール」というのがある。体操服の代わりに水着を着て泳ぎを習うのである。男女共学だと、男子は奇数クラスで、女子は偶数クラスの教室で着替えなさーい、などと言われて、着替えのために教室を移動する。
もちろん、プールが終われば、普段着(同居人の勤務していた小学校では制服があった)になって、授業を続行する。
1年生を受け持っていた頃は、お昼を食べたら、子どもは帰宅である。

子どもが退校した後で、先生は教室を見回って、忘れ物や落とし物をチェックする。プールの後はたいてい忘れ物が多い。使用済みウェットな水着とかタオルの類いである。名前があれば、確認してビニール袋に入れておいて、翌日子どもに渡す。
しかしある日、「パンツ」「無記名」が忘れ物になっていた。風呂屋へ行くわけではないのだから、新しいパンツに着替えて帰るわけでもなかろうし、プール前に脱いだものを使用することが想定されるので「無記名」だったのだろうから、持ち主が特定できない。


翌日の朝に回収した「連絡帳」には、オカアサンの伝言があった。「子どもが昨日ノーパンで帰ってきました。なぜでしょう」。

2014年11月21日金曜日

お持ち帰り

同居人は小学校で教員をしていたので、もちろんいろいろな催事の「引率」というのも仕事のうちである。遠足や林間学校、修学旅行なども「お仕事」である。

林間学校や修学旅行などは「お泊まり」つきである。大浴場に子どもを入れて面倒を見るのも「お仕事」である。
いまどきの子どもは、銭湯に行く機会がないので、公衆浴場の入りかたを知らない。マナーはもちろん知らない。他人の前で裸に慣れず、結局入らずにいる子どもがいたり、海水パンツで入ろうとする子どもがいるらしい。そういう子どもの面倒も見るわけだ。

全員の子どもが風呂と脱衣所を使い終わると、今度は忘れ物確認である。たいていの場合、かなりの確率で「下着パンツ数枚」が残っていたそうである。風呂に入って、新しい下着に着替えて、帰るときに「汚れもの」は持ち帰らない、というわけだ。
こういうときに備えて、事前のオリエンテーションでは「持ち物にすべて名前を入れるように」と口を酸っぱくして伝えている。しかし風呂場の脱衣所で忘れられたパンツは、たいてい名前がないそうである。
子どもも親も「パンツを落としたり忘れたりするなんて、あり得なーい」と思っているらしく、パンツにまでは名前を入れないのである。しかし、こういう子どもほど、パンツを忘れちゃったりするのである。

忘れられた「汚れ物」「無記名」のパンツは、先生が一応、学校まで持ち帰らなくてはならないのである。

2014年11月19日水曜日

下足番

たまの展覧会で「靴の履き間違い」というのが発生するわけで、同居人だけが間違えるとは限らず、この手の会場ではたいてい「私の靴はどこだー」と叫ぶ人がときどきいる。

同居人は公開授業をよくやる小学校に勤務していた。こういうイベントの時は、ものすごーくたくさんの来客がある。もちろんその人数分の「下足」が発生する。履き間違いとか取り違いとかが予測されるので、人手があれば「クローク」というのが設置される。靴を預かって下足札を渡す、という古風なシステムである。
人手がなければ、ポリ袋を渡されて、「自分の靴は自分で袋に入れて携行する」システム、というのもよく見かける。
要は、たくさんの靴が一辺に並んでいる状況だったり、靴箱の中にランダムに入れるシステムだったりすると、間違える確率が高くなる、というわけだ。

飲み屋で傘を取り間違えられる、という経験がある。しかし、自分自身が他人のものを持ち帰った経験がない。常に「私のものはどこだー」と叫ぶ側である。

2014年11月18日火曜日

記名

よーく話を聞いてみると、同居人が靴を間違えてしまったのはこれが初めて、というわけではないらしい。

以前もこの季節だったそうだ。
小学校の展覧会を2カ所はしごした。2カ所目で帰ろうと思ったが、自分の靴がない。誰か間違って履いて帰ったのではないかと大騒ぎをしたそうだ。携帯電話のなかった時代である。学内の客と先生に確認したが、全員間違えてはいない。結局最後の客が帰るまで待つことになった。間違えて帰った客が、あわてて返しにくるかもしれないからだ。しかしぽつねんと玄関に残っていたのは他人の靴、結局それを履いてきたのではないか、とようやく思い当たり、最初に出向いた学校に電話をした。最初の学校では「誰かが自分の靴を履いて帰った」という先生がいたらしかった。先生は予備の靴でお帰りになったので、「誰のものか分からない靴が1足残っている」という状態だったらしい。電話でやり取りすると、どうも自分の靴らしい。

結局、1校目を出て、2校目で靴を脱いでも、他人の靴だとはわからなかったわけだ。

教訓:自分の靴には名前を付ける。

2014年11月17日月曜日

展覧会

同居人は小学校で教えていたので、知り合いの小学校の展覧会ご案内、というのが来る。
展覧会は、小学校の体育館を利用して行われていたりすることが多い。私の小学校時代と比べると、作品も内容もはるかにグレードアップしている。
体育館だけに、やはり「靴はお履き替え」にならなくてはならない。その日、同居人は展覧会を見てから、約束の待ち合わせ場所に来る、ということになっていた。

やってくるなり、開口一番「小学校にすぐ戻らねば」。
何かと思えば、靴を履きき違えたらしい。しかもそれに気づいたのが、約束の場所に来る少し前である。
慌てて携帯電話で小学校に電話し、靴の履き違えを弁明し、自分の靴と間違えた靴の照合をして、自分の靴がまだ小学校に「残って」いることを確認し、とんぼ返りで小学校に向かうことになったようだ。

履き間違えた靴は、色もデザインもサイズも全く違う。共通しているのは「有名ブランドのスニーカー」ということだけだ。

靴を出し入れするときに、自分の靴でないことに気づきそうなものだし、履いているときに「行きの歩き具合と違う」と気づきそうなものだ。待ち合わせ場所に近くなって、階段を上るときに、自分の足下を見て、靴ひもの色が違うので「何だろう」「いつ靴ひもの色を変えたんだろう」と思い、ようやく間違いに気づいたらしい。

これも「ボケ」の兆候かもしれない。

2014年11月16日日曜日

スリッパ

この季節になると、小学校はイベントを開催する。

昔は「秋の大運動会」だったが、最近の運動会は春の開催が多い。
秋は、展覧会や学芸会など、文系のイベントが多い。学校によっては、展覧会と学芸会は隔年開催だったりすることもある。抱き合わせで授業参観や公開授業などがあったりする。校門前に看板など立てて、イベント気分は盛り上がる。

小学校は、昔も今も、靴を脱いであがる校舎がほとんどである。ここらへんが「和風」なのかもしれないが、日頃行きつけない小学校に行くと、入り口で靴を脱ぐことになる。
ひも靴をはいていると、こういう時はとても面倒である。いちいちかがみこんで、靴ひもをほどくわけである。
入り口にはスリッパが並んでいて、これを履け、という状態のセッティングである。

実家の習慣が「スリッパ共用絶対不可」だったので、私は今でも他人の使ったスリッパを使うのは抵抗がある。分かっていれば、マイスリッパを持ってきたのになーと、後悔しながら靴ひもをほどく。
ビニールの、底の薄いスリッパは、展覧会場の体育館の床の「冷たさ」を、ダイレクトに伝える。こんなことが何回か続くと、しもやけが発生する。

秋の展覧会のご案内、は嬉しくもあり、辛くもある。

2014年11月15日土曜日

あこがれ

母親の「いとこ」が引っ越した、という連絡があった。

郊外の一軒家に住んでいたのだが、子どもたちも独立し、それぞれ家族が増えたり、勤務先の都合で少し遠方に住むようになって、夫婦二人で一軒家は大きいと、住み替えたらしい。
駅前から徒歩5分程度のマンションである。鍵1本で出かけられる、というのが、一軒家住まいとしてはうらやましい。
しかも流行のバリアフリーマンションである。2階建て築40年近い実家は、階段や段差だらけである。
「いいなーうらやましいなー」と母親はマンション見学に出かけて行った。

「いとこ」は大学、医学部の先生をしていたので、テクノロジーやら技術やらというのは苦手な方ではないらしい。マンションで母親を出迎えたのは「ルンバ」さんであった。
バリアフリーならこれでしょう、と「いとこ」は自慢したらしい。ほっといても、ひとりで、掃除をしてくれる。しかし、階段や段差の多い実家では「使えない」家電である。
母親は帰ってきたら、マンションよりも「ルンバ」が「いいなーうらやましいなー」になったらしい。「ルンバ」のためにバリアフリーマンションを買うのではないかと思ったくらいだ。

実際に「ルンバ」さんと暮らしている人に聞いてみると、ずーっとお掃除してくれる、とは限らないのよね、という感想が多かった。玄関の段差や靴につまづいて掃除をあきらめていたり、ベッドの下に入って出られなくなっていたり、同じ壁に向かってずーっと頭をぶつけていたり、するのだそうである。


万能な機械、というのは、ない、らしい。

2014年11月14日金曜日

お知らせ

一斉同報、というシステムがある。大学で言えば、「明日は台風が来る予定なので朝6時の天気予報で暴風警報が出ていたら休校」などという連絡に使うものである。勤務校では、ほかにも「課外講座のお知らせ」などがこれを使ってメールで配信される。

学生の方は、大学からメールアドレスが配布されていて、このメールアドレス宛に一斉同報のお知らせがやってくる、という仕組みになっている。いろいろなグレードがあるようで、講義の受講者向けに休講のお知らせ、専攻科目ごとに提出物の確認、などができるようになっている。一介のパートタイマーの非常勤のところへは、あまりめったな内容のお知らせはやってこない、仕組みになっている、と思われたのだが。

本日の「一斉お知らせ」の件名は「忘れ物」である。

学生の氏名:タナカヨーコさん(仮名)
チェック柄の手提げ鞄が学生生活課に忘れ物として届いています。USBと鍵が入っています。心当たりがあったら取りにきてください。

いや、一介の非常勤にまで送る内容なのかというのも疑問だし、もしこれがタナカさんのものでなかったらどうするのか、というのも心配だし、「スマホも入っています」だったらメールを受け取れないかもしれないし、「手提げ鞄、財布、200万円札束」だったらタナカさん大量発生だろうし、「手提げ鞄、大麻入り」だったらタナカさんは来ないだろうが警察がタナカさんのところに急行だろうし、「手提げ鞄、本マグロ中トロ刺身のさく、保冷剤付き」だったら明日じゃ間に合わないだろうし、「手提げ鞄、宿題入り、しかし間違い多し落第必須」だったらタナカさんのその後が心配である。


どうして学生生活課は「タナカヨーコ」本人だけに連絡しないのか、とても謎なメールである。

2014年11月13日木曜日

失ったもの

先日撮影の仕事で入っていた講座は、音楽と美術のクロスオーバーなワークショップだ。
音楽の方の講師は、音楽史が専門である。美術畑からすると、ちょっと違う畑の人である。だからだろうが、お話は易しく、ツボをつかんでいて、面白い。

美術は「有形」だが、音楽は「無形」なので、視点が違う。今回のテーマは楽譜なのだが、音を記録するためにいかに西洋人が苦労したか、などという話になる。楽譜、というのは、便利なもので、音楽を聴いたことがなくても、楽譜を見れば音楽にすることができる。一方で、失われたものがたくさんある、という。無理矢理記録することで、記録できないことを捨て去る、というわけだ。
ここいらへんは、美術というよりも、写真や映像、日頃の生活を思うと「そうだよなあ」と思うことが多い。
しかしだからといって、「昔」に戻ることは出来ない。便利さに慣れてしまえば、「捨て去るもの」にも眼をつぶることになるのかもしれない。

そんなことを考えながら、本棚の片隅にまだ少し残っているLPレコードをどうしようかと悩んでいる。

2014年11月12日水曜日

義務化

便利な世の中になったもので、誰もが、ある程度のお金を出せば、同じような結果を得ることができる。

中世のヨーロッパの絵画工房では、徒弟制度が一般的だ。子どもの頃に丁稚奉公から入って、雑用などしながら、道具や絵具のつくり方から習う。画材は買うもの、ではなく、工房でつくるもの、である。絵画を描くことは、だから「一般的」な趣味ではない。お仕事である。
仕事が増えると作業は細分化され、集中され、技術が上がる。そうして、道具や絵具をつくることが、絵画工房から分離して行く。

しかし、誰もが同じ色を出せる絵具を手に出来る今、描くことに対する情熱はどうなったのだろうか、と思うことがある。小学校で「お絵描き」が、成績として評価される今、それは「情熱」でなく、「義務」になってしまったり、子どもによっては「苦行」になったりしていないだろうか、と思う。

2014年11月11日火曜日

道具

実家では母親が音楽をやっていたり、学校関係の人間が出入りしていたこともあって、本や道具を「けちる」ことがあまりなかったと思う。音楽ばかりではなく、ほかの授業の道具も、同級生よりはいいものを持たせてもらった。結局、将来的に選択したのは美術方面だった。

同じように育てられた妹は、しかし自分の子どもに関しては道具を「けちる」方のタイプである。いまどきのご父兄もそういうタイプが多い。子どもに画材を買うのに、まず100円ショップへ行ってみたりするのである。

100円ショップで画材を買って使ってみるとよく分かるのだが、とりあえずの用はなすものの、「楽しみ」にはならない。絵具の発色、紙と筆の接触を「楽しむ」のには、ちょいと「悲しい」クオリティである。最高級の画材、とは言わなくても、ちょっと背伸びした画材だと、ものすごーく上手に見えるのである。100円ショップの画材は、下手に見える、とは言わないが、これで上手に見せようとすると、それなりのスキルが必要になる。

2014年11月10日月曜日

年齢

大人になって、水彩画をたしなむと、パレットを洗うということがあまり頻繁ではなくなった。
固形絵具だったり、透明水彩だったり、あまりパレットの上で混食しなくなったこともある。
平たいところをあとでウェスで拭き取っておしまいである。筆の方は獣毛を使うのであれば丁寧に洗う。

出入りしている美術館のワークショップ準備室では、描画用に刷毛を用意している。使い捨てではなく、高価ではないが、ナイロンではなく獣毛である。
講座終了後、後片付けをする。絵具を出したパレットや皿と、刷毛や筆は別に集めて、それぞれの洗い方を教える。刷毛や筆は、洗うための「たわし」ではない。皿を洗うのはスポンジの方が効率的である。
子どもたちが帰った後で、スタッフはもう一度、石けんで刷毛や筆を洗い直す。子どもの洗い方では足りないところがあるからだ。水気を切って、新聞紙の上に平置きして、陰干し、乾いたら収納である。

1987年の開館当時に購入した刷毛は、欠けることなく、全部今でも「現役」である。参加する子どもたちよりも、はるかに「年上」である。

2014年11月9日日曜日

水圧

小学校の美術の教室に行くと、部屋の片側とか、近くの廊下に水場がある。
小学校の図工では水彩絵具を使うので、そこでパレットやら絵筆を洗う。水場の近くはたいていカラフルな色がはねていたりする。

たいていの子どもは、教えてやらないと、パレットを洗うのに「水圧」を使う。蛇口から勢いよく水を出してその下にパレットを置く。それでも片隅の絵具が落ちなければ絵筆をたわし代わりにこそげ落とそうとする。日頃からお皿洗いのお手伝いをしたことがなかったりするんだなあと、眺めたりする。
もっともたいていの小学校では水道しかないので、寒い冬の日に冷たい水で作業するのがいや、というのも理由になっているかもしれない。お湯の方が水彩絵具のオチが良いとは限らないが。

そんなことを考えていたら、大人の造形講座でも同じようにパレットを水圧で洗っていたり、筆で絵具皿を洗おうとしているのを目撃してしまった。お湯も出るのに、である。人間考えることは同じなのかもしれない。

2014年11月8日土曜日

ミンク

同居人は小学校の図工教師をしていたので、いわゆる学校向けの画材メーカーなどと出入りがある。サクラとかぺんてるなんかが、その代表格だ。
小学生向けの絵具というのは、考えてみれば「すごい発明」なのかもしれない。安価であるが、誰が使っても同じような色に発色し、当たり外れがない。小学校の近くには御用達の文具屋さんというのがあって、そこで絵具を補充できる。日本全国津々浦々、どこでも同じ絵具である。多少古くなっても、チューブによって密封されていて、変質することもあまりない。

これがぼちぼち絵が好きになって、ということになると、まずはじめに凝り始めるのは「画材」である。小学校向けの水彩絵具は「不透明絵具」というものなので、それをもう少し大人向けの画材メーカーの「ガッシュ」にする。小学校で配布される「画用紙」ではなく、ちょっと高い「水彩紙」、たとえばアルシュ、ワトソン、ハーネミューレ、などというのを使ってみる。筆も、アクリルやナイロン繊維のものではなくて、天然獣毛、例えばリスやコリンスキーなどにしてみると、もう断然「違う世界」である。ミンクのコートは着ないが、ミンクの筆は最高である。

一方で、取り扱いには注意が必要になってくる。絵具の保存方法や変質が気になるようになるし、紙の保存方法、筆の手入れも気を使うようになる。絵具のパレットを筆で洗うような「こども」には使わせられない。たわし代わりにわしわし洗って、穂先が広がってしまって、こわれちゃったねー、というには、コリンスキーの筆はあまりにも高価だ。ナイロン筆が10本や20本が大人買いできるくらいである。

2014年11月7日金曜日

お土産

同居人は「お土産好き」である。

実家でも、父が「お土産」をよく買ってくる人である。小さかった頃は、小さなガラスの動物をひとつづつ買ってきてくれた。しばらくすると、小さなガラスの動物園が出来た。

一方同居人の方は、どちらかと言えば「消えもの」が多い。
「お土産」と称しているが、どちらかといえば自分の食べたいものを買って来ているのではないかと思われる。ちょっとしたお菓子、が多い。ちょっと旅行に出ると、ご実家用にと称してお菓子を購入してくださる。実家も食いしん坊が多いので、ありがたいことである。

バースデーケーキはもちろん「お約束」であった。ある年は、けっこう大きめの「ロールケーキ」がやってきた。友達に聞いたおいしいと評判のケーキ屋さんだそうだが、切り売りをしないので、大きかった。夫婦二人、いちどにに食べられないので、半分以上を翌日用に、と残しておいた。
翌日、仕事から帰って、おやつにケーキの残りでも、と冷蔵庫を開けたら、ない。どこか別のところに隠しでもしたのだろうか、同居人の帰宅後に聞いてみた。生ケーキなので傷むといけないと思ったらしい。私が仕事に出かけた後で、朝ご飯代わりにと全部お召し上がりになったようだ。「量が多くて食べるのは大変だった、来年は小さなケーキにしよう」。

こうしてお土産好き同居人はメタボになるのである。

追記:最近は奥様のお誕生日をお忘れになっていることが多くなり、ここ数年ケーキも来なくなった。嘆かわしいことである。

2014年11月5日水曜日

古典

美術畑で仕事をしていると、ときどき「古典技法」というのにぶつかることがある。
絵画で言えば、フレスコとかテンペラとかいう技法がそうだ。中世の絵画技法がそのまま伝承されている。日本で言えば、「日本画」の伝統的な技法にあたるのかもしれない。
もちろん今でも、その技法を使って絵画をつくる人はいる。マーケットとしてはさほど大きくはない。だからマスプロダクトにはならない。テンペラをしている人は、顔料という絵具の材料を買いにイタリアまで、という世界である。

絵画で言えば、古典技法と言うのはプリミティブな材料を使っていることが多い。日本では入手不可能だったり、マーケットが狭いのでやたら高価だったり、ということはあるかもしれない。
中世ヨーロッパの絵画、というのは、どちらかと言えば今では「写真屋さん」とか「イラストレーター」に近いもので、基本的には徒弟制度である。工房ごとに「企業秘密」な、絵具の調合があったりする。現在の状況と比べると面白かったりする。

そんな時代から500年近くたっても、同じような材料で同じように描くことができる、というのがびっくりでもあり、面白くもある。中学校の英語の教科書でワイエスが取り上げられていたが、古典技法でいまどきのテーマ、ということが面白いところだろうか。

機械を通して表現することを常としていると、ときどきそういった作業の作法というのがうらやましくなることがある。

2014年11月4日火曜日

費用

機材が多くなった倉庫や教室を見ていると、気になるのは授業料、である。

今や、美術学校と言うのは、授業料がお高め、な学校のようだ。以前は、「工房」という名のスペースと、いくばくかの年代物の機械があったりするだけだった。美術系の学科は「アトリエ」というスペースである。
勤務学科では、先日書いたように、たくさんの機材があって、これだけで「ひと財産」だ。1台30万のビデオカメラが7台、1台20万のコンピュータが30台4教室、という具合だ。もちろん、学生さんの授業料(施設使用料とか設備費などという名称で徴収することもある)から捻出される。

美術系の学生は、自分で使う絵具は自前でまかなうので、機材も同様にしてはどうか、という話が20年以上昔にあった。今となっては時代を感じる発言だ。画材で数百万使うのは学生さんではちょいと大変だが、消耗品とはいえ「作品」として定着する。機材だと、あっという間だ。カメラ、コンピュータ、入出力装置、アプリケーションで、かなりの値段になる。それより高額な機材はレンタルだ。時間貸しスタジオ1時間数万円などは「ざら」である。
ともあれ、学内にはたくさんの「学習に使うコンピュータ」がぞろぞろと並ぶ部屋がいくつかある。こういう教室は、大学広報では効果的らしく、きれいに写真を撮影されてパンフレットに載ったりする。

機材使い放題! と勢い込んで入学した新入生の「授業料」から、それらは賄われる。私立の学校なので、きちんと元はとっているわけだ。

2014年11月3日月曜日

世話

機材貸し出しが「普通」になると、研究室で抱える機材は膨大になってくる。

勤務しているセクションでは、1学年90名の学部生と、1学年10名程度の大学院院生がいる。
コンピュータが2-30台がぞろぞろと並んでいる教室が4部屋くらいあって、機材管理は研究室の業務である。授業で使う訳だから、機材はすべて同じように整備され、同じように使えなくてはならない。パーソナルユーズが基本的なものが多いので、ばらばらなセッティングでは作業は出来ない。

もちろん、使っているソフトウェアのアップデートやアップグレードは毎年数回になる。アップグレードに伴ってマシンスペックが高くなるので、ハードウェアの入れ替えは4-5年ごとになる。昔と違って、最近は「購入」ではなく、「リース」で導入できるようになったので、入れ替えはスムーズになった。


こうなると研究室の業務は、学生さんの世話をするよりも、機材の世話をしている方が多くなる。
教育の現場としては、「対人」な業務と、「対機械」な業務と、人員を分けた方が効率的ではないかと思うのだが、教育現場と言うのは会社風な組織と違って、なかなか組織を変更するのが難しい。
そうこうしているうちに、社会状況の方が早く変わるような気もする。

毎年学年末になると、来年はどうなるんだろうねえ、などと話しながら採点業務をするわけだ。

2014年11月2日日曜日

消耗品

何を学習するにせよ、「道具」とか「材料」が、手近にあることは大切である。それによってインスパイアされることもたくさんあるからだ。

機材がデジタルになっていく、という過渡期にいた身としては、機材がどんどん「道具」ではなく、「消耗品」になっていくことが気になったりする。

ひところ、映像を学ぶ学生さんにビデオカメラ購入をノルマにしたことがあった。今よりも、まだまだモデルチェンジのサイクルが長いとはいえ、1年のときに購入したカメラで卒業制作が出来るようなクオリティが高い機材は、得てして1年のときにかなり奮発して買った高額なカメラだった。中の中、くらいのアベレージ程度の機材は、3年生くらいでもう少しクオリティの高いカメラに買い替えたくなる。結局、上級学年の貸し出し用にハイクオリティなカメラを購入するようになり、次第に下の学年にも貸し出すようになってきた。デジタル機材は「自前で購入」するものではなくなってきた。

現在の研究室の貸し出し機材の倉庫は、そんな感じで、そこそこ高額な機材が並ぶ。学生さんは基本的に機材を借りて作業をするようになった。

2014年11月1日土曜日

セコハン

最近の大学では、入学と同時にノートパソコン支給、というのも聞くようになってきた。

以前に見学しに行ったことのあるカナダの美術系のカレッジでは、10年以上前からその作戦をとっていて、コンピュータを使った作業は自分のパソコンでやる方針だった。
勤務校でもいくつかの専攻では、入学と同時にパソコン、デジタル一眼レフカメラなどが「お約束」として購入するようになっている。学生の間では、macbookと一眼レフを持っているのは○○学科専攻学生、というように、「目印」になっているようだ。

以前にも書いたが、私が学生の頃は、一眼レフカメラと暗室用具一式が購入必須だった。午後8時半全学消灯のロックアウト制度の残る大学内の工房では、徹夜の写真暗室作業が出来ないからだ。作業は基本的に自宅でやれるようにということだった。
カメラを自前にするのは、「自分の目玉」になるからだ。始終手に持っていれば、使い方も慣れてくるし、シャッターを切る機会も多くなる。
もちろん、写真専門に学習を続ける学生さんばかりではないので、ひととおりの授業が終われば、さっさと機材を処分する学生もいる。そういう学生と、下の学年の学生さんとで、「セコハンマーケット」が成立していた。新品一式が20万円前後だが、セコハンだと半額くらいになる。中には、2代目3代目と継続して使われる機材もあって、セコハンどころではなくサードハンドやフォースハンドになっていたりする。


フィルムの業界と言うのは、技術革新が早いと言うわけではない。新しくなっても、ケミカルとか光学とかの部分的なものなので、大枠の作業自体はあまり変わらなかった。だから、「代々の学生さんに渡って行った機材」というのがあったりした。もちろん、実家の親父さんやオジさんの趣味が「写真」という学生もいて、分不相応に高価なカメラだったり、えらくクラシックな引き延ばし機を使っていたりするのもいた。

2014年10月31日金曜日

分割払い

デジタルな機材の代表と言えば、コンピュータである。
手近にあっていつも触れるようになって、やっと慣れ、使えるようになるものである。

20年近く前のことである。
コンピュータグラフィックス、というのがまだまだ手の届かない時代である。どうしてもそれをやってみたい学生さんがいて、1年生のときに機材の購入を企てた。パソコン、ディスプレイ、入出力装置一式である。一括ではもちろん買えない。安い乗用車並みのお値段である。ローンを組んだ。卒業制作までそれで制作しようと、アルバイト代をつぎ込む予定で4年ローンである。その頃のそういった機材は、学生さんにとってももちろん「高嶺の花」である。クラスの中でも話題になって、数名がいつも彼のアパートに入り浸りになっていた。

しかし悲しいかな、技術進歩は早いものである。翌年には新型モデルが発売になり、次の年には性能倍増のモデルが半額で発売された。3年後はその倍増である。
購入した学生さんは、4年生になったときには既に型落ち、爆遅の機材で作業するはめになった。ローン中なので転売も出来ない。泣く泣く、学校の機材と自宅とをピストン往復しながら作業していた。

教訓。デジタル機材はローンで買わない。4年後には機材の状況は激変する。

2014年10月30日木曜日

おすすめ

電気仕掛けになってくると、機械は「消耗品」になってくる。

以前は、1年生のクラスで「一眼レフを買いなさい」みたいなことをよく言われたし、言ってもきた。自分の目玉になる機材で作品をつくることを習慣化するための第一歩である。
大事に手入れして使った父親のカメラを貰い受けて、アルバイトでレンズを買い、それで卒業制作の作品をつくる学生もいた。

現在は、1年生のクラスで「一眼レフを買いなさい」とはあまり言えなくなってきた。自分の目玉になる機材を持ち歩くことは同じだが、数年後の卒業制作の頃には「使い物にならない」かもしれないからである。電気仕掛け、とくにデジタル化された機材は日進月歩で進化する。

学生に「おすすめのカメラは何ですか」とよく聞かれるが、難問である。

2014年10月29日水曜日

交換

そんな実家のハイブリッドであるが、車検時にバッテリー交換をディーラーに「おすすめ」されたらしい。
バッテリーの価格は数十万である。3年分のガソリン代お得が吹っ飛ぶほどのお値段である。

当然のようにバッテリーなので、使用頻度や経年変化で劣化する。新車購入時にはそんなこと考えなかったようだが、ディーラーで「3年安心パック」みたいなものが購入時にオプションで加入できるようになっていた。最初の交換電池代はサービスです、みたいなコースである。
さすがに全員が交換すると、こういった「安心パック」な類いのオプションは破綻する。今はもうこのようなオプションはつけられないようだ。

電池もパーツのひとつではあるのだろうが、自動車屋さんや機械屋さんの製品ではない。だとすれば、旧型車のパーツとしてのバッテリーはいつまで製造するのだろうか。もちろん電池業界も技術は日々進歩するので、新しいかたちの「電池」にも、旧型車は対応できるのだろうか。そう考えると、ガソリンエンジンのような「クラシックカー」というのは、ハイブリッド車ではあり得ない気がする。

2014年10月28日火曜日

燃費

実家では「ハイブリッド」自動車のはしりだった、最初のプリウスを使っていた。実家はみんな「新し物好き」なので、わくわくしてディーラーに出かけたらしい。値引き一切なしの定価取引だったらしく、5千円もまけなかった、というのが今までになくびっくりだったらしい。

主に妹が使っていたのだが、確かに燃費はガソリン車に比べるべくもなくよくて、感動だったらしい。日頃使っている程度ではなかなかガソリンが減らないよーと自慢された。
それまでは週に1度は給油していたのが、2-3週に1度でもよくなったらしい。ついでに給油するのを忘れてしまって、ガス欠寸前になったこともあったらしい。

ハイブリッドでガス欠。文明とは微妙に不便である。

2014年10月27日月曜日

電池切れ

映像系の機材を学生の頃から使っていたので、バッテリーは始終身辺にごろごろしていた。
以前にも書いたが、バッテリーの材料や種類もいろいろあったり、機材によって専用のバッテリーが必要だったりする。

いまはどんなデジタルがジェットでも「バッテリー」込みである。スマホなどは消費が激しいので、学生さんは常にコンセントを探している。
充電池が旅先で駄目になったりすることもよくあって、そんなときに備えて一般的な乾電池で動作する機材をバックアップに持っていたこともあった。日本全国ばかりではなく、たいていの外国でも乾電池は補充できるからだ。

心配になるのは、町でよく見かけるようになった「電気自動車」である。出先で「電池」が切れたらどうするのか考えると、怖くて仕方がない。そうなることはないのだろうか。

2014年10月26日日曜日

電池

走りの頃の電動アシスト自転車だったし、渋谷代々木あたりを走るので、交差点での赤信号待ちでよく声をかけられた。まだまだ物珍しい商品だった時代である。
「それ、電動ですよねえ、どうですか」。

正直に言えば、坂道はらくちんである。今や電動自転車と言えば、ママチャリお子様用かご付きで一般的である。走り始めに誰かに後ろを押してもらっている感じ、である。原動機付自転車、ではないので、平地では「単なる自転車」である。それでも、発進するときに楽、坂道も確かに楽である。文明の利器だなあといたく感心した。「どうですか」と声をかけられたら、迷わず「楽ですよお、おすすめです」と答えていた。

積んでいるバッテリーと言うのが結構大きくて重い。その頃だからニッカド電池である。この種類の電池は継ぎ足し充電が出来ないので、いったん放電させなくてはいけない。ちょいと取り扱いが面倒である。経年変化と使用頻度で電池容量が減っていく。
一度遠くへ出かけたらバッテリーの容量が急激に落ちた。ニッカドは突如電圧が落ちる。帰りは単なる「重たい自転車」に早変わりである。坂道らくちんどころではない。上り坂は筋トレ状態である。しかもバッテリーの買い替えは、けっこうなお値段である。

平地の多い郊外へ引っ越したのを機会に、電動アシスト自転車は他人に譲って、軽いクロスバイクに買い替えた。坂道らくちんではないが、バッテリー切れや充電具合を心配せずに乗れるのも、らくちんである。

2014年10月25日土曜日

渋谷に住んでいた10年頃前の話である。

電車やクルマに乗っているとあまり実感しないものだが、自転車で街中を歩くと坂道が気になるものである。渋谷は地名からして「谷」なので、反対側には「山」あるいは「丘」があり、つないでいる道は必然的に「坂道」になる。
ちょいと買い物に出るのにバスや電車を乗り継ぐよりも、直線距離で自転車で出かける方が早いなあと思って、自転車を買おうかと考えた。その頃「はしり」だったのは「電動アシスト自転車」である。これなら、坂道も大丈夫だろうと購入した。結構いいお値段だったのだが、緩い坂道はらくちんだった。しかし強敵な坂道と言うのが途中にあって、さすがにこれは手強すぎて、下りて押した。

岸田劉生に「切り通し」の写生の絵がある。その近所で、やたら坂だらけである。写生された場所は、今は既に全く面影もなくアスファルトに舗装され、周囲は住宅とマンションが並んでいる。

2014年10月24日金曜日

下駄

同居人はまごうことなきメタボ体型である。背は高くないほう、である。したがって、典型的な「ビヤ樽」体型である。

さて、同居人は自動車好きである。物心ついた時からクルマを転がしているので、クルマならマニュアルシフト、な人である。
最近の日本車ではマニュアルカーの設定が少ない、あっても割高なのが不満である。出来るだけ自分の所有車はマニュアル、ということにしたらしい。

さて、郊外に引っ越したときに、クルマをそれぞれが持つことになった。同居人は勇んでマニュアルカーを購入した。オープンな2シータースポーツカーである。国内メーカーは主なマーケットをアメリカにしているので、最近のクルマはサイズが大きくなっている。外側だけではなく内側もである。運転席で座るのは、そこそこの身長の欧米人を想定している。しかもスポーツカーだけあって、若者が主たるマーケットである。したがって、それよりも20センチほど身長が低い同居人が座るといろいろと不具合がある。クラッチペダルを踏み切るためには、シートを前に出さなくてはならない。そこまでシートを前に出すと、ステアリングにおなかがつかえ、サンバイザーがおでこにつっかえる。上半身をドライビングポジションにセッティングすると、クラッチペダルを踏み切れない。

結局クラッチペダルに「下駄を履かせる」、クラッチペダルの上に金属板を重ねて厚みを出し、足りない足の長さを補う作戦になった。メタボなオジサンは、貴重な体型なので苦労が絶えない。

2014年10月23日木曜日

シート

同居人はメタボ体型の自動車好きである。
ちょっと時間が出来ると、新発売の気になる自動車をディーラーに覗きに行く。試乗もお好きである。

以前、あるディーラーに新車を見に行った。スペック的に気に入ったらしく、実車のある店舗を探してショールームに出かけて行った。
同居人が見に行ったのは、スポーツタイプのセダンである。バケットタイプのシート、太めの革巻きステアリング、大きめのディスチャージヘッドライトなど、クルマ好きオジサンの心をそそるパーツ満載である。
ショールームの展示車のドアを開けて、ドラーバーズシートに身を沈める、はずだった。……のだが、シートの座面までお尻が届かない。バケットシートの悲しさ、両脇のクッションが高くてカタい。横に太い尻がつかえてしまったのである。

メタボ体型は、シートの選択肢が狭くなるのである。

2014年10月22日水曜日

タイヤ

ずいぶん以前の話だが、同居人の愛用車を売却することになった。

冬タイヤがあるんだけどなあ、と売却するディーラーに言ったら「処分料をいただきます」ということだった。
まだ山があるのにもったいない、と国道沿いの中古パーツショップに持ち込んだ。
店員さんが4本を眺めて曰く、「3本の状態はすこぶるいいんですけど、1本だけ妙に山が低いですねえ」。
「セコハンとしてはセット売りが出来ない」ということだったので、処分料はなし、ロハでお引きとり、となった。

同居人はすこぶるつきのメタボ体型、どうやら右前だけがとっても減っていたようだ。
メタボは財布にひびくものである。

2014年10月21日火曜日

ボンネット

同居人は自動車好きである。
ご愛用者のパーツを取り替えたり、エンジンオイルをグレードアップする、という道楽がある。

以前に知人の自動車を見て、すこぶるうらやましがっていたことがあった。
ちょいと古いが、ぶいぶい言わしているタイプの自動車で、ボンネットだけ黒い。
なんで黒いのか、と聞くと、同居人は「カーボンなんだよ。いいなあ」と言う。
なんでカーボンにするのか、と聞くと、同居人は「スチールじゃなくてカーボンにすると、軽くなるんだよ。いいなあ」と言う。
なんで軽くしたいのか、と聞くと、同居人は「クルマが軽いと、エンジンの負担が軽くなるから、速く走れるってことだよ」と言う。

知人も同居人もメタボ体型である。自分の体重を20キロほど落とせば、ボンネットをカーボンにするよりも軽量化できるのではないかと思うのだが。

2014年10月20日月曜日

応用編

不思議なのは、授業中に「LINE」でせっせとやりとりしているのに、授業でグループ作業をしている当事者同士はそれを使っていないことだ。

担当している授業のひとつは、グループ作業でフィールドワーク、それをまとめて作品に仕立てる、というものだ。週のうち2日は、フィールドで作業をしてもらっている。4人から5人のグループで、作業進行によっては、全員が違う場所にいる、ということが想定される。こういうときに便利なのは、デジタルガジェットである。
遠隔地にいながら、同時進行で作業をするには、LINEは最適だろう。ロケハンで撮影した写真を、SNSに投稿してみんなで見てチャットで検討できる。誰かが学校で編集した動画データも、都内で取材中のメンバーは動画投稿サイトから確認できる。なんと便利な世の中だろうか。私が学生の頃のこの手の作業よりも、3-4倍はスピードアップ、作業量倍増どころではない。移動や待ち時間、現像時間も不要だ。うらやましい限りである。

ところがである。こちらからグループ内の進捗状況を確認すると、全員の動向を把握していなかったりする。撮影した写真も共有されておらず、動画データが行方不明だとバタバタしていたりする。あげくのはてに、全員で同じ場所へロケハンに出向こうとしていたりする。時間がもったいない。全員がスマホご愛用なのに、である。

授業中のおしゃべりには使えるが、実務では使いこなせないのが謎である。

2014年10月19日日曜日

内職

まあそう言えば、である。

我々アナログ世代だと、授業中にメモをつくってこっそりまわしていたり、内職していたり、というのは、多かれ少なかれ見に覚えのあることだ。
最近の子どもだと、授業中に「スマホ」で「LINE」らしい。

妹が、甥っ子の通っている高校から呼び出されたそうである。授業中にスマホいじりはやめさせなさい、というお叱りだったらしい。高校生でスマホが必需品なのかと思ったら、部活の連絡網がLINEだったりするので必携なのだそうだ。
都内超進学高校某も、そもそも校則がなかったのが、スマホに関して自主管理を決めたりしていた。まあ、ガジェットとしては、面白いものなので、熱中してしまうのも分かるような気もする。

しかし、親を呼び出して注意、というのも、何か大人げないような気がする。高校は義務教育ではないので、授業を受けたくなければ教室から出る、という選択肢くらいお互いにあるはずだ。

中毒性がある、と言えなくもないのだろう。先日のニュースでは、高校生のスマホ所有率が9割、休日の使用時間が3時間と言うのが見出しに踊っていた。いまどきの高校生と言うのは、授業中にスマホに熱中していても授業についていけるし、休日にスマホに熱中していても予習復習が間に合うほど、かくも暇なのだろうか。

2014年10月18日土曜日

死語

そうは言っても、いまどきの学生さんはラブレターそのものも、見たことも聞いたこともない、もちろん書いたことももらったこともない、というのがいる。美術学校だから、色気抜きなのか、と思っていたが、それなりに可愛らしいお嬢ちゃんからしてそのようである。だから、スマホの文面からして「絵空事」なのである。

映像では、「映像で表現された世界」そのものが、虚構である。虚構の世界を、絵空事でつくるということは、嘘で嘘をつくことになるので、どうしても世界観にぼろが出やすい。だから、フィクションで、自分の知らない世界のストーリーをつくるときは、それなりにリサーチをすることになる。
学生さんの場合は、リサーチという商売をご存じないし、授業期間ではそこまで時間が取れない。どうしても自分の周りの世界でものごとを固めようとする。周りの世界、というのは、自分と同世代、学生さんの世界である。だから、自然と「内輪ウケ」なものになる。まあ楽しければいいのかもしれないが、表現者になるのであれば、それはあまりよろしいことではないと思う。

翻って、彼らにとって身近なのは、すでに「ラブメール」ではなく、「ラブチャット」、「ラブレター」は既に過去の話で、死語なのかもしれない。

2014年10月17日金曜日

信じる

そんなときに登場するのが、スマホ、ちょいと前までは携帯電話だった。

ちりり、ではなく、ぴろぴろりんとコールが鳴り、主人公はかばんからごそごそとスマホを取り出す。
画面を見る/画面のアップ 「僕も君のことが好き」/目を見張る主人公、次第に笑顔になる
などという展開である。
スマホの画面で、表示された電子文字を大映しで見せられる、というカットのつなぎ方はえらく間抜けすぎる。しかもこれで笑顔になると言うことは、「僕」からのメールであることを信じて疑っていない。詐欺メールでひっかかってしまいそうで、あぶなっかしすぎる。「僕も君のことが好き。ここをクリック」→「ご請求額は約五万円になります。至急お支払いをお願いします。振込先はこちらです。締め切り厳守でお願いします」という展開が、疑心暗鬼なアナログ世代の頭にはよぎる。


間抜けに見える、と言えば、最近の映画やドラマではそこらへんも考えられていて、ほおおと思っていたら、世界は狭いものでこんな動画も見つかったりした。
http://vimeo.com/103554797
プロだってそれなりに悩んではいたんだなあ、と思って安心した。


授業中にこそこそ、どころではなく、比較的堂々とLINEを使っている学生がいる授業中では、どれほどの「文字」が宙を飛び交っているのだろうか。

2014年10月16日木曜日

経験談

携帯電話が大学生の必須ガジェットになった頃、学生さんの映像課題でもよく使われる「小道具」になった。

学生さんの課題作品は、概ねその時の彼らの生活が、良くも悪くも、そのまんま反映される。
もちろん、学生さんの作品のうちで、ドラマになっているものの多くのテーマは「恋愛」である。普遍的なテーマでは、ある。

恋愛状態そのものが映像として昇華されるわけではない。表現の特質上、たいていは「出会い-ときめき-告白-あるいは両者の意識の確認-それに対する困難-乗り越えてゴールイン」といった図式がある。短編の場合は、どれかの局面の三つから五つをまたぐようにシナリオを設定する。

19-20くらいの学生さんの「リアルな恋愛」としての経験から描くとすれば、まあそこいらへんまでだろう。べたべたに惚れ込んで骨まで愛して自分を見失い、ずぶずぶになっていく、などという演歌のような泥沼や修羅場は経験してはいない、と思われるからだ。
担当している授業では、ごくごく短編の作品を要求するので、「恋愛状態」そのものではなく、二つから三つの局面をまたいで変化を描くようにと助言することになる。ご指導としては、いきなり相思相愛でアツアツ、といったゴール状態を描くのではなく、主人公が片思いを告白するための葛藤とか、相思相愛を確認するまでのすれ違いとかを描くほうが、映像的な「物語」として構成しやすい。

ただそれでも、人生経験が少ないので、どちらかと言えば従前のテレビドラマや映画で見た恋愛物語のステレオタイプになりがちである。そうでなければ数少ない自分の人生経験を反映した物語を想定することになる。

2014年10月15日水曜日

広報

さて、そんなことを考えていたら、ほどなく実家の母親から宅急便が届いた。
小さな瓶に入った蜂蜜5種類である。

実家の近くには日本唯一ミツバチ研究室のある大学がある。副産物なのかと思って感動したら、瓶のラベルの原産地は日本全国津々浦々だった。うーむ、ちょっと期待はずれである。
その大学は、駅前に売店を構えていて、夏の間は「ホームメイドアイスクリーム」が売り物である。シーズンには行列ができるらしい。
大学特産品行列と言えば、ほかにも都内では、農科系大学の「学園祭時期には野菜朝市(大根踊り付きかどうかは不明)」などが有名である。

研究成果が地域にアピールできるのは、大学としては「正しい広報活動」な印象がある。やみくもに新聞の全面広告を打つよりも、はるかに広報効果が高いような気がする。まあ、ソフトクリームを食べるためにその大学に行く、とは限らないが、知るきっかけとしてはインパクトがある。ともあれ、父兄の年齢にも好印象であることは間違いない。…まずーいワインは逆効果だが。

2014年10月14日火曜日

お土産

最近の大学は、少子化の影響もあってどこも営業活動が盛んである。

営業、といえば、大学ロゴ入りグッズ、というのが、昔からあったが、最近はとみにおしゃれ雑貨土産物好適品となっている。

東大、といえば、ちょいとレトロな日本手拭いというのが定番だったが、今は学外向けにもさまざまなものが売られている。もちろん、研究成果のたまもの、というものもあり、お酒が並んだ時はつい親近感を抱いてしまった。

同居人が通っている大学の一つでは、「饅頭」である。包み紙に、大学講堂のイラスト、饅頭のてっぺんには、大学の校章が焼きごてで入っている。もちろん大学内での製造ではなく、近所の著名和菓子屋Fのご謹製である。さらに、去年新発売になったのは「お茶」である。大学名に「茶」の字が入っているという「ダジャレ」なので、別に学内に茶畑があるわけではない。奈良にある姉妹校は「奈良漬け」で売り出すのではないかと、密かに想定しておる。
通っているもうひとつの大学は、総合大学でさまざまな学部と研究分野があり、学内の売店にもたくさんの「大学グッズ」が並んでいるそうだ。呑兵衛の同居人は棚に鎮座ましましている「大学ワイン」というのに、目を奪われたようだが、学内関係者から「とってもおいしくないので、やめた方がいい」と助言され、購入を断念していた。授業最終日のお土産は「国大サブレー」であった。普通なサブレーである。

美術系な勤務校では、スケッチブッククロッキー帳手提げ袋手ぬぐいなどが数年前から販売されている。大学イベントの賞品好適品である。さすがに美術系だと食い物はないのが残念である。

2014年10月13日月曜日

デジタル

写真、といえば今やデジタル、である。
動画の方はフィルムが目の前から消えてしばらくになる。もっとも、16mmくらいになると、それなりのコストがかかるので、アマチュアのお遊び、というわけにはいかなかった。私にもうつせます、というコマーシャルで一世を風靡した8mmフィルムは、一家に一台、というほどの普及率でもなかったので、さざ波のように消えていった、という印象があった。一般家庭にはテレビ放送録画用のビデオテープレコーダーが普及したあと、8ミリカメラではなく、ハンディビデオカメラというものが、学芸会や運動会の父兄席でよく見られるようになった。

撮影したものがすぐ見られる、時間を気にせずに記録することができる、現像代不要、現像してみたら露出ミスでまったく撮影できなかったなどと言うハプニングもない。後で開発されるもの、というのは、それなりに先行のデメリットをつぶしながら製品化される。一方で、テクニカルなハードルが低くなった分、それでオーケーか、と言えば、そうではない部分も出てくるものだ。今や完璧に「ブラックボックス」、である。

2014年10月12日日曜日

古典技法

技術を使う分野では、ハードによって表現が違ってくることがある。一方で、どんなハードを使っても、変わらないものやこと、というものもある。

それは従来の美術分野でも同じことだ。テンペラやフレスコといった絵画技法は、今日ではあまりポピュラーな手法ではない。それを実現するにはさまざまな材料や道具を手に入れなければならない。マーケットが小さいので、入手は「楽」なものではない。しかし、それを使わなければ表現できないこと、というのも確かにある。利便性だけで表現が成立するものでもない。

映像の分野で言えば、フィルム、という技術はそろそろ終焉に向かっているのかな、という感じがする。町の写真屋さんや現像取り次ぎの店も減った。特殊なフィルムの現像は、ラボが減ったために処理時間よりも輸送時間の方がかかるようになった。こちらのほうは、マスプロダクトの製品なので、企業が取り扱いをやめてしまえば、その技術や技法を再現することは難しい。もっとプリミティブな技術であれば、なんとか再現できるのかもしれない。ガラスの乾板や、鶏卵紙などはできるだろうが、フィルムやカラーの自家現像などは難しくなるのだろう。

いつしかフィルムは「古典技法」になっていくのだろう。そのときに残っていく「変わらないもの」は何だろうか。

2014年10月11日土曜日

贅沢

今年は、秋からの後期日程期間、産休の元同僚の大学教員のピンチヒッターに行く、という話になった。
夏休み前から履歴書や研究業績書をやりとりし始めた。国立大学の非常勤は3校目くらいである。国立大学は文科省の管轄なので応募書式が統一されているのかと思ったらさにあらず、案の定「我が社の方針書式」というのがある。産休教員の代用なので、彼女の業績をカバーするような表現をしろ、と産休教員からは指令が来た。
それでも事務方からは再三再提出の指令が来た。我が社の書式と微妙に合わなかったようだ。「、」と「,」が違ったり、全角アキと半角アキが違ったりしたようだ。チェックする方もマメである。

そんな具合で、たかだか14回ほどの授業であるのに、書類のやりとりだけで10回近くになった。産休教員のプッシュもあって、なんとか書類は受理されたものの、初回の講義で教室のドアを開けたら、受講生は再履修の2名だった。同居人はのけぞっていたようだ。
講師料と支給交通費をあわせても、時間の節約、と新幹線を使えば赤字である。学生さんにとっては、贅沢の極みである。 
まあこんな感じの受講生数でも成立してしまうのが国立大学なのかもしれない。数年前の別の国立大学では受講生数1というのもあった。マンツーマン状態、お互い風邪でお休みなどできない。キンチョーな授業である。

2014年10月10日金曜日

厚み

応募する先によって、それぞれに研究業績書や履歴書のフォーマットが違う。
もちろん、アピールするポイントも、応募先によっては違ってくるので、まるきり同じものを流用できる訳ではない。

応募先のフォーマットに従って再編集と再作成をした研究業績書を提出しても、「再提出」を課す応募先もある。罫線が一本足りないとか、ここの欄のフォントの大きさが違うとかである。ずいぶんと細かいことに気がつくなーと感心する。
むしろ使いにくいフォーマットに、地道に文字入力をする「根性」や、細かいところまでチェックできる「重箱の隅がつつける能力」が試されているのではないかと勘ぐったりする。

某国立大学では「プリントアウトされた業績書の厚みが大切なので、各項目を丁寧に記述して枚数を稼ぐように」という現役教員からのアドバイスももらったりした。薄いよりも厚い方が良い、という価値観は、大学としていかがなものか、と考えるのは私だけだろうか。ひとつのことを地道にコツコツ、といった研究者は、認められない、ということなのだろうか。

同居人だけかもしれないが、これだけの書類をつくるために、それなりの時間と手間がかかる。同居人はともかく、自分で書類を作成して応募する研究者は、日頃それだけの時間と手間を割ける、ということなのだろう。一方で、提出された先の事務方と先生方は、その「厚み」を審査するための、時間と手間がそれなりに割ける、ということなのだろう。

日本の高等教育は謎が多い。

2014年10月9日木曜日

清書

結局のところ、事務作業やデータとしての利用ではなく、「清書」するためのツールとして使用しているので、本来の「表計算」をしたいわけではない。
一方で、文書作成ソフトのwordというのが「使いやすい」のか、と言われると、これもうーむ、である。こちらはこちらで、長文を構築していくのが目的である。作表したり、文書の途中に画像を入れたりするレイアウトをしようとすると、とたんに「難しいソフト」になってしまう。文書作成とレイアウトは「違う」からである。しかし、執拗にwordで自分のつくりたい書類を、四苦八苦しながらつくっていたりする。

どうしてなのか、と言えば、そもそもWindowsパソコンを買うともれなくOfficeがインストールされていたからである。日本人はおまけと無料に弱い。自分のスキルや目的とは関係なく、Officeを使ってしまう。おかげで、ワープロソフトでレイアウトしようとしたり、表組みの文書を作るために表計算ソフトを使ってしまったりする。あげく、Excel方眼紙などという、職人芸が発生する。

そもそも「プリントアウトされた書類で提出するためのフォーマットサンプル」として、方眼紙を利用して「プリントアウトされたサンプル」が来るなら、こちらで使いやすいソフトで作成し直す、という作戦が使える。しかし、excel方眼紙の書類に記入してデータで送り返せ、という学校があると、はっきり言って辛い。しかもこういう学校の書類ほど、マクロが使ってあったりして、書類を開くと「マクロを使用しているのでご注意、本書類はマクロを無視して開きます」などという警告が出てきたりする。空欄に文字を入力するためにマクロが必要なのか、よく分からないが、とりあえず無視して開いたりする。

2014年10月8日水曜日

書式

毎年数回は、このEXCEL方眼紙によって作成された書式にのっとって、同居人の履歴書や研究業績書を作成せねばならない。

最初のうちは、馬鹿正直に送られてきた方眼紙にいかに合わせて作成するかを腐心した。しかし、である。excelで作ってしまうと、再利用は甚だしくやりにくくなる。
指定された書式は複雑怪奇なことおびただしい。見た目はひとつのセルなのだが、実はいくつかのセルが結合されている。…ように見えるのだが、罫線を「なし」にしているだけなので、テキストを打つと、変なところで折り返してしまう。書式を作った人物は、「表」だけを印刷したかったので、中のセルにダミーテキストを入れることさえしていないようである。見た目を維持するために、複数のセルにセンテンスを分けて入力する。うちはMacなので、Windowsの標準フォントは持っていない。微妙にレイアウトが変である。ちょいと書式を変更しようとしても作成者以外の改変は許さないという設定になっている。もちろん見た目はなんとかなるが、データとしてはもう意味がない。記入した項目のソートすら出来ない。
数時間格闘した後で、手塚治虫風にいうなら「あっちょんぶりけ」である。

結局、印刷された「書類」を要求される場合が多いので、別のソフトで作り直してしまった。これでデータ流用もらくちんである。印刷された「紙」だけでは、どのようなソフトで作成されたのか分からないからである。

ところが今回提出する某大学は、excel方眼紙の書式を送ってきて、そこに必要事項を記入したデータで提出するようにというご指定である。ますます「あっちょんぶりけ」である。最先端の「情報コミュニケーション学科」の設置されている大学である。これが「普通」なのだろうか。うーむ、日本の情報教育は奥が深すぎる。まあ、PowerPointで文書をつくれ、といわれるよりもましかもしれないが。

2014年10月7日火曜日

種類

同居人は小学校を退職した後、いくつかの学校の非常勤講師をかけもちしている。よく言えばフリー、悪く言えばパートの先生である。
パートの先生、というのは原則として1年雇用、つまり毎年契約更新をしなくてはならない。一方で面白いのは、いろいろな学校に顔を出せる、というところだ。

1年雇用の条件であったり、新規の雇われ先だったりすると、「書類提出」を求められる。先生業だと、履歴書、研究業績書というものだ。

面倒くさいのは、雇う側の事務方が連絡をしてきて、この書式で書類をつくるようにと指定されることだ。一律に全国津々浦々「書式」が統一されていれば、既存の書類を使い回したりするのだが、学校によって「びみょー」に書式が違う。しかも、たいていは、windowsで作成された、ひとつふたつ前のバージョンのwordやexcelファイルが「書式」として送られてくる。
我が家はMacベースで作業しており、私はやたら挙動重厚なMS Officeユーザーではないので、当然のようにフォントが置き換わり、レイアウトが崩れる。書類をワープロで指定してくるならともかく、表計算ソフトで文書を作れ、と言ってくる学校もある。三流弱小専門学校ではない。りっぱな、国立大学である。
書類を開いてびっくりした。これがネットでひところ話題になった「EXCEL方眼紙」というものであった。

新規採用先に同居人が応募をする。同居人は事務作業が苦手なので、書類作成は私の担当である。おかげで、あちこちの大学のEXCEL方眼紙と奮闘するはめになる。もしかしたらこれで応募意欲を削ごうという罠か、EXCELのアクロバティックな扱い方を見たいのではないかと勘ぐってしまう。

2014年10月6日月曜日

多忙

やっと1年生の基礎実習が一段落した。もう後半になるとさまざまな作業がたてこんできて、青息吐息である。

さて。

担当している基礎実習は、機械を使って作業する内容なので、一度に用意できる機材と人員が限られる。それに合わせて受講人数が決まってくる。現在の基礎実習は1学年を4クラスに分けて、4つの授業をローテーションで回すという方法だ。
学科が発足してから20年ほどになるだろうか、年々バージョンアップ、と言えば聞こえはいいが、年度末に少しずつ修正しながら次年度分を用意する。そうやって数年経つと、辻褄合わせの集積となっていく。
ふと気がつくと、あちこちで不具合がある。4つの授業の担当者はそれぞれ違うので、自主的に情報交換などをしている。しかし全員が非常勤、所詮「雇われ」なので、抜本的な対策を立てることはできない。

では誰がカリキュラムを考えねばならないのか、と言えば「専任教員」であるはずだ。ところがこちらもいつも「忙しい」のである。自分の授業はさておき、学内の委員会だの打ち合わせだの会議だのと、なかなか時間をとってもらえない。
では誰が会議を開催しているのか、と言えば「大学」である。そもそも、教育機関であるはずの大学が、教育をしなくてはならない教員を、会議で忙しくしているのはなぜなのか。

小学校の教員が世界一忙しい、といった調査結果がニュースになっていた頃があった。全員とは言わないが、大学の教員も教育について時間をかけられないほど忙しそうだ。なぜなんだろう。

2014年9月15日月曜日

マンデー

ハッピーマンデー制度、というのがある。

国民の祝日をなるべく月曜日に移して、連休を多くしよう、という政府のありがたいお達しである。
土日のお休みと併せて、三連休、というのが設置の理由として発表されていた、ような気がする。国民は、ゆとりのある生活を目指し、三連休に旅行などのレジャーをして金を使え、という政府の方針だったような。

ところが、学校はこれでは困るのである。時間割で月曜日だけが軒並み授業日数が少なくなるからだ。大学では社会人の非常勤講師も多く、月曜日に有給をとって授業に来る、という二足のワラジな先生がいたりする。ワラジ先生は火曜日から土曜日までは会社人である。
ちなみに今年で言えば、後期日程のうち、4回が「月曜祝日」である。文部省の規定の回数分の講義をこなすためには、授業終了後4回の補講が必要になる。ワラジ先生は月曜日以外はご出講できないので、後期日程の授業終了後4回やってきて授業をしなくてはならない。火曜日の授業は既に試験も提出も採点も終わっている時分である。
こんなことをしていると、卒業関連の行事や入試日程、進級判定の時期とぶつかる。どう考えても理不尽である。

そこで勤務校ではここ数年、「休日出勤」を採用している。世間的にはお休みだが、授業的には平日並み、というものである。今年は、今日の敬老の日がそれにあたっていて、休日ダイヤの電車やバスで登校である。
どう考えても、単に祝日が減っているだけで、ハッピーマンデー制度の公務員や会社員よりも、大学の祝日取得が少ない。夏休みや冬休みでチャラ、というのであれば、いっそのことカレンダーについている「祝日」は無視していただく方が、カリキュラムのスケジュールを組むのは楽なのである。祝日なしの15回と、祝日があって14回の授業でも、同じ内容にするのであれば、後者はかなり内容を詰め込まなくてはならない。単に1回お休みだもんねー、にはならないからだ。

ゆとりある生活のためのハッピーマンデーは、詰め込み授業の元になるのかもしれない。

2014年9月8日月曜日

用途

私は女子トイレの状況しか知らない。
女子トイレ、というのは、個室がいくつか並んだレイアウトになっている。扉が閉まっていると使用中、である。
しかし、昨今の状況から鑑みると、使用の用途が多様化しているようである。
個室でボッチ飯、というのが、数年前に話題になった。今は個室でスマホすりすり、である。

先日新聞を読んでいたら、家庭欄にこんな健康系の話題があった。
「若い女性に痔持ちが増えている」。
最近の「若い女性」の発症理由は、「トイレでスマホ」もそのひとつと考えられる、というのがあった。
下の方のお話なので、具体的な理由は記述しないが。

さても、依存と言うのは怖いものである。

2014年9月7日日曜日

ながら族

ガジェットひとつで、ゲームも出来るし、漫画も読める、電話もかけられるし、SNSで他人とつながることができる。
ひとつの機器でさまざまな機能を持つので、機器をたくさん持ちある必要がなくなった。まあ、便利と言えば便利、ではある。

そんなガジェットなので、学生さんは手と目玉さえあいていれば、機器を操作する。
スマホ依存、という言葉がメディアで使われるようになって、歩きスマホはやめましょう、などと言われたりしても、学内では多くの学生がスマホをスリスリしながら歩き回っている。自転車に乗りながらすりすり、昼飯を食べながらすりすり、授業中もすりすり、用もないのにすりすりである。

時々、トイレでスマホの落とし物を発見することがある。スマホだけ手に持ってトイレに行くのかな、ポーチやバッグに入れて用を足すのではないのかな、と思っていたら、トイレですわってすりすり、というのはよくあることだそうである。おかげで、トイレの個室の中にぽつねんとスマホが置き去りになっていたりする。

以前、携帯電話が学生の必携がジェットだった頃は、トイレの中でおしゃべり、という状況を目撃、ではなく拝聴してしまい、ビックリしたことがあった。扉を閉めた個室の中から、ぼそぼそと話し声がして、よーく聞いていると、どうも電話でおしゃべりしていた、という状況であった。最近は、トイレに座ってLINEというので「つながったり」するのだろうか。発信者の状況を想像したくはない、かもしれない。いやいや、トイレに座って用を足しながら、仕事の打ち合わせが出来るのは、むしろ難しいことなのかもしれないが。

2014年9月6日土曜日

内容

漫画雑誌なら体裁から、ああ漫画を読んでいるなあと、端からわかっちゃう、ものである。

スマホの場合は、すりすりしていることを見ても、実際は何をしているのかは、分かりにくい。
学術論文を読んでいるのかもしれないし、英文経済誌を読んでいるのかもしれない。
どんなところでも勉強できるようになったり、本を読めるようになるのはありがたいなあ、と思っていた。

年齢性別問わず、電車の席に座るとスマホをすりすりし始める。ときどき、何をしているのかなあ、と横目でちらちら見たりする。
もちろん立っていてもすりすりしている人はいるわけで、何の気なしに後ろから画面が見えてしまうことがある。

以前は子どもをおとなしくさせるために、電車で携帯ゲーム機を渡す親をよく見かけた。熱中していればおとなしくしているからだ。それは大人とて同じようで、妙齢のビジネスウーマンや、デパート帰りらしく高級ブランドの紙袋を下げた「お姉さん」たちも、スマホでスリスリしているのは「ゲーム」だったり、お若いOLさんはしきりにLINEでやり取りをしていたりする。

何だか、スマホという高価なガジェットの陰に隠れて、みんなが「子ども化」しているような気がする。

2014年9月5日金曜日

熱中

いまどきの学生さんの必携ガジェットはスマホである。
もちろん世間的にも大流行である。

電車に乗って席に座る。向かいの席は7人がけ、たいていは3人、多い時は5人がスマホをすりすりしている。文庫本を読んでいるのは1-2名、という感じだ。これは、既視感かと思うことがある。

大学を出て社会人になった頃、電車で通勤していたときに、席に座った。通勤時間帯なので、まわりは年齢いろいろなサラリーマンが多い。ビジネスマン、とでも言おうか、背広、ネクタイ、ビジネスバッグ、というのが定番である。画一的なファッションだよねえ、と思っていたら、向かいの席のサラリーマンがバッグから取り出して読み始めたのは漫画雑誌である。
我々の世代だと、大人向けの漫画雑誌というのがあって、B5中綴じである。しかし、並んで読んでいるサラリーマンの中には、B5無線綴じ、すなわち少年漫画雑誌の体裁のものを広げていたりする。ハードカバーや文庫本を読むのは、女性が多い印象があった。

翻って、目前の状況は、漫画雑誌がスマホになっただけ、に見えることがある。

2014年9月4日木曜日

旧仮名

年上の学生、と言えば。

通信教育課程で、レポート添削を担当している。
レポートだけの科目なので、試験や面接授業はない。純粋に「文面だけ」を何往復かさせる科目である。

担当している科目のレポートは手書きなので、文面もさまざまである。
学校の提出規定では筆記用具の指定はないようなので、万年筆でとても丁寧に書く人もいれば、柔らかい鉛筆でなぐり書きにしか見えない、という人もいる。
万年筆で丁寧に書いてくる人は、年齢層の高い人に多い。ときどき、旧仮名遣いや、異体字で書いてくる人がいたりする。

通信教育課程は、一般的な通学制の大学とは違って、入学のための「試験」がない。基本的に書類審査である。だから、通学制のクラスと違って、年齢も学歴も多種多様である。高校卒業すぐの学生も入れば、定年退職後の生涯学習、という人もいる。
人生が長くなって、定年退職後の余暇も長くなった。学習を続ける、という意識を持つことさえも「エラいなあ」と思いながら、文面に赤を入れていたりする。

2014年9月3日水曜日

同級生

担当している授業の学生がおうちでゴロゴロしていた頃、この夏も美術館には学芸員の実習生がたくさん来ていた。

資格取得の常で、「フツー」は大学生、ときどき大学院生がくる。
世間一般の常で、大学生といえば20歳ちょっと、大学院生といえば、もう少し上、という「お年頃」と考える。
今年は、定年退職後の「おじさま」が、学芸員実習で来ていた。

私の学生時代は、年齢の違う同級生はいても、数歳程度、親父ほどにトシの離れた同級生と言うのはいなかった。なぜかと言えば、もちろん入学試験があるからだ。
一方で、入学考査が書類だけ、という通信教育の課程は、トシがまちまちなことが多く、先生よりも年上、という学生さんが散見された。教室を覗いても、誰が先生なのだか分からない。

高校まではほぼ同じ年齢層で固まっている。学外で何かをやらなければ、年齢層の違う友達を作ることは難しい。
社会人になると、どうしても「商売がらみ」でしか知り合いが出来にくくなる。商売抜きの友達を作ることも難しい。

先生としては、年上の「おじさま」は、ちょっと教えるのが難しかったりする。どうしても、年下の同級生を「仕切る」傾向があるからだ。「おじさま」によっては「教えたがり」という人がいる。
まあ、それを抜いても、同級生としては、年齢層の違うクラスメートというのは、とてもありがたかったりするものだ。自分の年齢層だけではない「ものの見方」というのを知るきっかけになる。

2014年9月2日火曜日

余暇

授業では、1年生を担当している。4月5月はまだまだ高校生みたいな状態だが、夏休みを過ぎると、少し「大学生っぽく」なってくるものである。遊んだり働いたり、少し人生経験を経ると、ものの見方や、人とのつきあい方が変わってくるものだ。
もちろん、夏休み中に、遊びすぎて大学どころではなくなった、というケースもある。アルバイトが面白くてのめり込む、遊びに行ったら帰ってこられない、などいろいろあるが、長い人生、いろいろと紆余曲折した方が楽しく過ごせたりするものだ。

翻って、現在担当しているクラスでは、夏休みに何をした? と問いかけても「べつにー」というお答えが多い。旅行に行った、としても合宿で2泊3日、実家に帰って日帰りで海水浴、くらいが関の山、聞いてみると、たいていの学生がどうも「おうちでごろごろ」派である。

もったいないことである。「ごろごろできる余暇」というのを満喫しているのかもしれないが、ばりばりと作業できたり熱中できるのは、大学生のうちだけなのである。
「おうちにいました」とのたまう学生の顔を見ていると、何に疲れているのかなあ、という気がする。

2014年9月1日月曜日

不足

9月に入ると新学期、というのは、小学生の頃の思い出、だったはずだった。

中学高校は私立だったので、当然のように、長期休暇は長めだった。大学に入るともっと顕著に長めになった。夏休みは7月の終わりから9月半ばまで、ほぼ2ヶ月、アルバイトやら旅行やら、自主制作やらでみっちりスケジュールが詰まっていたものだ。

ここ数年、勤務校では夏休みお終わりが早い。今年など、本日1日から始業である。小学校とは違うので始業式などなく、いきなり授業開始、である。周りを見回すと、公立小学校並み、ほかの大学などもっとのんびりしていて、同居人の勤務校など10月から始業、というところまである。
昨年あたりは残暑が厳しくて、最高気温30度と言う予報が出る限り、夏休みにしてほしいなあ、と思っていた。今年は、猛暑日だから、というわけではなく、8月後半は雨続きで遊び足りない、というのが正直な所。でもやっぱり、夏休みがまだまだほしいなあ。

2014年8月31日日曜日

大型

友人から手紙が来た。ご主人が会社勤めをお辞めになったので「初ボーナスなしの夏」をお過ごしの様子である。

私で言えば20年ほどボーナスなし。同居人で言えばここ4-5年ほどボーナスなしだが、その前から「ボーナスはすべて自分の小遣い」になっているので、奥様には関係がない。新聞やテレビのニュースで「ボーナス」の話題があっても、縁はない。
まあこういうもの、と思っていれば何と言うことはない。勤めていた頃を思い出せば、ボーナスは「棚からぼたもち」みたいなものだったので、旅行やら機材やらと使っていたような気がする。
ボーナスがない生活で、何が違うか、と言えば、「大型消費」が少なくなったような気がする。ボーナスで冷蔵庫を買い替えるかー、と言っていたのが、なくなるわけだ。冷蔵庫買い替えるかー、カメラ買い替えようかー、と思ったら、毎月こつこつと「冷蔵庫用貯金」「カメラ貯金」である。急な支出はあっても、急な収入はないのである。

ないならない、といことは、そのうち慣れるものである。7月と12月をあてにしなくなるだけで、サラリーマン以外はそんなものである。農家も漁師もボーナスはない。日本国民が全員「ボーナスをもらう」ものではないのだが、と新聞を見ながら考えてみたりするようになる。

2014年8月30日土曜日

お茶代

母の生家は大きな家だったそうなので、庭師や大工など、たいてい何かしら職人さんが出入りしていたそうである。
家には古い皿のセットがあった。有田とか九谷とかのブランドものではなく、ちょいと大衆的な染め付けのつくりである。普段使いのものとは違うのだが、ハレの日や、お客用というレベルではない。何の用途かと聞くと、職人さん用だったのだそうだ。
おやつやお昼は、もちろん仕事場である「うち」でとることになる。戦前の話なので、コンビニも弁当屋もない。飲み物はもちろん、十時三時のおやつ、お昼に副菜くらいは出しており、そのためのお皿だった。

実家でリフォームした時は、リフォーム屋が手配をしていたのだが、お茶もお菓子も「ノーサンキュー」で、その分請求書に上乗せされていた。まあ、ドライ、と言えばドライなのだが。

2014年8月29日金曜日

和風

自宅の屋根を塗り替えることになった。下地を板金屋が作業し終わったら、塗装屋がやってくる。

意外にお若い塗装屋さんである。以前にも外壁塗装をお願いした。塗装中が、3月、大地震があった。幸いけがはなかったものの、鉄道が止まったおかげで、道路が大渋滞、当日の帰宅は深夜になったらしい。次の日からも、道路事情で到着の時刻が読めない、来てもガソリンが補給できないので帰れない、などといろいろあった。

作業中は、お茶とお菓子など用意するが、設計事務所から注文があった。「出来れば和菓子」。なぜかといえば、塗装屋さんのご実家はケーキ屋さんなのだそうである。小さい頃から洋菓子で育ったので、もう充足しているらしい。

そう言ってもらえれば、こちらは気楽に大福やらどら焼きやらを用意するのである。

2014年8月28日木曜日

レース

自宅の屋根を塗り替えることになった。鋼板ばりなので、多少さびやらなにやら不具合もあり、板金屋をお願いした。

建築業界は何やら今年に入ってから忙しい、そうである。1月頃からほかの部分も含めて打ち合わせを始めたのだが、3月一杯は消費税値上げ前の注文殺到だったらしく、人の手配がついても建材の在庫がなかったり、建材の手配がついたら今度は人手が足りなかったりして、やっとこさ作業を始めたのは5月に入ろうかという頃だった。
そんな頃に、屋根も塗り替えるかー、という話になり、いろいろと段取りがついたらお盆休み、それが済んだら暑すぎて作業にならず、その後の今週は雨続きで外の作業は延期中である。

家を設計した事務所に、いろいろとアフターケアもお願いしている。個人事務所なので、いろいろな作業はあちこちの個人業者さんを集めてくれる。お茶を出しがてら少し話もする。意外なご趣味もあったりして、いろいろと面白かったりする。板金屋さんは、毎年「ママチャリレース」に出ているんだそうである。ママチャリという一般自転車で、サーキットをまわるレースなのだそうだ。その手の面白い「レース」があれば、遠路はるばる行ってしまう人らしい。屋根の上で作業する体力は、そのレースで遺憾なく発揮されているのだろう。

2014年8月20日水曜日

充電中

学生さんがスマホを持って学校に来るようになったのは、いつ頃からだったろうか。

ポケベル、PHS、ガラケーと、学生さんが常備する電子ガジェットはずいぶんと変わってきた。
それまでの「ガジェット」と違うのは、スマホの電池は持ちが悪い、ということである。

講義室はたいてい、後ろの方から席が埋まる、というのが多かったが、最近は「壁側から埋まる」のである。学食もたいていは、窓側の眺めのいい席から埋まるのに、最近は壁沿いの端っこの薄暗い席から埋まる。なぜかと言えば、そこにコンセントがあるからだ。
着席するやいなや、鞄から充電用のケーブルやらコネクタを取り出し、コンセントとスマホをつないで机の上、というのがよく見る風景である。授業中はスマホはしまってくださいねーと言わなくてはならない。それでも授業中にぴろぴろと脳天気な着信音が鳴ったり、机が突然音をたてて震えていたりする。

授業の後は教室で忘れ物を確認するのだが、充電用のケーブルがコンセントにさしたまま忘れ去られていたりすることがある。時には引き続き充電中のスマホさえ置いてある。うーむこれは、満充電までこのままにしておいてください、というサインなのか、盗んでOKというサインなのか。

2014年8月18日月曜日

ぜんまい

もっとも、映像系の機材はもともと最初から「電気駆動」であったわけではない。

学生時代に使っていた16ミリフィルムのムービーカメラは、「ぜんまい」を巻いて駆動していた。ぜんまいをいっぱいに巻いてシャッターボタンを押すと、「ジー」と言いながらモーターが回り、撮影する。ゼンマイの最後の方はだんだんスピードが遅くなってくる。いっぱいに巻いて27秒、だから実際に定速度で撮影できるのは20-25秒ほど、という「お約束」がある。それでフィクション映画を撮るわけだから、カット割りをかなり考えておかなくてはならない。長回しは「なし」、だった。

35ミリのフィルムカメラは、基本的には「メカニカル」だった。内部露出計とファインダー内部の計器視認用だけに電池を使う、というものである。
私が使っていたカメラは、その後の世代で、シャッターは電子制御になっていた。だから、電池が切れたら、シャッタースピード1/250secだけはメカニカルで動きます、と言う仕掛けがあった。ロケに行って電池が切れたり、電池の補充が出来ないところで撮影することを想定した機構だろう。その上位機種は「戦場カメラマン御用達」だった。

そういう機械を扱っていた世代から言えば、今の「映像」系の機械は全部「電動式」である。バッテリーがなければ、一切動かない。デジタルカメラなど、光学式のファインダーもなかったりするので、レンズの視野すら確認できない。

便利なんだか、不便なんだか。

2014年8月17日日曜日

メモリー

電池と言えば。

いまや映像系の機材の多くは「電動式」である。
私が電子映像、といったものに手を染め始めた頃は、カメラ用、ビデオデッキ用、モニターディスプレイ用、もちろん別録り用のマイク、マイクミキサー、テープデッキ、照明が必要なら照明用と、それぞれに「バッテリー」が必要だった。当然のように、「汎用バッテリー」などはない。メーカーも製造時期もそれぞればらばらである。ロケに行って、カメラ用のバッテリーを忘れた、などという失敗もした。


当時はニッケルカドミウム電池、というのが主流で、これがまた重い。しかも、他に選びようがない。軽量とか、材料違い、などあり得ない。
この種類の電池は「メモリー」というのが癖である。中途半端に充放電を繰り返すと容量が減る、といういやな癖がある。例えば、容量40パーセントくらいで、補充のために充電を始めたとする。電池君は、充電を始めた時点を「ゼロパーセント」と「メモリー」するので、次回は容量40パーセントで「もう電気はありませーん。ゼロパーセントでーす」と宣言するようになる。
高級な充電器には「放電装置」というのがついていて、全部の電気を放電してから充電する賢い機能がついていた。ところがこの「放電」にはえらく時間がかかるので、駆動時間90分のバッテリーの放電と充電に一晩かかったりした。
それでもだんだん使用頻度に従って容量はへたってくるので、数年で交換である。現在のように機種変更が頻繁ではなかったが、一代の機械に数回のバッテリー入れ替え、そして本体ごと買い換え、という感じで使っていた。

民生機は機種変更が頻繁になったので、バッテリーがへたる前にカメラを買い換えるようになった。そのうち、リチウム電池が使われるようになった。同じ要領で格段に小型軽量化できる。メモリーしないので、途中で「継ぎ足し充電」ができる。ありがたいことである。

2014年8月14日木曜日

学習

近所の車が買い換えると、かなりの確率で「ハイブリッド」車がやってくる。

以前と違って、ハイブリッド車も選択肢が増えたようだ。よーく見ると「ハイブリッド」というエンブレムがついていたりする。
増えたなあという間に、PHVというのも出てきた。近所のディーラーには「充電スタンド」があったり、最寄りの国立大学の駐車場にも「充電スタンド付き」のスペースが2台分あったりする。近所にもPHVが1台いて、夜はケーブルつないで路駐である。ガソリンと違って、ケーブルつなぎっぱなしで放置状態なので、何となく間の抜けた風景に見える。

実家は「新しもの」好きなので、プリウスも初代の時に飛びついて購入した。初トヨタ車な実家では、「値引きをしない」というセールス方法にびっくりしていた。
遠出の仕事が多い妹は、「ガソリンを入れ忘れるわー♪」と、省燃費を堪能していた。
そこそこ走ってしまったので、3年目の車検の時に、「要電池交換」とお知らせが来た。

まあ、当然である。普通にガソリン車のバッテリーだって数年で交換する。
問題は値段だ。交換が2-30万円ではきかない見積もりがやってきた。省燃費などチャラである。
購入したときに「サービスパック」というオプションに入っていて、それには「電池交換一回無料」というサービスがついていた。ついていなかったら、どうなっていただろうか。
その後の何回目かの車検で、そろそろ電池交換が、と言われる前に、車を入れ替えていた。今度はホンダのハイブリッドである。学習しない人たちである。

2014年8月11日月曜日

段階露光

夏である。

今は皮膚がん発生の恐れがあって紫外線は浴びない、というのが通説であるようだが、子どもの頃は夏休みにどれだけ「まっくろ」になったか、というのが「元気」のバロメーターだったりした。

海に行って海水浴、というのが日焼けの定番である。
ちょっと違うなーと思ったのは、中学に上がった頃である。中学校にはプールがないので、常に「体操服」である。屋外の授業でも、体操服を着て「焼ける」。服の下はそうそう焼けない。靴の中など全く焼けない。風呂に入ると、足の先と服のところは焼けずに残っているわけだ。いわゆる「土方焼け」というのだと、後から知った。
その状態で海水浴、をすると、遠目には「ビミョー」な状態である。白っぽい肌の上に水着、手足は黒いが、足先は真っ白、である。全体的に同じトーンに焼けずに、写真で言えば「引き延ばし」の作業の時の「段階露光」テストな状態である。白、グレー、黒、という感じでグラデーションになる。

恥ずかしい(いや、かっこ悪い)ので、水着の上に「超日焼け防止」と称して大きめのTシャツ、磯遊び用のズックかサンダル着用、という格好でいたこともある。

スキー好きの人だと、顔の下半分だけがやけに黒い、という状況で焼けたりする。まあそれが全身版、ということである。
同居人に一緒になってから、つきあって船に乗った。走っているときは座っているわけで、前半分、上半分しか焼けない。つまり、脚の前側と後ろ側、膝の上と下では濃度が違う。もっと段階が増えてしまった。海であっても、船の上は土方焼けである。

2014年8月10日日曜日

冷え

実習生は「大学生」である。であるから、学生さんのまま、実習にやってくる。

一方、実習する施設は「学校」ではない。社会教育施設、というやつなのだが、もちろん一般公開して営業している施設である。
「受け入れ」る側の方もいろいろと都合があるので、実習したい学生を無条件には受け入れられない。
10年以上前のことだが、実習生の数が比較的多い年度があった。

そもそも、学芸員資格をとりたい学生で、美術館に来る「実習生」のほとんどは、なぜか女子学生である。これが考古系や理科系なら男子学生比率は上がるのかもしれないが。
…というわけで、夏休みの展示期間中は、実習生であるところの女子学生が、出入りすることになった。
一番最初に注意したのは、「タンクトップ禁止、ミュール禁止、ヘソ出し尻出し禁止」である。大学内での私服でそのまま美術館にやってくる学生が目立つ。学生の反応はこうだ。

「大丈夫です。私、冷え性ではないですから」。

確かに美術館は作品保存のために夏でもエアコンを入れる。人間様の過ごしやすい温湿度とは違い、やや「涼しすぎる」。いやいや、違うのである。TPOというのが必要なのである。

2014年8月9日土曜日

分野

実習、といっても、数週間で数単位、でしかない。
教育実習ほどシビアに内容が絞ってあるわけではない。実習をする「博物館相当施設」によって、内容がずいぶんと違う。

実習して学習した分野の博物館に学芸員として就職、することは、ものすごくレアなケースだと思われる。だから、自分の専攻分野と教員の専攻分野と興味のある専攻分野と、ちょっとずつベクトルが違う、という現象が現れる。

私は美術館で仕事をしていたので、学芸員という資格でもとるか、というスタンスだったのだが、資格を取った大学の「実習」は、とても広く浅く設定されていた。額縁のかけ方ーワイヤー金具の扱い方とか、古文書の修復ー和紙の虫食い補修とか、複写とか物撮りの方法とか、展示物固定用のテグスの結び方、などである。美術館に帰って速攻役に立つもの、ではなかった。
他にも資格取得経験者の話を聞いていると、夏に数週間かけて「わらじを編む」とか、土器の修復とか、壁紙のレタッチとか、掛け軸の巻き上げ方とか、いろいろである。

いずれにしても、「広く浅く」なので、まあかじってみたか、という状態で終わってしまう。

長じてみれば、分野外の作業はなかなかお目にかかることはないので、がっつりと作業することがあれば面白いと思うのだが。

2014年8月8日金曜日

実習

学校では夏休みがある。
夏休みは美術館で写真撮影記録の作業をしている。
毎年のように、美術館で作業しているのだが、同時期に「学芸員実習生」というのが相席する。

学芸員、というのは、大学で発行する資格の一つだ。美術館とか博物館に学芸員という名前の研究職として就職するときに必須の資格である。
横文字で言えば「キュレーター」、ひところ「流行」になった「横文字」商売のひとつである。

教員免状も同様なのだが、学芸員資格というのも、大学で「養成コース」を受講して、数単位の実習作業をする。
いろいろな大学で免状を出しているのだが、免状クリアのための授業の科目や設定はそれぞれの大学で少しずつ違う。

学芸員「実習」という科目があるのだが、学校によって「内部の施設」か、外部の施設で実習するかが違う。私が資格を取った学校は、基本的に有無を言わさず、全部学内の施設で実習をすることになっていた。学内の「博物館相当施設」である。

学校によって、これがずいぶん差がある。
考古学も「博物館」だし、美術館も「博物館」。科学技術館も「博物館」である。実習に来た日には、有無を言わさず実習する羽目になる。博物館で考古学をやりたいのに、なぜか額縁展示の実習をしたり、現代美術をやりたいのに『古文書の修復」が課題だったり、西洋美術をやりたいのに「縄文土器の修復」が課題だったりする。しかもそれが数時間の実習なので、「ものになる」はずはなく、単なる経験でしかない。私が受講した授業のひとつは「複写」だったりしたので、先生のサポートに回ってがっつり照明セットを組んだりしてしまった。先生にしても、社会人が来るような授業はやりにくいだろうなあ、と思いながら、レフ板の調整をしたりしていた。

さて、美術館の夏は、いろいろな大学から「実習生」がやってくる。学生さんは自分の大学、自分の事情しか知らないので、いろいろと話を聞いていると面白い。

2014年8月4日月曜日

匂い

OB会という活動は、基本的には「ボランティア」である。

地方支部の活動の中心になっているオジサンたちは、お若い人の参加を熱望している。オジサンたちは、それぞれいいおトシである。
まあ60-70くらいまでは現役の社会人であるから、そうそうOB会という「お遊び」もしにくいのかもしれない。もちろん、それ以前の年齢であれば、「ばりばり」な社会人であるから、もっと「お遊び」はしにくいものである。
だから、地方支部のオジサンたちの言う「若い人」というのは、どの世代のことを言っているのか分からないことがある。

ときどき、気になるのは「若い人に実働してもらって」などと、オジサンたちが言うことだ。
「若い人に活動を譲る」わけではなく、肉体労働の担い手として熱望しているのである。
これは傍目で見て、ちょっと理解しがたい。自分で遊ぶのなら、自分で動かなくてはならない。ふんぞり返って遊ぶのであれば、働き手は「ボランティア」ではなく、雇わねばならない。

こういう「匂い」のする支部には、若い人は一旦参加しても居着かないものだ。

見返りのないところには、「若い人」は特に来ないものである。

2014年8月3日日曜日

群れ

勤務校のOB会は、小さな地方支部の集まりである。

地方支部では、各府県の卒業生に連絡をとって懇親会やグループ展などのイベントをやったりしている。もちろん、まんべんなく全国で活動しているわけではなくて、卒業生が少なかったりして「休眠」状態のところもいくつかあったりする。
総括しているところの本部は、卒業生から会費を集めて、名簿の整理や会報の発行をしていたりする。地方支部には、活動人員と活動内容に合わせて、卒業生から集めた「同窓会費」から、活動費を分配する。

私が「幹事さん」をやり始めた10年以上前から、地方支部の人からよく言われる「お悩み」がある。たぶん今もあまり変わっていないだろう。
最も多いのは、若い人の参加が少ない、ということだ。
年間700人以上も卒業生を出しているのに、地方支部の活動には全く参加しない、というのが、60-70歳の卒業生には納得できないらしい。大昔は学生数が少なかったので、こじんまりとした学校で、上下左右顔を知っていたりした。だからこそ、卒業生になっても「群れやすい」のであって、卒業生が多くなればお互いを知る機会もなく、群れる必要性も感じなくなる。
もうひとつの理由は、個人情報保護法である。以前は、例えば卒業して北海道に住む人をピックアップした名簿をつくって、地方支部の事務局に送った。事務局では、展覧会や懇親会のお誘いのお葉書を発送するわけだ。それがきっかけになって、年齢や専攻の違う先輩と顔見知りになる、といったことで活動に繋がった。今は、卒業生の住所を教えることが出来ない。作戦却下である。
他にも理由がある。専攻によっては「展覧会など縁が無い」業界や職種もあるわけで、グループ展が活動の中心だと、美術系以外の卒業生は参加しにくかったりする。


たいがいの人は「損得勘定」を考える。私のような「美術系でない」「個人的な美術作品をあまりつくらない」「展覧会の展示形態に向かない」「群れるのは嫌い」だったりすると、はなからOB会の活動など眼中には入らないかもしれない。

2014年8月2日土曜日

行脚の結果

出身大学のOB会の「幹事さん」というボランティアを10年ほどやっていた。今は無事に任期終了、外野である。

学校は美術系としてはそこそこ歴史がある。そもそも美術系の学校などほとんどなかった時代なので、全国各地から学生が来る。
当初は「父兄会」みたいなかたちで始まった団体だが、そのうち卒業生だけが集まる会になり、一般的な「同窓会」になった。
美術系の卒業生が群れると何をやるか、と言えば展覧会である。ひとりで画廊を借りるよりも、数名で借りた方が安上がり、まあそれが出発点であるにせよ、今や全国各地に支部のある団体である。

全国各地、というのがミソである。北海道から沖縄、海外にも今はいくつか支部がある。支部は数名から数十名の団体である。群れて何をやるか、と言えば展覧会か飲み会である。他の美術系の大学では全国に支部がある、というのはあまりない。勤務校の場合、2代目理事長が受験生を集めるために全国各地を卒業生を訪ねて行脚して、学校名を周知するためのご協力をお願いした、というのが発端の任意団体である。
そのうち卒業生が増えて、ある程度の大きさになってくると、それなりに組織的に動くことになる。一方で、東京にある大学を卒業しても就職のためにUターンだのIターンだのするOBは少なく、地方支部の幹事さんは高齢化していく。美術学校の卒業生など協調性に乏しいく、群れることは好きではないのが多い。

まあ、そういう小さな「地方支部」を束ねたOB会、というのが、出身大学のOB会組織である。弱小学校世襲の2代目理事長の行脚の結果である。

2014年8月1日金曜日

古顔

勤務校では、事務方でも例外ではなく、一時期の雇用緩和によって「正規職員」以外の比率が上がった。いつのまにか数年契約の嘱託職員が増えている。たぶんいくつかの採用方法があるのだろうが、一般的な企業のような「正採用」が少ないように見える。
難点は、事務方の「顔」がずいぶんと短期間で変わってしまうことだ。

大学に通い続けていると、何となく古顔の職員と顔なじみになることが多い。1年に1度か2度、廊下ですれ違ったりすることもある。
古顔の職員、というのは、終身雇用制だったりするので、定年までは学内の部署を回り持ちしている。専任の教員の定年は70なのだが、職員は60くらい、だんだん「古顔の顔なじみ」は少なくなっていく。
しかし入れ替わりに「新顔の顔なじみ」が増えるか、といえばそんなことはなく、顔と名前が一致した頃に「契約が切れたので嘱託をやめる」人が増える。
単なる事務作業だけではなく、ある程度長いスパンで考えるようなプロジェクトまで「嘱託職員」が一部を担っていたりするのは、どうなんだろうか、と眺めたりする。古顔で保守的でがちがちにカタイ、というのはイヤだが、数年ごとに人員一新でリスタート、というシステムが良いのかどうか。それはもっと長いスパンで答えが出てくることなのだろう。

2014年7月31日木曜日

業務

非常勤講師というのは、授業が開催されている期間のパートタイマーである。
授業やってなんぼ、の世界なので、当然のように授業がなければ、ただの「ぷう」である。

勤務校では専任教員が200弱ほど、それに対して非常勤は700弱という人員構成である。
大学というのは、かくも非常勤で支えられている、非正規雇用の世界である。

勤務校は研究室単位で教育を行っているので、教育の実務は研究室が仕切っている。行きつけの研究室では400人弱の学生に対して、専任教員が8名。もちろんまんべんなく全員が授業をやっているわけではなく、非常勤の担当する授業数の方がはるかに多い。だから、実質的な業務というのは、研究室の「スタッフ」6-7名が行っている。「スタッフ」は4年契約の一応正規職員という名前の「助手」、1-2年契約アルバイトという扱いの「教務補助」がいる。専任並みの「研究職」という名目の、実務雑用係である。どちらも卒業して間もない若手が担うのが「恒例」だ。学生さんたちにとっては「先輩」にあたるわけだ。

私の頃は、一般的な大学は、ゼミに入って、修士や博士の論文を書いて、助手になり、講師になり、助教授になり、教授になる、というピラミッド構造な研究室が多かった。勤務校は、ピラミッド、ではない。専任の方が実務スタッフよりも多いのである。専任は終身雇用制でなかすげ変わらず、しかし実務スタッフは4-5年で一新、学生は常に新陳代謝している。
助手をやったからと言って、講師になったり助教授になったりすることは少ない。専任人員は簡単は増えないので、一番上の退官のタイミングでしか決まらない。確率から言えば、10年とか20年でひとり専任に上がれるかどうか、というところだ。専任教員は公募ではなく、どちらかと言えば「内々」で決まる傾向がある。しかし、公募制がベストか、と言えば、そんなことは言えないかもしれない。
昨今のIT化だの、少子化による販売促進の増加(つまり進学相談会とか、進路相談フェアなどへの専任のご参加、オープンキャンパスなどの開催)だのと、業務はだんだん増える傾向ではある。

困るのは、4-5年おきに実務担当の若手が入れ替わるので、業務の引き継ぎトラブルが定期的に起こることだ。長年勤めている専任は、実務業務などやらないので、フォローできない。もちろん研究室では、授業以外の雑務も多くなっていて、授業と販促ではどちらが優先なのかといぶかしむことがある。
優秀な人材を育てる、というのはどちらかと言えば勤務校にとっては、「優秀な社会人養成」なので、自分の学校の人材育成はあまり関心が無いように見える。パートタイマーの立場から言えば、大学は「研究」するところではなくて、「授業」するところだ。

ちっこい単科大学、歴史や過去の実績で今後も生きていけるのか、不安になることがある。

2014年7月30日水曜日

訂正

個人情報保護法、というのが出来た。同居人の勤務校は小学校だったので、ずいぶんナーバスだった。
電話連絡網も、個人情報保護、と言う名のもとに、結局一斉同報メールシステムに変わった。クラスの名簿も発行しにくくなったので、同窓会のお知らせ一つ出すのも大変である。もちろん先生の個人的な住所なども知らせなくなったので、同居人にあてた子どもさんからの年賀状は減少した。

保護法以前は、クラス名簿はあって当たり前、という世界だった。どこで知ったんだろう、と思うようなダイレクトメールが届いていた。高校受験の時期になると進学塾、大学受験の頃になると予備校、20歳になると呉服屋さん、大学卒業の頃になると就職活動情報誌、お年頃になると結婚式場のご案内である。そのうちきっと「お墓」まで来るんだろうなあと笑っていた。ダイレクトメールというのは、たいてい右から左にゴミ箱に入るだけだ。

同居人はバツイチだったので、ずいぶん長い間、元奥様宛のダイレクトメールが来ていた。宝石、毛皮、呉服、海外ファッションブランド、とずいぶんとお派手なものが多かった。いなくなったという情報は「訂正」されず、延々と「昔の」名簿でダイレクトメールが送られてくるのである。こういうのはどこに訂正を申し入れれば良いのだろうか。


同居人には、いなくなった子どもがいた。これもその後10年ほどは届いていたのではないだろうか。振り袖のダイレクトメールが来たときは、今はこんなお年頃なんだねえと、思い返したようだった。


住所の公開などナーバスになっている今日この頃、そういったことはもうないのだろうか。

2014年7月29日火曜日

作戦

そうこうしているうちに、同居人の勤務先は文科省の実験校だったこともあって、今にして思えば、割合早めに学校は「インターネットで連絡網」という作戦に出た。ちょっと大規模なメーリングリスト、というわけである。
小学校からは、何年生だけ、どのクラスだけ、全児童向けなどという選択で、一斉同報するのである。電話連絡網と違って、タイムラグがない。
ところがこれも、実際に使い物になるまでに半年や1年はかかっていたような気がする。

メール、と言っても、ご家庭の電話回線につないだパソコンだったり、携帯電話のキャリアメールだったりといろいろなものがある。働いている人は、おうちのパソコンのメールを見るのは、夜帰ってきてからで、超特急緊急連絡には間に合わない。あるキャリアのメールは、送受信できる文字数に制限があり、本文に入る前の文章しかメールで配信されなかったりした。もちろんキャリアメールでは添付ファイルは見られない。全部テキスト起こしである。
個人情報保護が話題になっていた頃である。メールアドレスが外部に漏れてはいけないので、個人情報は持ち出し不可、つまり送る方は、学校からしか送信できない仕組みだったので、「朝6時の気象警報で休校が決まる」ような連絡だと、朝5時半頃学校にいて、気象警報を見てから「本日は休校になりました」と発信しなくてはならない。担当の先生は「休校」ではなく、嵐の中の登校である。

いろいろなご家庭のケースがあったり、不具合を少しずつ修整したり、あるいは世間的な使用方法や技術、ハードウェアの使い方やスペックも少しずつ変わったりした。変化の早さは、ここ数年のことである。

2014年7月28日月曜日

連絡

それから幾星霜。
20年ほど経つうちに、大都市圏では核家族化が進み、共稼ぎのおうちが増えた。
留守番電話という文明の利器が開発され、電話連絡網は人間相手ではなく留守番電話相手に伝言することが多くなる。
留守番電話の難点は、「伝言承りました」だけであり、そのおうちのひとが「聞いたよ」という確証が持てないことである。

同居人は小学校の先生歴が長いのだが、このあたりの過渡期を「先生」として過ごしていたわけだ。

いつの時代であっても「連絡」は大切で、必要、だが、難しいものである。

そのうち「携帯電話」というものが普及し、電話連絡網では二つ三つの電話番号が並ぶようになった。
お仕事中はコレ、プライベートにはコレ、とひとりでいくつかの携帯電話を使いこなすお母さんもいた。伝言を送る方は、時間を見て電話番号を選ばねばならない。お仕事中に電話をしたら「次の人の電話番号が分からないので、次の人に回しておいてください」などと言われ、保護者会で話題になったことがあるらしい。結局、専業主婦で家にいる人が、かなりの人数に電話することになるからだ。

「ご連絡」というものは、いろいろと難しいものである。

2014年7月27日日曜日

伝言

通信教育系の会社から個人情報が漏れていた、というのが、先日はニュースになっていた。
「個人情報保護法」あたりから、なんとなく世間様は、別のベクトルに向かっているような気がする。

母は私学の小学校だったのだが、入学の条件が「自宅に電話がある」ことだったそうだ。太平洋戦争前後のころである。
私の世代だと、小学校時代には、大都市圏のクラスでは、ほぼ8-9割方に固定電話が普及していた世代である。核家族化が始まってしばらくの世代なので、サラリーマンの奥様は専業主婦が多かった。もちろん三世代同居、というおうちもそこそこあったし、商店街の近くだとご商売なのでいつも誰か家にいる、というわけだ。だから小学校には「電話連絡網」というのがあった。固定電話がないご家庭は、近くのおうちから「伝令」にいくのである。
台風前日とか、天気の怪しい運動会前日とかに、「明日の行事は延期です。授業の支度をしてきてください」などというのがまわってくる。担任からクラスの代表に連絡が行くと、枝分かれしたツリー構造に従って、電話で伝言ゲーム、である。間違ったら大変なので、お互いに復唱し、最後の人は「回りました」という確認をクラス代表にコールバックする。まだ留守番電話などない時代だ。

2014年7月26日土曜日

仕込み

講師する側から言わせてもらえば、「おつむのよろしい学生」に教える方が楽ちんである。
偏差値の低い学生に教える方がはるかに大変である。手を変え品を変え、好奇心を持たせ、興味を持たせなくてはならない。授業中に寝かさないよう、私語しないよう、スマホいじりをしないよう、あれこれと考えなくてはならない。

…にも関わらず、授業評価が低いこともある。分からないのは自分ではなく、授業のせいである、らしい。
いまや、学生様はお客様で神様である、らしいので、傾向と対策を練らねばならない。

小心者であるので、少しでも「分からなかった」という感想を払拭すべく、あれこれ手を変え品を変え、作戦を練り、授業を「仕込む」のである。今は夏休み、その間に少しでも「仕込み」をしておかねば。

2014年7月25日金曜日

もちろん授業をする側から言わせてもらえば、学生さんの「側」によって、同じ科目や内容であっても、授業の内容や方法は変わってくる。

一般的に「おつむのよろしい」学校の学生さんだと、授業はやりやすい。シラバスは当然読んでくる。事前に読んでくるように、図書を指定したら、全員でなくてもある程度は読んでいる。歴史や言語などの知識もあるので、余分な「解説」をする必要はない。話の腰を折られずに、スムーズに進み、内容が多くなる。
カルチャーなどの講座だと、年齢層がばらばらで、バックグラウンドになるものが違うので、お互いの共通項を見つけるまでがちょっと大変である。ただし、目的意識がはっきりしているので、食いつきが良い。どちらかと言えば、受講生のばらつきにあわせて、臨機応変に応えられるような準備が必要になってくる。

勤務校は、と言えば、目的意識はある程度あるものの、世間的な偏差値が高いとは言いづらい。シラバスは読まないし、参考図書もほとんど、あるいは一切読んでこない。本当に、授業の教室に「来る」だけである。「お勉強」的な知識の蓄積がほとんどないので、第二次世界大戦が1900年ごろ、と言ってはばからない。おかげで、話の腰を折って解説する羽目になることがある。もう授業内は、ポキポキに腰が折れた状態である。本題は、授業内の半分で納めるくらいの覚悟でないと、授業時間内には終わらない。
いわゆる「実技系」の学校である。受験対策的に言えば、偏差値が高いとは言えない。一方で、偏差値を底上げするような授業を組むというカリキュラムでもない。スキルはつくが、世界情勢に全く疎い学生が育っていく。これで社会に出していいのかしらん、と思ったりするのだが、それは基礎課程を担当している一介の非常勤が考えるべきことではない。ともあれ、目の前の学生に対応することしか、考えることはない。

2014年7月24日木曜日

成果

同居人の通っている別の大学は、マークシート方式の「授業評価システム」である。
翻って、私の勤務校ではアナログ式の「アンケート用紙」である。

授業の最終日に、研究室からよろしくーと「アンケート用紙」を渡され、学生に記入させて回収する。研究室はそれを集めて教務課に回す。勤務校では集計を外注しているので、年度末に分厚いファイルとデータの入ったCD-Rが届いているようだ。
年度初めに研究室に行くと、前年度の「授業評価アンケート集計結果」というファイルがどーんと置いてある、という状態である。
だからといって、自分の授業評価を十分に理解し、今後は評価向上のために留意せよ、というようなアナウンスがあるわけでもない。お客商売であれば、むしろ「どのように学生の評価を上げるか講師のための傾向と対策講座」などがあるべきだと思うが、それもない。アンケートはとっただけ、という印象がある。評価が高ければ、これから受験する高校生に「うちの大学の授業は学生の評価が高いんだもんね」とアピールできるのかもしれないが、それは「単位が取りやすいだけだもんね」に見えるのではないかと危惧したりする。

研究職である専任教員と違って、こちとらパートの非常勤教員なので、教育成果というコトバがちょっと気になったりするのである。

2014年7月23日水曜日

自由記述

そうはいっても、まあ概ねいまどきの学生さんは真面目である。おおかたの学生さんは、真面目に取り組む。
私の授業は必修なので、クリアできなければ進級できない。ほとんどの学生さんは、前向きに取り組まざるを得ない。

下の方に自由記述欄があり、無記名と言うこともあって、それなりに自由に一言書いているようだ。「すごーく勉強になりました」「一番やる気になりました」などという記述は、本気なのか下心なのかよくわからない。これは成績には関係ないと、学生は分かっているんだろうなあ、といぶかしむ。翻って、集計している方はわかっているのだろうか。


一方、言いたい放題、という記述もときどきあるようだ。私の授業は25人前後で、回収後私が目を通すなどありえそうなことだし、手書きのレポートなども要求するので、誰が何を書いたかすぐわかってしまいそうなので、あまり「言いたい放題」な例は少ない。
同居人の大人数の講座では、ちょっと悲しいコメントもついてくるらしく、アンケートの結果が学校から送られてくるとよく凹んでいる。たぶん業者が集計しているのだろうが、自由記述もご丁寧に全部がきれいにテキストで打ち直されてリストになっている。
「声が小さくて聞こえない」「授業の進み具合がわかりにくい」「資料の配布が少ない」などは、けっこう本人も気にしていているところで、毎度使いにくい拡声器を使い、授業始めと最後にサマリーと要約をして内容を端折らざるを得ず、初年度ははりきって資料を配付したら教務から「印刷費が予算オーバーなので今後は自粛するように」と言われた。おかげで、2年度以降も、毎度授業の仕込みはかなり時間をかけているように見える。200人中、数名の記述なので、割合からすれば少ないのだろうが、テキストになると「目立つ」ようだ。
のみならず「冷房がききすぎる」「遅刻してくる人のドアの開閉音が大きい」などの、施設面でのクレームは一介の非常勤に言われても困るような気がする。
あまつさえ「私語が多い」「遅刻が多い」「授業中に後ろの席の学生の携帯の呼び出し音が鳴る」などのコメントは、学生側の問題なので、授業についての評価とは違うような気がする。それは「授業評価」だろうか。
集計する方は、ただ自由記述欄をベタ打ちしているだけで、「授業評価」かどうかは関係ないようだ。

集計されたアンケートで凹んでいた同居人には、担当科目の専任の教員からアドバイスがあった。「うちの学生の評価は、あまり気にしないようにしてください」。
うーむ、なんのためのアンケートなのか。気にしないようなアンケートであれば、集める必要はないような気がするが。

2014年7月22日火曜日

単位

ぼちぼち学期末である。

ひとつの授業科目が終了すると、学校からアンケートをとるように、と学生向けの「授業評価アンケート」用紙を渡される。
毎度感じるのだが、何となく、しっくりこない。
授業についての評価が受講生によって行われ、それが大学の教育の総体として伝えられるのであれば、最高の教育機関と言うのはカルチャースクール、ということになるだろう。

学生様はお客様であり、彼らを満足させることが、「良い授業」であるなら、出欠をとらず、レポートも試験もなく、単に単位を乱発すれば良いからである。そういう授業が、学生を「馬鹿」にしたものであり、「教育」と言う役割を放棄していることは、誰にでも分かりそうなものだ。
最近は、学生の学習態度も付加されていて、「シラバスは事前に読みましたか」「授業には前向きに取り組みましたか」などという質問まで入っている。シラバスを事前に読んでこず、授業に前向きに取り組めないのであれば、授業は面白くないに決まっている。何を今更、当たり前のことを質問しているのだろうか。がっつり取り組んでも、自分には「興味がわかなかった」というなら分かる。だから授業には前向きに取り組めなかった、という論法なら分かる。それは学生自身の「意欲」や「努力」への評価であるはずだ。授業に対する評価ではない。
「興味がわかなかった」学生に、「興味をわかせる」ことが、授業の目的なのだろうか。シラバスを事前に読み、興味が持てそうだから、授業を受けたのではないのだろうか。もしかしたら、興味がわくかもしれない、という期待が、受講の動機なのだろうか。謎である。

もちろん、自分の興味のある科目だけ、意欲の出た科目だけを学習したいのであれば、「学校」という組織や学習形態は必要ない。いやなものでも強制的に学習させられるのが「学校」であり、そこで得るのは「努力」という習慣である。しかしそれこそが、社会に出たときに唯一役立つものだ、と言ったのは、E.デュルケムだったかな。

2014年7月21日月曜日

ビジュアル

映像業界と言うのは作業分担が細かく、それぞれがプロフェッショナルである。ディレクターがイメージした頭の中のビジュアルを、周りがいろいろと組み上げる、というシステムになっていることが多い。
得てしてそれが、「ディレクターになりたい」と学生が思うきっかけになっているようだ。自分がイメージしたビジュアルを、周りがよってたかって具現化する、という図式だ。
もっとも、そうなるためには、周りがよってたかって具現化したイメージに対して「ジャッジする」ことが出来る能力が要求される。痒い所に手が届くスタッフであっても、痒い所を探してくれるわけではない。黙っていれば、思ったイメージを提供される、などということはない。

学生さんの課題では、だからといって最初のアイディアやイメージに固執しすぎると、本質を見失うことがある。何が「本質」なのかを考えることが大切だ。前述のケースでは、スケッチが飛んでいくと言う超自然現象がリアルに撮影できなければならないのか、ということだ。
こういうときに、よく提案することのひとつが「黒衣」作戦である。舞台の上にいるが「いないもの」として観客は認識しなくてはならない。黒尽くめの衣装を着て、スケッチを「持って行く」のを撮影する作戦である。
もうひとつは「チープで効果的」作戦である。例えばメリエスやフェリーニの作品のように、リアルではないつくりもの、といった趣の装置を用意する。スケッチをテグスでつったり、針金で動かしてみせたりする。「リアルではない」方が、「何か」を伝えることもある。
「本質」が、男女が「出会う」きっかけである、とする。そちらを丁寧に描写することが出来れば、黒衣やチープなセットは気にならなくなってしまうことがある。

学生は、リアルを追求した、いまどきの表現しか見たことがない。「リアルではない」表現は、身近ではない。さまざまな演劇などのパフォーマンスや、時代を越えた表現を知る経験があまりないようだ。クラスで「歌舞伎を見たことがある」学生は、1-2名程度、黒衣など見たこともない学生がほとんどなので、思いもつかないのだろう。恵まれた社会と環境にいながら、少しもったいない気がする。

さまざまなものを見て蓄積していくことが、人生である。蓄積したことが、表現となって出てくることがある。人生がモノをいうのは、こういう時である。

2014年7月20日日曜日

本質

このあたりになって、学生さんは「表現の壁」というものの存在を知る。

自然や動物など、人間の思い通りにならないものはたくさんあるものだ。映像では、どうやって具体的な被写体の動きにしていくか、ということを考える。今の学生さんは、CGだの、特殊撮影だのといった画像を見ることに慣れているので、そのような画像にならないと知ると、とたんにへこんでしまう。スケッチが風に飛ばされないと、すべてのプランをチャラにする、という作戦に出ることが多い。ゲームオーバー、リセット、という感覚なのだろう。
ただそこで、リセットしてしまっては、「学習」にはならない。社会人になってからの仕事も、人生も、そうそう簡単にリセットは出来ないからだ。

こういうときに話をするのは、実は何を描きたかったのか、ということである。風に乗って飛んでいくスケッチを描きたいのか、スケッチしていた女子学生とそれを拾った男子学生の「出会い」とか「恋愛の最初の第一歩」みたいなことなのか、ということだ。
前者であれば、映像で描くことをはき違えている可能性が大なので、もう少しねちっこく話をする。
後者であれば、そちらの方をもう少し丁寧に描写することに、撮影のポイントをシフトさせる作戦を考える。飛び始めと着地をきちんと被写体として抑えておければ、中の「飛んでいく」という演出はいくつかの方法を考えられるからだ。実際に紙を飛ばさない、という演出も考えられるだろう。そもそもスケッチが飛ばなくてはならないか、ということも考えられる視点のひとつだ。

一発アイディアで進められたプランなのか、映像として表現するために練られたプランなのか、ということは、このあたりで学生と話をしながら探り出す。さて、人生がものを言うのは、これからだ。

2014年7月19日土曜日

待機

葉として考えるのは簡単だが、実際の被写体として用意しにくい、というものはたくさんある。もちろん、人間なら「演出する」という動かし方があるのだが、人間ではない被写体は、そうそう簡単に人間の思うようには動かない。

スケッチは学生の思うようには飛んでいかない。イメージ通りにひらひらと風には乗らない。

もし彼らがそういった実写映像を見てインスパイアされていたのだとしたら、その元の映像は相当「作り込まれた」ものであるはずだ。風にそよぐ白いシーツがはためいている合成洗剤の広告でも、たまたま映ったものではなく、イメージに合わせて「はためかせて」いるはずだ。

晴れるまで待つ、と言ったのは天皇黒澤明、という逸話がある。オープンでの撮影のときに、思った通りの空模様になるまで、ひたすら待った、という話だ。もちろん「待つ」のは「ロハ」ではない。スタッフもキャストも仕事はないが、待機状態なので、人件費は撮影しようがしまいが、同額払わなくてはならない。1日待って何百万、という勘定である。もちろん、1-2日どころではなかったので、逸話になったのである。

学生の課題ではもっとタイトなスケジュールを組むので、想定通りの風が吹くまで待つことなど出来ない。

2014年7月18日金曜日

言葉で言えば簡単なことなのだが、実写では映像として撮影することが難しい、ということはたくさんある。たいていの初心者の場合、それはあまり認識していない。だから、プランを聞くと「ありえなーい」ことがたくさん出てくる。

純情そうな女子学生が紙にスケッチをしている。風が吹いて、スケッチが飛ばされる。スケッチは、ひらひらと植え込みの木々の間をすり抜けて、落ちていく。スケッチが地面に落ちたところに男子学生が通りかかる。男子学生はスケッチを手に取る。そこには自分の姿がある。彼は、周りを見回す。向こう側の木陰に、スケッチブックを抱えた女子学生が立っている。

…などという描写がときどき出てくる。20前後の若い女子学生の考えそうなシチュエーションである。
ほんとにこれで撮影するのか、と一応、本人には確認する。本人はやってみます、とやる気満々である。じゃあ、やってみてよ、と撮影に送り出す。

いやいやこれが、実写では難しいのである。案の定、撮影している現場で立ち会うと、別の作業をしている。本日は無風。そよとも風が来ない。
翌日は、数名で団扇を用意して待機中である。ばたばたとあおいで、紙を飛ばす作戦である。遠すぎると紙は飛ばない。近すぎると団扇が映り込む。飛び始めはいいのだが、木々の間をすり抜けはしない。
その翌日は扇風機を用意してきた。ながーい電源コードを引き回して、スイッチオンである。あっと言う間に紙は吹っ飛んでしまう。風情がない。もちろん思ったように木々の間を抜けないし、思ったところに着地したりはしない。男子学生はスケッチを追いかけて走り回った。

人間以外のものを、自在に動かすのは、かように、大変なのである。

2014年7月17日木曜日

予報

言葉で言えば簡単なことなのだが、映像として撮影することが難しい、ということはたくさんある。たいていの初心者の場合、それはあまり認識していない。だから、プランを聞くと「ありえなーい」ことがたくさん出てくる。

多いのは「お天気」に関することだ。学生がプランを組んだときと、撮影しているときでは、天候が違うことがよくある。毎日同じお天気になるとは限らない、という日常ではごくごく普通のことが、「映像を制作する」と全く抜けてしまう。今日は雨だから、明日も雨、とは限らない。
授業の季節にもよるのだが、一夜にして「夏」になったり、暴風雨の翌日はすっかり快晴、ということも、よくある。以前は天気予報とにらめっこしていたのだが、最近の学生さんはスマホの天気予報とにらめっこである。だから「天気の予想」などお得意なのかと思ったが、これがスマホのアプリによってずいぶん「予想」が違うらしい。授業始業時に、予想と違ったときの「八つ当たり」は、スマホ相手である。
「あんたの使っているアプリがよくないのよー」「そんなこと言われてもー」「ほかのアプリ使いなさいよー」。

予想を信用しすぎる人間様が悪い、ということにならない。

2014年7月16日水曜日

絆創膏

うら若い女子学生もクラスにはいるので、60秒の映像で「お話」をつくると、どうしても「恋愛沙汰」というのが絡んでくる。
片思い、告白、失恋、ストーカー、いやいや、人生まだまだこれからの20そこそこの学生が考えることは、当然のように、青いものである。

「失恋して悲しい」というような映像の描写があった。女子が呆然と、キャンパスのピロティに立っている。カメラは彼女の足下のローポジションでアップ。女子学生は、ウェッジヒールのサンダルを裸足ではいている。遠景に、男子学生と女子学生の足があり、寄り添って、並んで、それが遠くに去っていく。というカットである。

女子学生のくるぶしの下に、絆創膏が貼ってある。サンダルの靴擦れでもあるのだろう。新品ではなく、数時間前に貼った、と言う感じである。

たいていの学生は、ディテールを作り込む、という経験がない。衣装や持ち道具なども、役者役の学生の「お持ち合わせ」で間に合わせる。すると、こういった「生活臭」のある絵がときどき出てくる。わざわざ絆創膏を貼って撮影したわけではなく、たまたま役者をする女子学生が靴擦れしてた、というだけ、である。

そんな絆創膏を眺めていると、「生活臭」というのが大事なんだよ、と昔、ポルノ映画を監督していた人から言われたことを思い出した。ポルノ映画は、「きれい」だけではなくて、「リアル」な感じが必要なのだそうである。だから「生活臭」というのを、そこはかとなく、匂わせるのが絵づくりのポイントなのだそうである。枕元のマグカップの模様が、観光地のロゴ入りだったり、とか。脱ぎ散らかしたセーターの袖口がちょっとほつれていたり、とか。全裸の女が、かかとに靴擦れの絆創膏だけをつけている、とか。微妙なものであるらしい。

…くだんの学生の場合は、単に「うつってしまった」だけに過ぎないのだが。

2014年7月15日火曜日

眼中

1年生の授業では、ビデオを使って60秒ほどの作品を各自でつくってもらう。

初心者の入門編、といった位置づけの授業で、「ビデオカメラは触ったことがない」学生もいる。
多くの初心者は、カメラで撮影するときに「自分の見ているもの」だけをファインダーの中に見ている。
「機械」と言うものを通すと、光の反射がすべてフラットな情報として記録される。オーディエンスは、フラットになった情報をスクリーンの上で再確認する。
だから、撮影する側は、オーディエンスにすべての情報を伝えるのではなく、「自分の見ているもの」だけを見せることに苦心する。照明やピント、露出などの撮影の技術的なことはもちろんだし、ロケーションや持ち道具、衣装も、「情報」になるからだ。

であるから、1年生の撮影して来た映像素材と言うのは、ときどき面白いものがある。
本人は撮影時にはまったく意識しておらず、ファインダーの中でも無視しており、編集時にもまったく「out of 眼中」なのである。ところが、違う人間が見ると、まったく違ったものが「意識される」ことがある。

よくあるパターンは、被写体の背後を誰かが通り過ぎる、というケースである。それが誰か知っている人だったりすると、オーディエンスの意識はそちらに持っていかれる。
被写体の後ろに猫がいれば、猫好きは被写体ではなく、猫に持っていかれる。
うちの同居人はクルマ好きなので、クルマが映っていると、それに持っていかれる。
ファッション好きな友人は、女優さんではなく衣装を見ていたりする。
音響効果の人と映画を見に行ったとき、彼は映画のストーリーではなく、「音」を見ていた。
効果の人「主人公の乗っていたヘリコプターの音は、違う機種の音でしたねえ」
私「いや、全然気づきませんでした」
効果の人「実際にはあんな音はしないけど、あの場面にはあれぐらいの音がいいよねえ。でも違う機種の音だと、観客が気づくようではプロではないからね。気づかないからいいんだよ」

…そういうものである。

2014年7月14日月曜日

勢い

教員と学生の懇親会での「勢い」発言など、まだかわいいものである。

私が学生の頃は、それこそ勢い余って無礼講と化し、誰かが脱ぎ始め、裸踊りをし始める。男子よりも酒豪な女子も多い。つぶれた男子を介抱したり、つぶれた先生を介抱したり送っていった。
あまりの騒ぎに、本学学生お出入り禁止と叫んだ居酒屋もある。壁をぶち抜かれ、階段からぞろぞろと学生が転げ落ち、床が抜けたた。お詫びにその学生を担当していた教授が、自らの作品を贈呈した、という話があったりした。ちゃんとした絵描きの先生である。号何十万円、である。

若気の至り、というやつなのだろうが、同居人の学生時代は、体育会系のサークル所属だったので、もっと凄い逸話があった。
飲み屋の壁を壊した、床を踏み抜いた、階段を壊した、看板を壊した、塀を壊した、近道しようと他人の敷地に入って横切ろうとしたら犬に追いかけられた、打ち上げで胴上げをして天井をぶち抜いた、先輩の結婚披露宴で新婚夫婦の寝室にみんなでなだれこんだ、酔っぱらって帰ってベッドに倒れ込んだがそこは隣の家の寝室だった……。

今聞くとフィクションみたいな感じがする。ほんとなんだろうか。
ちなみに、作品を贈呈された居酒屋では、先生の絵が廊下に飾ってあったそうだ。売り飛ばしはしなかったんだねえ、というのが後日談だ。その居酒屋も、現在は廃業していて、存在しない。今は昔、である。

2014年7月13日日曜日

状況

同居人は女子大学で講師をしている。
学生は女子ばっかり、なのだが、もちろん教員や職員には男性もいる。

ちょっとした「勢い」とか、留学生とのやり取りの言葉のあやで、「セクハラ」騒動になることがあるらしい。
ゼミの打ち合わせに学生が出向いたら、喫茶店に誘われて、コーヒーをおごられた、くらいのことである。学生にしたら「学校外でふたりきり」なのだし、ほかの学生から見れば「あの学生だけ」だったりする。先生の方は、それ相応にいいトシなので、10年20年前の感覚と変わらない。単にコーヒー飲みながら話をしたかっただけだったりする。
難しいものである。

卒論の季節、男性教員は、ドアも窓も開けっ放しで、学生と個別面談をするらしい。部屋の外は寒いが、開けっ放しで暖房などきかない。コートを着て、背中を丸くして、外からいろいろな人が覗き込んでも気を散らさずに、面談しなくてはならないそうである。

学生にとって、そういう状況は、ありがたいのかしらん。

2014年7月12日土曜日

発言

いろいろな意味で発言には気をつけたい今日この頃、先日は大学教員と学生の懇親会での発言が、研究室での話題になっていた。

その場で言えば、他愛ないことだったりするのだろうし、酒の勢い、というのもあるのだろう。ただ、後で他人から聞かされると、セクハラ、と言えるかも、というのがある。現場で対処してしまうのが一番なのだろうが、酒もさめて、冷静になって、やっぱりあの時の発言は、と蒸し返されるのも、何となく後味が悪い。難しいものである。
さめた頭で考えるなら、それが「勢い」なのか「本音」なのか「建前」なのか、ということもあるかもしれない。酒の席ではなく、しらふで言われたらもっと問題になるのかもしれない。
そんなことを考え始めると、教員と学生の懇親会は今後一切なしにしよう、という方向を向いてしまいそうだ。

結局、問題の解決にはあまりならないような気がする。

2014年7月11日金曜日

トシ

大学を卒業して社会人になった頃は、まだ「セクハラ」などという概念はなかった。
懇親会に行けばお酌を強要され、オジサン達にお尻を触られる。若く純情であった(!)頃は、いやでたまらなかったので、そういう性向のない先生の背後に隠れたりしたものだ。そのうちに、オジサンあしらいの上手な人を眺めながら、その方法を覚えていくようになるものだ。

そのうち、こちらも大人になってくるので、オジサン達の興味はもっと若い女性にいくし、こちらも口八丁で対内出来るようにもなる。
早く結婚した方が! と言われれば、婿連れてこい! と返せるようになるし、自分が産んでから! と言われれば、産ませるんじゃなくてお前が産んでみろ! と言えるようになるのが、年の功、というものである。 
人間、伊達にトシは取らないものである。

ただ、そういったことは、本質的にはよろしくない、と思う。目くじらを立てたり、我慢したり、対策を覚えたりしない世の中の方が、はるかにありがたいのは言うまでもない。