他にも、施設を壊した、業者の搬入の通行を邪魔した、他の授業の邪魔になった、通行の妨げになったなど、他人の迷惑を顧みない結果を指折り数えてみるときりがない。教える方は、常識的な範疇を想定しているのだが、学生の頭の中と行動は予想外の展開が多い。予想外のトラブルを起こすたびに、研究室と収拾に追われる。うーむ、予想外だな、と思いつつ、今日も収拾に学内を走り回る。常識の範囲内、という言葉が、どんどん意味を失っていくのが見えるようだ。
結局、よそ様の邪魔になった場所は、「授業内の撮影可能場所リスト」からどんどんと外される。
そうして、当該の授業時間で学生の撮影可能な場所というのは、毎年のように狭まっていく。
先輩の素行は、後輩にしわ寄せが行く、と相場は決まっている。それが理不尽だ、と言う学生も時々いるのだが、そう言う学生がたいがいトラブルを起こす。
結局のところ、どんな作業であれ、現場や周囲の状況、関係者の気持ちや印象を想像できない、自分たちの作業だけに集中してしまう、というのが原因に過ぎない。なぜこうも、他人のことを想像しにくい学生がやってくるのか、と言うことが、ここ数年の謎である。それは、家庭教育なのか、幼年期の教育なのか、予備校の競争的な教育のせいなのだろうか。
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