2014年7月25日金曜日

もちろん授業をする側から言わせてもらえば、学生さんの「側」によって、同じ科目や内容であっても、授業の内容や方法は変わってくる。

一般的に「おつむのよろしい」学校の学生さんだと、授業はやりやすい。シラバスは当然読んでくる。事前に読んでくるように、図書を指定したら、全員でなくてもある程度は読んでいる。歴史や言語などの知識もあるので、余分な「解説」をする必要はない。話の腰を折られずに、スムーズに進み、内容が多くなる。
カルチャーなどの講座だと、年齢層がばらばらで、バックグラウンドになるものが違うので、お互いの共通項を見つけるまでがちょっと大変である。ただし、目的意識がはっきりしているので、食いつきが良い。どちらかと言えば、受講生のばらつきにあわせて、臨機応変に応えられるような準備が必要になってくる。

勤務校は、と言えば、目的意識はある程度あるものの、世間的な偏差値が高いとは言いづらい。シラバスは読まないし、参考図書もほとんど、あるいは一切読んでこない。本当に、授業の教室に「来る」だけである。「お勉強」的な知識の蓄積がほとんどないので、第二次世界大戦が1900年ごろ、と言ってはばからない。おかげで、話の腰を折って解説する羽目になることがある。もう授業内は、ポキポキに腰が折れた状態である。本題は、授業内の半分で納めるくらいの覚悟でないと、授業時間内には終わらない。
いわゆる「実技系」の学校である。受験対策的に言えば、偏差値が高いとは言えない。一方で、偏差値を底上げするような授業を組むというカリキュラムでもない。スキルはつくが、世界情勢に全く疎い学生が育っていく。これで社会に出していいのかしらん、と思ったりするのだが、それは基礎課程を担当している一介の非常勤が考えるべきことではない。ともあれ、目の前の学生に対応することしか、考えることはない。

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