2014年7月15日火曜日

眼中

1年生の授業では、ビデオを使って60秒ほどの作品を各自でつくってもらう。

初心者の入門編、といった位置づけの授業で、「ビデオカメラは触ったことがない」学生もいる。
多くの初心者は、カメラで撮影するときに「自分の見ているもの」だけをファインダーの中に見ている。
「機械」と言うものを通すと、光の反射がすべてフラットな情報として記録される。オーディエンスは、フラットになった情報をスクリーンの上で再確認する。
だから、撮影する側は、オーディエンスにすべての情報を伝えるのではなく、「自分の見ているもの」だけを見せることに苦心する。照明やピント、露出などの撮影の技術的なことはもちろんだし、ロケーションや持ち道具、衣装も、「情報」になるからだ。

であるから、1年生の撮影して来た映像素材と言うのは、ときどき面白いものがある。
本人は撮影時にはまったく意識しておらず、ファインダーの中でも無視しており、編集時にもまったく「out of 眼中」なのである。ところが、違う人間が見ると、まったく違ったものが「意識される」ことがある。

よくあるパターンは、被写体の背後を誰かが通り過ぎる、というケースである。それが誰か知っている人だったりすると、オーディエンスの意識はそちらに持っていかれる。
被写体の後ろに猫がいれば、猫好きは被写体ではなく、猫に持っていかれる。
うちの同居人はクルマ好きなので、クルマが映っていると、それに持っていかれる。
ファッション好きな友人は、女優さんではなく衣装を見ていたりする。
音響効果の人と映画を見に行ったとき、彼は映画のストーリーではなく、「音」を見ていた。
効果の人「主人公の乗っていたヘリコプターの音は、違う機種の音でしたねえ」
私「いや、全然気づきませんでした」
効果の人「実際にはあんな音はしないけど、あの場面にはあれぐらいの音がいいよねえ。でも違う機種の音だと、観客が気づくようではプロではないからね。気づかないからいいんだよ」

…そういうものである。

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