2014年7月20日日曜日

本質

このあたりになって、学生さんは「表現の壁」というものの存在を知る。

自然や動物など、人間の思い通りにならないものはたくさんあるものだ。映像では、どうやって具体的な被写体の動きにしていくか、ということを考える。今の学生さんは、CGだの、特殊撮影だのといった画像を見ることに慣れているので、そのような画像にならないと知ると、とたんにへこんでしまう。スケッチが風に飛ばされないと、すべてのプランをチャラにする、という作戦に出ることが多い。ゲームオーバー、リセット、という感覚なのだろう。
ただそこで、リセットしてしまっては、「学習」にはならない。社会人になってからの仕事も、人生も、そうそう簡単にリセットは出来ないからだ。

こういうときに話をするのは、実は何を描きたかったのか、ということである。風に乗って飛んでいくスケッチを描きたいのか、スケッチしていた女子学生とそれを拾った男子学生の「出会い」とか「恋愛の最初の第一歩」みたいなことなのか、ということだ。
前者であれば、映像で描くことをはき違えている可能性が大なので、もう少しねちっこく話をする。
後者であれば、そちらの方をもう少し丁寧に描写することに、撮影のポイントをシフトさせる作戦を考える。飛び始めと着地をきちんと被写体として抑えておければ、中の「飛んでいく」という演出はいくつかの方法を考えられるからだ。実際に紙を飛ばさない、という演出も考えられるだろう。そもそもスケッチが飛ばなくてはならないか、ということも考えられる視点のひとつだ。

一発アイディアで進められたプランなのか、映像として表現するために練られたプランなのか、ということは、このあたりで学生と話をしながら探り出す。さて、人生がものを言うのは、これからだ。

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